回想(倉内視点)
初めて会った時から俺は浅井 春太郎という男に対して妙な親近感を持っていた。
きっとあいつは覚えていないだろう。だが、俺はあいつと入社試験の時に会っている。集団面接で同じグループになったわけでもないし、待ち時間に雑談をしたわけでもない。トイレですれ違った、ただそれだけなのにはっきり印象に残っているのは、スーツの着こなしが妙にこなれていた事、それから締めていたネクタイのせいだ。
あいつは俺と全く同じネクタイを締めていた。悔しいけれど、俺よりもあいつの方が似合っていて、それではっきりと覚えていたんだ。
入社してからも、あいつと持ち物がかぶるのはしょっちゅうだった。
それなりに拘って選んだ、というのが余計そうさせたのかも知れない。若手の俺たちが手を出せる価格帯のブランドやメーカーなんてそれこそ知れているし、好みが似ていればかぶるのなんて必至なのだろうけれど。
ただ、支社も部署も違う俺たちが、極たまに顔を合わせる度にそんな事が起これば、こいつとは仲良くなれそうだと思ってしまう。
しかも、俺に対してもあいつに対しても人事の扱いが酷かった、というのも勝手に親近感を覚えてしまう要因の一つだった。
俺もあいつも異動が多く、うちの会社はブラックだったのか!? と思わずにはいられない多忙な部署が多く、また時間に余裕がある支社へ転勤できたと思ったら海外だった、なんて境遇だったからだ。
同期の中には、滅多に残業することもなく、完全週休二日制を謳歌しているやつもいたらしいが、入社してから5年目までの俺とあいつにとってそれは夢物語でしかない。
因みに、仕事で一緒になることといえば、新人研修の手伝いとか、引き継ぎくらいのもので、今の部署へ配属させるまでは時々顔を合わせる機会はあれど、同じ職場で働いたことは無かった。
顔を合わせれば、同期のよしみで飲みに行ったり飯を食ったりするわけだが、回数を重ねて仲良くなればなるほど、あいつは俺が思っていたよりも感情に乏しい奴なんだと驚いたものだ。
周りの評価は、明るくて、一生懸命で、気が利く。そして仕事もできる。あいつと関わる人はあいつに対して概ね好印象を持っているし、実際にそういう奴なのだとも思う。
だけれどあいつには変に冷めているところがあって、距離が近い様でいて周りとしっかり線を引くところがある。それに加えて、ことさら恋愛に関してはドライだった。
彼女がいるという話を聞いても、彼女に対する興味が薄い。もちろん長くは続かなかったようだし、彼女でなくともコナをかけようとする女性に対しての反応が非常に冷たい。冷たいと言うと語弊があるかも知れない。あいつの人懐っこさや笑顔は冷たさを覆い隠してしまうのである。
上手く表現できないが、とにかくスルーするのが上手いのだ。
いや、スルーするのが上手いのではなく、単に興味がなかったのかも知れない。
言い寄ってくる相手の名前を覚えていない事だってザラにあったし、あいつは老若男女問わず誰に対しても平等に優しく、そしてフレンドリーにできる奴だった。今思えばそのせいで相手が親しいと勘違いして告白し、即断ったとしても柔らかい物腰やあいつの笑顔のせいで紳士的な対応をしていると思わせているのだろう。
誰に対しても平等に優しく、勘違いさせてしまうと言うのは、俺が昔から周りに指摘され続けていた事でもある。
あいつが俺と違うのは、俺と比べて恐ろしく鈍いというところ。
そして、たまに残念臭が漂ってしまうところ。その残念臭ですら、あまり親しくない相手にはギャップとなり魅力的に映ってしまうらしい。
俺は下心を持って近づいて来る馴れ馴れしい女性を察知するとうまく距離を取って告白を回避するのに対し、あいつはそれが出来ないから、女性から告白される機会が多い。
だが、そもそも興味のないことや必要のない事はすぐ記憶の中から消去する癖のあるあいつは、告白されたことすら忘れてしまう。
また、男女問わず距離が近い事で生まれたゲイ疑惑。それに巻き込まれた俺。あれはマジで勘弁して欲しかった。
実際に仲は良い方だとは思うが、お互いにどこか遠慮している部分が少なからずあって、腹を割って話をする間柄ではない。にもかかわらず生まれた疑惑は流石に鈍いあいつの耳にも入ったらしい。
否定しても、一説としてその噂が流れ続けたのは、あいつが高級クラブやキャバクラを苦手としていた事も大きいだろう。また、如何わしい店への誘いは接待でも絶対に断るという姿勢も影響しているはずだ。
あいつが良いやつだからこそ、仲良くなればなるほど密かに懸念していた事がある。あいつと女性の好みがかぶるのではないかという事だ。
違いはあれど、俺とあいつは性格や好みを含めて共通点が多い。
今思えば、それは全くの杞憂だった訳だが、内心俺は相当焦っていた。珍しく俺が興味を持ち、惹かれてしまった後輩が異性として意識していたのは俺ではなくあいつだったのだから仕方あるまい。
だが、あいつには感謝している。いや、正確にはあいつと麗ちゃんに、だが。
麗ちゃんと付き合い始めてから見せるようになったあいつが本来のあいつなのだろう。
親しくない相手には完璧だと思わせてしまうあいつの人間臭い部分が現れたのは、彼女と再会してからなのだ。
俺とあいつが腹を割って話を出来るようになったのも、より親しくなったのも彼女のお陰なのかも知れない。
浅井が生涯を共にしたいと思える相手に出会えたことは喜ばしい事なのだが、言いたいことや言わないけれど思った事は沢山ある。
こいつ、全然恋愛に対してドライじゃなかった。
ベッタベタに甘くて盛大に惚気る。そしてそれが様になるのが腹立たしい。
認めたくはないが、俺はあいつが羨ましい。ああいう風に、一歩一歩お互いが歩み寄ってゆく感じの恋愛なんて俺はした事がない。全てが順風満帆という訳でもなく、二人で一つずつ問題を解決して、すれ違って、絆を深めてというのも魅力的だ。
自分が柄に似合わずロマンチストだという自覚はあるから、あいつのやっている事は俺の理想の恋愛にすごく近いのだ。
あいつは元々モテるのに、彼女と付き合いだしていい男にさらに磨きがかかり、余計にあいつの株が上がってしまった。
ただ、あいつは嫌味なくゲロ甘の惚気話をするため、浅井狙いの肉食系女性社員はしばらく大人しくなっていた。
それが裏目に出て迷惑を被ってしまったのが、俺と、俺と仕事上とは言え親しくしている野沢さんである。
特に野沢さんに対する実害は腹立たしい。
あいつら、気付かれていないと思っているだろうが、俺やうちの重里部長は気付いている。
あの鈍感な浅井ですら察しているのに、バレていない自信はどこから来るのか理解不能だ。
麗ちゃんのアドバイスで、俺にも改善点があった事を知り、更には重里さんに直接釘を刺された事で一時は鳴りを潜めた彼女達だったが、浅井が会社へ入籍を報告、各種手続きをした事により三月に式を挙げるというニュースが一気に広まったことで派手に動き出したのだった。
式はごく一部、浅井と親しい相手へ招待状が手渡されたので問題無かったのだが、面倒だったのは俺と野沢さんが任された二次会だ。
出席者の取りまとめをするメンバーの中に野沢さんがいると知ると、野沢さんへ二次会へ出席できる様に取り計らって欲しいと頼み込む人が何人も出てきた。
その中にはもちろん野沢さんへの嫌がらせなどを行なっていた中心人物らも入っており、非常に腹が立った。
野沢さんは、会場のキャパやあいつと麗ちゃんに友人がとても多い事を伝えた上で、招待するゲストは浅井が選んだからと丁寧に断ったはずなのだが、彼女らは親切丁寧に説明された野沢さんの話など全く聞いていなかったらしい。
今回、人数が多い事、それからあいつも麗ちゃんも友人の連絡先が過去に思いがけず消えてしまった事を考慮し、
二次会出欠確認するサイトの設定を緩くしていた。
専用のURLへアクセスさえすれば、誰でも出席連絡が出来る——それが裏目に出たというか悪用されたというか、その結果、予定よりも20名も多い出席希望者が集まってしまったのだ。
しかも、その中にはあまりにも不純な動機だったり、面白半分で参加表明している者も多い。
だが、浅井がリストアップした表から単純に漏れてしまっていた人や、招待しようか迷いながら招待メールを送らなかった人物も少なからずいたため、麗ちゃんを除いた関係者——浅井、野沢さん、貴子ちゃん、山内くん、立花支配人——で相談する事になった。
その結果、会場のキャパシティの関係で着席は無理なので全員に座ってもらうことは諦め、半立食という形にする事で予定になかった人達にも参加してもらう事にした。
話し合いの場に麗ちゃんを呼ばなかったのは、未だに浅井を落とそうとしていたり、浅井の妻に相応しいのか麗ちゃんを品定めしようとしている下衆な輩がいて、その要注意人物を共有するためでもある。
あいつに彼女が出来たらしいという噂が社内で広まってから入籍までが早かった事で、予定外の妊娠したから仕方なく入籍したのではないかという憶測、どこで聞きつけたのか知らないが、麗ちゃんが過去に婚約を破棄されている話を聞いた輩もいるらしく、彼女達は麗ちゃんをかなり見下している様だ。あわよくば、新婚の浅井を誘惑しようと考えている阿保まで沸いているというのが驚きだ。
俺も人の事を言えないのだが、昔から浅井に堂々と言い寄って来る女は自意識過剰というか、肉食レベルの高い女だったり、話の通じない輩が多い。
具体的に言えば、会社の飲み会でキャットファイトを繰り広げる様な、そんな女性達だ。
残念ながら浅井だけでなく、俺も彼女達の獲物認定をされているらしい。二次会の準備を手伝うだとか受付を手伝うとの申し出とは思えぬ様な誘いが続出した。
廊下で会った時や残業中など、こちらの都合御構い無し、更には断ってもしつこく声をかけて来る彼女達の行動に、温和だと社内でも有名な重里さんが静かにキレた。滅多に怒らない重里さんが怒った事に俺は驚いたが、彼女達はどうやらそれに気付けなかったらしい。
式を数日前に控えたある日の就業後。帰り支度をしていた俺と浅井のところへ彼女達が数名のグループでやって来て、二次会で余興をしたいと言い出した。
断っているのにもかかわらず、「音楽流してもらうだけで良いんです」だとか、「同僚の二次会で大好評だったんですよ」と話を止めない彼女達。ベリーダンスをセクシーな衣装で踊るという。
アホか。
「二次会会場となる店のドレスコードに引っかかるし、そもそも無理矢理人数増やして会場のキャパ以上の人数で頼んでるからスペース的にも無理。どうしても踊りたいなら路上で踊ってもらう事になるけど」
目の座った浅井が冷たい声でそう告げた。浅井が本気で怒ったところを初めて見た。どうやら重里さんと同じ様に静かにキレるタイプらしい。
そして、更に重里さんが追い打ちをかけた。
「君達は浅井くんを祝福する気があるのか!」
キレた浅井を見たのも初めてだが、怒鳴った重里さんを見たのも初めてである。
これは効果てきめんだった様で、逃げるように去っていったのだが……。
浅井は疲れ果てた顔でぐったりしていた。その表情は、結婚式を直前に控えて幸せの最中にいる男の顔とはとても思えない。
「麗ちゃんに癒してもらってこい」
俺がそう言うと、あいつは「おう」と小さく返事をして魂が抜けた様な顔で退社したのだった。




