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酔狂な男

作者: 栗林

 克己が奥野理人に会ったのは、二人が高校を卒業してから実に四年ぶりのことだった。克己は大学生になっていたが、理人は就職をしていた。

 暫くぶりに会いはしたものの、理人のことは彼が「おくのりひとです」と平仮名の発音で不器用そうに名乗っていた頃から知っている。相手にとっての克己もそうだった。



 彼らの交流が再び始まったのは、たまたま同じ飲み屋で会ったことが原因だ。それぞれに違う飲み会に参加しており、そのときに入ったトイレの先に彼がいたのだ。

「克己じゃん。久しぶり」

 あちらから声をかけてくれたのは覚えている。自分は何と答えただろうか。多分当たり障りのないことを言ったのだろう。そうでなければ記憶の中にある次の理人の言葉に繋がらない。

「メアド交換しとかないか?今はお互い違うコミュニティの友達といるわけだし、今度改めて二人で飲もう」

 なぜ理人がそういうことを言い出したのかはわからない。しかし、克己はその提案に乗ってアドレスを彼に渡した。四年前とは何か変わっていけるのではないかと考えた。



 四年前まで同じ高校に通っていた自分たちは、十年以上いわゆるライバルのような関係だった。理人のことは、どんな親しい友達や、関係を持った女よりもよく知っているはずだ。ライバルというと漢字で「好敵手」と書かれるときもあるけれど、克己と理人はそこまで穏やかな関係ではなかったと思っている。

 とにかく互いのやることなすことが気に入らない。克己と理人は似たタイプの人間でどんな能力もほぼ同等、しかも両者とも進んで人を引っ張っていくリーダーシップ性を兼ね備えており、衝突はしばしばだった。

 小学校から持ち上がりの中学まではともかく、高校は同じところを受験し、どちらも合格した。それからも度々競い合ってきた彼らの勝負は、同じ大学を受験して克己のみ受かり、落ちた理人が就職を選んだところで止まっていた。

 少なくとも克己は止まったと思っていた。




 理人からは、メールアドレスを交換したあの日からわりとすぐに連絡が入った。『今週末に俺んちで飲まないか』というやけにあっさりとした内容のメールだった。届いたのは水曜であった。親しい友人と一緒でも宅飲みなんて滅多にしないというのに、飲みながら理人相手に一体何を話すというのだろう。彼も、どういう気持ちで克己と飲もうと思い立ったのか理解できなかった。そもそも、改めて二人で飲もうというのも酔った勢いとノリで言ってしまったことで、きっとそれほど本気ではないだろうと思っていたくらいだ。

 けれど、克己は木曜には『何時に行けばいいのか』『酒はどうするか』という旨のメールを送っていた。未だにいい印象のない相手とどう飲むのか、それは楽しいのかという気持ちはあったが、どうせ飲み会である。しかも宅飲みだ。腹を割って話せるし、なにか収穫があるかもしれないと思った。

何より、今の理人の生活には興味があった。大学受験に失敗して、結果として就職の道を選んだ彼のその後だ。

 『××駅から歩いて十分だから、そこに土曜夕方七時とかがいいかな。俺んちビールしかないから、他の酒がよかったら自分で持って来いよ』――理人からの返信にはオーケー、とだけ返しておいた。



 克己は飲食店でアルバイトをしていたが、土曜はたまたま定休日で一日空いていた。理人との約束の時間まで適当に家で時間を潰す。といっても別段することもなく、休日らしく家でごろごろするくらいだったが。

 理人は違った。七時を少し回ったところで慌てたように走ってきた彼は、まだ仕事着のままであった。

「遅れて悪い! 仕事が立て込んでて……」

「いや、俺は……」

 言いながら仕事着姿の彼を上から下まで見る。彼は確か食品の加工に携わる工場で働いているはずだ。紺と白で構成された仕事着は、理人が既に社会人であることの証だった。大学生である克己が優雅な休日を満喫している間、理人は社会人として会社で働いていたのだ。

 なぜか胸がじわりと痛んだ。

「克己? 」

「あ……いや、俺なら気にしなくていい。お前、勤め人だし。忙しいだろうし」

 途中で言葉を切ってしまった克己を心配そうに理人が覗き込む。その顔は、四年前に比べて随分大人びていて、時間の経過と彼の成長をまた見せられたようでもっと胸が痛くなった。

「お、酒持って来たんだな」

「ああ。俺、ビールあんま飲まねえから。缶チューハイ買ってきた」

「マジかよ。いいぞ、ビール。仕事の汗を風呂で流した後、冷えたビール飲むのがいいんだよなあ」

 それだけ言うと、「立ち話もなんだから」と言う理人に着いて、彼の家に向かう。移動中も、まるで昔からの友人と話しているように終始ニコニコ楽しげな様子で理人は克己に話しかけていた。いろいろ打算もありつつこの宅飲み案に乗った克己とは大違いだ。そもそも自分たちは、昔はここまで柔らかな関係ではなかったはずなのに。穏やかに話す理人が克己には不思議でたまらなかった。

 本人の言っていた通り、理人のうち……もとい住んでいるマンションには徒歩十分ほどで辿りついた。三階にある部屋につくと、理人は鍵を開けながら「散らかってるけどどうぞー」なんて言った。

 言うほど散らかっていない、綺麗に片付いた部屋だった。多少狭いが、男の一人暮らしとしては問題ないだろう。リビングに克己を通すと、理人は冷蔵庫から缶ビールを持ってきて、早くもぷしゅっと軽い音を立てプルトップを引いた。克己も彼に倣ってチューハイを開ける。

「理人さあ、最近どう? 」

 話題がないのもどうかと思い、克己は適当に理人に話を振った。すると、理人はおかしそうに声を上げてぎゃははと笑った。

「最近どうって、その話のフリ下手すぎだろー。最近、最近ねえ。んー。……そう変わりねえよ。高校卒業からなら多分随分変わったんだろうけど。お前もそうだろ」

「まあ、それはな」

 理人はうまそうにビールをごくごく音を鳴らして飲み、克己に向かってにやりと笑った。

「最近あったっていうか。ありそうなことならあるな。菜柚がさ、一緒に暮らさないかって言ってんの。覚えてるだろ。菜柚」

「……ああ。彼女か。まだ続いてんのな、お前らは」

「はは、俺たちが続いてることなんか、お前は知ってるくせに。俺は知ってるよ。菜柚とお前、ゼミ一緒なんだろ。あいつに聞いた」

 克己は黙ってチューハイを傾ける。今飲んでいるのは白桃サワーで、克己はその爽やかな後味を気に入っていた。

 はあ、と溜息をついて克己は言う。

「そうだな。知ってる。あれだけの可愛い子、言い寄るやついっぱいいたしな。菜柚は、その全部に『彼氏がいるから』って断りいれてた。律儀な彼女だね。羨ましいよ」

「……ま、そうかもな」

 一瞬、理人の顔が曇った。克己はそんなこと気にもとめなかったが。頭にあったのは菜柚のことだ。

 柊菜柚は、かつて二人が通っていた高校のマドンナだった。綺麗で頭もよく、かといって出しゃばらない控えめな性格の彼女は、密かに男子間で人気になっていたのだ。高三でとうとう同じクラスになった克己は、彼女にアタックし始めた。しかし、隣には同じく彼女を狙う理人の影も常に存在していた。気付けば菜柚もまた、克己と理人の競争内容になっていた。結果はこの通りだ。しかも二人はまだ続いているという。

 現在菜柚と克己は同じ大学に進み、同じゼミに在籍している。母校が同じである菜柚とは、特別よく話をしていた。理人が受かっていたらずっと一緒だったのにな、と言われたことも何度もある。彼女は今も、克己の気持ちは知らないままなのだ。

 そんなことを思い、ひたすらチューハイに口をつける。理人も何も話してこなかった。

「ん? 」

ぼんやり部屋を眺めていると、本棚で目が留まった。

「お前、『ワンスアゲイン』全巻揃えてんじゃねえか! 俺これ大好きなんだよ」

「お、マジ? 知ってるやつあんまりいないから意外だな。この作者が好きなんだよな。絶版になった漫画も結構あるぜ。読む?」

「読む読む! 」

 今までの、なんとなく気まずかった雰囲気が一気になくなった。克己の見つけた漫画の話に花が咲く。意外にも、好きなマイナー漫画が被っていたなんて。

 彼とこんなに気が合うこともあるなんて知らなかった。長い付き合いの中で、嫌いなやつだけれど彼のことは誰より知っていると思っていたのに。同じ漫画が好きだなんて、克己は全然知らなかった。もっときちんと話していれば、わかりあうこともできていただろうか。……いや、そうではないか。

 お互い、大人になったに違いない。



   *****

 それから、克己はたまに理人の家で飲むようになった。わりと彼の家は居心地がいいとわかったからだ。

 そもそも、自分たちはそこまで良好な関係を築いてはこなかったのだ。無理に話題を作らなくてもいい。二回目に家を訪れたときにそう悟った。理人も同じだったようで、その日は二人で並んでバラエティーを観た。会話は最小限しかなかった。

 克己は、理人の部屋に来ると大抵漫画を読んだ。多趣味の克己に比べれば趣味が少ないという理人は、どうやら漫画は好きらしい。「ワンスアゲイン」以外にもたくさんの漫画が本棚には並んでいた。

 理人は、ときどき菜柚の話もした。というか、話をするとしたら話題は菜柚だった。

 昨日は菜柚に会った。菜柚とごはんを食べた。菜柚の家に行った。菜柚とああした。菜柚がああした。

 理人は常にどうでもよさそうに菜柚の話をした。なぜそんな顔をするのか克己にはわからない。高校の時からずっと克己が焦がれ、手に入らなかったものの話をしながら、彼は浮かない顔をしていた。

 そう、高校の時「から」である。克己は、菜柚の話す理人の話を聞きながら、あるいは理人の話す菜柚の話を聞きながら、ずっと菜柚を忘れないままでいた。菜柚以外の女性を探さないままでいた。



 今日も、理人は菜柚の話をした。

 最近の理人は、段々菜柚の話がエスカレートしてきていた。キスをしたこと。ベッドでどう菜柚が喘ぐか、なんていうことまで話し始めた。

 克己は何も言わないで酒を煽りつつ聞く。新発売したのだと理人に勧められた缶ビールが旨くて、彼の家の冷蔵庫からそれを出して飲むことが増えた。確かこの日もそうだった。冷えたビールが喉を揺らす。脳まで響くように泡が弾けた。

 理人は彼女の話をするとき、こちらの反応を気にしてないことは明白だった。

「……克己さあ、なんでうちに来るの。俺、こんな話しかしねえのに」

 わからない。でも、多分菜柚の話なら何でも聞きたかった。

「つーかよ……お前も、なにも言わねえのな。菜柚のことが、今も好きだからそんなこと聞きたくねえとかさ……なんだその顔。俺が知らないと思ってた? 」

 知らないと思っていた。気持ちが顔に出ていたらしい。それでも克己は何も言わない。理人は克己と同じ酒を傾けた。こんなに旨い酒なのに、顔はまずそうにしかめられたままだった。

「まあ、そんなふうなことを言われて、そのうち来なくなるかなとか思ってたわけよ。でもそんなことないしさあ」

「お前は、そうなって欲しかった? 」

 そんなことを言うと。


 克己の視界は、ぐるりと回された。


 気が付けば、目の前に部屋の天井と理人の顔が広がる。フローリングが硬く、軽く打った後頭部が痛かった。

「俺は、お前に勝ちたいんだ」

 克己の体の上に乗り上がった理人が言う。人のことは言えないが、理人は酒臭かった。

「理人、やめろよ。どけ。お前、酔ってんだろ」

 克己がなんとかそう言うと、理人はふふと酒臭い息を吐き出して笑う。顔が近い。

「ああ、俺はずっと酔ってるね。そもそも俺は菜柚なんて好きじゃなかったんだ。お前が菜柚を好きだって知ったから、だから俺はお前に勝とうとした。菜柚だけじゃない。お前が志望したから、大学だって受験した。お前がなりたがったから、学級委員に立候補した。いつだって俺の人生はお前で成り立ってた。だから今の俺には趣味だって少ないんだ。知らなかっただろ」

 理人は笑顔だったけれど、どこか苦しそうに言う。言いながら克己の顔の横に着いた拳で、何度か床をドンと叩いた。

「俺は、優越感に浸っていたかったんだ。お前は俺の行きたかった『はずの』大学に行って楽しそうにしてやがる。こっちはその間、社会人として低賃金で働いてるってのに。だから俺は、お前と会ってお前の欲しかった『はずの』女の話をしてた。でも、もうつらいよ……俺は、菜柚が欲しかったんじゃない。お前に勝ったっていう安心が欲しかったのに」

「……そうか」

 克己の冷めた目が理人の目に映っている。その理人の目が、ぐらぐらと揺れて水の膜を張り始めた。

「菜柚は、どうしたって別れてくれないよ。殴っても、ひどくしても、あいつは別れない。性質の悪い男からどうしても離れられない馬鹿な女の話は聞くけどさ。一緒だよ。どうしたらいいんだよ……」

 とうとう理人は、その目から雫をこぼした。

「そうか」

 克己はそうとしか言わない。理人は、一体どんな言葉を求めていたのだろうか。

 自分を押し倒した理人の額を、彼はそっと優しく撫でた。


 理人から焦ったような電話がかかってきたのは、そんなやりとりをして一か月ほど経ってからだった。

 会わない方がいいだろうと判断し、あの日からは一度も彼の家に飲みに行ってはいなかった。理人は相談があるから会いたいと言う。克己は、その日の晩のうちに彼と会うことにした。

 一か月ぶりに会った理人は思いつめた顔をしていた。何があったのかと聞くと、うわごとのように「ナユ、ナユが……」と言う。克己が「菜柚がどうしたんだ」と冷静に問うと、理人は必死の形相で言った。

「菜柚が……菜柚が妊娠したって言うんだ! なあ、克己。俺は、俺は、どうしたらいい? 」




   *****

 結果的に、理人は克己との会話を最後に、姿を消してしまった。菜柚が行方不明だと警察に届けた。理人は両親と不仲だったため、菜柚のその言葉が実質上そのまま警察に届けられたという形だ。一緒になる気のない彼女の妊娠を聞いて、責任や重圧に耐えられず逃げた……姿を消す理由としては申し分ない。

 理人の行方がわからなくなったとき、菜柚は真っ先に克己に相談に来た。彼女の瞳には涙が浮かんでいて、顔は血の気が失せたように真っ白だった。

「私、理人に言ったの! 妊娠したって、言って……。でも、本当は妊娠なんてしてないの。まさか、理人が、それで、私の前から消えちゃうなんて……」

 なんと、妊娠は菜柚の狂言だったという。理人の心が離れていることを感じ取り、なんとか彼を繋ぎとめておきたくてついた嘘だと。聡明な彼女がそんな嘘をつくなんて。理人の言っていた、「性質の悪い男からどうしても離れられない馬鹿な女の話は聞くけどさ。一緒だよ」というセリフが蘇った。

 涙を流して後悔を繰り返す菜柚を、思わず克己は抱きしめていた。何年越しになっただろう。初めて、克己は菜柚を抱きしめることが出来た。

 克己は、自分が菜柚を護っていこうと決めた。



 それから。

 完全に理人を忘れたわけではない菜柚を克己は支えていこうと思い、告白をした。菜柚は戸惑いながらも応えてくれ、大学卒業後も二年付き合ったあと、結婚を果たした。

 子供二人と菜柚。三人に囲まれながら、克己は思う。

 何故、理人は殺されなければならなかったか。

 廃墟の裏。その地面の下に彼はいる。不法投棄のゴミがやたらとあふれている、背の高い雑草の多い場所だ。都会の真ん中に忘れ去られたような場所は彼の処理にちょうどよかった。

 彼が菜柚と一生を添い遂げることはきっとできないと思った。菜柚は幸せにはなれない。だから理人は死ぬしかなかった。


――いや、これは間違いだな。


 理人が息絶える瞬間、克己はこれっぽっちも菜柚のことなど考えていなかったのだから。

 大学受験の時点で、自分は人生において彼に完勝したのだと思っていた。しかし、彼が駅前に仕事着のまま現れたのを見たあの日から、克己には激しい劣等感が付き纏うようになった。立派に社会に出て働く彼は、大学生にはない煌めきを持っていたのだ。加えて、彼には綺麗な彼女までいる。

 克己が理人に勝ったという安心感を得るためには、ああするしかなかった。つまりそういうことだった。

 目論見通り、彼が消えてからあの胸の痛みもとれた。大学を卒業し、就職と結婚に成功した克己はようやく動かなくなった理人を追い越したと実感できたのである。

 最期のとき、理人もほっとした顔をした。彼にとってもきっとこれで良かったのだと思う。



 今度こそ俺は人生の勝者になった。これで良かったのだ。



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