ロケット日和(9)
転校生は珍しがられる。それは高校生になっても変わらなかった。むしろ高校生であるが故に、余計にそう感じられるのかもしれない。
入学当初はぎこちなかったクラスも、7月になればずいぶん打ち解けてくる。そんな時期に突然初対面の生徒が現れるのだから、周囲の関心がそこへ向くのも頷けた。
クラスメイトが転校生の座席に群がり、質問攻めにする。それをプレッシャーに感じながらも、転校生はそれに答える。新しい場所に馴染もうと自分の主張を抑えたり、逆に積極的にまわりに訴えかけたりして、少しずつクラスに馴染んでいく。
千夏の描く転校生像はそういうものだった。
しかし、栗原しずくの場合、そういう普通の基準は全く当てはまらなかった。
一言で言えば、しずくは度を外れてマイペースな転校生だった。
授業中に教師から指名されても一言も言葉を発しない。クラスメイトが話しかけてもほとんど無視。休み時間になるとノートパソコンを机の上に広げ、黙々といじり始める。
ちらりと画面を盗み見たが、複雑なコードがずらりと並んでいて、何をやっているかさっぱりわからなかった。
誰かが「何をしているの?」と尋ねたが、しずくは「別に」と答えるだけだった。それが朝の挨拶以来、しずくが初めて発した言葉なのだから、その無口ぶりがうかがえる。
じっと観察していると、栗原しずくは、クラスメイトとコミュニケーションをとる気はさらさら無いようだ。休み時間に部活に勧誘する生徒がいたが、そのやり取りは以下のとおりになる。
「栗原さんって、部活に興味ある?」
「ない」
「そ、即答? で、でも、せっかく転校してきたんだし、何かやったほうが楽しいかなと思って。それでね――」
「あまりそう思わない」
「いや、一度見学に来てみるだけでもどうかな……? バドミントン部なんだけど、そんなに辛い部活じゃないんだよ」
「嫌」
「そう言わず一度だけでも……」
「……」
「えっと、あの、じゃあ他にやることがあるとか?」
「ある」
「ああ、そ、そっか、それじゃ無理に誘っちゃ悪いね……、またね」
その生徒はそういい残して、しずくの元を去っていった。
会話とは呼べないやり取りの間、しずくはずっとパソコンのキーボードをタイピングしていた。
この生徒はかなり頑張ったほうだと思う。千夏だったら序盤で鼻に地獄突きをお見舞いしてやったことだろう。
そういう訳で、たった数時間でしずくは周囲のクラスメイトと壁を作り、午前中の授業が終わる頃には「無愛想な変わり者」という評価がクラスの共通認識になっていた。
◇◇◇
「お前、さっきから栗原のことを気にしてどうしたんだ」
昼休みの教室で、千夏は奈留に肩を叩かれた。気がつくと視線がしずくの方へ向いていたらしい。
「それは気になるだろ! だってあいつプールサイドの幽……」
そこまで言いかけて、千夏は慌てて両手を口で覆った。途中で切れた千夏の言葉を聞いて、奈留は眉間に皺を寄せている。
「ゆう……?」
「あ、いや、なんでもないよ。ははは……。ユークリッド幾何学と現代数学の関係について、ちょっとね……」
千夏は笑って誤魔化した。
今の時期に奈留の前で幽霊の話は厳禁だ。もちろんプールサイドに現れる幽霊の噂は奈留の耳には入れていない。
「わけわかんない奴だな。そんなことより、昼食べに行こうぜ」
奈留はそう言って立ち上がった。
昼休みになると教室は騒がしくなる。それぞれのグループに分かれて食事をして、つかの間の自由時間を過ごす。
しずくに対しては、何人かのクラスメイトがお昼に誘ったが、しずくはあっさりと断った。そして今も黙々とパソコンをいじっている。
ただの変わり者なのだろうか、それにしても素性がわからないのは気になる。
千夏がじっと考え込んでいると、奈留にこめかみを突かれた。
「やっぱり栗原のことを気にしてないか?」
奈留が疑わしそうな目で千夏を見てくる。
「えっ、いや、気のせいだよ、別に気にしてないって」
「何か様子が変なんだよな。何か隠してるのか?」
「いやいや、隠してませんって!」
「本当か?」
「本当本当、ほら行くぞ」
会話を強引に切り上げて、千夏は鞄を手に取った。奈留もだるそうな動作で立ち上がる。そこで奈留は納得したような口調で言った。
「そっか、例の件で転校生を疑ってるのか。相変わらず考えが安直だな、お前も」
「何だよ、例の件って」
「それは決まってるだろ、お前、更衣室荒らしの――」
奈留がそこまで言いかけた時、その言葉を遮るようにして、廊下のあたりから大きな物音が聞こえてきた。
「何だ今の音」
千夏が驚いて廊下の方へ視線をやると、扉の向こうで桜子先生が額をさすっているのが見えた。
「あれ、春日? わざわざ昼休みに何の用だ」
「さあ、何か慌ててるみたいだけど……」
桜子先生は扉に頭をぶつけたらしい。額を押さえたまま、うろたえていたが、すぐに扉の影に引っ込んでいってしまった。
「躓いて扉に頭をぶつけたのか?」
「うん、きっとそうだろうな。桜ちゃんは痛いドジっ子だから。それにしても何をやってんだろ」
千夏は気になって、扉のあたりを見てみた。
桜子先生は、こそこそと教室をのぞき込んでいるようだ。その様子は、じっと誰かを監視しているように見える。
どうせ大した目的は無いのだろうと思っていた千夏だったが、その視線が向く先を見て動きを止めた。
「奈留、昼飯だけど、先行ってていいや」
「え? 急にどうしたんだよ」
「ちょっと話聞いてくる」
千夏は鞄を置いて、廊下に出て行った。桜子先生の視線の先にあったのは、栗原しずくの姿だった。
◇◇◇
桜子先生は明らかに挙動不審だった。
千夏が背後に立っても気づかずに、じっと扉の隙間から教室を見ている。千夏は軽く咳払いしてから、桜子先生の背中を突いた。
「何を探ってるんですか」
千夏が背後から声をかけると、桜子先生は肩を震わせ数センチほど飛び上がった。
慌てて振り返った桜子先生は、そこにいるのが千夏だと気づくと、大きく息を吐き出した。
「な、な、なんだ二宮さんですか……、びっくりさせないでください」
「そんな驚かせたつもりはないんですけど……」
桜子先生は胸を押さえながら必死で息を整えていた。その過剰な反応がまた怪しい。
千夏は扉を開けて、しずくを指さした。
「あの転校生に何か用ですか?」
「て、転校生!? そ、そんなことはありません。ありません。ええ、ありません」
千夏が言うと、桜子先生はそう言いながら、慌てて扉を閉めた。
目が泳いで、額にはうっすら汗をかいている。その様子を見て、千夏は首を捻った。
桜子先生がどうしてここまで動揺しているのだろう。千夏は教室の中のしずくの様子再び眺め、ふと思いついたことを尋ねた。
「そういえばあいつ、宿直室に住んでますよね」
「ドキーン!」
「ど、どきん? 効果音が口から出てますけど? あの、やっぱりあいつ、何か怪しい奴なんですか? どうして宿直室に」
しずくを指さすと、桜子先生は視線を泳がせて、わざとらしく首を傾けた。
「えっと、そうなんですかー? しゅ、宿直室にね-、そ、そんなのは初耳ですねー?」
「本当ですよ。第三宿直室に住み着いてるんですから。あいつが勝手に住み着いてること、先生はみんな知ってるんですか?」
「あ、いえ、知りません。はい、知りません」
「知らないなら、注意しないとダメですよ。勝手に宿直室を使ってるんだし」
「ち、違います。間違えました。知ってます知ってます」
「えっ、知ってるの? じゃあ何であんな所に生徒が住んでるんですか」
「うっ……」
千夏が問い詰めると、桜子先生は黙り込んでしまった。その沈黙が怪しさを際立たせている。千夏は桜子先生に向かって尋ねた。
「桜ちゃん、何か隠してますよね」
「か、かか、隠して、ません、よ?」
「何者なんですか、あいつは」
「ま、まあ、それは、知らなくても……」
「そう言われると気になるし! 先生何か知ってるんですよね?」
「そ、それは……」
桜子先生は口ごもってしまった。
そしてしばらく黙り込んだ後、顔をあげて言い切った。
「それは二宮さんの知ることじゃありませ~ん!」
「ええ~? 逆ギレ?」
「とにかく、彼女は転校したてで、わからないこともたくさんあるから、いつもみたいに、変な行動、まわりの迷惑になる行動は控えること」
桜子先生は千夏を指さしながら言った。いつの間にか教師口調になっている。
「ちょ、ちょっと、話すり替えないでくださいよ!」
「す、すり替えてませんとも! すり替えてませんとも! この前のような問題は起こさず、大人しく、真面目に授業を受けること! う、受けること~っ!」
桜子先生はそう告げて立ち去ってしまった。残された千夏は、ただ首を捻るだけだった。
◇◇◇
ここは一つ本人に直接聞いてみよう。千夏はそう結論づけた。
転校生のしずくは、千夏の隣の席に座っている。軽く話を聞くにはうってつけだった。相変わらずパソコンをいじるしずくに向かって、千夏は話しかけた。
「おい、ちょっと手を止めてあたしの話を――」
「やだ」
「やけに早いな答えが! いいだろ、ちょっと話するくらい」
「一人で話してていい。私は気にしないから」
「やだよ! あたしが寂しすぎるだろ、それ」
千夏が話しかけても、しずくは手を止めようとしなかった。
宿直室で初めて会った時から、人の話を聞こうとしない奴だった。千夏はしずくの反応を気にせず、いくつか質問を投げかけることにした。
「なあ、転校する前は、どんな学校にいたの」
「普通の学校」
「普通じゃわからないよ、どういうところ?」
「学生に対する教育が行われる所で、小学校から高等学校の……」
「学校の定義は聞いてないから!」
千夏が言うと、しずくは首をかしげた。
「そもそも、宿直室に住み着いているけど、なんであんな所に住んでるんだよ」
「言いたくない」
「く、またそれか……。じゃあ理由は置いておいて、いつから住んでるんだよ」
「別に」
「答えになってな~い! だいたいわかるだろ、昨日か、一昨日か、一週間以上前か!」
「それはさておき、この椅子高い」
「さておくな! 高さが合わないなら調整すればいいだろ」
千夏は立ち上がり、しずくの椅子のレバーを手に取った。
生徒が使っているのは事務用の椅子で、デフォルトの高さでは、しずくの体型には高すぎるようだ。しずくは足をばたつかせていた。
千夏がレバーを倒し、椅子を沈み込ませると高さが変わる。
「もっと下」
「こうか、どんだけ低いんだよ」
「いきすぎ」
「はいはい、こうか?」
「今度は高すぎ、あと1.7ミリ下げて」
「細かいな! まったく……。これでいいか?」
「仕方ない、我慢する」
「納得してないの? まったく細かい奴め。これでどうだ?」
千夏は慎重に椅子の高さを調整した。
しずくは相変わらずパソコンをいじっている。そして高さを変える度に「高い」「低い」と小声で呟く。千夏がその細かい微調整を終え、ようやく「ちょうどいい」になったところで、千夏は叫んだ。
「ていうか、質問に答えろ!」
千夏は椅子を回転させ、しずくを正面に向けた。
「ああその話」
「椅子の高さも整ったし、さあ質問に答えろ。いつから宿直室に住み着いてるんだ」
千夏が言うと、しずくは少し顔を上げて言った。
「答えたくない」
その発言の後、午後の授業開始のチャイムが鳴った。
◇◇◇
午後の授業は数学から始まった。教壇には担当の教師が立ち、何か数式の説明をしていたが、千夏の頭には全く入ってこなかった。
シャープペンをノートの上に投げ出し、隣に座るしずくを横目で見た。しずくはすました顔で授業を受けていた。
しずくは答える気のない質問には絶対に答えようとしなかった。
その態度は徹底していて、無理に聞こうとすればするほど、のらりくらりと躱されてしまう。何か聞き出すには、それなりの作戦が必要なようだ。
千夏はしばらく頭を抱えていたが、ふとある事を思いついてボールペンを取った。
「話す気が無いなら、話さざるを得ない状況に追い込めばいい」
千夏は小声で呟きながら、配られた数学のプリントを裏返した。
久しぶりに机から定規を取り出し、プリントにマス目を書き込んだ。ボールペンで書いた9×9のマス目にシャープペンで将棋の駒を書き足す。
千夏はこれをプリント将棋と呼んでいる。消しゴムで消しながら、駒を動かして勝負する。少し面倒だが、いちいち将棋盤を使わなくていいので、授業中隠れて勝負するにはうってつけだった。
――将棋勝負。負けたらあたしの質問にちゃんと答えること。
将棋盤の書かれたプリントに、汚い字で書かれたメモ添えてしずくの机の上に投げてみた。
こういうタイプは以外に負けず嫌いな奴が多い。
勝負に持ち込んで負かしてしまえば、すんなり口を開くのではないかと千夏は考えた。
メモを手に取ったしずくは、しばらく考えた後、プリントに何か書き込んで千夏に返した。盤面を確認すると、しずくの駒が移動している。一手目は7六歩だ。
「ふふふ、勝負にのるってことか。上等だ、たたきのめしてやる」
千夏はシャープペンをくるりと回した。
それから数学の授業の最中、無言のプリントのやり取りが交わされた。
シャープペンで書かれた駒を消して、書き込んでを繰り返し、盤上では激しい戦いが繰り広げられた。
こうして二人のやり取りが続いて二十分ほど経った頃、千夏はシャープペンを握ったまま机の上に潰れていた。
「何これ……、なぶり殺しか」
盤面を見ると、千夏の王がしずくの駒で包囲されていた。
完全に逃げ道無し。あまりに圧倒的な劣勢に千夏はプリントにメモを書き加えてしずくに渡した。
――待った
プリントを渡されたしずくは、すぐに何か書き足して返す。
――ダメ
――ケチ! いいだろ
――あと五分でターン放棄とみなす
――ちょ、待って、って何で五分?
――あと四分四十秒
――カウントしてる! ちょっと待ってよ
――あと三分五十秒
千夏は髪の毛をかきむしった。このままでは負けてしまう。そんな千夏に対して、しずくはそっとメモを書き足して机の上に置いた。
――負けたら鼻パスタ
メモにはそう書いてあった。
(そんなルール決めてないし! そもそも鼻パスタって何?)
千夏は叫び出したくなるのを必死でこらえた。
改めてプリントを見る。盤上に千夏の駒はほとんど無い。ここから巻き返すのは名人でも無理だろう。
「こうなったら、あの手を使うしか……」
千夏は小声で呟いた。
それから千夏は素早い動作でプリントを折りたたんで紙飛行機を作った。そして窓を開け、その紙飛行機を外へ放り投げてしまった。
紙飛行機は、千夏の敗北と一緒に風に乗って飛んでいった。千夏はしずくの方を振り返って、自分の額を叩いた。
「あーっ、ごめんごめん、手がスベッタ。これじゃ勝ち負けはわからないね。とりあえず勝負は引き分けってことで――」
千夏が笑いながら言うと、後頭部を思いっきりひっぱたかれた。
振り返ると、そこには数学教師が立っていた。
「二宮! 数学のプリント放り出して、おまえ何やってるんだ!」
「あれ……? いつの間に」
千夏は周囲を見渡した。
クラス中の生徒がぽかんとした様子で千夏を見ている。目の前で目をつり上げているのは、数学の手島先生だ。
「演習問題を窓から投げ捨てるとは良い度胸だ。休み時間かと思ったか。ええっ?」
「いや、えっと、栗原さんと将棋を……」
「栗原は関係無いだろ! とりあえず廊下に立ってろ!」
手島は教室中に響き渡る声で怒鳴り散らした。