ロケット日和(17)
非常ベルはいつまで経っても鳴り止まなかった。突然の事態に校内は騒然としている。生徒全員が机の下に潜り込んでいる教室もあったし、怒号を飛ばして生徒をしかりつけている教師もいた。
廊下を走っていた千夏たちは、異変を感じて立ち止まった。
「なあ千夏、何か異常に寒くないか?」
奈留は両肩を押さえていた。全力で走った後なのに、体が全然温まっていない。吐く息はいつの間にか白くなっていた。
「ちょっと、冷房が効きすぎてるな」
「いや、効き過ぎってレベルじゃねえぞ」
空調からどんどん冷気が流れ込んできていた。結露により、窓には細かい水滴が付いている。半袖では鳥肌が立つほど廊下は冷え切っていた。
「この勢いで冷え続けたらヤバイだろ。一体どうなってるんだ、システムがダウンしたの?」
「ダウンというより、誤作動しているんです。おそらく校内のほとんどの機器が」
千夏が尋ねると、水菜は答えた。
「誤作動って、どうして突然……」
「コンピューターウィルスの仕業です」
「コンピューターウィルス?」
「サーバー室で見たメールがありましたよね。その予告が実行されたんだと思います」
「でも、あれって七月十五日って書いたのに……」
「とにかく今はしずくさんを探しましょう」
水菜に言われて、三人は教室へ急いだ。
千夏たちは一年七組の教室まで戻ってきた。急いで中に入ろうとした千夏だったが、教室の扉は動かなかった。
「あれ何だこれ。入れないぞ」
思いっきり扉を引いてみるが、びくともしなかった。
「そうか、入室管理もおかしくなってるのか……。奈留、中にあいつはいる?」
「いいや、教室にはいないみたいだ。でもクラスメイトが閉じ込められてるぞ。非常扉も開かないみたいだぞ、何とかなんないのか」
「ウィルスを止めて、システムを復旧しないとダメです」
「システムの復旧って、でも、そんなこと出来るの?」
「私ではちょっと。でも、しずくさんならきっと……。だから早く探さないと」
そう語った水菜は、小刻みに震えていた。
エアコンは延々と冷気を流し続け、校内の寒さは無視出来ないほどになっている。水菜が必死に震えを押さえようとしているのがわかった。水菜は人に気を遣って無理するタイプだ。千夏は水菜の肩にそっと手を置いた。
「水菜、ありがとね。水菜がいなかったら何もわからなかったよ」
「千夏さん……?」
「あとは任しときなって」
千夏はそう言って笑った。水菜は大きな目で瞬きを繰り返している。
水菜の体が丈夫なほうではないことを、千夏は知っている。この寒さの中を夏服で連れ回したら、風邪をひかせてしまうかもしれない。
「あいつを探してこの騒動を止めればいいんだろ。シンプルでいいね。水菜は水菜の仕事をした。ここから先はあたしの番だな」
千夏はそう言って近くのロッカーを探った。そして自分のロッカーから長袖のジャージを引っ張り出した。
「そんな、私も――」
「奈留、水菜をお願い。暖かいところにでも避難して」
水菜は戸惑った表情を浮かべながら、心配そうに千夏の顔を見上げていた。
「一人で大丈夫なのかよ」
「そんなのわからないよ。でもわからないってことは、可能性がゼロじゃないってことだろ」
「全然理屈になってねえ」
「要約すると、あたしに任せとけってことだ」
千夏はそう言ってジャージを着込んだ。そしてもう一度ロッカーを探し、使えそうなものは片っ端からスカートのポケットに突っ込んだ。
「よし、行ってくる!」
千夏は振り返って、親指を立てた。
◇◇◇
正直なところ、行き先に当てがあるわけではなかった。宿直室にも教室にもしずくはいないし、行動パターンは全く予想がつかない。とにかく片っ端から聞き回るしかなかった。
階段を上ると、一年一組から五組の教室が並ぶフロアにたどり着いた。下の階と違って、廊下には生徒が集まっていた。教員が生徒たちに向かって叫ぶ。
「落ち着きなさい。今、先生たちが原因を調べてます。それまで勝手な行動はせず、先生の指示にしたがって体育館へ移動してください」
教師の呼びかけの下、生徒たちは廊下に集合させられていた。
集まった生徒はみんな戸惑いの表情を浮かべていた。不安で覆われた空気の中、教師の大きな声が響く。
「とりあえずここで待機するように。勝手な行動はしないでください」
生徒たちは大人しくこの呼びかけに従っているようだ。千夏はその最後尾に並んでいた縁なし眼鏡の女の子に話しかけた。
「あのさ、取り込んでるところ悪いけど、ちょっと人を探してるんだ。一年七組に転校してきた。背の小っちゃい奴見かけなかった?」
突然話しかけられ、縁なし眼鏡の女の子は戸惑っているようだ。
「え、わかんないよ。だってまわりが騒いでてそれどころじゃ……」
「そいつ見つけないと大変なんだ。何か些細なことでもいいんだ、心当たりない」
「わかんない、だって……」
縁なし眼鏡の女の子はただ首を振るだけだった。
それから千夏は片っ端から周囲に尋ねたが、どの生徒の反応もその女の子と同じだった。
わからない。それどころじゃない。そんな答えばかりだった。一人一人聞き回っていたら日が暮れてしまう。
「それじゃ、体育館へ移動します」
千夏が聞き込みしていると、前列のほうから教師の声が聞こえた。千夏は慌てて手を挙げた。
「あ、先生! すいません!」
千夏は声を上げた。周囲の喧噪が収まり、生徒たちが一斉に千夏を見た。
「どうした? ん、お前は七組の……」
「先生、生徒が一人行方不明なんです」
「行方不明って、何で七組の生徒がこんなところに」
「細かい事は気にしないでください。ちょっと話だけ聞いてもらって良いですか」
千夏は切迫した様子で言った。教師は明らかに戸惑っていた。
「突然そんなこと言われても――」
「探しているのは一年七組に転校してきた、栗原しずくっていう生徒です!」
千夏は教師の言葉を遮って、廊下に集まる生徒全員に話しかけた。
「背が小っちゃくて、でかい鞄を背負って歩いている生徒、見かけませんでしたか?」
千夏は叫ぶ。
生徒たちは突然現れ、叫びだした千夏に困惑しているようだった。
「その子探さないといけなんだ、何か知ってたら教えて!」
千夏は訴えかけるように言った。
しかし、廊下に集まった生徒は眉をひそめて千夏のことを見ていた。
みんなの気持ちはよくわかった。今はそれどころじゃない。そんな誰だかわからない生徒にかまっていられない。そういう顔をしていた。
「その子、何か危なっかしくて、今も一人でその辺歩いてるんだ。一人で何か抱え込む奴で、放っておいたらどうなるかわかんなくて……。とにかく、見つけないといけないんだ。だから、何か知ってたら教えて、お願い!」
千夏はそう言って頭を下げた。
――何でこんな事してるんだろう
千夏はそんなこと微塵も考えていなかった。
むしろこの状況で何も動かないほうが間違っているとさえ思った。頭を下げることも、恥をかくことも、変な奴だって蔑まれることも、何とも思わない。それより断然優先するものがある。
しばらくの間、嫌な沈黙が続いた。そしてその沈黙を破るようにして、集団の内の誰かが言った。
「大きい鞄を持った子なら、奥の階段を上がっていったよ」
「本当?」
千夏が尋ねると、他の生徒も次々に口を開いた。
「ついさっき、五分くらい前に私も見た」
「私も。七階から教室に戻ってくる時にすれ違った気がする。きっとそこにいるんじゃない?」
「七階には、映像室とか、コンピュータールームもあったよね」
生徒たちからどんどん証言が出てきた。その反応に驚いたのは千夏の方だった。
無視されるのを覚悟していた千夏だったが、そんなことはなかった。みんながしずくの事を真剣に考えてくれている。
「ちょっと待て、お前ら今は避難を」
「みんな、ありがとう! それだけわかれば十分だよ。助かった」
「おい、待て待て、今は避難が――」
「ああ、先生もありがとう。助かりました。じゃあみんなの避難、よろしくお願いします」
千夏は頭を下げて、奥の階段へ向かって走って行った。
◇◇◇
千夏は息を切らしながら階段を上った。ずっと走りっぱなしなので、太ももも痛かった。千夏は痛む足を押さえたが、スピードは緩めなかった。
吐く息は真っ白で、窓にはびっしりと霜がついている。気温は零度を下回っているようだ。本当に避難しないとまずいかもしれない。千夏はしずくの顔を思い浮かべた。
「人に心配かけすぎなんだよ」
千夏はそう呟くと、階段の最後の一段に足をかけた。
七階には誰もいなかった。広いフロアだが、教室自体は少ない。一つ一つ当たって確認すればそれで事足りる。千夏は腕まくりした。
「さて、ここからはしらみつぶしだな」
千夏は一つ一つ、扉を当たった。
音楽室、美術室、放送室。次から次へと中を見てみたが、誰の姿も見あたらない。千夏の中で焦りが募った。そしてある扉に手をかけた時、廊下の先から悲鳴が聞こえた。
しずくの声かと思ったが、少し違うようだ。
声が聞こえたほうへ走る。そして千夏は、廊下の壁に座り込む登美子の姿を見つけた。
「ヤダ、止めて! 来ないで」
どうやらさっきの叫び声も登美子のものらしい。登美子はうろたえた様子で叫んでいた。
そして物陰から、掃除ロボットが現れた。登美子はその掃除ロボットにひどく怯えているようだった。その掃除ロボットの様子を見て、千夏は息を呑んだ。
掃除ロボットは長いアームの先に割れた瓶を持っていた。
ロボットは、瓶を持ったまま、大きく腕を振り上げている。その下にあるのは登美子の頭だ。ロボットは瓶を振り下ろすつもりのようだ。
「おい、早く逃げろって、そいつ危ないぞ!」
「いや、近寄らないでよ」
登美子は恐怖で動けないのか、じっと叫ぶだけだった。
千夏は懸命に登美子の元へ走った。しかし掃除ロボットは、何のためらいもなく、その腕を振り下ろした。
「いやぁぁぁ!!」
登美子の悲鳴の後、瓶が砕ける音が廊下に響いた。
掃除ロボットの腕は思いっきり振り下ろされ、アームの先端が壁にめり込んでいた。
登美子の体はじっとしたまま動かなかった。
千夏は遅れて登美子の前に駆けつけた。そして小さな声で呟いた。
「危なかった……。奈留に感謝だな」
ロボットが持っていた瓶は、廊下の壁に当たって砕けていた。床にはガラス瓶に混じって白い粉が落ちている。
「登美子、もう平気だよ」
千夏が声をかけると、登美子はそっと目を開いた。
「あれ、私、無事?」
「大丈夫、瓶にはこいつをぶつけてやったからさ。結構肩強いんだよね、あたし」
千夏がポケットから取り出したのは、いつか火の玉に怯える奈留のために用意した、小型の塩袋だった。
ロボットが瓶を振り下ろす時、咄嗟にそれをポケットから取り出し、瓶に向かって投げた。塩の固まりの入った袋は瓶に見事命中し、ロボットが振り下ろす軌道を変えることが出来た。
千夏はまだ暴れようとするロボットを踏みつけ、電源を落とした。
「登美子、どういうことなの。何でロボットがあんたに襲いかかってくるの」
「わかんないわよ。何かいきなり私たちに襲いかかってきて……」
「そっか、これもシステムの誤作動なのか」
千夏は腕組みして考え込んだ。すると登美子は突然立ち上がって、千夏の肩を掴んで揺さぶった。
「そ、それより、二宮さん、大変なのよ!」
「どうしたの、もうロボットは電源切ったから平気だって」
千夏が言うと、登美子は首を振った。
「私じゃない、栗原さんが……」
「あいつがどうかしたの!?」
「死んじゃうかもしれないの! とにかく来て! 早く!」
千夏は登美子に手を引かれて教室の中へ入っていった。




