3 親友とお茶会と愚痴と
「で、その後どうなったわけ」
「渾身の一撃を与えてやった。本当に失礼な男だったんだから!」
今思い出しても腹が煮えくりかえって沸騰しそうだ。我に返った後がとても気まずかったが。
渾身の右ストレートを真っ向から受けて倒れたロバートは怒り心頭のノエルを放心気味で見上げていたし、アーネストは腹を抱えて大笑い。アランはというと、開いた口がふさがらないという言葉を見事に体現していた。
その中心に立つノエル。我に返って状況を理解したとき、とんでもないことをしてしまったと一気に顔を青ざめた。
しかし、あれは自業自得。怒りで顔を真っ赤にするノエルにドロシーは暴れ馬を宥めるようにどうどうと肩を叩いた。
「はいはい、わかったから。リサが紅茶入れてくれたわよー落ち着くわよー」
ドロシーが隣に座るリサに目くばせすると顔色ひとつ変えずに淹れたての紅茶を差し出した。ノエルが渋々紅茶に口をつけるのを確認してからドロシーも一口飲む。
ノエルはドロシーの実家兼職場であるキーツ商会の休憩室で紅茶を飲みながら嘆息した。城下町で働く親友ふたりに相談したくて集まってもらったが、半分以上はノエルの愚痴になってしまっている。
「やっぱりリサの入れる紅茶は格別だわねえ。今日は食堂のほうはいいの?」
「……今日はお休み。店主がいい加減休みが欲しいでしょ、って」
「そりゃそうね。最近働きづめみたいだし。さあ落ち着いた?ノエル」
「……うん。ありがとう、リサ」
リサは声を出すことなく首を縦に小さく振って腰まである三編みおさげの黒髪を揺らしただけだった。それでもノエルは安堵するように微笑み、もう一度感謝を述べた。無愛想だと思われがちな彼女だが長い付き合いになるとそれなりに気持ちがわかってくるから不思議だ。
「さて、話を戻すけど。結局ソフィア様の婿選びは絞れたの?」
「ぜーんぜん。とりあえず、さっき言った通りロバート様はだめ。却下」
「わあ厳しい。節操無くて遊び人で引きつれる女性をころころ変えるって噂はいっぱいあるけどねえ。でもかっこいいじゃない。腕っ節は国内一だし。なんかこう、ワイルド系みたいな?」
「純真無垢なお姉様と釣り合うわけないじゃない!」
顔形がよくても性根が悪すぎる。あんな節操なし男と結婚して女遊びの激しい夫に涙を流すソフィアを想像してさらに憤慨しそうだ。
相変わらず姉一筋の親友に若干気圧されつつ、ドロシーは質問を続ける。
「じゃあ後のふたりは?」
思い浮かぶのはふんぞり返る金髪碧眼の王子様と蜂蜜色の髪と目を持つ温厚な青年。
「アーネスト王子は子どもね。十八歳でお姉様と同い年だよ。お姉様を受けとめる大きな器の男じゃないとだめ」
「じゃあ、アラン様?公爵家の息子だし年齢も二十二歳でしょう。父親に似て賢くて将来有望株だってこの前うちの店に来た貴婦人が話してたけど」
「うーん、あの人は穏やかで良い人だと思うけど……どうも頼りないというか……」
「……草食系?」
今まで黙っていたリサがぽつりと漏らすと、そうそれ!と同意した。
穏やかに笑う姿が印象的で、最初はこの人が姉にふさわしいと一度は考えた。ロバートを殴り青ざめているノエルを見かねて場を収め、宮殿を出るまでエスコートを申し出てくれたこともポイントが高かった。
しかし、その道中の会話で一気に株が下がってしまったのだ。
「ソフィア嬢は素晴らしい女性だよ。ローウェル国の女神と評される方だしね」
「お姉様のことお好きなんですか?」
「そうだね。慕っているよ。……でも声をかけたことはないんだ。自信がなくて夜会で見かけてもこっそり眺めるだけになってしまう。今回は絶好の機会だから立候補したんだけど、でもね……」
「そ、そこまで落胆しなくても……。アラン様とは初めてお会いしましたけど、素敵な方だと思いますよ?」
「ははは、ありがとう。でも自信がないんだ。行動をおこそうと思っても足が竦んでしまう。昔から気が小さくてね」
「はあ。そうなんですか」
「本当に僕はだめな男だよ。いざというときに何もできない。このまま近づくことができないまま彼女は結婚してしまうんだろうな。情けないよ」
「………」
ソフィアは自分にはもったいない、自分に自信がない、といった後ろ向きな発言を苦笑いを交えながら延々と聞かされれば気も滅入る。好感触だったというのに急速に評価が下落していった。
どうしてここまで自分を卑下できるのかというくらい後ろ向きな性格だった。無理やり自らをアプローチしないのは良いが消極的すぎるのもどうかと思う。よく見れば身体もひょろっとしていてどこか頼りない。筋肉質な体躯である近衛騎士ロバートを不覚にも身近で感じた後だったからかもしれないが。
「……そういえば有望株だけど臆病でもったいないって貴婦人が言ってたっけ」
ドロシーは常連客であるおしゃべり好きの貴婦人の深いため息を思い出し、目を覆った。
ドロシーの家はキーツ商会といって、ローウェル国を拠点にかなり大きな店を構えている。主な商売は洋裁で、男子服・婦人服の両方を専門に仕立てている。他にも貿易業を中心に様々な分野に着手し、豪商として広く知れ渡っている。
ドロシーの専門は貴婦人服なので噂好きの貴婦人に接客することが多いらしく、貴族社会の情報はある程度把握できているらしい。
「というわけで絞れません」
「ノエルの理想が高すぎなんだってば」
「だってあのローウェル国の女神であるソフィアお姉様の旦那様なんだよ!?妥協なんてしていられないんだから!」
「でも外見なら釣り合っているじゃない。その三人って眉目秀麗でしょう。……ああ、一同に介するところを見られるなんて羨ましいったら!」
手を組んでキラキラと琥珀の瞳を輝かし、うっとりと遠くを見つめるドロシーにノエルはため息を吐いた。
「緊張でそれどころじゃ……。第一、あなた婚約者いるでしょう。恋する乙女みたいな目やめてあげなさいよ」
「いいのいいの。私がミーハーだってあいつもわかってるから」
かわいそうな婚約者だな、と一度しか会ったことのない気弱な婚約者に心の中で同情したとき、休憩室の扉が開き、ふくよかな女性が顔を出した。きっとキーツ商会の従業員なのだろう。針と布を携えている。
「あ、いたいたドロシー。ちょっとここの縫い方を教えてほしいんだけど」
「うん、わかったー。ちょっと行ってくるわね」
いってらっしゃいと送るとにっこりと笑ってドロシーは立ち上がり、従業員と共に消えていった。
「忙しそうだね、ドロシー」
リサが肯定するように静かに頷くが、彼女も忙しい立場に変わりない。
このふたりは城下町でも一番の働き手ではないだろうか。リサは町の食堂で働いており、料理の腕は天下一品。客が後を絶たず、時々お忍びでお歴々の有力者も食べにきているという噂まである。
ドロシーも裁縫の腕を買われて工房で毎日針やミシンを扱っている。着飾ることに余念のない目の肥えた貴族の間でも彼女の作るものは評判が高い。
ふたりとも自立していて羨ましい、なんて思ってしまう。貴族令嬢である自分はひとりでできることが少ない。料理と裁縫をふたりに教わっていても素人の域を出ない。あとは使用人に助けてもらわないと生きていけないなんて、なんと情けないことだろう。
「……ノエルはがんばり屋だと思う」
自分の不甲斐なさに落胆していると、リサが小さく言葉を零した。辛うじて聞き取れたノエルは目を丸くして隣の彼女を見つめるが、相変わらず表情を崩さないまま淡々と紅茶を口に運んでいるだけだった。
リサは無口だけど人の機微に聡い。何度も救われたことがある。
ノエルは相好を崩してなんとも言えない笑みを浮かべた。
「ありがとう」
リサは少しだけ口角をあげてみせた。