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空想学園シリーズ

親友喝采

作者: 文房 群



 ――その日、仕事を終えた洗井洋示(あらい ひろし)は、久し振りに友人と会うために、ネオンの光る夜の繁華街に足を運んだ。


 十年ぶりとなる友人との再会。

 お互いに仕事が忙しく、会えない日が続く中でもメールを送るなどして長年連んできた友人達。

 最後に顔を合わせたのは十年前か。当時の友人達の顔を思い浮かべる洗井は、やや浮き足立って、待ち合わせ場所の居酒屋に向かう。



 今から会う三人とは高校時代から連む友人、というより親友であった。

 出逢った時から気が合い、以来何をするにも共にしてきた親友達は高校卒業後、それぞれの事情のためバラバラになってしまったが、今でも連絡を取り合い、こうして再会できることを洗井は喜ばしく思っている。


 ――友達とは良いものだ。

 ――いくつになっても、楽しい気持ちになれる。


 彼らとの思い出を振り返る度、連絡を取り合う度、洗井は同僚に『岩石のようだ』と言われる堅い表情を、緩ませるのだ。



 客の引き込みをするホステスやキャバ嬢の横を通り過ぎ、目的地である見慣れた看板の店に入った洗井は、営業スマイルを浮かべた店員に声をかけられる。




「いらっしゃいませ。お一人様でしょうか」


「いえ。今日ここで飲み会をする予定でして……」


「あっ。四名様でお越しの可部様でしょうか」


「はい、そうです」




 店員の口から飛び出した聞き覚えのある苗字に知り合いだと頷けば、爽やかな笑顔が特徴的なこの男性店員は、奥の部屋へ洗井を通す。

 ごゆっくりどうぞ、と営業的言葉と一礼に、『どうも』と軽く頭を下げた洗井は、やや緊張気味に襖を引いた。


 すぅっ、と木製のレールを流れる襖は、先の和室へ洗井を招待する。

 畳の敷き詰められたその部屋に、洗井はそっと足を踏み入れた。



 そして彼は濃厚なアルコールの匂いと共に、豪壮な笑顔の男を視界に捉えたのであった。



 濃紺の甚平の前部分を大きくはだけさせ、腰まである長い髪を頭の高い位置で一つに纏めた男。

 目の前に空にしたビールジョッキを並べ、さらに現在手にしているジョッキの中身を飲み干した彼は、襖の前で佇む洗井に笑いかけた。




「おおぅヒロシぃ! 久し振りだなぁ!」


「……相変わらずみたいだな、『カベドン』」




 慣れ親しんだ友の渾名を唱え、後ろ手に襖を閉める洗井は、苦笑しながら空いた席へおもむろに腰を落とす。

 テーブルに並べられた空のビールジョッキ数を一つ増やしたカベドン――可部晴正(かべ はるまさ)は、まだ中身の入っているジョッキを洗井の前に奥と、しみじみと感傷的に呟く。




「しかしまぁお前……老けたなぁ。ちょっと見ない内に頭薄くなったんじゃねぇか?」


「そう言うカベドンも、白髪が増えたんじゃないか?」


「まぁな」




 カンッ、と。互いに持ったジョッキを当て合う。

 可部と乾杯した洗井は、真横と正面から伸びてきたグラスともジョッキを重ね、小気味良い音を鳴らす。

 祝福されているようだ。普段固められた表情筋が、伸びきったゴムのように緩む。


 ぐいっとジョッキを傾ければ、ビール特有の苦味と麦芽の香りが、口内に満ちた。ほろ苦い黄金のそれを、喉に通す。アルコールが体の中へ落ちていき、口の中に苦い後味が残る。ビールはこれがたまらなくクセになるのだ。




「久し振りの再会に、これをやる」




 日々の仕事で募った疲弊が溶けていくような感覚に浸っていると、隣で来た時からちまちまと細かい作業をしていた親友が、小皿を洗井の前へ寄せた。

 中を見れば、それはゴマのついた少し茶色っぽい物体が入っていた。

 細切れにされた人参をもらった洗井は失笑する。




「お前は四十越しても人参食えないのかよ。子どもかっ」


「文句を言うなら人参の甘さに言ってくれ。アレさえなければ俺は人参を食う気になれる」




 親の仇でも見るような目つきで人参を睨む、眼鏡の男――植貴陸(うえき りく)は、白衣のポケットから一味を取り出すと、それを自分の皿に取り分けた唐揚げに振りかける。

 散々、振りかける。唐揚げの表面が、赤一色に染まるまで。


 隣で赤く化粧されていく唐揚げに、『うわぁ辛党悪化してねコイツ』と若干退く洗井は、正面でちまちまと日本酒を煽る男――多田纏下(ただ てんげ)に声をかけた。




「ところで『ロハ』。最近どうなんだよ。仕事とか家庭とか」




 ロハ、という渾名は彼の苗字『多田』から『タダ=無料』と連想され、彼の隣で酒の追加を頼む可部によってつけられたものである。

 黒い髪を真ん中で分ける、凪の海のような雰囲気を持つ彼は、『ああ』と返事をし、洗井の質問に対する答えを口にする。




「仕事はまあ、そこそこって感じだな。最近上司のヅラ(かつら)がずれ気味で、いつあれを新人の誰が指摘するのかで、賭けて楽しんでいるぐらいだ」


「随分楽しそうだな、お前の職場」


「サラリーマンってヤツは、基本退屈だからな。何かしらで日々の楽しみを見つけないと、長続きしない」




 さて、誰が指摘するかな――口角を吊り上げる多田はまた一口、日本酒を煽る。


 ――人の不幸は密の味。

 人間の嫉妬や心の行き違い、何より泥沼と化した人間関係を傍観することを、何よりも好む変わった嗜好の親友の愉快気な笑顔に、薄ら寒さを感じる洗井は「相変わらずだな」と表情を引きつらせる。



 高校時代から、人の不幸が大好物であった彼は、それはもう様々な手を使って人々の心を折ってきた。

 顔が良いために、彼と関わりを持とうとしてきた女子生徒を中心に、あの手この手を使って。


 最近に聞いた話によると、多田が妻子持ちだと知っていながら、勤めている会社で色目を使ってきた女性社員を、自主退社にまで追い込んだとか。

 本人曰わく『ウザったくてイライラしたから』との弁だ。当時のことを語る彼のメールが、普段より頻繁に用いてくる絵文字が一つも無かったことから、どうやら相当女性のことがストレスになっていたようである。


 ――確かに顔は良いし、同い年なクセに若々しいけどな……。



 その女も見る目が無かった。何故なら、あの多田の手にかかったのだから。

 ご愁傷様、と。当時報告を受けた洗井が黙って手を合わせたことは、記憶にまだ新しかった。




「家庭は、昔と変わらずだ」




 蛸の唐揚げに箸をつける多田は、笑う。

 今度の笑みは先程の寒気のするようなもの、ではなく、穏やかで暖かいものであった。


 冷酷で加虐的。自分の娯楽のためだけに、他人を陥れるような人格者である彼だが、そんな人でなしの多田でも、家族の話をする時だけは、優しい表情を見せるのであった。




「うちの家内はいつまで経っても反応が面白いし……息子は初恋こじらせてやがるし……おかげで毎日家内のメシが美味い……クククっ……!」




 ――まあ、それはいつも一瞬のまやかしであるのだが。


 愉快なことでも思い出したのか。

 肩をぷるぷると震わせ、こみ上げる笑いをかみ殺す多田に、『やっぱロハはロハだなぁ……』と、きっと毎回イジられているのだろう多田の妻に、洗井は同情するのであった。


 ――と、ここで。




「えぇ? なんだよ嫁自慢かよ! なら俺も混ぜろよ!」




 空になったグラスを全て、中身のあるものに変えてもらった可部が、会話に横入りしてくる。


 ――それは良いが、そんなに酒を頼んで、財布の中身は大丈夫なのか?

 成人してから酒豪に目覚めた親友の、財布の中身が心配になる洗井であったが、彼の心配など余所に、可部は滑らかに舌を回す。




「うちの嫁はよぉ~、なんつーか気が強くてぇ! 最近息子が受験だなんだで、俺に構ってくれねーんだよぉ! でよぉ、構ってくれねーしさみしーもんだから、この前、寝起きの嫁さんの後ろに立ってケツ揉んだら、どうなったと思う?」




 可部の妻は気が強い。

 それは何度も彼から聞かされたことで、洗井らも存知のことだ。

 それと、この酒豪の妻が、相当凶暴であることも。


 ――さて。

 洗井の認識では『虎の生まれ変わり』となっている、可部夫人。

 その彼女が四十をとっくに過ぎた夫にセクハラされ、どのような行動に出たのか。


 これまでに語られてきた実話から、可部夫人の行動を予測した洗井らは、それぞれ予想を口にする。




「顔面に左フック三回からの右ストレート」


「いや、ジャーマン・スープレックスだろう」


「甘いな。庭の池に投げ込まれる、だ」




 洗井、多田、植貴の順番に唱えられた予想。

 それを聞いた可部は勢い良くビールを喉へ流し込むと、「ぷはぁーっ!」と大きく息を吐いて、得意げに表情を綻ばせた。




「全部だ!」




 得意げに言うことじゃない、と洗井はツッコミたくなった。


 しかし相手はあの可部だ。こんなあり得ないような実話は彼の家では日常茶飯事だ、と自分に言い聞かせた洗井は、ごくりと言葉を飲み込んだ。

 眼鏡に手を添えた植貴が、三つの予想を統合する。




「つまり――左フック三回からの右ストレートからのジャーマン・スープレックス、イン、ザ、庭の池……ということだな」


「その時の音で寝ていた息子が目覚まして良かったなぁ〜! あのまま引き抜かれなかったら俺、多分生きてねーわ!」




 笑い話だと、自分の身に起きたドメスティックバイオレンスを、ビール片手に豪快に笑い飛ばす可部。


 ――いや、一つ間違えたら笑えねー話だよな。

 この場で一番の常識人、洗井の心の呟きは誰にも聞こえない。




「あ。ところでヒロシ、お前手ぇ出せ!」


「? おう」




 可部家の常識人は息子さんだけだな。

 自分の頭の中の情報を更新した洗井が、ピリ辛の味付けであった人参の口直しにと水を口に含むと、思い出したように声を上げた可部がテーブルの向こうから身を乗り出してきた。


 何かと思いながら手を出すと、上に赤く平たい袋を乗せられる。

 見ればそれは、小さな鈴の付いたお守りであった。


 これもまた得意げな顔で、可部が解説する。




「うちの神社で扱ってるお守りだ。お前、外交系の仕事だとか言ってただろ? ロハみたく色んなヤツから恨み買われないための、厄除けだ!」


「おいカベドン。俺は誰かに恨まれるようなことをした覚えはないぞ」


「「「嘘つけ」」」




 本人以外から飛び交った反論に、釈然しない顔で日本酒を口に運ぶ多田は「俺はこんなにも誠実だというのに……」と呟く。


 誰よりも誠実から程遠い彼に、生暖かい視線を送った洗井は可部に礼を言って、お守りを上着の内ポケットにしまった。





「大切に使わせてもらうよ」




 可部の家は、代々受け継がれてきた、それなりに地元で名のある神社の神主を勤めている。

 若くして父の仕事を継いだ可部に、『あんな馬鹿が神社の神主なんて勤まるのか』と不安になった時期もあったが、話を聞くところによると、まともに仕事をこなしているらしい。


 ――やるときはやる。

 高校時代、彼の有言実行ぶりに巻き込まれてきた洗井は、『それこそカベドンだ』と、神主の衣装を着こなした可部を目にした時、しみじみと思ったものだ。




「できればそれの力が発揮されないことを祈るけどなぁ!」


「……それもそうだな」




 大きな笑顔の花につられ、洗井も顔を緩める。


 一瞬、何かと敵の多い職場のことを思い出したか、追加されたビールと共に体内へ飲み込んだ。


 ――本当にこのお守りの力が発揮されないことを、祈ろう。


 そう、願いながら。




「ヒロシはいいかげん、いい相手は見つかったのか?」


「それが全然……年取ると難しいもんだよ。『リク』はどうなんだ?」




 結婚できそうな女性はいないのか。

 妻子持ちの酒豪に問われ、不意に職場の助手のことが脳裏に浮かんだ洗井だったが、『彼女は若すぎる』と頭から除外した彼は、まだ何も語っていない植貴に話をふる。


 植木のことだ。多分『恋に現を抜かしている暇はない』とか言うんだろうな――そんな隣人の答えを、想像しながら。



 野菜炒めの人参だけを避けて食べている植貴は、口内の食物を飲み込んでから、淡々と口を開いた。




「三ヶ月後に結婚する予定の女性なら、いる」


「何ぃ!? それは本当かリクぅ!」




 がだんっ! と音を立て身を乗り出した可部。

 落ち着いて座れ、と彼の隣で多田が刺身をつつくが、その顔は驚きに染まっている。


 二人が驚くのも無理はない。予定が外された洗井も、彼らと同じ顔をしている。

 まさか、あの植貴が結婚するなどと、誰も思っていなかったのだ。


 ――植貴は洗井達四人の中でも、抜きん出て頭が良かった。

 高校のペーパーテストは常にトップを飾り、読書感想文のコンテストで何枚も賞状をもらっていたのを、彼が立つ壇上をぼんやりと眺めていた洗井は覚えている。


 だが、同時に彼の思考は達観していた。

 老練している、と言ってもいい。

 何にせよ、彼の頭はすこぶる固かった。例えるなら鉄筋コンクリートのように。



『勉学と経験の積み重ねが、節度ある人生の土台となる』

『恋愛とは精神が未熟なものが起こす錯覚の一つで、人生には何一つとして必要性のないものだ』



 そのような私論を提唱し、植貴は自分の思想に忠実だった。殉じていた、と言っても良いだろう。



 その植貴が――結婚である。



 何を血迷ったか。誰かに洗脳されたのか。

 かつて彼の私論に反論し、逆に論破された経験を持つ洗井は、驚愕の眼差しを、人参以外の野菜を食べ尽くした植貴に向ける。

 三つの驚きによる視線を受け取った植貴は、半分まで減った烏龍茶の入ったグラスを傾けると、「順を追って話そう」と周囲に静粛を求めた。

 大人しく可部が席につき、皆が姿勢を正したところで、植貴は語り出す。




「恋愛は人生において必要のないもの――そう考えていた俺だが、一ヶ月ほど前、そんな俺の持論を覆す出来事があり……先日、俺の人生観を変えたその人物と、婚約を交わしてきた」


「マジかっ!? あの超堅物論理をっ!?」


「興味深いな。会って話がしたいものだな」




 不敵な笑みを浮かべる多田に、「俺も会ってみたいな!」と同意する可部。

 結婚式で合わせる。招待状を送る予定だ、とテンションの高くなった親友に、冷静に返す植貴であったが――洗井から見た彼の耳は、赤色であった。


 ――長生きするもんだな。

 人生を達観した老人のような感想を抱く洗井は、話を聞く傍ら、中身の無くなったジョッキを手放し、新たなジョッキに手をつける。

 ぐいっと、泡と共にアルコールを体へ流し込んだ彼は、ところでふと、思い浮かんだことを訊ねた。




「ところで、相手は何歳なんだ?」

「彼女は今年で二十一だ」


「へー、二十一かー……二十一!?」




 酒が回ってきたせいか、何事もなく植貴の言葉を聞き流しそうなった洗井であったが、自分と植貴が同い年であることを思い出した彼は、『嘘だろ』と懐疑の目で植貴を見る。




「二十一!? お前それ、二十五も差があるヤツと結婚するのか!?」


「……最初、歳のこともあり彼女との結婚は諦めようと思っていたのだが、彼女の両親に『是非』と歓迎されてな……」


「何そのご両親。寛大どころの器の広さじゃないよね?」


「彼女も『子どもは生めなくて良いけど植貴さんとじゃないと嫌だ』なのだそうだ」


「流石にその歳で性行は無理だよな。お前体力無いから多分ヤったら死ぬよな。というかそれさり気なく惚れ気だよな!」




 ――ちくしょう幸せ者め!

 植貴を同じ、一生独身仲間だと認識していた洗井だったが、頭の固い優等生がロリコンであったことを知ると同時に、どうやら植貴と植貴の交際相手の仲が良いようであると察した彼は、非常にハンカチを噛みたい気分になった。


 彼女愛されている植貴が、羨ましく感じる洗井である。

 つまり、洗井のそれはただの嫉妬であった。




 ――別に俺は結婚しなくて良いもん。


 またも仕事場の助手のことが頭にチラついた洗井であったが、『俺はロリコンじゃないから』と助手の存在を頭から除外した彼は、ムスッとした顔でビールジョッキを煽る。


 これで四十を過ぎて、独り身なのは洗井だけである。

 次から次へ結婚していく親友達に、仲間外れにされた気持ちを味わう。

 心なしか、ビールの苦い後味がさらに苦くなった気もする。


 はぁっー、とジョッキを傾けた後の息継ぎのついでに、嘆息を吐く洗井は、「よっしゃぁ一気飲みするぜぃ!」とまたまたビールを追加しようと、店員を呼び出すボタンを押した可部に呟いた。




「なんかよー……ムシャクシャするから、次に来た店員にいちゃもんつけていい?」


「ヒロシ、性格悪くなったなお前」


「お前に言われたくないっつーの」




 誰よりも性格が歪んでいるだろう多田に、最近部下にも言われ始めたことを指摘され、『お前が言うな』と言葉を返す。

 だが、多田の顔が意地悪く歪んでいたところから、彼が洗井の八つ当たりを止める気は無いのだろう。むしろ、嬉々として傍観する気でいるようだ。

 全く、この親友は性格が悪い。




「いいんじゃねぇの? どうせ酔った勢いだしな!」


「後始末を自分でやるのなら、反論はない」




 残り二人の親友も、洗井がやろうとしていることを止める気はないらしい。

 それどころか、可部にいたってはいちゃもんを勧めてくる始末だ。


 彼らに常識や善良的な心はないのか――そう呆れた洗井だったが、その呆れは諦めやテーブルの隅へほったらかしにされていた水と共に、胃の中へ流し入れた。


 親友達に常識がないのは、今さらの話であった。

 なにせ、彼らの中に一般常識を持ち合わせている者がいなかったために、唯一常識人であった洗井が、何かと無茶をやらかす彼らのフォローに回っていたのだから。


 騒がしくも心労が絶えず、何度も心が折れかけ、しかし人生の中で最も充実していた日々を思い起こす洗井は、店員が来るまでに水を口に含み、酔いを覚ましていた。




「……あのさ、最初に言っとくわ」


「? 何をだ?」


「ごめん」




 頭を下げる洗井に、不思議そうに首を傾いでいた可部は、無邪気に笑い飛ばした。




「何だよ! たかだかいちゃもんぐらいで謝るなよヒロシぃ! 酒の席じゃよくあることだろ!」




 皺も白髪も増えたが、高校時代の面影を残した可部の、自信と力強さに満ちた笑顔。

 それを見た洗井は、自分に活力と勇気が湧き上がるのを感じながら――乱れたスーツを整えた。



 ――本当に、ごめん。

 ――もしかしたら、とんでもないことになるかもしれないから。



 胸にしこりにも似た、罪悪感を感じながら。

 彼は、前を向く。




「失礼します」




 すぅっ、と。襖を引いて、洗井を案内した青年店員が現れた。

 ちょうど良い。洗井はまさに彼に、いちゃもんをつけたかったのだ。



「ご注文をお伺いいたします」




 青年店員は、店で決められたマニュアル通りのセリフを口にする。

 爽やかな笑顔が印象的な彼に、早速可部がビールの追加を唱えようとしたが、それを手で制した洗井は、青年に告いだ。




「部屋に入って、襖を締めてください。話をしましょう」




 静かに、柔和な作り笑顔を浮かべて。


 親友の前で初めて見せる、洗井の作り笑顔。

 これを見て目を開く親友の顔を見て、『まあ、似合わないことは分かってるさ』と心の中で零す彼は、再び言葉を紡ぐ。




「時間は取らせません。少し、おじさんの話に付き合ってもらうだけです」




 おじさん、という言葉に多田が噴き出しかけていたが、仕事モードである洗井は自身の雰囲気を壊さないために、あえて無視をする。



 戸惑いを顔に浮かべながらも、おずおずと和室に上がり、襖を閉める店員。

 彼が洗井に体を向け、正座をしたところで、洗井は話を切り出した。

 三人の親友は、洗井の動向をそれぞれ、酒を片手に見守る。




「では、いくつか質問をさせていただきます」


「……はい」



 洗井が漂わす、粛然とした雰囲気。

 それはさながら、面接官のように。

 青年店員に、緊張感を与える。




「まず一つ目。この飲み会の幹事はいつも、仕事の都合上、最後に来る私となっています。だから私達の中では毎回、私の名前で席を取っておくのが決まりとなっています」


「はぁ……」




 『私』だって似合わねーっ、と自分を指差す多田と可部を、視界の隅に入れながら、洗井は微笑を湛える。




「私の名前は、『洗井』です」


「……!」


「何であなたは『可部』という名前で、私を通したのでしょうね?」




 のんびりと洗井を見守っていた親友達の顔に、違和感を感じたという、疑念の色が浮かび上がる。

 多田に向ける植貴の目が、こう語っていた。

 確か今日もいつも通り、洗井の名前を使ったはずだ――と。




「ああ。因みに私達の誰かが誰かを『可部』という名前で呼んでいたから、という言い訳は通じませんよ。私達はそれぞれ渾名で呼び合う仲ですから」




 戸惑いの表情を浮かべる青年の瞳が、動揺で揺らぐのを確認した洗井は、さらに続ける。




「それに、どうしてこんなにも店の中が静かなんでしょうね。まだ午後十一時だというのに。居酒屋であるなら、ここから先が残業帰りの客を店に立ち寄らせるために踏ん張る、言うなら正念場じゃないですか」


「……」


「それなのに、なぜ店内には私達以外の客がいないのでしょうか」




 和室の出入り口に近い位置に座っていた可部が、少し襖を開けて外を覗き込んだ。 彼は驚いた、とばかりに目を見張る。




「確かに……人っ子一人もいねぇ!」


「煩いから少し黙れ。今は洗井の名探偵タイムだ」




 洗井の言葉が正しいことを証明した可部を、席に戻した多田は愉しそうに「続きを」と唱え、洗井に事態の進行を任せる。

 それを横目に流した洗井は、さて、仕上げとばかりに今宵一番の優しい声音を発した。




「そして、最後に。年を取ったり、経験を積んだり、人との交渉が多い職業のせいで、一目見ただけでいろいろ分かってしまうんですよ」




「あなたの笑顔が、殺意を孕んだものであることが」




 ――青年店員の顔から、戸惑いが消え失せた。


 オセロの石を裏返すように。

 手のひらを、返すように。


 爽やかな印象のあった青年の顔が、ありとあらゆる感情を削ぎ落とした無表情へと。

 変貌した青年の顔に、多田以外驚きを隠せない親友達。

 多田は愉しそうに「面白くなってきたなぁ」と笑うだけだ。まさに傍観者である。


 ――それはさておき。




「目的は可部ですね。私と会話しているにも関わらず、終始あなたの意識は別のところにあった」




 そうでしょう、と洗井が表情穏やかに問いかけると、青年はその眼孔を鋭くして、重く口を開く。




「貴様……ただ者ではないな」


「いやいや。外交系の仕事をしている、ただのおっさんですよ」




 矢で射抜かれるような鋭い視線に、柔和な作り笑顔を返す洗井。

 その脳内では『さて、この次をどうするか』と、かなり必死に思考していた。

 実は半分以上、酔った勢いで起こした行動だったので、後のことを考えていなかったのだ。



 ――煽ってどうにか本性を引き出したは良いけど……この気迫からして、かなり強そうだしなぁ……。

 ――もう頭を突っ込ませたような感じだけど、これ以上コイツらを『こっち側』の事情に関わらせたくないしなぁ……。



 というか何でカベドンが狙われてるんだ? 俺ならまだ分かるけど。

 思えばこの殺気満々な青年は、ただの神社の神主である可部を、標的としている気がする。

 はて、神社の神主とは誰かに嫌われたりするような役職であっただろうか――少し冷えた頭の中に浮かび上がる、疑問。

 それについて考えながら、この場を切り抜ける方法を思索する洗井。


 この時、僅かに緩んだ洗井の雰囲気を、見逃さなかった青年は、後ろ手に何かを掴んだ。

 そして次に両手を洗井らの前に見せた時、青年はズボンと腰の間に挟むようにして隠し持っていた、二丁の拳銃を、和室の薄明るい光の下にさらけ出していて。


 拳銃の存在を視認した洗井が、スーツのポケットに手を入れるより、早く、

 青年は自分の標的である男へ、拳銃を向け、

 自身に向けられた二つの銃口を、ぽかんと見つめる可部へ狙いを定め、


 青年は、引き金を――




「――いや、これは駄目だろう。さすがに」




 ――引け、なかった。

 引くことを、許されなかった。


 締め切った和室の中に、ふわりと不自然な微風が通った――刹那。


 ゴドォンッ――という、鉛を殴ったかのような鈍い音と共に。


 青年は、後方へぶっ飛んだ。



 腹を中心に体を二つに折る形で、襖を巻き込みながら後ろへ飛んでいく。

 青年の飛行が止まったのは、一回店内の床にバウンドし、規則正しく並べた椅子の中に突っ込んでからだった。




「……え?」




 水を打ったような、静けさ。

 無音状態となった居酒屋に、困惑の呟きを落としたのは、青年の空中遊泳を唖然と口を開き眺めていた、洗井であった。




「え? 今、何であの人拳銃……つーかええええ!?」




 酔いなんか、宇宙の彼方へ飛んでいった。

 困惑から驚愕。驚愕から混乱へと、目まぐるしく顔色を変えた洗井は、青年をぶっ飛ばした人物を凝視する。

 拳銃という凶器を持った青年へと、目で追えぬ速さで距離を詰め、軽く腰を落とした体制から、豪速の中段正拳突きを親友――ロハこと愉快犯多田は、平然とした顔で構えを解く。




「いや、今のは駄目だろう? 酒の席であんな危ないものを出すのは」


「いやいやいやいや。危ない以前に何でそんなに平然としてるんだよ! つーか何今の? 全く見えなかったんだけど!? 何したのお前? 今目の前で何が起きたの!?」


「落ち着けヒロシ。今のは普通の正拳突きだ。ほら、空手で使う突き技の一つだ。ただの」


「普通の正拳突きで人間はあそこまで吹っ飛ばないと思うぞ!? 普通は!」




 ビシィッ! と五メートルは吹っ飛んだ青年へ、指をさす洗井。

 その隣で、目を見開いたまま植貴が首を縦に振ったが、多田はしれっと何食わぬ顔で。




「あの青年、腹に鉄板を仕込んでいたらしいぞ。現に、半分しか飛ばなかった」


「お前の『普通』の正拳突きじゃ、人間は十メートルも吹っ飛ぶんだな!? どこのワイヤーアクションだよ!」


「……あれ、言ってなかったか?」


「何を!?」




 殴った鉄板が意外にも痛かったのか。

 手をひらひらと揺らす多田は、『何も分からない』、と。

 納得のいかない顔をしている親友達を見渡すと、他愛ない話をするかのように、非常に軽い言葉で自らについて、簡潔に語った。




「実は俺、日本一の戦闘一族の頭領なんだ」


「……はぁい!?」


「ちなみにたまに暗殺の仕事もしている」

「え、それっ、ちょっ……はああああああっ!?」




 何だそれ、意味分かんねぇ! と叫びたくなる気持ちをどうにか抑えたものの、金魚のようにぱくぱくと口を開閉させるしかない洗井は、多田を刮目する。

 ――どうやら、ロハと呼び親しんでいた多田は、日本一の戦闘一族なのだらしい。



 ――ああ、だから昔から筋肉質な身体してたのか。



 頭は冷静に状況を分析している洗井であったが、思考は全く現実を理解していない。

 ただ目を見開いて、飛んでいった青年と、準備運動をするかのように肩を回す多田を、交互に見やるだけだ。




「……成る程。日本一の戦闘一族、か。道理で昔から喧嘩となると誰よりも強かったわけだ」


「だから良い体つきしてたんだなぁロハ!」




 ――何でお前らは通常通りの態度なんだよ……!



 親友の予想だにしなかった素性に、戸惑いを隠せない洗井とは反対に、あっさり多田の戦闘一族宣言を受け入れる可部と植貴に、『コイツらの頭の中が見てみたい』と洗井は思う。切実に。


 すっかり緩んだ空気の中、ガラガラと椅子の中から腹部を押さえ、立ち上がる青年は、動揺を隠せないと瞳を揺らす。




「日本一の戦闘一族、だと……貴様、まさか『六紋』の……!」


「おや。かなり廃れた一族だと思っていたのだが……まだそっちの界隈では有名だったか」




 いや意外だ、と軽口を叩きながらも、音もなく腰を落とす多田。

 あたかもそれが自然体であるように整えられた体勢は、洗井が知る中で、空手で用いられる構えと酷似していた。




「さて、どうする青年」




 不敵な笑みを、嫌味っぽく顔に貼り付けた多田に、分が悪そうに顔を顰める青年は、舌打ちを零した後に、片手を頭の高さにまで上げる。

 それが、集合か何かの合図であったらしい。


 一秒も間を置かず、ザンッ、と足踏みの音を立て、青年の周りに数十人あまりの忍者が現れた。

 忍者、と洗井が一目見て分かったのは、昔、彼が絵本で見た忍び装束、そのままの格好を彼らがしていたためである。


 ざっと見るだけで五十人以上はいるだろう、忍者。

 狭い店内を埋め尽くすさんと一斉に現れた彼らに、呆れ顔で多田は失笑する。




「忍者とか、少し時代遅れじゃないか?」


「そりゃあ、アイツら全員があの若いのの式神だからだろ」




 苦笑も混じった多田の独り言に、言葉を返したのは可部であった。

 事情は分からないが、青年の標的にされている可部は「は? カベドン?」と、やっと現実を受け入れ始めた洗井の前で、重たい腰を上げる。




「ちょいと軽ぅく蹴散らすから、まぁちょっと下がっといてくれ」




 気怠そうに多田の前に出た可部は、甚平の袖からしゅるりと数珠を滑り出す。 左手にそれを通した可部は、人差し指と中指をぴんと立て、親指を折り曲げている指の爪の上に置く。

 右と左、両方の手で剣印と呼ばれる印を結んだ可部は、このあと「う〜ん……」と唸り、




「……明らかに雑魚そうだし、適当で良いよなっ!」


「か、カベドンンンン!?」


「貴様ぁ可部のぉ! 舐めているのかぁっ!」




 何言ってんだよお前ええ! そんな敵を煽りようなこと言ってえええっ! ――と、この世の終わりとばかりに絶叫する洗井に、可部はニタリと笑った。




「心配すんな! 俺ぁ副業で陰陽師もやってるからよ!」




 それはガキ大将が友人に向けるような、勇ましい笑顔であった。



 はぁっ……!? と再び洗井を混乱の中へ叩き落とした可部の、視界の中。

 指示を下した青年に従い、地を蹴る忍び達。

 背中に手を回した彼らが、次にその手を前に出す前に、可部は右手の剣印を大きく横に凪ぐ。


 ひどく好戦的な、笑顔で。




「――『臨』!」




 腹の底から響き渡る声が、可部を中心に居酒屋の空気を震わす。

 瞬間、風船が割れるような破裂音が連続し、酒場内にいた全ての忍びが、一斉に短冊へと成り果てる。

 パラパラと降り注ぐのは、先程まで確かに人間であったはずの、紙屑だ。


 洗井は驚愕により、意味のない声で喘ぐ他に何もできない。




「ちィッ……!」




 自身の配下にある全ての式神を、たった一言で無力化された青年は、得意満面など可部へ、悪足掻きとばかりに拳銃を向ける。

 しかし、




「その手は飽きた」




 その場から微塵も動かず、カレーライスから人参だけを除いていた植貴が、高々と指を鳴らす。


 その時、植貴の取り分けた人参が、皿の中で急膨張した。

 人の腕ほどのサイズにまで肥大化した人参が、大樹の根のごとくその身を伸ばし――青年の四肢を、地面に縫い付ける。



「ぐぁあっ!? な、なんだこれはぁぁっ!?」


「人参だ。最も、俺の魔力を注入し傀儡化させた物だがな――言うなれば、『傀儡人参(かいらいにんじん)』だ」




 ちゃっ、と眼鏡を掛け直す植貴は、向けられる三つの奇異な眼差しに対し、機械的に淡々と告げた。




「ついでに、言い忘れていた。俺は副業で植物系の魔法使いをしている。得意な魔法は人参を意のままに操ることだ……不本意であるがな」




 もう洗井は、絶句するしかなかった。



 洗井がやっとの事で、次から次へと目の前で起こされた非現実的現状を認め、口を開いたのは、それからたっぷり十秒の間を置いてからだった。




「に、人参んんんんんんっ!?」



 まず最初に、人参の驚異的な変化に驚きを現した洗井は、それから重要な事柄へのツッコミを開始する。




「ロハ! 日本一の戦闘一族って何!? それって歴史の裏側で暗躍していた的な感じがするんだけど!?」


「一家伝承の巻物によると、真田一族の影として存在していたらしい。唯一歴史の表舞台に出たのは、幸村の代だったとか」


「暗殺って勿論!?」


「副業だ。先祖はノブっちをやったらしいが」


「すごくフレンドリーに言ってるけど、それってもしかしなくても信長か! 織田信長かっ! それからカベドン!」


「何だヒロシぃ。襖代ならお前が持てよ」


「ああ持ってやるよ幹事だからなちくしょう! 陰陽師ってなんだよ! 神社の神主だったんじゃないのかよ!」


「代々神社の神主と陰陽師をやってた家系なんだよなぁ、これが」


「他人ごとのように言ってるけど、軽くファンタジーだからなそれ!」


「あ、そうそう。お前に渡したお守りな、飛行機で事故って無傷で生還できるぐらいのご利益があるからな」


「何それ本気ですげぇ! ファンタジーと言えばリク!」


「何だ。騒がしいぞヒロシ」


「目の前で有り得ないことが立て続けに起きたら、騒がしくもなるわっ! 植物系の魔法使いってなんだよ!」


「専門用語を省いて説明すると、気合いのようなものを消費して、よくあるRPGゲーム的な現象を引き起こすことを、魔法と呼ぶ。どちらかと言えば錬金術に近い」


「いや、そうじゃなくて……」


「俺はその中でも植物を操ることに特化し、さらに人参とどういう因果か、相性が良い。この魔法を使って今、新たな薬品を開発しようとしている」


「ああうんお前薬剤師的な仕事だったもんなすげー役立つ能力だなぁおい!」




 ぜぇーはぁー、と肩で息をする洗井に向かい、「気は済んだか?」と冷淡に問いかける植貴。

 凄まじい勢いでツッコミを繰り広げた洗井を、愉しそうに眺めていた多田。

 それらを全て寛容し、酒を楽しむ可部。

 いたって平常通りである親友達に、どうしてそんなに落ち着いていられるのか。疑念を抱く洗井は、最後にと、こう問いかけた。




「何でさ、お前ら暗殺者だの陰陽師だの魔法使いだの、友達がわけわかんねぇことしてたのに、そんなに平気そうな顔してられるんだよ」


「いや、これでもかなり驚いているが?」




 真っ先に口を開いた多田に、嘘吐けと愉快犯な彼の性格をよく知る洗井は、反論しようとする。

 だが、




「いやいや、本気で本当に。俺はこれまでの人生で三番目に驚いている」



 口調こそ軽いものの、ふざけた調子ではない彼の言葉に、洗井は口を噤む。




「因みに一番目は家内が私に黙って息子を産もうとしていたこと。二番目は甥だと思っていた子が実は姪だったことだ」


「それは今、聞いてないんだけどな」


「それほどにまで今、俺は驚いている、ということだ」




 ゆるゆると。席に着いた多田は、彼にしては珍しい、朗らかな微笑を湛える。




「しかしまぁ――友人だからな。職業が何であろうと、今さら軽蔑も非難もあるまい」


「ロハ……」


「つーか、だからといって酒の味に変わりは無いしな!」




 不覚にも、多田の言葉で感銘を受けてしまった洗井。

 洗井の目頭を熱くした多田の隣で、とうとう愉快犯の日本酒に手を出した可部は、とっくりから直接酒を飲み、こう説く。




「だいたいが俺みたいに『迷惑かけたくない』だの、『巻き込みたくない』だの思って自分のこと黙ってた、良いヤツらばっかりだ! 俺ぁ今日、ダチ(友達)が本当に良いヤツだって知れて、気持ちが良いだけだぜ!」


「カベドン……」




 可部という人物は、頭が悪い。

 いわゆる、馬鹿、と呼ばれる人種だ。


 だが――彼が馬鹿である故に、彼の言葉いつだって、真っ直ぐである。

 どこまでも自分の心に正直で、真っ直ぐだから、彼の言葉は洗井の心に、深く突き刺さった。


 まだ、親友達に隠し事をしている洗井は、涙ぐむ。

 明るい茶眼に涙を溜めていく洗井に、植貴は締め括りとばかりに言葉を紡ぐ。




「人でなしと馬鹿の言葉が分かり難かったなら、俺がこの場にいる全員の総意を、簡単に口にしよう」


「リク……」


「暗殺者であろうが陰陽師であろうが魔法使いであろうが、俺達の友情に変わりはないということだ――分かったか、親友」




 表情筋を緩めた植貴の語りかけに、とうとう洗井の涙腺は決壊した。


 だらだらと流れる熱い涙と、鼻孔を塞ぐ鼻水。

 垂らしそうになる鼻水をずずっ、とすすり、ぼろぼろと零れる雫を腕で拭う彼は、思う。



 ――俺は幸せ者だ、と。



 どれだけ年月を重ねでも、どれだけ隣人が異常であっても。

 人でなしでも馬鹿でも堅物でも。



 友情というものは、なんと強固で心強く、変わりなく確かな繋がりなのだろうか――




「なーに泣いてるんだよヒロシぃ! 今泣くところじゃねーだろ!」


「涙腺が緩いのは昔から変わらないな」


「こら、二人ともイジってやるな。ヒロシの居心地が悪くなるだろ」


「っるせーよ、お前ら……!」




 口々に洗井の涙を指摘する親友三人に、強がりとばかりに目を鋭くする洗井。

 ぐじゅ、と鼻水をすすった彼は、互いに『普通ではないこと』を明かしても態度を変えなかった親友達に、これから行うべきか否か迷っていた行為を、実行する勇気を貰う。



 ずっと、心に突っかかっていた、小さな迷い。

 その迷いを振り切るための、大きな勇気を親友達から得た彼は、長年抱えていた『それ』を明かす覚悟を、決めた。


 立ち止まっていた背は、押され。

 彼は、新たな一歩を――踏み出す。




「なんだよ……こんなことなら、サッサとお前らに全部言えば良かった……」


「……と、言うと?」


「つまり、お前もか」


「ああそうだよ……ずっと気を使ってた俺がバカみてーじゃんかよ……!」



 多田と植貴が、何かに勘づいた。

 親友の中でも頭が回る方である彼らの、ある予感の込められた眼差しを身に受ける洗井は、和室から外に出た。


 靴を軽く履き、少し乱暴に目元を拭う彼は、爪先立ちでカコンカコンと革靴を鳴らしながら、植貴の魔法により地面に縫いつけられた青年へ近づく。



 両手に握った拳銃ごと、地面に押し付けられた青年は、身動きが取れない。

 怨恨や焦りを口走る彼は、洗井が距離を縮めてくる様子を、見守ることしかできなかった。


 青年が抵抗できないと知りながら、彼の焦燥と苛立ちで歪んだ顔を、赤く腫れた目で見下す洗井は仕事時の笑顔で、ポケットから今回使う道具を取り出す。

 それはパーティー時に用いられる、小型のクラッカーであった。


 紙屑を回収し易いタイプのクラッカーを取り出した洗井は、背後の和室で『何をするんだ?』と興味津々に身を乗り出してくる親友達に、一つ、




「私が良いと合図を送るまで、耳、塞いどいてくださいね」




 一見、人の良さそうな印象のある作り笑いを浮かべると、青年の顔へクラッカーを向け、引き金となる紐を手繰り寄せる。

 敵意と殺意をもって洗井を睨む青年。

 瞬間、彼の顔に驚愕が走った時――洗井は、『にっこり』という擬態語が添えられる笑顔で、青年の両目を覗き込み、




「あ。襖代、あなたが払ってくださいね」




 青年の目に浮かんだ、毒々しい目の色をした自分の顔を確認した洗井は。

 安っぽい作りの、紐を引く。



 パァーンッ、と、静かな店内に現る破裂音。

 弾けて広がる、火薬の匂い。

 日本人として絶対に有り得ない、鮮烈な暗紅色に輝く洗井の双眼。


 その妖しい色彩に目を奪われた青年の意識は、ぐるぐるとしっちゃかめっちゃかにかき混ぜられ――




       ●




「しかし、暗殺者に陰陽師に魔法使いに催眠術士か……その気になれば世界征服できそうだなっ!」


「催眠術士じゃなくて、超能力者な。超能力者」


「どっちでもいいじゃねぇか! こまけぇことは気にすんなよヒロシぃ!」



 なぁ! と応答していた洗井以外の同意を求める可部であるが、見事に「いや、お前がルーズ過ぎるんだ」と返り討ちにあった可部は「手厳しいなぁ!」と笑い飛ばしながら、枝豆を頬張る。

 口に含んだ体力の豆を、酒と共に飲み込もうとした可部であったが、もう空のビールジョッキしか残っていないことに気が付いた彼は、和室の外で控えていた店員に、声を張り上げる。




「おおーい若いのぉ! ビール追加ぁ!」


「あときんぴらゴボウも頼む。人参は抜け」


「――かしこまりました」




 恭しく一礼した店員は、すぐさま持ち場を離れ、あっという間に可部らが注目した物を運んでくる。

 柔和だが、どこか虚ろな笑みを浮かべる店員は、感情の薄い音を発する。




「――お待たせしました」




 動作がまるで人形のようである店員。

 その店員の正体は、可部を狙い襲いかかってきた――あの式神使いの青年であった。


 忠実に命令をこなす青年の姿を眺める多田は、興味深げに呟く。




「いやはや、しかしヒロシの『催眠』は凄いな。むしろ、『洗脳』と言うべきじゃないのか?」


「それが三日もすれば、あいつにかけた『俺達が雇い人』という催眠は解けるからな。『洗脳』はそう簡単に解けやしないだろ? それに赤の他人でないと効果はないしな」


「それもそうか」




 だが面白いぐらい深くかかっているな――何を考えているのか、映画の悪役が浮かべるような笑みで青年を見つめる多田に、寒気を覚える洗井は、すっかり親友達のパシりとして扱われている青年と、彼によって直された襖を見て、『まあいいか』と酒を煽った。



 三日で洗井の超能力『催眠』でかけた効果は切れるが、それだけ時間があれば、洗井が払うことになった襖代を、青年が払ってくれるだろう。

 それに、今回の飲み会代も全て、青年が支払うことになっている。幹事としては金が浮いて、万々歳である。


 毎回百万を越す飲み会代であるが、それを全て負担することになった青年へ、洗井が同情する事はない。

 親友の命を狙った殺し屋の財布を心配する、親友の親友など、この世のどこにいるというのだ。


 グラスを空にして、新たな酒に手を伸ばす洗井。

 その顔はわだかまりなく、晴れやかである。



 ――店内にいた客も、元々この居酒屋で働いていた店員も、青年が式神を用いた暗示で家に返していた。

 ――洗井が超能力者で、外交系の仕事というのが、この超能力を用いたものであると明かしても、親友達は「マジがすっげぇマジカルだな」と笑って、洗井の事実を受け入れた。


 失ったものは何一つ無く。

 得たものは親友との相互理解と、さらに深まった絆。


 この事実に、現状に、現実に、現在に。

 洗井洋示という超能力者は、歓喜と感動と共に――欲しくもなかった能力をくれた神と、疑心と疑惑に溢れた超能力者の揃う世界に、感謝をする。


 ――『催眠』だなんて、婚活の役にもたたない能力をくれた、くそったれな世界と神へ。

 ――最高の親友を三人もくれて、ありがとう。


 ――俺は、幸せ者だ。



 黄金のように金色に輝くジョッキを片手に。

 多田は猪口、可部はビールジョッキ、植貴は野菜ジュースと、それぞれ飲み物の入った容器を、親友達が手にしたのを確認した洗井は、笑う。


 作り笑い、ではなく。

 心底から、幸福感に満ちた眼差しで――笑う、笑う。




「うっし! じゃあ全員良いヤツだったってことで、改めて!」


「祝杯を」


「やるか」


「はは、いやはや愉快だな」




 笑顔を合わせて、声を合わせて。

 杯を交わす彼らは、一斉に声を上げる。


 高らかに――朗らかに――




「「「「乾杯!」」」」




 たった四人の客人で賑わう、深夜の居酒屋。

 月光のようにぼんやりと店内を照らす、淡い白熱灯の下。

 重ねられた杯は、明星の如く瞬き。

 打ち鳴らされる音は、天界の鐘の音のように澄み渡る。



 それはあたかも、彼らの堅い友情を、祝福しているかのようであった。







●あとがき●



どんなお題でも最終的には意味の分からない展開に持っていける。

そんな定評のある文群です。どうも、お久しぶりです。


一ヶ月のお休みを挟みました、突破衝動企画第三段。

今回のお題は『お仕事』ということで書かせていただきましたが……なんということでしょう(某リフォーム番組風に)


ただ四十過ぎたおっさん達が、飲み会しているだけの話になりました。


お仕事、と言われても、どうやら自分はグダグダとしたものしか書けないようです。

誰か、文法とか文脈とか文章構成とか安売りしてませんか?

倍の値で買い取るので(切実)


なかなか上達している様子がない……というか退化している気がする文章でありますが、改めて日本語について学びつつ今後も書き綴っていく所存です。

ファイトー、おう!



……さて。今回の内容といたしましては、『お仕事』という題材を全く生かせていない、副業がナンジャソリャなおじさん四人による飲み会でありました。

需要はどこにあるのか。


題材を決めた時からのイメージで、『メインの登場人物は四人にしよう』と決めていたので、件の『登場人物多数病』は発症しませんでしたが。


合併して患っている『登場人物濃設定病』は見事、発症されていました。


何? サラリーマンで副業が暗殺者? 神社の神主で副業が陰陽師? 薬剤師兼魔法使い? マトモなヤツかと思えば催眠系超能力者?

キ ャ ラ が 濃 い


因みに自分が思うにこれらは『軽度』の枠組みでしたが、弟に意見を伺ったところ『意味分からんwww中二ってるwwwwカルピスの原液かwwwwww』と笑われました。

解せぬ。



全体的に今回は『青臭い青春もの』を求めて書かせていただきましたが、どうも加齢臭がしそうな気がしてならない、今回の企画。

どうでしょうか。ちゃんと綺麗に纏まっているでしょうか。


おっさん達の綺麗な友情を、ちゃんと表現できているでしょうか?


やはり力不足を感じるこの頃。文章力をつけたいと思いながら次回(あるかもしれない)企画の題材を待とうと思います。



最後に。当企画に参加してくださった皆様。および制作に関わってくださった方々。リア友である雪野様。そしてこの短編と思えない長さの短編を閲覧してくださった皆様へ、心からの感謝を!


ありがとうございました!





<完>

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[一言] お疲れ様です! 予想超えすぎ…飲み会で戦闘とは…ありなのか? 次回も頑張りましょうね!
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