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ロケット日和(19)

「クラッカーは校内に潜んでいる」

 しずくは静かな口調で言った。両手にしっかりとパソコンを抱え、淡々と廊下を歩いている。千夏たちは、しずくの後に続くようにして廊下を進んだ。

「校内に潜んでるって、じゃあ学校の関係者?」

「たぶん」

 しずくはそう言って先を急いだ。

 校内の機器は相変わらず誤作動を続けている。廊下の電気は不自然な点滅を繰り返しているし、空調設備も狂ったままだ。

 しずくが寒そうだったので、千夏は自分のジャージを着せてあげた。小さいしずくの体型には大きすぎるようで、袖のあたりがたっぷり余っていた。どこから持ち出したのか、奈留と水菜も温かそうなセーターを着ている。半袖なのは千夏一人だけだ。千夏は震える肩を押さえながら、しずくに尋ねた。

「ねえしずく、そのクラッカーがこの騒動を起こしたの……?」

「そう、本当は七月十五日に起きるはずだった」

「七月十五日って……?」

「お姉ちゃんに送られた予告メールに書かれていた」

 千夏はサーバー室で見た、あのメモを思い返した。

「やっぱりお姉さん宛に犯行予告が送られていたのか」

 しずく小さく頷いて、足を早めた。

 しずくの歩みに迷いはない。千夏にはしずくがどこへ行こうとしているのか、何をしようとしているのかわからない。しかし、水菜はしずくの行動におおよその見当がついているようだった。

「しずくさん。この後プログラムがどういう挙動をするか教えてくれませんか?」

 水菜はしずくの背中に向かってそっと尋ねた。しずくは後ろを振り返らずに答える。

「この後、データの改ざんが始まる」

「データの改ざん? 本当ですか?」

「本当」

「り、リミットは」

「あと五分くらい」

「五分!?」

 しずくの答えを聞くと、水菜は表情を曇らせた。しかし、しずくは落ち着いた様子で答えた。

「大丈夫、心配しなくていい」

 しずくは足を止めて、ある教室の前に立った。ゆっくり振り返るその横顔は自信に満ちていた。

「これから、このウィルスを駆除する」

 しずくはそう言って目の前の教室、コンピュータルームへ入っていった。



    ◇◇◇



 コンピュータルームは情報系の特別端末が並べられた教室だ。情報の授業で使ったり、職員の研修で使われることも多い。コンピュータルームからは、校内のネットワークにアクセスすることが出来た。しずくは教室に入ると真っ先にメイン端末のネットワークケーブルをひっこぬき、自分のノートパソコンに繋いだ。

「しずく、本当に大丈夫なのか?」

「やれることを全てやる。それで十分」

 薄暗い教室に、しずくの端末だけが光っている。青い電子光に照らされ、しずくの大きな瞳に光が灯った。

 しずくは高速でタイピングを始める。奈留と水菜はしずくの背後に立ち、息を潜めてその作業を見守っていた。

「ウィルス駆除なんてそんな簡単に出来るの?」

 千夏はしずくの背中に向かって尋ねた。しずくは手を止めずに千夏の質問に答える。

「簡単。ウィルス停止プログラムを起動するだけ」

「えっ、ちょっと待って、そんなのあるの?」

「作った」

「作ったって、そんなコロッケみたいに……」

「このウィルスプログラムの原型は、お姉ちゃんが研究の過程で作ったもの。だからこの騒動も私が収める。お姉ちゃんに迷惑かけない」

「このウィルスに原型があるんだ」

 千夏が言うと、水菜が横から補足してくれた。

「サーバ室で見た栗原あまねさんの研究結果の中にそういう検証結果が載っていました。セキュリティ技術の検証にあるテストプログラムが使われていました。おそらくそのプログラムの事だと思います。サーバ室で見たメールにも『例のウィルスプログラム』という記載がありましたよね。あれがおそらくその原型プログラムの事を指しているんです」

「誰かがしずくのお姉さんの技術を盗んで、こんなイタズラしかけたってこと?」

「そういうことになりますね。しずくざんは盗まれたウィルスプログラムを探していたんです。転校してくる前から、この学校に住み込んでまで」

 千夏はしずくの背中を見た。ずっとパソコンをいじっていたのも、何やら校内をうろついていたのもそういう目的があったからなのだ。

「後はしずくさんに任せましょう」

「そうだね、じゃあ精一杯見守ってやろう」

 千夏は腕組みしてしずくの背後に立った。しずくは黙々と指を動かしている。背後で作業を見守っていると、優秀な部下を持った上司のような気持ちになる。千夏はしずくの後ろにぴったりとくっついた。

「よし、その調子だ。どんどんやれ」

 千夏の言葉を聞いているのか聞いていないのか、しずくはじっと黙って作業していた。

「リラックスしろよ、しずく」

「……」

「一つ一つ慎重にな」

「……」

「ほらほら、もっとマウス使わなきゃ」

「……」

「クリックが浅いっ!」

「……邪魔」

 千夏が背後で騒いでいると、しずくははっきりと言い切った。

「なっ、邪魔って、あたしのコーチングを……」

 千夏が反論すると、奈留に首根っこを掴まれた。

「こら、しずくの邪魔すんな。お前が人に物を教えられる立場か!」

「お、教えられるよ。タイピングの時には、まず肩幅に足を開き、腕の力を抜いて……」

「そういうどうでもいいアドバイスはいらねえよ!」

 千夏は奈留に引っ張られ、教室の椅子に座らされた。どうも今は全てしずくに託すしかないようだった。

 それからしばらく時間が流れた。部屋にはタイピングの音が響き渡っていたが、あるタイミングでそれはピタリと止んだ。

 前を見てみると、しずくの指が止まっていた。千夏はしずくの元に駆け寄った。

「どうしたしずく、何かあったか?」

 千夏が言うと、しずくは首を振った。

 すると突然、室内に明かりが点灯した。囂々と風を送り込んでいた空調も停止する。

「終わった」

 しずくがそう呟いた瞬間、チャイムが鳴り響いた。

 千夏は慌てて時計を見てみた。時計の針はちょうど五時間目終了時間を指していた。今度は正常なチャイムだった。

「おお、直ったのか?」

 奈留は窓を全開にして廊下の様子を眺めた。滅茶苦茶に点滅していた電灯は正常に戻っていた。

「しずくさん。データは……」

「あらかじめかけておいたプロテクトが効いた。改ざんは無い」

「よかった……」

 しずくが言うと、水菜はほっと胸をなで下ろした。

「プロテクトってどういうこと?」

 千夏が尋ねると、水菜は答えた。

「機器の誤作動も厄介ですけど、それより厄介なのがシステムデータや個人情報などが操作されることです。外部のネットワークに個人情報がばらまかれたり、システムデータをクラッシュさせられたりすると、ダメージが大きいですから」

「それを防いでくれたってこと」

「はい、しずくさんはあらかじめ私たちのデータにガードをかけてくれてたみたいです。それを私たちはスキャベンジングだと誤解していたんです」

「じゃあ、しずくは勝手に個人情報を盗み見たわけではないんだ」

「そういうことです。これで解決ですね」

 水菜が言うと、しずくは大きく頷いた。


 教室の窓が開けられ、暖かな外の空気が室内に入り込んできた。

 冷え切った体に、夏の風は心地よく感じる。カーテンが揺れ、午後の日射しが床に影を作った。鳴き始めた蝉の声が遠くから聞こえた。今年初めて聞く蝉の声だ。しずくはゆっくりとノートPCを閉じる。

「教室、戻りましょうか」

 水菜が言うと、奈留は大きく両腕を伸ばした。

「あーあ、それにしても無事に済んでよかったな」

「本当ですね」

 水菜と奈留は教室の出口に向かって歩き始めた。ノートPCを抱えて、しずくがそれに続く。場は一件落着ムードで満ちている。千夏は教室の真ん中に立ったまま、ぼんやりと天井を眺めていた。

 騒動が落ち着いてほっとすると、今まで考えないようにしていた疑問が一斉に押し寄せてきた。

 千夏は帰ろうとする三人を呼び止める。

「ちょ、ちょっと待った!」

「え、何でしょうか……」

 三人は振り返った。千夏は胸一杯に息を吸ってから大声で叫んだ。


「全然わから~ん!」


 そう叫んだ千夏の声は、やまびこのように反響しながら教室中に響いた。

「結局何が起こったの? そもそも更衣室荒らしの真相は何なの? 盗まれたものが宿直室にあったのも、その宿直室が荒らされていたのもわかんないし、どうしてその直後にこんな騒動が……? っていうか、そもそも宿直室を荒らしたのは誰!? あーっもう! 全然気になってスッキリしないよ! 奈留も気になるだろ」

 千夏が言うと、奈留は両手を広げて千夏の言葉を遮った。

「もういいじゃないか。いろいろ解決したんだし……」

 奈留は眉をひそめて目をつぶっている。どうやらあるタイミングから、深く考えるのを止めたようだ。面倒になると奈留は思考を放棄す悪い癖がある。

「そうですね。ちょっと説明したほうがいいですね」

 水菜は千夏としずくの顔を交互に見た。

「それでは屋上に行きましょうか」


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