新たな職場は戦場から最も遠い場所
魔王城に入ってから、しばらく歩いた。
本丸の中心部から少し離れた区画。
重厚ではあるが、どこか実務的な造りの建物が並ぶ一角で、ディア=ヴァルクは足を止めた。
「ここが、魔王軍第三軍団の管轄区域です」
そう言って示された建物は、想像していた軍団の拠点よりも、はるかに落ち着いた外観をしていた。
無駄な装飾はなく、堅牢で、必要なものだけが揃っている。
「……思ったより、地味ですね」
「第三軍団は前線支援と後方調整が主任務です。
派手さは不要なので」
なるほど、と内心で頷く。
城の中心部が“国の中枢”だとすれば、
ここは完全に“現場を回すための拠点”だ。
建物の入り口には、
《第三軍団 文官棟》
と刻まれた控えめな銘板が掲げられていた。
「文官棟……」
「はい。あなたの職場です」
ディアは事もなげに言い、扉を押し開ける。
中に入った瞬間、鼻をくすぐったのは、紙とインクの匂いだった。
規則正しく並ぶ机。
壁際の棚には、軍団別・部隊別に整理された書類箱。
掲示板には、第三軍団の配置図と今月の物資配分表。
「……完全に、部署だな」
思わず呟くと、ディアは小さく息を吐いた。
「軍団とは、組織ですから」
廊下を進むと、数名の魔族が忙しそうに行き交っていた。
角の形も、肌の色も種族もばらばらだが、全員が書類や端末を抱えている。
「おはようございます、軍団長」
「ご苦労様です」
ディアに向けられる敬礼は、形式張っているが、過度に恐れている様子はない。
――魔王軍幹部というより、
信頼されている上司に近い空気だ。
「こちらが、新しく配属される文官です」
ディアがそう紹介すると、近くにいた魔族がちらりと俺を見る。
「人間? へえ……第三軍団も、ついに外部採用か」
「前例はあります」
「まあ、ここは人手不足だからな」
その言い方に、嫌味はなかった。
案内された執務室は、文官棟の中でもやや奥まった場所にあった。
部屋の中央には大机、周囲に個人用の机がいくつか並んでいる。
「あなたの席は、こちらです」
示された机の上には、すでに整えられた文具一式と――
「……山積みの書類」
「第三軍団は現在、物資管理と部隊再編で混乱しています」
ディアは淡々と説明する。
「前線を支える軍団ゆえ、調整事項が多い。
そして、それを整理できる人材が足りていません」
書類を一枚手に取る。
内容は、補給物資の分配計画と、部隊間の調整依頼。
見覚えがありすぎて、思わず苦笑した。
「ギルド時代と、やってることがほとんど同じだ」
「それが狙いです」
ディアははっきりと言った。
「第三軍団は、戦果よりも“継続”を重視します。
だからこそ、あなたが必要でした」
俺は椅子に腰を下ろし、深く息を吸う。
ここは、魔王軍。
しかも、第三軍団という一組織の文官棟。
だが、不思議と緊張はなかった。
部署。
役割。
求められる仕事。
それらが、あまりにも明確だったからだ。
「……初出勤から、いきなり大仕事ですね」
「期待しています」
ディアはそう言い残し、執務室を後にした。
残された俺は、書類の山を見つめ、ペンを取る。
敵か味方か。
人間か魔族か。
そんな区別よりも先に、
ここには“回さなければならない仕事”がある。
俺は一枚目の書類に目を通し、静かに署名した。
こうして俺の魔王軍第三軍団での初出勤は、
戦場から最も遠い場所――
文官棟の机の上から、始まったのだった。




