ロケット日和(16)
桜子先生はあっさりと振り切れた。二手に分かれた後、千夏の方を追って来た桜子先生だが、すぐにスタミナ切れで廊下にへたり込んでしまった。
非常にあっさりとした幕切れだが、その姿はさすがに哀れむものがあった。桜子先生は長い髪の毛を床に散らばらせて、床にひれ伏している。少し同情しながらも、千夏はさっさと退散した。
情報棟の前にやってくると、すでに奈留と水菜が入口の前に立っていた。
水菜は千夏の姿を見つけると、左手を挙げて大きく振った。右手には桜子先生の教員証を持っている。
「水菜、教員証を手に入れてくれてありがとう! 助かったよ」
千夏は水菜の両手をとった。水菜は少しうつむき加減になりながら言った。
「わ、私は何もしてないですよぅ……。ほんの偶然で……」
「偶然でもいいの。助かったのは事実なんだから。そうそう、これが欲しかったんだよね。教員証ってこんな風になってたんだ」
千夏は水菜から教員証を受け取り、それを空にかざしてみた。カードには桜子先生の写真と教員番号が書かれている。写真の中の桜子先生は固い表情で苦笑いしていた。
「それにしてもこの写真の桜ちゃん、目が泳ぎすぎだろ。微妙にピントもずれてるし。ウプププ」
千夏が笑っていると、奈留に後頭部を突かれた。
「おいこら、人の写真を指さして笑ってる場合か。それより情報棟なんかに来てどうするつもりだ? そろそろ説明しろよ」
奈留が言うと、水菜が恐る恐る尋ねた。
「もしかして、これで中に入ってデータを探るんですか?」
「さすが水菜は鋭いね、その通り!」
千夏は大きく頷いて、桜子先生の教員証を首からさげた。
「情報棟にはいろいろデータが詰まってるからね。ここで更衣室荒らし事件時の入室記録も確認できる」
「そんな勝手なことして平気なのか?」
「四の五の言ってる場合じゃないだろ。やるっきゃない」
千夏の言葉を聞いて、奈留は呆れ顔でため息をついた。千夏の中で、この反応は奈留のOKサインだと判断している。
千夏は、入り口の読み取り機に教員証を重ねた。自動ドアはすんなりと開き、千夏は堂々と中へと入り込んでいった。
◇◇◇
「しかし、ずいぶん殺風景なところだな」
建物の中に人はいなかった。入口から中へ入ると、長い通路が続いていた。天井は低く、道幅は狭かった。辛うじて二人すれ違うのがやっとな広さだった。壁には扉が等間隔で並んでいる。もちろん、どの扉にもカードリーダーがついている。おそらく生徒手帳では入る事も出来ないのだろう。
「どこに行くか、目星は付いてるのか?」
「わからん!」
千夏が堂々と答えると、奈留は両手を大きく上げて千夏の肩に振り下ろした。
「ノープランかよ!」
「しょうがないだろ、この建物もやたらでかいんだから」
千夏たちは一階のエレベーターの前に立っていた。
情報棟は五階建てで、どの階に何があるのかよくわからない。デパートのように案内図でもあればいいが、そんなものはどこにも見あたらなかった。
「普通下調べしてこないか?」
「バカ! こっちは思いつきでやってんだ。そんな事するわけないだろ!」
「堂々と言うことか!」
千夏と奈留が言い争いしていると、水菜が間に入った。
「ふ、二人とも、落ち着いてください。あの、確か四階のフロアにサーバー室があるんです。何か探るとしたらそこかもしれません」
「四階がサーバー室なの?」
「はい、校内の地図や建物は一応覚えていますから」
控えめに語る水菜の頭を、千夏はそっと撫でた。
「さすが水菜だね。よし、じゃあ四階へ行こう!」
「本当に行き当たりばったりだな。こんな調子で大丈夫か?」
「大丈夫大丈夫、なんとかなる」
千夏はそう言ってエレベーターのボタンを押した。
エレベーターに乗り込んだ三人は四階のフロアに降りた。
天井の低さは変わらずだが、道はずいぶん広くなっていた。三人はしばらく廊下を進み、車庫の扉のような大きな入口の目の前に立った。
「ここでいいんだよな……」
千夏は目の前の扉を見つめた。読み取り機に桜子先生の教員証をかざす。すると軽快な電子音と共に、扉がゆっくりと開いた。
三人は扉の端に隠れ、中の様子をうかがった。
部屋の中は暗かった。無数のサーバーが稼働している音がする。近くに人がいないことを確認すると、三人はそっと中に入った。すると全身を冷気が突き抜けた。
「うわ、寒っ」
千夏は思わず両肩を抱いた。
室内は異常に冷房が効いていた。半袖だと寒くていられないくらいだった。
扉が閉まってしまうと、部屋の中は真っ暗になる。こうなると、冷蔵庫の中にでも閉じ込められた気分だった。
「こんな所にずっといたら冷凍マグロになっちゃうぞ。しかも暗いし」
千夏は室内を見渡してみた。暗闇の中で、緑色のランプがちかちかと点灯している。かなりの数の端末が動いているようだった。そしてその時、千夏は部屋の奥から物音がすることに気がついた。
「誰かいるのか?」
千夏がそろそろと電灯のスイッチを入れた。室内はぱっと明るくなり、千夏は音のする方向へ視線を向けた。すると一台の端末の前で、パソコンを操作する人物を見つけた。遠くからでも誰だか判別が付く。
そこにいたのは、栗原しずくだった。
「何やってんだ、お前!」
千夏はしずくの元に駆け寄った。千夏に気づいたしずくはゆっくりと顔を上げた。
「何でもない」
「何でもないことないだろ! 明らかに不審だよ」
しずくの足下にはプリントアウトした紙が散らばっている。何かの作業中なのか、画面には意味不明なコードが並んでいる。しずくは一度タイピングの手を止め、ゆっくりした動作でエンターキーを押した。しばらくコンソールが止まった後「no rows selected」というメッセージが流れて消えた。しずくはそれを確認すると、一つため息をついてキーボードをラックに押し込んだ。
「何をやったんだよ」
「確認」
しずくはぼそりと呟くと、出口に向かって歩いて行ってしまった。
「おい、待て待て!」
千夏は呼び止めるが、しずくは振り返らずに扉の向こうへ消えていってしまった。千夏はしずくの後を追おうとしたが、奈留に止められた。
「迂闊に動き回るな。せっかくサーバー室に忍び込んだんだ。ほかにやることあるだろ」
奈留に言われて、千夏は渋々頷いた。
しずくが何をしていたのか、確かに気になった。しかし問い詰めても何も話さないだろう。今はとりあえず、更衣室荒らしを捕まえるしかない。千夏がそう自分に言い聞かせていると、背後から水菜が話しかけてきた。
「あの……、千夏さん、ちょっと見てみてください」
水菜はさっきまでしずくがいじっていた端末を操作していた。千夏は水菜の頭の後ろからディスプレイをのぞき込んだ。
「どうしたの? あいつ変なサイトでも見てた?」
「これ、サーバーにAdministratorユーザで入り込んでるみたいなんです。それで何かを調べていたみたいです」
「管理者ユーザだよね。そんな簡単に入れるものなの? この端末って……」
「いいえ、管理者しか使えないはずです。しずくさんは何らかの手段でユーザを乗っ取ったんだと思います」
「……それってかなりヤバイんじゃないの」
「はい、あまり冗談では済まないかもしれませんね」
水菜が静かに語った。
「そうまでして何をしてたんだろ」
「ここにヒントがあるみたいですね」
水菜はディスプレイの中で、開きっぱなしになっているウィンドウを指さした。
「どうするんだよ、調べるのか、調べないのか」
背後から奈留が言ってくる。千夏は一つ咳払いしてから答えた。
「見よう。あいつが何を調べてたか」
千夏が言うと、水菜は頷いた。
水菜は慎重に画面を操作し始めた。しずくが残したウィンドウを一つ一つ確認していく。何やらちんぷんかんぷんな画面ばかりだったが、水菜は少なからずそこから情報を得ているようだった。
そしてあるウィンドウを開いた時、水菜の手が止まった。
「どうしたの、何かあった?」
千夏が声をかけると、水菜はそのウィンドウを最大化した。
「これ、見てみてください」
そこにはメモ帳が起動されており、テキストが貼り付けてあった。
本文の最初と最後には英語の文字列。ヘッダとフッタがくっついたデータをそのまま貼り付けたようだ。そしてその真ん中に日本語でこんな一文が書かれていた。
――例のウィルスプログラムを手に入れました。これは今、私のUSBメモリに入ってます。これを07/15に白丘学園のネットワークに流します。
「水菜、これ、何?」
「何かのメールのデータを貼り付けたみたいです。途中の日本語は、そのメールの本文みたいですね」
羅列された英字を見てみると、確かに「From」や「Subject」などの単語が出てくる。奈留は水菜の後ろに立って腕組みしていた。
「そのメールを栗原が書いたのか? まるで犯行予告みたいな……。でも七月十五日って、もうとっくに過ぎてるな。ウィルスプログラムって何のことだ?」
「七月十五日って、更衣室荒らしがあった日じゃなかったっけ」
「じゃあ、これは更衣室荒らしの予告?」
「さすがに違うだろ。ネットワークがどうとか言ってるし……。そうだ、送り先のメールアドレスって出てる?」
「送信元はどこかのフリーのメールアドレスみたいです」
「じゃあ受信先は」
「たぶんこれです」
千夏が尋ねると、水菜は本文中のある文字列にカーソルを当てた。
――amane-1312FCB-happyday
奈留はその文字列を見て首を捻った。
「あまね、何か変な文字列、ハッピーデー? なんか気楽なアドレスだな。あまねってなんだ?」
千夏はじっと画面を見たまま固まっていた。
「あまね……、栗原あまね?」
「誰だ、それ」
「あいつのお姉さんの名前だよ」
「栗原あまねさんって、私も聞いた事あります。この学校から飛び級で大学へ進学した人ですよ。二年の飛び級はこの学校ではその人が初めてだったはずです」
「そんなすごい人なの?」
「はい、ちょっと、いいですか?」
水菜は再び端末を操作し始めた。
ブラウザを立ち上げ、いくつかリンクを辿る。そしてあるサイトを開いて、水菜は手を止めた。
「これが栗原あまねさんが留学している大学のサイトです。今はここで活躍しているんですよ。論文も発表されていたはずです」
水菜はそう言って画面を見せた。そこに並べられたのは一面英語のページだった。
英語が苦手な奈留は、両目を押さえてその場にへたり込んでしまった。
「ぐええぇ、何だこれ、目が、目がっ!」
「奈留、大丈夫か! おいっ、誰か! 翻訳ソフトを、早く!」
千夏は両手を叩いた。うろたえる千夏と奈留を水菜は慌ててなだめた。
「だ、大丈夫です。このくらいなら、私でも何とか読めます。ちょっと待ってください」
水菜はそう言って、画面の文字を読んだ。
「セキュリティに関する論文みたいですね。コンピューターウィルス、自己複製と駆除……。それと組み込み機器のセキュリティについて」
水菜は単語を拾い上げながら文章を読んでいる。それを聞いても千夏にはさっぱりだ。しかし水菜の顔は次第に真剣な表情に変わっていった。
「栗原あまねさん、コンピューターウィルスの予告メール、七月十五日……」
水菜は小声で呟いている。千夏はそっと尋ねた。
「水菜……、何か気になることでもあった?」
「もしかすると、しずくさんの探し物、火の玉、更衣室荒らし。全て繋がってるんじゃないでしょうか……」
「繋がってるって……、本当?」
「まだ少し、わからないところがあるんですけど、それさえ掴めれば……」
水菜は口元に手を当てて考え込んだ。
千夏は話しかけようとしたが、その真剣な表情を見て止めた。
「水菜、考え込んでるね」
千夏と奈留は水菜の邪魔をしないように、少し距離を置いてその場に座りこんでいた。
水菜は目の前の端末を真剣な表情で操作している。
「邪魔するなよ奈留。今は水菜の推理能力だけが頼りなんだから」
「わかってるよ、お前こそ邪魔するなよ」
奈留は千夏の襟を掴んだ。
「何で掴む」
「こういう時に限って、お前は大人しく出来ない奴だからな」
「そんなことないって」
「そんなことあるんだよ。とりあえず、水菜の邪魔をしないように、こっちは掃除でもしてるか」
奈留はそう言って床を見渡した。
床はしずくが散らかしていった資料で一杯だった。奈留は乱雑にプリントを一枚ずつ拾い始めた。
「奈留、落ち着いて座ってなって。掃除は掃除ロボットにやらせとけばいいじゃん」
「そういう考えがダメなんだよ。それにロボットがこんなでかい紙くず掃除できるか」
「このくらいのゴミ、アームを使って余裕で回収してくれるって」
「そ、そうなのか?」
「そうだよ。勝手に床や壁の落とし物を回収してくれるって前も言ったろ? このくらいの紙くずならきちんと回収されるって、ね、水菜」
千夏は水菜に声をかけた。
「こら、水菜の邪魔するなって言ったばかりだろうが」
「ちょっと話しかけただけじゃないか、ねえ水菜」
水菜は千夏の言葉を聞いて、じっと固まっていた。そして突然千夏の方を振り返り、両手を叩いた。
「そっか、そうですよね」
「そうだよ、あのロボット意外とすごいんだから」
千夏は言ったが、水菜は大きく首を振った。
「違います、掃除ロボットのことじゃなくて、今回の一連の事件についてです」
「え、水菜、何かわかったの?」
「はい、何となくわかりました! 更衣室荒らしのトリック。そしてきっとこれが、さっきのメールとしずくさんの探し物に繋がっていくはず……」
水菜はそう言って再びパソコンを操作し始めた。
水菜が画面に出したのは学校の地図だった。水菜はそれを見てそっと頷いた。
「やっぱり……」
「水菜、更衣室荒らしのトリックがわかったって、本当?」
「はい、たぶん間違いないです。推測が合っていれば、更衣室荒らしの盗難品も、まだ犯人の手に渡っていないはずです」
「えっ、ど、どういうこと?」
「千夏さん。一つだけ確かめたいことがあるんです」
水菜はそう言うと、キーボードをラックにしまった。
◇◇◇
「やっぱりありました。これで間違いないと思います」
水菜は何やら銀色の物体を持って事務室から出てきた。
情報棟を出た後、三人は学校の事務室にやって来た。水菜はそこで事務員に何か尋ねて、この物体をもらってきた。
銀色の物体はアルミ箔を四角に切ったものだ。表面には皺が出来ている。四角の隅っこが尻尾のように長く伸び、凧のような形をしていた。
「水菜、これは何なの?」
「更衣室荒らしのタネです。これで確証がとれました」
「でも、こんなので、どうやって更衣室荒らしを……」
「千夏さん、早く盗難品を回収に行きましょう」
水菜があまりに自然に言うので、千夏は驚いてしまった。
「盗難品の隠し場所までわかったの?」
「はい。おそらく第三宿直室。しずくさんの寝泊まりする部屋にあります」
「え、ええ~っ? ってことは、しずくが犯人ってこと?」
「詳しくは物が見つかってから話します。とりあえず行きましょう」
銀色のアルミ箔でどうやって盗みを働いたのか、どうして盗難品が宿直室にあるのか。謎は深まるばかりだ。奈留も千夏と同じらしい。眉間に皺を寄せて、あれこれ思いを巡らせているようだ。
三人が宿直室にやってくる頃には、昼休みも終わりかけていた。第三宿直室の前に立った千夏は勢いよく扉を開けた。
「お邪魔しま~す。ちょっと物を探させてもらうぞ」
急いでいたのでノックは省略した。
仮に中にしずくがいたとしても、勝手に入って怒るような相手ではない。きょとんとした顔でお茶でも飲んでいるのだろう。そんな反応を予想していた千夏だったが、部屋の中の光景を見て固まってしまった。
「何だこれ……」
千夏はその場に立ち止まり、部屋を見渡した。
以前しずくと話した時とは、まるで別の部屋だった。
襖や引き出しなど、開けられるものは全て開けられ、中身が床に飛び散っていた。しずくのぬいぐるみも、乱雑に床に転がっている。
「部屋が荒らされてるじゃないか!」
千夏は足下に散らかるぬいぐるみを拾い上げた。ずいぶん乱暴に散らかしたようだ。しずくの手で行われたのではなさそうだ。
「盗難品はどこ?」
千夏は足下に散らかったものをどかしながら、押し入れの奥を探した。するとそこから大きなボストンバッグが二つ出てきた。チャックが開けられ、中身がぶちまけられている。その中には女子の体育着がはみ出ていた。
「水菜、これ……」
千夏が言うと、水菜は頷いた。
「本当にここにあったんだ。でも、誰かがそこから何かを抜き取ったみたいな……。これ、あいつがやったの?」
千夏はバッグを取り出した。そこから何かを探して抜き取ったように見えた。水菜がぽつりと言った。
「扉の鍵、かかってませんでしたね」
水菜に言われて、千夏ははっとした。
しずくは戸締まりはきちんとしていた。不在の時はきちんと鍵をかける奴だった。しかし今は留守中にもかかわらず扉の鍵が開いていた。誰かが開けたとしか思えなかった。
水菜はそこで真剣な表情を浮かべ、千夏と奈留の顔を見た。
「千夏さん、奈留さん、しずくさんを探して合流しましょう!」
「合流って行っても、それにそろそろ午後の授業が」
「たぶん、それどころじゃ無くなります」
「え、一体どういう――」
千夏は水菜に尋ねようとしたが、それは鳴り響くチャイムによって遮られた。
「あれ、もう午後の授業か?」
奈留はそう言って時計を確認した。
突然鳴り響いたチャイムを聞いていた千夏は、いつもと違う嫌な感覚に襲われた。
「このチャイム変だぞ……。何かの間違いじゃないか」
「本当だ。まだ十三時二十分。午後の授業開始まであと十分はあるのに」
そのチャイムは鳴り止まなかった。
何度も同じフレーズを繰り返し、繰り返す度に音程は外れ、ただの不協和音となって校内に響いた。チャイムに混じって電子機器が発するビープ音も聞こえてくる。
しばらくして、校内に非常ベルの音が鳴り響いた。
初めて聞くその音には、肌の裏側がざらつくような不吉な響きがあった。千夏は深刻なトラブルが起きているのだと認識した。
「おい、千夏」
「わかってる。奈留、水菜、行こう!」
三人は目を合わせて頷きあい、校内に走って戻った。




