英雄の影で
エルディア王国王都。
白亜の神殿に、鐘の音が高らかに響いていた。
勇者アレイン・ヴァル=エルディアの凱旋。
それは、もはや一つの祭りだった。
「勇者様だ……!」
「魔族を退けた英雄よ!」
「やはり我が国の誇りだ!」
沿道に集まった民衆は、惜しみない喝采を送る。
剣を掲げ、穏やかに微笑む勇者の姿は、誰の目にも理想的だった。
――民間人にとっては。
だが、行列の後方。
神殿関係者専用の控え室では、空気がまるで違っていた。
「……また、ですか」
そう呟いたのは、白と金の法衣に身を包んだ女性――
聖女リュミエル。
彼女は、
南方の宗教国家サル=エノア聖教国から派遣された、国教の聖女だった。
治癒・浄化・加護。
戦争に不可欠な奇跡を司る存在。
「勇者様がお呼びです」
神殿騎士の声に、リュミエルは小さく息を吐いた。
「……何度目でしょうね」
控え室の奥。
アレインは鎧を外し、椅子に深く腰掛けていた。
「来てくれたか、聖女リュミエル」
その声は柔らかい。
だが、視線は値踏みするように彼女を追っていた。
「ご用件は?」
「簡単な話だよ」
アレインは立ち上がり、距離を詰める。
「戦争が終わったら、君を妻に迎えたい。
勇者と聖女――これ以上ない組み合わせだろう?」
何度も、何度も繰り返された言葉。
「私は、聖教国に仕える身です」
「形だけでいい。
政治的な意味合いは、エルディア王国が保証する」
彼は笑った。
「君の国も、悪い話じゃないはずだ」
――それは、求婚というより“取引”だった。
「……私は、お断りします」
一瞬、空気が冷えた。
「まだ言うか」
アレインの声から、柔らかさが消える。
「君は、俺が前線でどれだけ命を張っているか知っているはずだ」
「存じています。
ですが――」
「だったら、少しくらい報酬を受け取ってもいいだろう?」
その言葉に、リュミエルは顔を伏せた。
この男は、
自分を“善行の権利者”だと信じている。
英雄であるがゆえに。
一方、王城。
「勇者殿の影響力は、想像以上ですな」
軍務卿の言葉に、国王は静かに頷いた。
「民衆は彼を信じ、
冒険者ギルドは彼を利用し、
我々は彼を旗印にできる」
「ギルド本部からも、追加予算の要請が来ています」
「応じろ」
国王は即答した。
「ギルドが弱れば、統制が取れなくなる。
あれは中立であってはならん」
――冒険者ギルドは、エルディア王国の影響下にあった。
勇者を輩出した国。
魔族領に隣接する防衛国家。
その立場が、
ギルドに“逆らえない理由”を作っている。
「多少の人員整理は、仕方あるまい」
国王の声は、淡々としていた。
「戦争とは、そういうものだ」
誰が切られ、誰が残るか。
そこに、個人の事情は存在しない。
前線野営地。
夜。
勇者アレインは、焚き火の前で仲間に酒を注がせていた。
「魔族は、近いうちに動く」
根拠はない。
だが、彼の言葉には、誰も逆らわない。
「その時は、正面から叩けばいい。
補給? 後方?」
彼は笑った。
「俺がいる。
それで十分だろう?」
その慢心を、
誰も指摘できなかった。
英雄とは、
間違いを指摘されない存在でもある。
その夜。
聖女リュミエルは、祈りの中で小さく呟いた。
「……神よ」
この戦争は、
本当に“正義”の名の下に行われているのか。
勇者の背後で、
王国とギルドが結託し、
知らない誰かが切り捨てられている。
――かつて、
冒険者ギルドの事務机で、
黙々と帳簿を整理していた男の姿が、
なぜか脳裏をよぎった。
彼がいなくなってから、
歯車は、確実に狂い始めている。
人間側もまた、
自分たちが何を失ったのか、まだ気づいていなかった。




