魔族は案外現実的
魔王軍の輸送馬車に揺られながら、俺は窓の外をぼんやりと眺めていた。
石畳の街道。
行き交う商人の馬車。
遠くに見える農村の灯り。
――どこからどう見ても、人間界の移動風景そのものだ。
「……なあ」
しばらく迷ってから、向かいに座るディア=ヴァルクに声をかけた。
「魔王軍って聞いたからさ。
てっきり、空を飛ぶとか、転移魔法とか、そういうのを想像してたんだけど」
自分で言っておいて、少し気恥ずかしくなる。
子供じみた発想だと思われただろうか。
だがディアは、意外にも否定せず、淡々と答えた。
「確かに、そうした手段もあります」
「あるんだ……」
「ありますが、常用はしません」
彼女は外套の裾を整えながら続ける。
「転移魔法は魔力消費が激しく、使用者も限られる。
飛行魔法も同様です。輸送には向きません」
「魔王軍なのに?」
「魔王軍だから、です」
即答だった。
「戦争を続けるには、安定した補給と移動が不可欠です。
特別な手段は、非常時の切り札として温存すべきもの」
……妙に、現実的だ。
「つまり」
ディアは窓の外に視線を向ける。
「最も安全で、最も安く、最も確実なのは――
人間界と同じ、地道な方法というわけです」
「夢がないな」
思わずそう言うと、ディアは一瞬だけ口元を緩めた。
「ええ。ですが、夢より継続の方が重要です」
その言葉を聞いて、俺は苦笑した。
魔王軍。
恐怖と破壊の象徴だと思っていた存在が、
まさか「コスト」や「効率」を語るとは。
「……人間界も、同じこと言ってたな」
「そうなのですか?」
「ああ。結局、不況だの予算だので、
一番最初に切られるのは、派手じゃない仕事だった」
ギルドの応接室が、脳裏に浮かぶ。
整頓された机。
英雄の肖像画。
そして、静かに差し出された解雇通知書。
「冒険者を支える仕事は必要なのに、
評価されるのは、いつも剣を振るう連中だけだ」
独り言のように言った言葉に、ディアはすぐには答えなかった。
馬車が石を踏む音だけが、規則正しく続く。
「……魔王軍も、似たようなものです」
やがて、彼女はそう言った。
「強い者ほど評価され、声が大きい。
その結果、壊れるものには目が向かない」
その声音には、わずかな疲労が滲んでいた。
「だから、あなたをスカウトした」
改めて言われると、胸の奥が少しだけ温かくなる。
「俺は、まだ何もしてないぞ」
「それでいいのです」
ディアは俺を見て、はっきりと言った。
「あなたは、壊さない人間です。
それだけで、十分な価値があります」
壊さない。
その言葉を、頭の中で反芻する。
冒険者ギルドでの五年間。
怒鳴る冒険者をなだめ、無茶な依頼を調整し、
誰かが大怪我をしないよう、数字と現実の間で折り合いをつけてきた日々。
確かに、俺は何かを派手に成し遂げたことはない。
だが――壊さずに済んだものは、きっと少なくないはずだ。
「……なあ、ディア」
「何でしょう」
「魔王城って、怖いか?」
少し間抜けな質問だったかもしれない。
だが、ディアは真剣に考えるように一拍置いてから答えた。
「人によります」
「曖昧だな」
「ええ。ですが」
彼女は、ほんの少しだけ柔らかい声で続けた。
「少なくとも、働く場所としては――
あなたがいたギルドより、理不尽は少ないでしょう」
それを聞いて、俺は小さく笑った。
敵だと思っていた場所の方が、
まともな職場かもしれないなんて。
人生は、本当に皮肉だ。
馬車は、ゆっくりと街道を進み続ける。
空は次第に暗くなり、遠くに不気味な影――魔王領の山並みが見え始めていた。
俺は、座席の上で軽く拳を握る。
怖くないわけじゃない。
だが、それ以上に――
もう一度、必要とされる場所へ向かっている。
その事実が、胸の奥で静かに灯っていた。




