ロケット日和(1)
七月の空にはホイップクリームを散らしたような純白の雲が浮かんでいた。
太陽の光が夏の雲に陰影をつける。立体的な雲は西洋の古城のような存在感を示していた。
小高い丘から涼しい風が流れてくる。風に揺れるショートカットの髪を押さえながら、二宮千夏は小さな発射台の脇に座り込んだ。
「このくらいの風なら何てことないな。しっかり頼むぞ」
千夏は発射台にセットされたロケットを眺めた。
表面に水滴を浮かべたロケットが直立している。人差し指でなぞるとひんやりと冷たかった。近所で買った500mlのペットボトルに、少量の水と空気をたっぷり詰め込んだお手軽ロケットだ。発射ノズルは市販品だが、フィンは自作の品だ。
千夏はロケットの脇に胡座をかいて座った。
場所は学校の屋上のど真ん中、十階の校舎のてっぺんだ。広々としたスペースは打ち上げにはもってこいだった。千夏は台から伸びた発射レバーを握り、カウントダウンを始めた。
「3、2、1、……」
精一杯ゆっくりと数字を読み上げる。そしてカウントが終わった後、千夏は大きく息を吸い込んで叫んだ。
「イグニッション!」
発射レバーを引くと、水がはじけ飛ぶ派手な音が聞こえた。
ロケットは水しぶきをあげながら高々と上空に舞い上がっていった。青空から振ってくる水滴を払いながら、千夏は舞い上がったペットボトルを見上げる。
真っ直ぐ空まで飛んでいく軌道は計算通りだった。千夏はガッツポーズを決めた。
「よ~しっ! ナイスロケット!」
千夏が空に向かって親指を立てていると、突然後ろから頭を叩かれた。
「何がナイスロケットだ、このバカ!」
「痛たた……。何だよ、人がせっかく楽しんでるのに」
千夏が振り返ると、そこには天王台奈留が立っていた。
「全校集会を堂々とサボって何やってんだ! みんな体育館に集まってるぞ」
「何言ってんの奈留。だからだろ? みんなが留守にしている今しか思いっきり飛ばせるチャンスはないじゃない。見なよ、この惚れ惚れするような青空。まさにロケット日和。何か新しい事が始まりそうな予感に満ちているよね」
千夏は空を仰いだ。
上空に広がるのは透き通るような青色の空だ。その後ろで輝いている星さえ見えてしまいそうだ。
「相変わらずバカだな、超バカ。ロケットバカ」
「バカバカいうな。空に何かが打ち上がるのを見て、奈留はロマンを感じないの?」
「感じねえよバカ。それより春日の奴が怒ってたぞ。探してすぐに連れてこいって」
「ええ~? 桜ちゃんが?」
千夏は思いっきり顔をしかめた。
春日桜子先生は、千夏のクラスの担任教師だ。
口うるさい教師で、入学以来、千夏は目をつけられている。彼女の中で、千夏は問題児のカテゴリーに分類されているらしい。
「団体行動が出来ないなんて、学生としてあるまじき事ですって怒ってたぞ」
「桜ちゃんもいちいち細かいよな。そのせいで婚期が遅れてるとも知らずに」
「それ本人の前で言ってみ。大変なことになるから」
奈留はそう言ってポケットから取り出した扇子を広げた。それは暑い夏を乗り切るための必需品だと奈留はいう。
扇子に描かれているのは鬼の絵で、それは女子高生の持ち物とは思えない渋いデザインだった。
奈留は千夏と同じ学科の同級生で、小学校時代からの古い仲だ。
お嬢様風の内巻きミディアムヘア(あまり似合っていない)にピンク色の髪留め。前髪を長く伸ばして、縁なしの眼鏡をつけている。
外見だけ見れば、大人しい女子に見えなくもないが、こうした地味めの外見はただの飾りに過ぎない。
天王台奈留といえば、元々は手の付けられない不良娘として有名だった。
眼鏡を取って前髪をかき分ければ、他人を竦み上がらせる鋭い両眼が出てくる。
小さい頃から武術を叩き込まれており、逆鱗に触れれば悪鬼羅刹のように暴れ回る。中学校時代の同級生に奈留の名前を出せば、財布を置いて一目散に逃げ出すことだろう。
そんな奈留は、何を思ったか高校入学を機に「大人しい女子」にイメージチェンジした。
そして必死に知恵を絞って出来上がったのが、変なお嬢様風ヘアと伊達眼鏡をつけた残念女子高生だ。高校デビューの失敗例としては珍しい類だろう。
奈留がつけているハート型の髪留めは何度見ても噴き出しそうになる。
一度「頭から毒キノコが生えてるよ」などと冗談交じりで言ったところ、しばらくご飯が食べられなくなるほどのボディブローをお見舞いされた。
しかし、そんな非道い目に遭っても、千夏の中でその面白さは色褪せない。
千夏が奈留の横顔を眺めてにやにやしていると、奈留はおもむろに扇子を千夏の目に突き立てた。
「いぎゃあ! 何するの」
「何かとてもむかつく解説をされた気がした」
「な、し、してないよ? そんなの(たぶん)。それに、だからって扇子で目を突くな、目をっ」
「いいだろ、眼球なんて二つあるんだから一つくらい潰れても」
「よ、よくないよ! 何なの、その恐ろしい発想は。戦国時代の人か!」
千夏は奈留の扇子攻撃を右手で払った。この女は自分の事になると異常に勘が働く。千夏とは子どもの頃からの付き合いなので、何を考えているのかすぐにばれてしまうようだ。
「ほら、それよりさっさと体育館へ行くぞ」
奈留は千夏の耳をつまんで引っ張った。
「痛い、痛いよ。やだよ全校集会なんて、面倒くさい」
「うるさいな、この問題児め。さっさと来い」
「今更行ったって怒られるだけだし、全校集会って長いぞ~。一時間は立ちっぱなしだよ。一時間! だったらお茶でも飲んでゆっくりしていこうよ」
千夏が言うと、奈留は動きを止めた。
「お茶……?」
「お菓子もあるよ」
千夏が言うと、奈留は眉間に皺をよせて考え込んだ。
真面目ぶっているが、奈留だって団体行動が苦手な奴なのだ。一時間じっと立っているのはさぞ苦痛だろう。千夏は甘い声でささやく。
「マンガもあるし、いろいろおつまみも用意してるよ。煎餅に、チーズ鱈に、大福もあるぞ。クーラーボックスには生卵も牛乳も何でもある」
奈留はしばらく考えた後、扇子を畳んだ。
「生卵か……。まあ、それなら……」
奈留はぼそりと呟いた。
(え、生卵が決め手なの?)
千夏はそうツッコミたくなったが、ギリギリこらえた。
こうしてミイラ取りをミイラに引きずりこんで、千夏は即席お茶会の準備を始めた。