7 加速の引き金
「えっ!?ソフィア様の婿えら……って痛っ!」
「ああ、もうほら。動くからよ」
ノエルの自室に備えている椅子に腰を下ろし、手当をしながら婿選びについて相談をもちかけると、急にハルがあわてふためいた。その様子に動じないままハルの傷だらけの腕に消毒液を遠慮なく大量にかけたところ一段と苦痛の声をあげられるが、気にしていたらいつまで経っても終わらない。小さいながらも傷が至るところにあるのだからサクサクと進めないと。
お嬢様にさせられません、などと言ってノエルの治療を断られていたが、粘りに粘ってやっと了解を得たのはずいぶん昔になる。今ではハルが森から帰還したらノエルが治療するということが恒例になっていた。治療の知識を持っていなかった昔と比べて随分と手際よくできるようになったと思う。
「こんなに傷だらけになる庭師なんて、ハルだけだろうね」
「“グルジス”は俺の庭みたいなものですから……ってそうじゃなくって!」
「うん?何?」
必死の形相で詰め寄られるが、消毒液の痛みでほぼ涙目になっているのだから迫力が皆無だ。
「ソフィア様の婿選びをノエル様が行っているというのは本当なんですか!?」
「嫌々だけどね。本当は結婚なんてしてほしくないんだけど」
不貞腐れながら肯定すると、ハルは目を大きく見開いたまま固まってしまった。消毒液をかけても包帯をきつく巻いてもびくともしない。
「ちょっと、ハル?」
「……えっ、あ、はい。何でしょう!?」
「いや……何って、こっちのセリフだけど……どうしたの?」
訝しげに覗き込めば目線を逸らされた。どういうわけか困ったようにぎゅっと眉を寄せている。
「……ノエル様は候補者に会われたのですか?」
「うん。この前なんかあの宮殿にまで足を運んでね。もう緊張とびっくりの連続で」
「宮殿?」
「候補者のひとりが第四王子のアーネスト殿下でね。他にはアラン=カーティス様にもお会いしたの。……あと、ロバート=フランクリン様」
あの慇懃無礼騎士の名前を言うだけでも不愉快で、包帯を腕に巻きながら渋い顔になる。様をつけて呼ぶことも嫌だ。
溜息を吐きそうになった瞬間、いきなりハルが椅子から立ち上がった。巻く最中だった包帯がはらりと落ちてしまう。驚きのあまり言葉が出ないまま見上げると、わなわなと震えるハルの姿。
もう、一体全体どうしたと言うのか。
ぽかんと見上げていると、ゆっくりとこちらに視線が向けられる。いつもは静かな瞳が狼狽の色を浮かべていると気づいた途端、力強く両肩を掴まれた。
「ロバート=フランクリンって女遊びが激しいで有名じゃないですか!金があれば何でも解決できると信じていて!アーネスト殿下なんて常に世の中を斜に構えた感じで王族の権力を行使する恐ろしい方ですし!しかも、あのカーティス公爵のご子息なんて……!」
「ちょ、ちょっと。本当にどうしたの?」
あまりの剣幕に腰が引ける。というか今すぐ逃げたい。鬼気迫る庭師の姿など今まで見たことがなかったために余計におっかない。
大いに顔を引きつらせれば彼ははっとして我に返り、慌ててノエルの両肩から手を話した。
「す、すみません!」
「……うん。大丈夫」
きっと長く森に入っていたから疲れているのだ。そうに違いない。
自分の中で決めつけて苦笑いを浮かべた。アランのことに関する続きを聞いてみたい気もするが、これ以上話を続けるのは憚られる。単純に考えて恐ろしい。
「……俺、疲れているみたいですね」
「そうね!早く休んだほうがいいよ!」
「はあ……。婿選びって……」
溜息まじりの嘆きに、おやっとノエルはピンときた。
そうか。ハルはソフィアお姉さまのことが好きなのか。
そう考えれば普段から落ち着いている庭師が取り乱す理由も納得できる。ソフィアは使用人に対しても優しいから好意を抱いてしまう者が多い。ハルもその中のひとりなのだろう。納得のいく答えにひとり満足して何度も頷いた。やっぱりお姉様ってすごい。最高。
「続きをお願いします、ノエル様」
「そうね。早く終わらせよう」
「………」
ご機嫌に鼻歌を交えて治療を進めるお嬢様を、ハルは椅子に座り直しながら問いたげな瞳で見つめ続けた。
「失礼します」
ノエルの自室の扉が控えめに開かれ、白髪まじりの男性が一礼して自室に入った。
「ノエル様にお手紙をお持ちしました」
「あれ、トムが持ってくるなんて珍しい」
「ええ。愚息がお世話になっているのではと思いまして」
厳しい目で睨むとハルは慌てて椅子から立ち上がった。
トムはレヴィ家の令嬢に手当をさせることを好ましく思っていない。生真面目で忠実で厳格、などといった言葉が似合う忠誠心の高いレヴィ家執事である。
「まったく。使用人としてわきまえろと何度も言っているだろう」
「すみません。トムさん」
「私が無理矢理させてもらったの。ほら、ハルって怪我してもそのまま放置しちゃうから」
「ですが……」
「それよりトム!手紙って誰から?」
ハルに怒られてほしくなくて必死に話を逸らし、トムから手紙を引っ掴んで性急に封を切る。
「カーティス公爵からの舞踏会の招待状です。先程ソフィア様も受け取られました」
「カーティス公爵って……アラン様の。お姉様へのアプローチへの場でも設けたのかな?」
いや、違うか。ノエルは頭を横に振った。あの気の小ささを見かねたカーティス公爵が設けたのだろう。安易に想像できてしまうことが何とも言えず、もの悲しい。
「お姉様は参加するの?」
「そのようです。意外にも積極的でした」
そういえばハルが帰還する前に、候補者の中ならアランが良いかもしれないとソフィアに話していたことを思い出す。会ってみたくなったのだろうか。
「ノエル様はどうなさるのですか?」
浮かない顔をしたハルが手紙を覗き込む。きっとソフィアが積極的になってしまっていることに心を痛めているのだろう。
ノエルは安心させるように笑い、力強く拳を突き上げた。
「もちろん!大丈夫。お姉様に変な虫が寄り付かないようにしっかり目を光らせるから!」
己の使命に興奮しているノエルに、ハルは何故か肩を落とした。
「そうですか……」
「ほら。ハルは庭を見てきなさい。おまえが不在のあいだは誰も手をつけていないんだ」
「……はい。ではノエル様、失礼します」
「体を休めたほうがいいんじゃないの?まだ手当も残ってるし」
「いえ、あとは自分で。それに動いているほうが余計なこと考えずにすみますから。……くれぐれも気をつけてくださいね」
何を、とは言わず、どこか落胆している背中を見せながらハルはトムに続いて部屋を出た。
「……変なの」
「ハル。わかっているのか」
「わかってますよ。身分不相応のことはしません」
「ならいいんだ」
トムは老いで垂れ下がる目尻に厳しさを滲ませ頷くが、内心は不安だった。
この純朴な青年には庭仕事を始め、礼儀作法や使用人のいろはを叩き込んできたが、レヴィ姉妹に対しての親しさは注意してもおいそれとは直らなかった。主人は気にしていないようだがどうにかしないと。
「……ああ。それと」
「なんでしょうか。トムさん」
「いい加減、私をお義父さんと呼ぶように。おまえを養子に迎えて何年経つと思う。七年だぞ」
険しい口調ながらも、表情はどこか穏やかだ。
一瞬、呆けてしまったが、トムの様子を前にハルは照れくさそうに笑った。