101. 温泉とエステと涙
「……ということが昨日ありまして」
「……麗は美味しく頂かれてしまった上に、こんなところに痣が出来ている、と」
「コンシーラーで隠すしかないんだけど……自分で隠せる位置じゃないよね?」
「私が指摘するまで気付かなかった訳だし、無理だろうね……もう恥を忍んでプロにお願いするのが一番だと思うけど……よりによって和装でも隠れない首の後ろって、ほんと浅井くんは何考えてるんだか……って、確信犯だろうけど。となるとやっぱり、周りを牽制する為のマーキングで、彼の気持ちもわからなくもないけど……もう少し麗の事も考えようよ! ってなるわぁ……」
貴子と温泉につかっていたら、首の後ろに痣が出来ていることを指摘されてしまう。
貴子の言う通り、私が気付かない場所を狙って付けられた気がしてならないんだけれど……普段そんな事を滅多にしない彼がどうしてこんな時に? もしかして、二人きりで旅行に行く貴子にヤキモチ妬いてるとか? だけど快く送り出してくれたしなぁ……。
「周りを牽制って、牽制するような相手いる? 博之も来るけど、その件は既に解決済みだよ?」
「それはそうなんだけどさぁ、浅井くんああ見えて結構嫉妬深いから。それに、牽制する相手が男だけとは限らないし。まぁ、麗は深く考えなくていいと思うよ?」
男だけとは限らないってやっぱり嫉妬の対象は貴子なの?
なんだか腑に落ちないけれど……。
だって、今回のエステ付きの温泉旅行の発案者は春ちゃんなのだ。予約など実際に手配は貴子がしてくれたけれど、新しい仕事が始まったらなかなか旅行には行けないから、少し早めの誕生日プレゼントだと言って送り出してくれたのだ。
春ちゃんが出社してしばらくすると貴子が迎えに来てくれて、彼女の運転する車に揺られる事1時間半。
お昼を軽く食べて、エステを予約した時間までの時間が勿体無いから入っちゃえ! と入った温泉。
そんな時にもついつい考えてしまう春ちゃんのこと。
「なんだか様子が気になるんだよね。やたらと疲れているって言うか、食欲も元気もないって言うか……もしかして、マリッジブルーなのかなって思っちゃう。昨日は大丈夫って言われて、それ以上聞こうにも……そんな雰囲気になったから有耶無耶になっちゃって」
今朝だって出社する春ちゃんを見送った直後、大きな溜息をついていたのを目撃してしまっている。
「浅井くんがマリッジブルー? ないない。美咲ちゃんと倉内氏から聞いている限り、マリッジブルーというよりもむしろウェディングハイって感じだし。……ただ、職場でちょっと面倒な事があったみたい。疲れてるのも、そのせいじゃない?」
「そういえば、そんなことも言ってた気がする……だけどなんで私より貴子の方が詳しいのー?」
「それは倉内氏から相談を受けて……」
「倉内さんから? ちょっと気になるんだけどさ、なんで倉内『氏』なの?」
「それは、あの人と関わると周りが色々面倒くさそうだから、距離感を出したい気持ちの表れ? ……相談内容は美咲ちゃんの事ね。麗も聞いた事あるでしょ?」
倉内さんの相談って美咲ちゃんの事か……。
「倉内氏としては、葛藤の連続らしいよ? そこで、浅井くんと麗の二次会をきっかけにどうにかしたいみたいなんだけど。倉内氏は周りにも良い顔し過ぎなんだよ。周りなんて気にせず、もっとガンガンいけば良いのに」
恋愛において、超アグレッシブ(かつ一途)な貴子にはなかなかハッキリしない二人がさぞもどかしく映っている事だろう。
「倉内氏、マジでヘタレだわ。言葉も足りないし、もっと態度で示すべきだって言ったら、『麗ちゃんとは随分方向性の違うアドバイスだね』って言われたんだけど……聞いたら、麗のアドバイスって夏頃の話らしいじゃない? それから半年以上経ってるんだしさー、もうさっさと美咲ちゃん落として周りが文句も言えないくらい『俺の美咲』アピールしたら良いのよ」
なんかそれって、貴子と達哉さんの付き合うまでのエピソードみたい。貴子は周りがドン引きするくらい達哉さんに猛アタックして、貴子狙いの男の子がいつの間にやら姿を消したらしいし。当時の二人の話を思い出すと、なんとなく倉内さんと美咲ちゃんと重なるんだよね。
倉内さんは押しの弱い貴子って感じ。美咲ちゃんの自信のなさも、当時の達哉さん程ではないものの通づるものがあるし。
「また面倒な事にさぁ、出欠をネット管理にしたこともあって、URLが社内の一部の人達の間で拡散されていたらしくて。人数増えても会場側が大丈夫なら、有難い事だから予定になかった人達にも来てもらおうって浅井くんがOK出したらしいんだけど……その中にあまり良からぬ事を考えていた輩が居たみたいで。……ちょっと麗、聞いてる?」
「……ごめん、貴子が達哉さんを追いかけ回してた関係性って、今の倉内さんと美咲ちゃんにちょっと似てるかもって考えてた」
「そんな事ないと思うけどなー。それより、麗も焚き付けてくれないかな? 倉内氏ヘタレだから、こっちで外堀埋めちゃった方が早いんじゃないかと思って」
貴子ってば、さっきから倉内さんをヘタレ呼ばわりしすぎじゃない? その原因となるアドバイスをした私としては、なんとも居た堪れないんですが……。
「美咲ちゃんの話も聞いてるんだけど、ありゃ完全に両思いでしょ。お互い相手の気持ちもわかってるけど、周りを気にして二の足踏んでるだけじゃん。気にしてる『周り』を牽制するのに良い機会だと思うんだよね。だけどヘタレだし、二次会の主役は麗と浅井くんだから倉内氏が自発的にガンガン行くことはなさそうだよね。だからそのきっかけをだね、麗たちがアシストしてあげたら良いんじゃないかなー? って」
「良い機会になるなら……やってみようかな?」
「うんうん、よろしく頼むわ。あの二人見てるとこっちがイライラするし。この機会逃したら色々拗れてしまうんじゃないかなって思うんだ……」
実は、二人へお礼の意味を兼ねて私なりに考えていた事があったのだけど、お節介じゃないかな? とか、迷惑かも……と躊躇していた事があるんだよね。
一応、美咲ちゃんの意向もなんとなく探ってみて、好感触なら実行しよう。
***
「あー、気持ち良かったね〜! 途中、寝ちゃったよ。やっぱりプロは違うね。私の肌がツルツルモチモだもん」
「結局、全部付き合ってもらってごめんね」
「良いの良いの、こんな機会じゃなきゃ出来ないもん。それにね、『麗のは浅井くんからのプレゼントなんだよ』って達哉に言ったらさ、『春ちゃんがプレゼントするなら、僕も貴子ちゃんにプレゼントするよ』って言ってくれて。どういう訳か、浅井くんの事妙に信頼してるというか、崇拝してるんだよね。色々相談に乗ってもらってるみたいだし。どんだけ春ちゃん好きなんだって感じでしょ?」
初めて二人を引き合わせた温泉旅行の時も、人見知りの達哉さんにしては珍しく直ぐに打ち解けていたなぁとは思った。その後も時々、達哉さんと飲みに行ったって話も聞いているし、春ちゃんが達哉さんと頻繁にメールをしているのは知っていたけれど、まさかそこまで春ちゃんの影響を受けていたとは思わなかった。
「崇拝って……それは流石に言い過ぎじゃない?」
「えー、だって『崇めてる』って雰囲気が達哉の言葉の端々から滲んでるんだよ?」
「あ、そうか。それなら納得。貴子に対する言動もそんな感じだもんね」
「え、嘘? 麗から見たらそんな感じなの?」
「私だけじゃないと思うし、多分春ちゃんに対するそれ以上だけどね。良いじゃない、愛されてるって事で」
照れる貴子が可愛い。貴子も相当達哉さんの事好きだよね! とは言わないでおくことにする。きっとそう言ったら貴子の惚気が止まらなくなっちゃって、それだけならまだしも、きっと私の惚気も聞きたいとか言われて収集つかなくなる気がする。
私と貴子が受けたのは、フェイシャルとボディのコースにオプションでヘッドスパも付けたもの。アロマオイルを使ったマッサージはついつい眠ってしまうほど気持ち良かったし、炭酸を使ったヘッドスパはとてもスッキリした。
顔はもちろん、全身に施されたクレイパックで肌は良い感じだし、何より体が軽い。
「明日はそのままお姉さんのところに行くんだよね? せっかく全身磨いてもらったのに浅井くんに見てもらえないのは残念だね」
「その分明後日の楽しみが増えるって言われたけどね」
「そっかぁ……もう明後日かぁ……」
私は黙って頷いた。
貴子の何気ない一言にしんみりしてしまう。お互い言葉をかわさぬままチェックインした部屋へ向かった。
「あれからもう2年経つんだよね」
「麗、急にどうしたの?」
部屋に入ってすぐ、唐突に話を切り出した私に貴子は驚いた様子だったけれど……今回の旅行で改めて伝えなくちゃって思っていた事がある。
「貴子には、すごく感謝してる」
「やめてよ、そんなこと言うの」
「貴子がいなかったら、私どうなっちゃってたんだろう」
「それを言うなら浅井くんでしょ?」
「貴子が春ちゃんを怒ってくれたからこそ、私達は二人で会うようになったんだよ? 貴子だけじゃなくて……山内くんも岡崎くんも、舞ちゃんもゆかりちゃんも、それから達哉さんも。みんなが心配してくれたから、私達の今があるんだよ。だけどやっぱり、貴子は特別。……これからも、末長く『浅井 麗』と仲良くして下さい」
「それはこっちの台詞だよぉ……麗が困ったらいつでも頼って良いんだからね! 浅井くんと喧嘩しないのが一番だけど、だからって麗がなんでもかんでも我慢しちゃダメだからね。喧嘩したらうちにおいで。麗が間違ってる時はちゃんと怒るけど、ちゃんとフォローもするし、側にいて話聞くから……いつでも頼って良いんだよ」
「貴子ぉ、ありがとう……」
「麗ぁ、幸せになるんだよ……」
涙と鼻水でぐちゃぐちゃの私と貴子。せっかく綺麗にしてもらったのにね、なんて顔を見合わせて笑って。
「ほら麗、もうレストランの予約の時間になっちゃう」
「本当だね。でもその前に顔を洗った方が良くない?」
泣いて笑ってスッキリしてから親友と食べた夕食は、とても幸せな味だった。




