地獄は余裕があるときにしか準備できない
軍事演習まで、二週間。
その宣告を受けた瞬間、第三軍団文官棟の空気は、静かに死んだ。
「……確認ですが」
俺は、資料の山から顔を上げた。
「今、人間界とは戦争中ですよね?」
沈黙。
否定する者はいない。
「その状況で、
全軍団合同の“演習”をやる余裕、あります?」
それは、誰もが思っていて、
誰も口に出さなかった疑問だった。
ディア=ヴァルクが、ゆっくりと答える。
「だから、です」
「……だから?」
「実戦で失敗できないからこそ、
失敗できる場が必要なのです」
淡々とした声。
「今の前線は、
副軍団長ガザが命を削って維持しています」
その名を聞き、室内の魔族たちが一瞬だけ背筋を正した。
「彼がいる限り、前線は崩れない。
――ですが、それに甘え続ければ、
いつか“取り返しのつかない崩壊”が起きる」
俺は、言葉を噛みしめる。
だから演習をやる。
戦争中だからこそ。
「……合理的ですね。
胃は痛いですが」
「胃が痛まない戦争など、ありません」
正論すぎる。
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地図を広げる。
第一軍団、第二軍団、第三軍団。
今回は三軍団合同。
第四軍団の名は、資料にすら載っていない。
――“呼べば来るが、計画には組み込めない”。
暗黙の了解だ。
「問題は、時間です」
俺は線を引いた。
「全軍団同時展開は不可。
補給路が持ちません」
「第一軍団は即時投入を要求しています」
「無理です」
即答した。
「第二軍団は?」
「魔力収束の準備で半日欲しいと」
「それは通します」
次々と条件を書き込んでいく。
そのとき。
「……ふむ。人間の割に、面白い組み方をするじゃない」
天井近くから、声がした。
影が、ひらりと舞い降りる。
黒と紫のゴスロリ調ドレス。
マントのように広がる翼。
不釣り合いなほど大きな耳。
「隠密機動隊隊長、フェリスだよ」
ワーバットの少女は、くるりと回って挨拶した。
「目立ちすぎでは?」
「隠密はね、“隠れられる”より
“気にされない”方が大事なの」
理屈は分からなくもないが、
視覚的説得力がない。
フェリスは地図を覗き込む。
「補給の“止め”を作ってる?」
「制御された停止です」
「へぇ……」
彼女は、楽しそうに耳を揺らした。
「それなら、
その“止まる時間”、うちが使っていい?」
「何に?」
「敵役の撹乱。
補給が止まった瞬間って、
一番、隙ができるから」
俺は、ペンを止めた。
「……演習で、それを?」
「実戦想定でしょ?」
フェリスは、無邪気に笑う。
――なるほど。
隠密部隊の価値を示す場でもある。
「許可は、ディア次第です」
ディアは少し考え、頷いた。
「条件付きで。
第三軍団の計画を壊さない範囲で」
「やった」
フェリスは、翼を畳んだ。
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会議が終わる頃、
俺は椅子にもたれ、天井を見上げた。
「……演習って、
余裕があるからやるものじゃないんですね」
「ええ」
ディアが静かに答える。
「余裕がなくなる前に、
“崩れ方”を知るためにやるものです」
前線では、ガザが戦っている。
ここでは、俺たちが戦う。
剣も、魔法も使わずに。
地図の上で、
まだ血の流れていない戦場を相手に。
軍事演習は、
もう始まっていた。




