ガイドと旅人「泡の雪が降る土地にて」
拙作『二百文字小説置場』に掲載しているシリーズ「ガイドと旅人」からの独立短編です。
土地のガイドの話だと、この季節には泡の雪が降るという。この地方に観光に来ていた私は、ガイドの案内でその雪を見に行くことにした。
「ほら、降ってまいりましたよ」
「ほうほう、たいしたものだ」
空からふわふわとしたものがゆっくりと降りてくる。白い泡だ。手のひらに落ちると、鳥の綿毛のようにふっくらとした軽い感触である。けれどそれは確かに雪であるらしく、しばらくするとかすかな冷たさを残し、手のひらに吸い込まれるようにして溶けてしまった。
そんな雪が空いっぱいに降ってくる。
「不思議な雪だ。これはどこから降ってくるのかね?」
「あちらに見えるキスカ山のむこうからでございます。キスカ山のむこうには海がありまして、そこから吹いてくるのでございます」
ガイドの指さす先には大きな岩山がある。キスカとは土地の言葉で洗たく板のことであるという。ギザギザとした尾根の特徴的なこの岩山から泡の雪が吹く様子が、洗たく板で洗たくをしているように見えるので、土地の人間はこの山をキスカと呼ぶらしい。その山のむこう側からは、言われたとおりに白い泡の雪が吹き上がってくるのが見える。
「あの山のむこうはどうなっているのだろう」
ガイドの話では山越えの道があり、車で二時間も走ればむこう側へ行けると言う。私はこの土地でよく見られる薪ストーブ車に乗り、ガイドの運転で泡の雪が降りしきる道をゴトゴトと走った。薪ストーブ車は後部座席の部分にドラム缶のようなストーブがついていて、そこに燃料の薪を入れながら走る。ガイドは前を見て運転しながら、足元の薪を拾い上げては背中にあるストーブへくべていく。実に器用なものである。車内は常に煙たかったが、背中がストーブであるのでとても暖かかった。
「燃料で暖が取れるなんて一石二鳥な車でしょう」
煙突からもうもうと煙を上げながら薪ストーブ車は、山道をえっちらおっちらと登った。暖かいのはよいのであるが、燃料が薪であるのでいまいち馬力がないのである。しかしガイドは気にしていないようである。そういう土地なのだろう。
「峠を越えました」
ようやく山の上まで来たようだ。しかし泡の雪がもわもわと積もっていて、だいぶんと視界が悪く、どこが峠だったのか私にはわからなかった。どうやらもう山むこうであるらしい。
「泡の雪が下から吹いているでしょう。ここから下り坂なのです」
確かに風に吹かれた泡の雪が、下からコロコロと転がってこちらへと上って来ている。私は目をこらして、この雪が転がって来る先を見た。舞い転がる雪のむこうに黒く広がるものがある。
「あれが海か」
視線を山の斜面に沿って下ろしていくと、風に波立つ冬の海が見えた。その海と陸地の境界線である。打ちつける波にもまれるようにして、白い泡が次々と生まれては、海から吹く風にのってこちらへと舞い上がってきているのだ。どうやら泡の雪は海から生まれてくるようである。
「うん? なにかが動いているな」
さらによく観察すると海岸線の白い泡のなかに、人影のようなものが見えた。それもかなりの数である。もっとよく見ようと目を細めたとき、黒い海にはねる大きな魚が視界の端に映った。人ぐらいの大きさがある。いや、人だ。もう一度はねた。確かに人である。しかし魚でもある。上半身が人で、下半身が魚なのだ。
「人魚でございます」
ガイドが言う。その人魚が海岸線にひしめいている。ざっと見渡しただけでも万はいる。
「ここは人魚の繁殖地なのです。産卵を終えた人魚は泡となって消えるのです」
オスの人魚もいるし、メスの人魚もいる。人魚たちは波に遊ばれながら、たがいに身体をからめあい、そして泡となって消えていく。
一匹のメスの人魚がオスの人魚に抱かれながら、高く背を反らして空を仰ぐのが見えた。そしてそのまま泡となる。
「儚いな」
私がつぶやくと、ガイドがうなずきながら言った。
「土地の者は、この光景を『命を洗っている』と表現します」
「なるほど」
泡となっていく人魚たちの表情は、ここからは見えなかった。しかしきっと美しい表情だろうと、私は舞い上がる泡の雪を見ながら想像した。