ロケット日和(13)
一年七組の教室に入ると、クラスメイトが一斉に千夏を見た。
生徒達は一カ所に固まっていて、全員の表情は硬かった。教室に入るなり、七尾は千夏に向かって言った。
「二宮さんたちも自分のデータ確認したほうがいいよ」
「データって?」
「自分の端末のデータだよ」
七尾は言った。
情報科の生徒は、一人一台、小型のノートパソコンを持っている。普段は鍵付きのロッカーに入れているが、授業などで使用する際に持ち出して使う。図書室へ持ち込んで勉強したり、インターネットに接続することも出来た。
「それで、端末のデータがどうしたって?」
「クラス全員の端末がスキャベンジングされたって」
「え? す、酢キャベツ……?」
聞き慣れない単語に千夏がきょとんとしていると、横から水菜が補足してくれた。
「スキャベンジングはハードディスクなどのデータを不正に漁って情報を抜き取ることです。どうも話ぶりから、みんなの端末のデータが不正に見られたみたいですね……」
「あたしのお気に入り画像とか、ブックマークが何者かに不正入手されたってこと? ネットに晒されたりしちゃうの?」
「まあ、最悪の場合、ですが」
「あたしのローカルに置いておいた、水菜フォルダも……?」
「そうなんです、水……、って、えっ、私のフォルダ?」
「そう、水菜のプライベート写真を大量に入れてあるフォルダがあるんだ。3GB」
「ど、どうしてそんな大量の写真を!」
「コツコツこっそり撮り溜めたんだよ。売れるかな~、と思って」
「う、売れないですよ!」
「まあいっか、水菜の可愛さが全世界に発信されると思えば」
「よ、よくないですよぅ……。まさか私が一番被害が大きいんじゃ……」
水菜は両頬を押さえてうろたえている。
「まあまあ、冗談だよ。ほら、とりあえず話聞きに行こう」
千夏は水菜の背中を押した。人だかりに混じってみると、クラスメイトたちは誰かを取り囲んでいるようだった。何の気無しに中を覗き込んだ千夏だったが、集団の中心にいる生徒を見て、あんぐりと口を開けてしまった。
そこに座っていたのは、栗原しずくだった。
「栗原さん、これが本当だったら大問題よ。わかってる?」
集団の中の一人が声を荒げた。問い詰めるのは七尾の友人の松原登美子だ。気が強く、奈留ほどではないが、かっとなると見境つかなくなるタイプだ。
「もう一度聞くけど、本当にみんなのデータを漁ったの?」
「本当」
その答えを聞いて、周囲の顔色がさっと変わった。
「桜子先生に相談しましょう! 個人情報流出。プライバシーの侵害だわ!」
登美子はそう言って教室を出て行った。何人かの生徒はその後に続いて教室を出て行った。残りの生徒はしばらくしずくの様子を見ていたが、何も反応を見せないしずくに飽きて、それぞれの席に戻ってしまった。
しずくは椅子にちょこんと座っている。それはまるで、取り残された小さな人形のようだった。
「あのさ、途中からでアレだけど、お前、本当にその、キャベ何とかってのやったの?」
千夏はしずくに話しかけた。しずくは千夏の方に顔を向けて小さく頷いた。
「やった」
「何でそんなことを」
「必要だったから」
「どうして?」
「……」
しずくはそれだけ言って、後は口をきかなかった。いつもと同じで、必要の無い事は絶対に喋ろうとしなかった。
しばらくすると、教室に桜子先生がやってきて、しずくは職員室へ連れて行かれた。桜子先生の様子から事態はそれほど楽観的な問題でないことがわかった。
しずくがいなくなった後、一年七組の教室には不穏な空気だけが残った。
教室に残った生徒たちは帰宅せずに教室に固まっている。誰も帰ろうと言い出せない、そんな重い空気が流れていた。こういう時、誰が言い出す訳でもなく、女子の間で会議が開かれる。あまり表沙汰に出来ないような、秘密の会議だ。その会議の議長は登美子。議題はもちろん栗原しずくについてだ。
◇◇◇
「技術力があるからって、それを悪用するなんて、ただのクラッカーじゃない?」
「そうだよね、ちょっと何考えているかわからないところあるし」
「まあ別に悪いことじゃ無いんだけどさ、ちょっと愛想なさ過ぎというか……」
「いや、悪いでしょ。あまり言いたくはないけど」
「宇宙人だよ宇宙人、何考えてるかわからない」
「どちらかというとロボットに近いかもね」
教室の隅に集まった女子たちの間からそんな会話が聞こえきた。千夏はその集団から離れた場所に座っていた。その会話に耳を傾けながら、ぼんやりと窓の外を眺めている。
正直なところ、面倒くさいから帰ろうかと思った。女子のこういう会議はあまり千夏の性に合わない。しかし、しずくの事や、この会議の成り行きが気になって帰れなかった。
水菜はそんな千夏に合わせるように、隣にいてくれた。そういう細かい気遣いに感謝しながら、千夏はしずくの事を考えていた。
しずくは一体何が目的だったのだろう。
他人に興味を示さないあのしずくが、クラスメイトのデータを覗く理由がわからなかった。いつもパソコンを熱心にいじっていたのは、その準備だったのだろうか。しかしそこまで熱心にさせるものが、自分たちの端末に入っているとは思えなかった。
「私たちだけ見られるって、何か嫌だよね」
登美子たちの会議は、しずくの話で持ちきりだ。その内容はあまり良くない方向へ流れていく。
「うん、不公平」
「こっちが、何かやってもいいよね?」
「私たちも見ちゃおうか。あの子がいじってるノートPCとか」
「ねー、このままじゃ不公平だし」
「誰か奪ってきたら?」
そこまで聞いた千夏は窓の外から視線を戻した。そして両手を軽く伸ばしてから、不審な会話をする集団に向かって声を上げた。
「まあ落ち着きなよ」
声はそれほど大きくない。しかしそれは教室にはっきりと透る声だった。会議を続けていた集団はぴたりと押し黙った。
「そんなことしても意味ないって」
千夏は椅子から立ち上がり、集団に向かって軽い口調で語りかけた。会話が中断され、グループの中心にいた登美子と七尾は明らかに不服そうな顔をした。
「な、何よ偉そうに」
「偉そうに言ってるわけじゃないけどさ。なんていうの、もっと前向きなことを――」
千夏は登美子たちを説き伏せようとしたが、彼女たちは一斉に千夏に向かって言葉を投げてくる。
「何よ! 二宮さんだって、いろいろクラスに迷惑かけてる癖に!」
「そうよ、一年七組はトラブルばかり起こす迷惑クラスだって言われてるんだからね。あなたのせいで」
「ちょ、あたしに矛先を向けるなよ……」
「二宮さんは勝手にデータを見られて嫌じゃないの?」
「だから落ち着けって。ちょっとデータ見られただけで、気にしすぎなんだって。ほらほら、あたしは全然気にしてないよ~ん」
千夏が両手をわさわさと揺すって見せた。周囲の女子はそれを見て、残念そうな視線を千夏に向けた。
「それはあなたが無神経だからでしょ」
みんなが口を揃えて言った。その息のあった反応に千夏はたじろいだ。
「あ、あの。そんな、ため息交じりに言われると、ちょっと傷つくかな」
「仕方ないじゃない。普段の行いがそうなんだから。それよりも、今は栗原さんのこと!」
「まあまあ、あいつのPCの中身なんか見ても面白くないと思うし、いいじゃないの放っておけば? な~んて言ってみたり、して……?」
千夏は軽く言い放ってみたが、周囲の女子から思いっきり睨まれてしまった。どうも本気で頭に来ているらしい。
「だいたい栗原さんは自分の事何も喋らないじゃない。そこが引っかかるのよね。それなのに私たちの端末のデータを盗み見るわけでしょ」
「だから気にしすぎだって」
「気にするわよ!」
「ほら、もっと被害に遭ってる人もいるぞ、例えば」
千夏は振り返り、後ろに立っている水菜に視線を合わせた。
「例えば水菜を見てみな! 自分の恥ずかしい写真が流出してもこんな平気な顔してる」
「は、恥ずかしい写真? 水菜ちゃんが」
「そうそう、あたしが水菜の秘蔵写真を全部端末に保管しておいたからね! まあ、それが流出しちゃったってことになるかな」
千夏の後ろに立っていた水菜は、その台詞を聞いてはっと顔を上げた。
「千夏さん、それ、冗談じゃなかったんですか?」
「水菜の部屋は隣だし、最近のカメラは高性能でさぁ……。いろいろ撮れたんだよね、いろいろね……。あんな姿や、こんな姿が」
千夏が含み笑いすると、水菜は顔を赤くしてしまった。登美子はそんな千夏を見て一歩後ろに下がった。
「二宮さん、最低! 同性をこんなに軽蔑したの初めて。水菜ちゃん、これ本当なの?」
「い、いや……。本当かどうかは。でも千夏さんならやりかね――、あ、いやいや、きっと冗談ですよね? 千夏さん?」
「うへへへへ」
「その笑い方、やめてくださいよぅ……」
千夏がうすら笑いを浮かべると、水菜は俯いてしまった。
そんな水菜のまわりに登美子達が集まってくる。アリの巣の周辺に角砂糖を置いたように、いつの間にか水菜のまわりに人だかりが出来ていた。
「それじゃ一番被害が大きいじゃない! 水菜ちゃん。大丈夫?」
「いえ、そんなこと……」
「いや、大変なことよ。勝手に写真を隠し撮りされて、しかもそれを勝手に見られて……。ああ、それがインターネットにばらまかれて!」
「あの、そんな、それほどのことじゃ」
水菜は恐縮して首を振る。水菜を囲む面々に対して、千夏は声をかけた。
「ほら、一番大変な水菜が気にしてないんだから、あんたたちも少しは落ち着きなさい!」
「ほとんど、お前のせいだろうが!」
大半の女子から怒号が飛び、千夏は目をつぶった。
「水菜ちゃん、我慢しなくてもいいよ? それにしても二宮さんときたら、相変わらずの横暴ぶり」
「いや、千夏さんは、まあ、その……」
水菜はクラスメイトたちから慰められ、いつに増して小さくなっていた。対照的に、千夏に対する非難の視線は強くなる。さすがにこの場に居づらくなった。
しかし、これで会議の議題はしずくから水菜へ一旦移ったようだ。水菜が中心に話が進む分には、妙な方向へこじれることも無いだろう。
「じゃ、ちょっと用事があるから、あたしはこれで」
「あ、ちょっと、二宮さん! 待ちなさいよ」
「じゃ、またね」
千夏は素早く教室をでて、さっさと扉を閉めてしまった。
扉を閉めてしまうと、教室の騒がしさはどこか遠くへ消えてしまった。千夏が軽く息を整えると、横から声をかけられた。
「本当にお前はやり方がまわりくどいな」
廊下の壁に寄りかかったまま、奈留が腕組みして立っていた。
「何だよ、まだ残ってたのかよ。帰ったと思ってた」
「お前が何かやらかしたんじゃないかと思って来てみたんだよ」
「中の話、聞いてた?」
「ああ。案の定、お前は面倒事を起こして、さらにそれを複雑にするのな」
「こ、今回はあたしのせいじゃないぞ!」
「ちらっと聞いてたからわかってるよ。それで、お前はこれからどこに行くんだ?」
「え? まあ、その、ちょっとね」
千夏が言うと、奈留はため息をついた。
「まあ大体想像はつくけど。また更衣室荒らしは後回しなんだな」
「そ、それもちゃんとやるよ! でも今は……」
「はいはい、わかったわかった」
奈留はそう言って足下の鞄を拾い上げた。ある程度付き合いが長いと、行動も読まれてしまうものらしい。千夏はおどけた様子で語りかけた。
「ねえ、奈留も来る?」
「誰が行くか! そういうのはお前の仕事。変にこじらせんなよ」
奈留はそう言って歩いていってしまった。
「はいはい、わかったよ。一言多いな奈留は」
千夏は奈留の背中を見送った。ずっと廊下で待っていてくれたのだろう。奈留の肘のあたりには、壁の跡がついていた。
◇◇◇
千夏が向かったのは職員室。もちろん用事があるのは栗原しずくだ。
千夏は職員室の扉を背に、胡座をかいて座った。今回は柱の影に隠れたりはしなかった。堂々としずくが出てくるのを待つつもりだった。
今回の一件で、教室でのしずくの立場は危ういものになった。しずくの性格から、このまま放っておいても状況は回復する見込みはないだろう。
まずは、千夏が面と向かってしずくに話を聞く必要があった。動機をはっきりさせないとクラスメイトも説得出来ないし、一度謝らせないと、いつまで経ってもクラスになじめない転校生のままになってしまう。
千夏は口元に手を当てて考え込む。そして、ふと我に返って首を振った。
「っていうか、何であたしがこんなに気を遣ってるんだ。もう、調子狂うな!」
千夏は後ろ髪をぐしゃぐしゃとかき回した。
基本的に千夏は協調性など気にしないし、クラスメイトのため何かするような柄でもない。それでも何か引っかかるとそのままにしていられない性格だった。そういう損な所は昔から変わっていない。
千夏がしばらくそうしてやきもきしていると、突然、職員室の扉が開いた。ようやくしずくが出てきたかと思った千夏だったが、扉から出てきたのは別の人物だった。
「あれ、二宮さん、何をしてるの」
「あ、香苗先生……」
そこに立っていたのは桜子先生のアシスタント、大学生の香苗先生だ。いつものスーツ姿で扉の前に立っている。
「もしかして誰かを待ってる?」
「あ、いや、何というか……。その」
千夏の反応を見て、香苗先生は何か納得したように軽く笑った。
「栗原さんが出てくるのは、もう少し後になるわよ」
「いや、別に、奴に用事があるわけじゃ……」
千夏が何かしら言い訳を考えていると、香苗先生はくすりと笑って、千夏の肩を叩いた。
「じゃあ、それまでの間、ちょっと話しましょうか」
香苗先生はそう言って、天井を指さした。
◇◇◇
屋上は風が強かった。雲行きは怪しく、重くよどんだ雲が空いっぱいに集まってきていた。香苗先生は長い髪の毛を押さえながら、フェンスに向かって歩いて行く。千夏はその後ろに続いた。
「この前は、ボタンありがとうございました」
千夏は香苗先生の後ろ姿に向かって声をかけた。フェンスの前で振り返った香苗先生は首を振った。
「いいって、気にしないで」
「いや、ちゃんとお礼言っとかないとと思って」
「そう。じゃあ、お礼ついでに少し話を聞かせてもらおうかな」
香苗先生は千夏の顔をじっと見つめた。その視線に千夏は戸惑った。香苗先生と話すと、何か見透かされているような、試されているような感じがした。
香苗先生は千夏の目に視線を合わせたまま、話し始めた。
「あなたは、どうして栗原さんのことを待っていたの?」
「えっと……、ちょっと奴に話があったので」
「彼女が勝手にネットワークにアクセスして他の生徒のデータを盗み見た。そのこと?」
「やっぱりそれ、まずかったんですか」
「まあ、良くないわね。それに彼女はいろいろ特別だから、また厄介なのよ。教師としては」
香苗先生は屋上のフェンスに手をかけて、そこから見える景色を眺めていた。特別という単語が千夏の耳に残る。
「そもそも、二宮さんはどうしてそんなに彼女にからむの?」
「え、どうしてって言われても……。まあ、何となくですかね……」
香苗先生に質問され、千夏は戸惑った。改めて理由を聞かれると上手く説明出来ない。誤魔化すようにして千夏が答えると、香苗先生は首を振った。
「あなたもそうやって肝心なことは口に出さないのね」
香苗先生の長い髪が風でなびいた。少しだけ香苗先生の表情が陰った気がしたが、それは風になびく髪ですぐに隠れてしまった。
「一つ、お願いがあるんだけど」
香苗先生は耳元を押さえながら、千夏の方を振り返った。
「彼女のことには構わず、そっとしておいてもらえない?」
「構わずって、でも……」
「彼女がちょっと変わった、特別な生徒だってわかったでしょ。学校側としても、あなた自身のためにもそっとしておくのがベターってこと」
「ベターかもしれないけど、黙って見てるのは、何というか、気が進まないというか……」
「あのね、言い方は悪いけど、二宮さんのそれって余計なお節介なんじゃないかな」
「お、お節介、ですか?」
「そう。本人はそんなことちっとも望んでないのに」
香苗先生に言われて千夏は俯いてしまった。
確かに千夏がいちいち干渉することではない。スキャベンジングの問題も、教師が考えて何とかすることだ。しずくにはしずくの考えがあるし、それが規律に反しているなら、罰するのは教員の仕事だ。
「これは教師としての注意もあるし、一個人としての忠告でもあるわ。とりあえずそれが言いたかっただけだから」
香苗先生はそう言うと、長い髪をなびかせて千夏に背中を向けた。そして屋上の扉まで一人で歩いて行ってしまった。
千夏は香苗先生の背中が扉の向こうに消えてしまうまで、ぼうっとその場に立ち尽くしていた。千夏の頬に冷たい粒が触れる。空を見上げると、鈍色によどんだ雲から小さな雨粒が落ち始めたところだった。




