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102. 春のうらら ①

 ばさり、ばさりと大幣(おおぬさ)の音が響き渡る。

 雅楽の調べの中、春ちゃんと並び歩いた時も緊張感に包まれていたけれど、身を清めるための主伐の儀はそれ以上に身が引き締まる。

 神主様の唱える祝詞の独特の節。はらりはらりと宙を舞う桜の花びらと雲ひとつなく澄んだ青い空、麗らかな春の陽気に誘われて、やってきた紋白蝶。

 御神酒を口に含み、交わした夫婦の契り。家族や親戚、友人、お世話になった人々に見守られて、私達は夫婦となった。


「今日の佳き日に私共は ただいまこの尊いご神前で結婚式を挙げました これから先は御神徳をいただき 合い助けて夫婦の道を守り 苦楽を共にして 良い家庭を築いてゆきたいと存じます 幾久しく 私共をお守りくださるようお願い申し上げます」


 堂々と誓詞を奏上する春ちゃんの声に、なんとも言えない思いが込み上がって来たかと思えば、今までの出来事が走馬灯の様に浮かび上がる。

 『走馬灯の様に』だなんて縁起が悪いと怒られそうだけれど、敢えてこう言いたい。新婦に限っては、あながち間違いでもないんじゃないかとも思う。

 白無垢から色打掛へお色直しをする事とも通づる、生家の人間から、婚家の人間へと生まれ変わる儀式。

 もう既に名字が変わっていたのにもかかわらず、昨日まで実感が持てなくて。だけど今は違う。『八重山 麗』としての私は、もういないのだ。


「夫 浅井 春太郎」

「妻 浅井 麗」


 春ちゃんに続いて口にする自分の名前。よりその実感が湧いてくる。籍を入れてから丸三ヶ月。戸籍の上だけでなく、本当の意味で春ちゃんの妻になれた気がする。







 ***


『式の朝、我が家から麗を送り出してあげたいけれど流石に無理よねぇ……』


 それは元日の夕食後、お皿を洗いながら母がポツリと呟いた一言だった。

 その時なんだか申し訳ないなぁと思いながらも、距離的な問題で無理、そう思って流してしまっていた。

 でも、姉はそうではなかったらしい。


『式の前日、みんなで夕ご飯食べようよ。お父さんもお母さんも麗もそのまま泊まったら当日の朝、楽でしょ?』


 そんな電話がかかってきたのは、三月に入ってすぐの事だった。

 春ちゃんに相談すると、快く賛成してくれて。私が家族と過ごすなら、彼も家族と過ごすことにするから気にするなって、そういうのも必要だよなって言ってくれた。


 式の当日必要な荷物は、数日前、姉とすみれとネイルサロンに行った際に既に預けてあったので、温泉から直接姉の家へと向かう。




「ねー、麗ちゃん。エステってどんな感じ?」


 誰よりも先に私を迎えてくれたすみれはエステに興味津々。最近の中学生はやっぱりマセているなぁ、なんて思いながらお土産のフェイスマスクを渡したら想像以上に喜んでくれて。


「一年後、すみれが志望校合格したら昨日私が行ったところ連れて行ってあげる」

「きゃー、麗ちゃん最高! 絶対第一志望合格しなきゃ!」


 聞けば、私と春ちゃんの母校がすみれの第一志望なのだと言う。これは頑張ってもらわなくちゃ。


「浅井くんみたいな素敵な彼氏を見つけに行くなんて不純すぎる動機だけどね」

「ちょっとママ、バラさないでよ! だけど本当にさ、麗ちゃんの高校時代の写真に写ってる男子のレベル高いよね」

「すみれ、そんな中途半端な気持ちで受けて受かるような高校じゃないだろ?」


 姉と巧さんの容赦ないツッコミに頰を膨らませるすみれを見て私と母は思わず笑ってしまった。


「玄関先で立ち話などしていないで入れば良いだろう」

「なんだかまるでここがおじいちゃん家みたいな言い方だねー」

「こら、すみれ! そんな言い方しないの」


 奥から最後にやって来た父にすかさずすみれが指摘し、それを諌める姉。


「あらあら、誰に似たのかしらね?」

「ちょっと、お母さんってば……」

「私、ママ似だから仕方ないもん!」


 すみれを注意したはずの姉は、母の言葉にしどろもどろ。調子に乗ったすみれが追い打ちをかけ、姉が先ほどのすみれのように頰を膨らませる結果に、父も巧さんも笑っている。


 今はこんなに明るく賑やかなこの家も、私が暗くどんよりさせてしまっていた時期があったのだ。


「麗、今日は『ごめんなさい』と言うのは禁止ね」


 まるで私の心の中を覗いているかのようなタイミングでかけられた言葉に驚けば、またそれを見透かしたように母は言う。


「血を分けた娘ですもの。何を考えているかなんて大方分かるものなのよ」


 ふふふ、と笑う母はなんだかとても楽しそうで、気が付けば私もつられて笑っていた。





「そう言えば、浅井くんが初めてうちへ来た時もすき焼きを食べたわね。……お父さんは忙しいって言って出かけましたけど」


 ゴホゴホとむせて咳き込んだ父と、したり顔の母。姉も巧さんもその時の話を覚えていたらしく、そんな事もあったね、といった様子で笑っている。

 すみれはそんな事よりもお肉に夢中。さすが食べ盛り、モリモリ食べている。


「明日のご飯、春ちゃんが美味しいから楽しみにしてろって言ってたよね? 麗ちゃん、期待して良いのー?」


 食べているそばから、明日の披露宴の料理の事を気にするなんて育ち盛りは違うなぁ、なんて呆れを通り越して感心してしまう。


「それは本当に期待して良いよ。だけど、食べ過ぎて気持ち悪くなるとかやめてよ?」

「麗ちゃん、大丈夫だって」

「焼肉に行くと毎回『食べ過ぎたー、苦しいー』って騒いでるすみれの『大丈夫』は信じられないな」

「パパ、ひどーい」

「今日だってすごい量食べてるじゃない。見てるこっちがお腹いっぱいになるわ」

「今日はまだ控えてる方なのに!?」

「それで控えてると言うのか?」


 今日はいつも以上に口数の少ない父までが呆れたようにすみれに言えば、皆が笑った。

 絵に描いたような家族団欒の時間。


「お父さんも、お母さんも、お姉ちゃんも、巧さんも、すみれも。みんなありがとうね」

「やだー、麗ちゃん急にどうしたの? お嫁に行く前日って感じになっちゃうじゃん!」

「すみれは空気読んで黙ってろ」


 しんみりするのが嫌で茶化すすみれに、巧さんは容赦ない。


「お父さん、お母さん。三十一年間、ありがとうございました。いっぱい心配かけてごめんね」

「子どもを心配しない親はいない。当たり前のことをしただけだ」

「そうかもしれないけど……」

「もうそれ以上言うな。嫁に行くからって、会えなくなるわけじゃないんだ。いつでも来れば良い」

「麗ちゃん、うちは麗ちゃんの実家みたいなものだからいつでも帰って来て良いよ!」

「もう、すみれったら全部ぶち壊して……だけどいつでも遊びにおいで」

「春太郎くんと一緒でも良いし、麗ちゃんだけでも歓迎するからね」

「みんなで麗を甘やかしたらダメよ。もう麗は八重山家の娘ではないのよ。……嫁いでもう十五年も経つのに()()が抜けない小春の様になってはダメですからね」

「みんな、ありがとうね……」


 泣きそうになるのを堪えながらでは、それ以上のことは言えなくて。


「八重山家の娘ではなくなるけれど、私達の娘である事には変わらないのだから、本当に困ったらいつでも頼りなさい」


 続けられた母の私を甘やかす言葉には、堪えていた涙も抗えなくて。


「別に春ちゃんだけでもOKだよー」

「だからそうやって茶化さない!」


 正直、そんな風に戯けるすみれと、すかさず突っ込む姉の漫才の様な会話がとても有り難かった。


「すみれ、ありがとうね」

「やだなぁ、照れちゃうじゃん」

「美味しいもの食べたいなら、二次会もおいで」

「えー! 行く行く!」

「博之もいるかも知れないけど、気にしないで」

「は? 麗ちゃん、それ本気で言ってるの?」


 博之の名を出した途端、父の表情が険しくなった。父だけじゃない。姉も、巧さんも、すみれもだ。母なんて今にも泣きそうな顔をしている。


「本当に来るかどうかはわからないけどね。春ちゃんとも、貴子達とも相談して、呼ぶ事にしたの。幸せいっぱいの姿、見せつけてやろうと思って。それが二年前、博之にされた事に対する、最大の仕返し。なんてね」


 私が笑いながら言えば、みんなが拍子抜けした様な顔になる。


「お父さんは勿論、みんなにも理解出来ないかも知れないけれどね。あの件は私と博之の問題だったのに、高校の時の同級生を巻き込んでしまったんだよね。それが心苦しくて、後ろめたくて、この機会にみんなと少しでも和解してもらえたら良いなって思ってるの。そもそも、明日を迎えられるのは、博之のお陰でもあるわけだし。みんなには黙っておこうかな……とも思ったんだけど、家族なんだし、隠したままは嫌だから」


 短くはない沈黙の時間が流れた後、口を開いたのは父だった。


「麗がそうしたいなら……良いんじゃないか。春太郎君と一緒に、思いっきり仕返ししてこい」






 ***


「麗らかな春の日……か。俺たちに本当にぴったりだな!」

「もう、春ちゃんたら……。でも、本当に今日はそんな感じだね」

「当たり前だろ?何しろ今日は記念すべき日だからな!」


 春ちゃんは私の隣で、顔がくしゃくしゃになるくらい嬉しそうに笑っている。


「それにしても、春太郎と麗、2人の名前にぴったりな日だよな」

「まさかあんな失言の1年後にこうなるとは思わないよね」


 山内くんと貴子も春ちゃんに負けないくらいの笑顔を見せてくれて。


「あの時、浅井くんが地雷を踏んで麗が泣いちゃうんじゃないかと本当にヒヤヒヤしたよ。それにしても麗、綺麗だよぉー!」

「貴子、ありがとうね!」


 思わず貴子と抱き合って喜べば、春ちゃんと達哉さんに引き剥がされてしまう。


「危うく冬田 麗になるとこだったんだもんな……。やっぱダメだよ、麗らかなのは春じゃないと。麗には春太郎俺って決まってたんだよ。博之じゃダメだったんだよ」

「こんなめでたい日にその名前を出すか?」


 岡崎くんが呆れた様に笑えば、皆も笑う。


「良いんじゃないかな? 春ちゃんらしくて。それに私は今が幸せだからそれで良いの」


 そんなストレートな春ちゃんだから、私は彼を好きになった。

 温かなひだまりの様な春ちゃんのおかげで、私の凍った心は溶かされて、今日という日を迎えることになったのだ。


「麗、愛してるよ! 絶対幸せにするから!」


 私もだよ、なんて恥ずかしくて言えない。だから、その代わりにとびきりの笑顔で頷いた。






「きゃー、うららちゃん、かわいい!」

「しゅんちゃん、せいじんしき? みたいだってさっきパパがいってたよー!」

「おい、みどり。パパだってバラすなよ」

「啓、成人式とか失礼すぎるだろー!」


 羽織袴姿をネタにされた春ちゃん。ネタにされるのは想定内の出来事とはいえ、流石に駆け寄ってきたみどりちゃんに言われるとは思っていなかったらしく、言われた瞬間は鳩が豆鉄砲を食らった様な顔をしていた。


 集合写真を撮ってもらった後の、披露宴までのわずかな時間。こうして友人たちとワイワイ話せるのは嬉しい。


「うちの啓が変なこと言ってごめんね。……麗ちゃん、本当におめでとう」

「ゆかりちゃん、ありがとう。お腹、この間よりも更に下がったんじゃない? 今にも産まれそう……」

「そうなの。今日は一日大人しくしててねって感じかな」


 みどりちゃんに遅れてやってきたゆかりちゃんのお腹は先日会った時よりも更に大きくなっていた。もういつ産まれてもおかしくないのだという。みどりちゃんは『もうすぐおねえちゃんになるんだ!』って張り切っている。


「麗ちゃん、和装も似合うね。綿帽子の中ってやっぱりカツラ?」

「舞ちゃん、ありがとう。髪は地毛で結ってもらったよ」


 人数の関係で、挙式から参列してもらったのは、貴子と達哉さん、山内くんと舞ちゃん、彩ちゃん、岡崎くんとゆかりちゃん、みどりちゃん。それから……


「新婦さんもこちらに目線下さーい!」

「建野さん、カメラマンにしか見えない!」

「直太郎、本職の人よりゴツいカメラだしな」

「しかも、クリップオンストロボ(外付けフラッシュ)ってやり過ぎだろ?」

「いやいや、有ると無いとじゃ全然違うんだって」


 カメラマンになりきる建野さん。岡崎くんと山内くんが私に同意しながらも指摘する通り、私達がお願いしたカメラマンさんよりもそれっぽい。話を聞けば、仕事に使うからというタテマエで買った趣味全開のカメラらしい。


「なおくん、みどりとあやちゃん、うららちゃんだけでとって!」

「パパたちははいっちゃダメ!」

「さんにんでとったあとなら、しゅんちゃんははいっていいよ!」

「じゃないと、あやとみどりちゃんにヤキモチやいちゃうんでしょ?」


 みどりちゃんとあやちゃんの会話に、大人たちは思わず爆笑。ママたち曰く、みどりちゃんとあやちゃんにとって、『しゅんちゃん』はものすごいヤキモチ焼きだけど一緒に目一杯遊んでくれる人で、『なおくん』は岡崎家に時々出没して写真を撮ってくれる人との認識なのだとか。


 かわいい二人と一緒に撮ってもらった後、友人たちは勿論、参列してくれた親戚や家族とも時間の許す限り写真を撮った。案の定、建野さんを知らない私の両親はカメラマンさんだと勘違いしていたし、顔馴染みである春ちゃんの家族ですら一瞬建野さんだって気付かなかったくらい本職の方と同化していた。


 その後も、プロのカメラマンさんと一緒に写真を撮り続けてくれた建野さん。……というか、もはや建野さんがメインのカメラマンと化した状態で、介添えの方に着替えを促されて控え室に行く道中にも、たくさんの写真を撮ってもらった。


 白い玉砂利の枯山水、ひだまりに咲く紅い木蓮や、枝垂桜や染井吉野といった桜を背景に移動しながら、私達の足を止めることなく撮影してくれた写真はどんな風に写っているのだろう……写真を見せてもらうのが今から楽しみだ。

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