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ロケット日和(8)

 千夏たちの暮らす、あおい寮の敷地はとても広い。

 学校から少し遠いのが残念だが、新しい建物で、設備も充実している。千夏たちが住むのは四番館と呼ばれる建物で、そこは今年度入学した一年生が入寮していた。

 四番館の玄関を抜けると、そこはロビーとなっている。

 板チョコのような格子柄のタイル。壁には暖色系の照明が並んでいる。落ち着いた雰囲気のロビーで、いつもは誰かしらここで世間話している。

 しかし、今日に限ってはロビーに誰もいなかった。

「ここにはいないか。じゃあ奈留は部屋だな」

 千夏たちの部屋は四階にある。千夏はロビーを抜けて、階段を上った。


 階段は薄暗く、何やら不気味な雰囲気に満ちていた。

 どうもいつもと空気が違う。そんなことを考えながら階段を上っていた千夏は、三階まで来たところで、その理由に気がついた。

「ねえ水菜。何か変なにおいしない?」

 千夏が尋ねると、水菜は黙って頷いた。

 つんと鼻腔をくすぐる香り。こんな香りを嗅いだことがある。

「ねえ、まさかとは思うんだけど……」

「はい……、たぶん千夏さんの考えているとおりだと思います」

 千夏は急ぎ足で階段を上る。そして四階までやって来た千夏は、廊下に出た。

 そして、そこで目にした光景に絶句してしまった。


 廊下には、びっしりとお札が貼られていた。

 床の所々に塩が盛られており、廊下全体が薄く煙っている。

 階段下まで漏れていたにおいは、やはりお香のにおいだった。おそらく奈留が、どこかでお香を焚いているのだ。

 ゆっくりと廊下を進むと、壁の一角だけ、びっしりと札が貼られている場所を見つけた。位置的に考えて、そこは奈留の住む403号室の扉があるはずだった。しかし、その部分は元の扉の色が確認出来ないほど、札や紙で覆われていた。ご丁寧に、ドアの下には塩がぎっしりと盛られている。

「あの……、目覚めた奈留さんが、いろいろ準備を始めて……、その……」

「何考えてんだ、あのバカめ!」

 千夏は床を踏みならすようにして歩き、お札にまみれた部屋の扉をノックした。

「おい奈留! いるか?」

 返事はない。千夏はそっと扉を開く。扉の隙間から煙が流れてきた。玄関に入ると、部屋の中は煙で白く濁っていた。

「げほっ、こんなにお香炊いたのか。あいつめ……」

 部屋の中に入った千夏は眉間に皺を寄せた。

 部屋の中もお札で埋まっている。煙で数メートル先も見えないほどだ。

 ベッドの上には、大きな紙袋を抱えて鎮座する奈留の姿があった。

「奈留、何だよこの有様は」

「除霊だっ」

「だっ、じゃない。やり過ぎだろ! 寮長に叱られるぞ」

「大丈夫、黙らせる自信はある」

 奈留は拳を握る。

「そんな自信いらないから! しかもその紙袋は何なんだ?」

 千夏は奈留が抱える不自然な紙袋を指さした。奈留が抱えている袋には、業務用食塩と書かれている。

「塩だ。次に火の玉が出たら、こいつでお祓いしてやる」

「それ普通の食塩だろ、そんなので除霊出来るか」

「大丈夫、30kgある。この重さならそれなりの威力が出るだろう」

「殴るの? 撒くんじゃなくて?」

 奈留は小さく二度頷いた。千夏は呆れて頭を抱えた。

「だいたい、その塩も、お札もどうやってそんな大量に手に入れたんんだよ」

 千夏が言うと、奈留は黙って部屋の隅を指さした。

 そこには一台のノートパソコンが置いてある。それをどこかで見た覚えがある型番。注意深く見てみると、それは千夏の私物だった。

「ああっ、奈留~、人のパソコンを勝手に――」

 千夏はそう言いかけて、固まってしまった。

 じっくりと画面を確認すると、パソコンのディスプレイには某ショッピングサイトのウィンドウが開かれていた。そこには「購入手続きを完了しました」のメッセージがあった。

「まさか!」

 千夏は慌ててマウスを手に取る。画面を操作すると、アカウント名に千夏の名前が表示されていた。

「あたしのアカウントで塩買ってる~っ! っていうか何で買えるの。どうやってパスワードを……」

「お前のパスワードくらい予測がつく」

「おすすめ商品が塩と除霊グッズで埋まってるよ! ええ~っ、何これ?」

 千夏が一つ画面をめくると、ショッピングサイトは、ここぞとばかりに塩やお札を薦めてくる。

「金は後で払う」

「そういう問題じゃな~い! 一月に使える額が決まってるし、何を買ったか、田舎の叔母さんに見られるんだぞ! 何て説明すればいいの、塩30kg買ったなんて」

「食べるためって答えればいいだろ」

「そんなに食わねえよ! 塩分摂りすぎで死ぬよ、叔母さん心配するよ!」

「仕方ないだろ、これがないと学校行けないし」

「学校に持ってくつもりなの?」

「もちろん。授業中もずっと抱えてる」

「そんなもん持ってたら目立つだろ。ただでさえ怖がられてるのに、余計クラスメイト怯えさせてどうすんだよ」

「文句を言う奴がいたら塩をぶつける」

「教師にだって何か言われるぞ」

「塩をぶつける」

「警察呼ばれるぞ」

「塩をぶつける」

「あたしだって止めるぞ」

「全身の骨を砕く」

「あたしの時だけ痛めつけ方が重いし!」

「うるさいな。黙って座ってろ」

 奈留はぷいと横を向いて押し黙ってしまった。奈留は殺気立った様子で、塩袋を抱いている。さすがにこの状態になった奈留を放置しておく訳にはいかなかった。

「まったく、面倒くさいなあ……」

 千夏は頭を掻いた。


 結局その晩、千夏は奈留の部屋に泊まり込むことにした。

 放っておくのも心配だし、荒ぶる奈留を放っておけない。千夏は奈留の隣に座り、時間をかけて奈留を説得した。

 幽霊は気のせいだということ。学校で塩を撒くのは良くないということ。人のパソコンを勝手に使って塩やお札を買ってはいけないこと。

 これらを奈留に納得させるには、二晩かかった。

 月の綺麗な七月の夜。あおい寮の四番館の一室だけ、煌々と明かりがついていた。

 千夏の休日は最初から最後まで奈留に翻弄されたまま終わった。



      ◇◇◇



 月曜日は、初秋を思わせるような涼しい朝だった。

 街を吹く風は夏とは思えない冷たさで、天気予報はしばらくの間5月中旬の陽気が続くと告げていた。

 千夏はその日、いつもより少し早めに登校した。

 朝の教室にはすでに何人かの生徒が座っている。談話しているグループもあれば、勉強をしている子もいる。

 千夏は窓辺の席に座り、大きなあくびをした。

 窓の外は明るく、寝不足の千夏の目には痛かった。この寝不足状態は全てが奈留のせいだと言える。しばらくすると教室の扉が開いて、その全ての元凶が顔を出した。

 奈留は青色の学生鞄を肩から提げ、スカートのポケットに両手を突っ込んでいる。

「奈留、大丈夫?」

「ああ、ばっちりだ」

 奈留は制服の袖を裏返して見せた。裏地には、除霊の札がびっしり貼り付けられている。

 奈留は誇らしげに笑みを浮かべて袖を戻す。お札が常に体の近くにあれば、とりあえず安心出来るようだった。

 このアイディアは、千夏が提案したものだ。このおかげで、とりあえず寮の廊下に貼られていたお札は全て回収することが出来た。

 服の裏地ならまわりに怪しまれることもない。これは思いの外効果があった。

「今度火の玉が出たら、こいつで叩きのめしてやるぞ」

 奈留はそう言って、今度はポケットから小さな袋を取り出した。石ころ程度の大きさの袋には塩がぎっしり入っている。

 二晩の説得の甲斐があり、30kgの塩袋はこの大きさまで妥協させることが出来た。

 説得していなかったら、本気であの巨大な袋を抱えたまま、教室に塩をまき散らすつもりだったと言うのだから恐ろしい。

 その他、文房具や鞄のいたるところに除霊グッズが隠されているが、挙げだすとキリがない。もちろん、その仕込みは全て千夏がやった。すべて目につかない所に隠したため、外見はこれまでの奈留と変わらない。

「とりあえずこれで安心か……」

 千夏がほっとため息をついた。


 いつの間にか教室は生徒でいっぱいになっていた。しばらくするとチャイムが鳴り、それと同時に桜子先生が教室に入ってくる。

「は~い、みんな、席について~」

 担任教師による授業開始前のショートホームルームから一日は始まる。千夏はいそいで席に戻った。

 いつもどおり、桜子先生はクラスの生徒の出席をとり始めた。千夏はやる気のない返事をして、ぼんやりと窓の外を眺めていた。

 千夏の席からだと、校門のあたりがよく見える。

 寝坊でもしたのか、何人かの生徒が走っていた。千夏は眠気でぼやけた頭で、その様子をじっと眺めていた。

 土日を奈留に振り回され、結局火の玉騒動が何だったのかはわからないままだった。

 奈留の様子が収まったのは良かったが、どうも消化不良なのは否めない。じっと考え込むと、脳裏によぎるのはやはり、あの少女の姿だった。

「結局奴の素性もわからずか……」

 少し開けた窓から外の空気が入り込み、千夏の前髪を揺らした。また特に代わり映えのしない一週間が始まるのだろう。

 千夏がぼうっとしていると、急に教室が騒がしくなった。

「は~い、落ち着きなさい! これから紹介しますから、ひとまず静かにしなさい」

 教卓の前で桜子先生が両手を叩いている。しかし、クラスメイトはまだざわついていた。千夏は前に座るお下げ髪の生徒の背中を突いた。

「ねえねえ、何が起きてるの? やたら騒がしいけど」

「転校生だって、転校生!」

「転校生~?」

「ほらほら、来るよ」

 お下げ髪の生徒は、嬉々とした表情を浮かべて扉を指さした。扉がゆっくり開いて、一人の生徒が中に入ってくる。

 千夏は眠たい目をこすった。

 教室の中に入ってきた転校生は、背中に四角い鞄を背負っていた。身長は低く、前に座る生徒たちの頭に隠れて、詳しい様子は見えない。

 千夏は少し腰を上げて転校生の様子をうかがった。そしてその顔を見るなり、千夏の眠気は吹っ飛んでしまった。

「それでは、自己紹介お願いね」

 桜子先生が言うと、その少女は軽く頭を下げて、ぼそりとした口調で言った。

「栗原しずく。よろしく」

 それだけ言い捨てると、転校生は機械的に頭を下げた。

 右側だけ跳ねた髪の毛。じとりとした目つき。ぼそぼそとした、独特のしゃべり方。

 千夏はその姿を眺めたまま、固まっていた。

 そこに立っていたのは、例の幽霊少女だった。


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