ロケット日和(11)
課題は授業時間目一杯使って行われたが、半分も終わらなかった。千夏だけがそうなのではなく、しずくを覗いた全員がその程度だったのだ。周囲のクラスメイトたちは疲れ切った顔で鞄の整理をしている。気がついたら放課後になっていた、という感じだ。千夏はぐったりと机の上に伸びていた。
「どうしたんだよ、腐りかけのメロンみたいな顔して」
「はあ……、奈留はいいよな、気楽でさ」
「お前が言うなそれを。まだ課題の事で落ち込んでるのか?」
「別に落ち込んではないけど……」
「それにしても栗原はすごかったよな」
「すごいとかいうレベルじゃないよ! あんな高速にパソコンを操作する奴、初めてみたよ。あいつ何者なの?」
「転校生だろ」
「絶対普通の転校生じゃないだろアレ!」
隣の席に座ってたしずくの姿はもうそこにはなかった。
ホームルームが終わると、桜子先生に呼ばれて職員室へ行ってしまった。転校初日ということもあるし、いろいろ話もあるのだろう。
「まあ、そんなぐったりするな」
考え事をする千夏の頭上に、奈留は学生鞄を乗せた。
「それで、今日は真っ直ぐ寮に帰るのか? それともまた何か調べてくのか」
「もちろん、もう少し調べてく」
「懲りないよな、お前も」
奈留はそう言って、ため息をついた。少し前まで幽霊騒動で大騒ぎしていたくせに、ずいぶん余裕の態度になったものだ。
「あと一歩なんだよ、あと一歩」
「あと一歩? 全然進展してないように見えるんだが……。犯人だってまだわかってないくせに」
「犯人~? 何を訳のわからないことを言ってんだよ。今あたしがすべきことはな、あいつの素性を暴いてやること、それだけなんだよ!」
「は? お前こそ何言ってんだ、お前本来の目的を――」
「とにかく、あたしは行くぞ!」
千夏はそう言って、教室を出て行った。
◇◇◇
職員室へ続く廊下は誰も歩いていなかった。窓から西日が射し、床は磨き抜かれた鏡のように光っている。千夏は職員室前の柱の影に隠れ、じっと扉の様子をうかがっていた。
しばらく待っても、職員室からは誰も出てこなかった。出来る事なら中に入り込んで、しずくがいるか確認したかった。しかし、一般生徒の生徒手帳では、職員室に出入りする権限はない。用事がある場合は扉の前に設置されているインターホンで教師を呼び出す必要がある。今インターホンを押して桜子先生にでも出てこられたら、またいろいろ面倒なことになる。結局、千夏に残された手はこうして張り込む以外に無かった。
「早く出てこいよ、あいつめ……」
千夏はつま先で地面を叩いた。
しずくが職員室に行ってからそれほど時間は経っていない。千夏の読みでは、まだ中にいるはずだった。千夏はやきもきしながら、じっと柱の影に立っていた。
そして数分ほど経った時、ようやく職員室から一人の生徒が出てきた
「失礼しました」
単調な声が聞こえる。そのやる気の無いしゃべり方は、栗原しずくで間違いない。扉から出てきたしずくは鞄を両手に持ち、軽く頭を下げていた。職員室からは年配の老人が顔を出す。
「いえいえ、こちらこそ、いろいろご不便をおかけしますが、ご理解ください」
それは白髪頭の見慣れない教師だった。かなり年配の教師のようで、どことなく貫禄があった。
教師はしずくに対してへこへこと頭を下げている。端から見ると、それは異様な光景だった。
「一体どういう関係なんだ……?」
千夏は教師の横顔をもう一度眺めた。その初老の教師はどこかで見たような気がした。改めて見ると、千夏はある事に気づいた。
「まさか校長……?」
千夏は自分の目を疑った。正直なところ、千夏は校長の顔はあまり覚えていない。しかし、その風体を見れば見るほどそう思えてくる。この声にも聞き覚えがある。始業式などで長話を聞かせるあの声。千夏はさらに聞き耳を立てた。
「ご家族の方は、あっちの方ですか?」
「そうだけど」
「一度お礼にしたいと思ってまして。娘さんを預かることになったわけですから……」
「別にいい、それよりも」
「教員全員に聞きましたが、心当たりは無いと……。それは大事なデータですか?」
「何か気づいたら教えて」
しずくはそう言って校長に背を向けて歩いていってしまった。
千夏は柱の奥に身を隠し、しずくの足音が小さくなるのを待った。校長らしき老人は一つため息をついて、職員室の中へ引っ込んだ。
「大事なデータ、それがあいつの探し物……?」
しずくの背中は遠くなっていく。千夏は慌ててしずくの後を追った。
しずくは階段を降り、東側のエントランスから校舎の外に出た。噴水や花壇がある広場を抜け、校門とは反対側へ進んでいく。その歩みは全く迷いがなかった。あらかじめ決められた手順に従って行動しているようにも見える。
やがて、周囲の通行人の数はまばらになってきた。そこはもう校舎の外れで、あまり生徒がうろつくような場所ではない。この先にあるのは、情報棟と呼ばれる建物だけだ。
情報棟とは、校内のネットワーク機器やサーバーが集中的に設置された施設だった。
当然、生徒が入れる場所ではなく、教職員とシステムメンテナンスの作業員だけが立ち入り出来る建物になっている。周辺に生徒がいないのも、単純に用事が無いからだ。
千夏は茂みからこっそり頭を出した。
生徒が入れもしないような建物に、しずくがわざわざやって来る理由がわからなかった。ただの建物見物とも思えない。千夏が首を捻っていると、しずくは情報棟入口の前で立ち止まった。
当然、情報棟の自動ドアは開かない。扉の脇のカード読み取り機の認証を通らないと扉は開かないし、生徒手帳ではその認証は通らない。
千夏はしずくの行動を待った。このまま諦めて立ち去るのかと思っていたが、しずくはポケットから生徒手帳を取り出し、そっと読み取り機に近づけた。
するとその直後、情報棟の扉が音を立てて開いた。
「えっ?」
千夏はあっけにとられていた。しずくは何事もなかったかのように、開いた扉から中へ入っていく。千夏も急いで扉に駆けつけた。しかし目の前で扉は固く閉ざされ、しずくの後ろ姿を遮った。
千夏は扉を拳で叩くが、分厚い自動ドアはびくともしなかった。
「まさか、生徒でも開くようになったとか」
千夏は自分の生徒手帳を取り出し、読み取り機に重ねた。しかし、甲高い電子音の後に機械的なアナウンスが流れた。
――このカードでは入館は許可されていません。
千夏は扉を前にして黙り込んでしまった。
「どういうことなの、これ……」
改めて建物を眺めてみるが、いつもどおりの無骨な建物が建っているだけだった。
◇◇◇
「千夏さん、いろいろお疲れ様でした」
水菜はそう言って千夏の前に小皿を置いた。
鮭のムニエル、ベーコンとアボカドのシーザーサラダ、アスパラとキノコのソテー。テーブルには純白のテーブルクロスがかけられ、その上には色鮮やかな料理たちが並んでいた。卓上のキャンドルライトが、料理をよりおいしそうに照らしている。水菜は手を伸ばして、ライトの光を弱めた。
「遠慮せず、召し上がってください」
「さすが水菜! 立派な食卓だね」
千夏は両手を合わせて水菜を拝んだ。時刻はちょうど七時をまわったところだ。水菜の部屋にお邪魔した千夏は、部屋から持参した箸を取り出した。
「いつも悪いね。ご馳走になっちゃって」
「いえいえ、そんな、気にしないでください」
水菜は両手を振った。するとその後ろから声が聞こえた。
「少しは気にしろ。水菜に迷惑かけっぱなしだとは思わないのか」
そこにいたのは奈留だった。奈留は水菜のベッドに横になり、雑誌を読みふけっていた。水菜の部屋で風呂も借りたようで、濡れた頭に巻いたタオルからほんのり湯気が出ていた。ジャージ姿でアイスをかじっている。
「人の家でホカホカしてるし! ただくつろいでいる奴に言われたくない!」
「ただくつろいでいるだけじゃねえよ。今日はな、土曜の看病のお礼もかねて、スーパーでいろいろ買ってきたんだぞ。食卓に並んでるのはあたしが買ってきたんだからな」
「あ~、どおりでね。ここに並んでるのがお前の好物ばかりだと思ったよ。自分で料理できないから水菜にお願いしてるだけだろ」
「なっ、だったら食うな、この野郎!」
「まあまあ、落ち着いてください。ほら、ご飯も炊けましたし、みんなで食べましょう」
「水菜に免じて許してやるか」
「何で奈留が偉そうなんだよ! ったく……」
水菜になだめられるようにして、千夏と奈留は渋々食卓についた。
三人分の食事を並べるとテーブルはずいぶん狭く感じた。でもこの狭いスペースでご飯を食べるのが、千夏は好きだった。奈留と千夏のお椀にご飯を盛る水菜の横顔も、何故か嬉しそうに見える。
この光景も慣れたものになった。水菜の部屋の中は、小さい音量でテレビが流れている。アットホームなこの空間はいつもほっとする。
「あ、奈留の魚、あたしのよりでかいな。交換しろ交換」
「ガキみたいなこと言ってんな。いやしい奴め。しっしっ」
千夏が奈留の皿に箸を伸ばすと、奈留の箸で弾かれた。
「千夏さん、それなら私の魚を半分どうぞ」
「え、いいの? ほら、奈留。水菜にお返ししろ」
「ああ、わかった。お前の目玉を箸で串刺しにすればいいんだな」
「ぐ、グロいよ! 食事中に何てこと言うんだ」
「でもお前の目はDHA少なそうだなぁ」
「どんな評価なの? 何か遠回しにバカって言われた気がするんだけど?」
それは、いつもどおり騒がしい食卓だった。千夏と奈留が言い争いをし、水菜がそれをなだめる。お馴染みになったそのやり取りを交わしながら、三人は食事をすすめた。
そして三人の話題は栗原しずくの話になっていた。
「そうですか。結局しずくさんの事は何もわからずですか」
水菜は残念そうな顔をした。
「そうなんだよ、わざわざ尾行までしたんだけどね~」
千夏はそう言って箸を置いた。それから今日見たことを水菜と奈留に話した。
校長らしき人物がしずくに頭を下げていたこと。一般生徒が入れないはずの情報棟に出入りしていたこと。千夏の話を水菜は興味深そうに聞いていた。
「一般生徒が入れない所に出入り可能ってことは、やっぱり特別な生徒なんですね」
「そうらしいね。どう特別なのかわからないけどさ。今日一日見て、よ~くわかった。あいつは何か変だ。休み時間も何か怪しいことやってるし、よからぬことを企ててるんじゃないか。パソコン操作はお手の物って感じだし」
千夏が言うと、奈留は鮭のムニエルを口に放り込み、はっきりとした口調で言った。
「別にあいつが何者だろうとかまわないだろうが」
「良くない良くない。とりあえず素性を暴いてやらないと。それで、火の玉の正体も突き止めないといけないし」
千夏は水菜に淹れてもらったお茶をゆっくりとすすった。
明日は、もっと勝てる勝負をしずくに挑んでやろうと、千夏は思った。それで素性を聞き出し、火の玉との関連を探る。おそらく火の玉はしずくのいたずらか何かに違いない。それさえわかれば全て解決する。千夏は勝手に想像をふくらませ、大きく頷いた。奈留はそんな千夏を見ながら、思い出したように言った。
「というかお前。今日もずっと言おうと思ってたんだけど」
「何だよ、感謝の言葉なら後でたっぷり聞くって」
「うるせえバカ。だいたい、お前、大事な事忘れてないか……?」
「大事なことって何だよ。だいたいこれは奈留のために調べてるんだからな」
「いや頼んでねえし。お前、元々は別の事調べてただろうが。わざわざロケットまで打ち上げて」
「別の事~? そんなのあったっけ?」
千夏は少し考えた。言われてみれば何か忘れている気がする。水菜は何かに気づいたのか、千夏から視線を逸らした。そこで千夏は肝心な事を思い出して、箸を机の上に落とした。奈留はそんな千夏に向かって一言告げた。
「更衣室荒らしを捕まえるのが、そもそもの目的だったんじゃなかったっけ?」




