失業通知は突然に
冒険者ギルドの応接室は、やけに整頓されていた。
古い木の机。長年の使用で角が丸くなり、無数の傷が刻まれている。
壁に掛けられた英雄譚の肖像画は、幾度も磨かれたのだろう、誇らしげな顔をしてこちらを見下ろしていた。
そして、磨かれすぎて逆に冷たさを感じさせる床。
五年間、毎日のように見てきたはずの光景だ。
それなのに、その日はまるで初めてこの部屋に足を踏み入れたかのような、よそよそしさを覚えた。
空気が、重い。
「……急で申し訳ないんだがね」
向かいに座るギルド長は、困ったように咳払いをしてから、一枚の書類を机の上に置いた。
その動作は、必要以上に丁寧で、どこか慎重すぎる。
白い紙。
たったそれだけのものが、今の俺には鉛の塊のように見えた。
「人員整理だ。今月限りで、君との契約は終了になる」
言葉は驚くほど穏やかだった。
声を荒げることもなく、事務的で、淡々としている。
だからこそ、その内容が胸の奥に突き刺さった。
「……理由を、聞いても?」
自分でも驚くほど、声は落ち着いていた。
内心では、すでに答えがわかっていたからだ。
「依頼数の減少だよ。最近は不況でね。ギルドも余裕がない。
特に事務部は……どうしても後回しになってしまう」
事務部。
それはつまり、俺のことだった。
冒険者の受付、依頼書の整理、報酬の計算、トラブル対応。
感情的な冒険者をなだめ、期限に追われ、書類に埋もれながらも、現場が滞らないよう必死で回してきた仕事。
剣も魔法も振るえない代わりに、戦場の裏側を支えてきた――
少なくとも、俺はそう信じていた。
だが、この世界では。
英雄になれない者の働きなど、真っ先に切り捨てられる。
「お前さんも知っている通り、この国の経済は昨今の魔王軍との戦争で不況に進む一方だ。
特に勇者パーティ関連の予算が増えていてね。理解してもらえると助かる」
理解、という言葉が、一番残酷だった。
俺は黙って、解雇通知書に目を落とす。
そこに記された自分の名前が、まるで他人のもののように遠く感じられた。
五年間。
数字にすれば短いかもしれないが、人生の一部を確かに捧げた時間だ。
「……わかりました」
そう答えた声は、自分でも驚くほど静かだった。
怒りも、悲しみも、抗議の言葉も浮かばない。
ここでは、それらすべてが無意味だと、もう知っていたからだ。
こうして俺は――
冒険者ギルドを、静かに失業した。
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ギルドの扉を閉めた瞬間、外の喧騒が一気に耳へ流れ込んできた。
剣を鳴らしながら笑う冒険者たち。
露店の呼び声。
酒場から漏れる昼間の騒がしさ。
昨日までと、何一つ変わらない平凡な昼下がり。
――なのに。
「……終わったんだな」
誰に聞かせるでもなく呟いた声は、人混みに溶けて消えた。
無意識のまま歩き出し、気づけばギルド前の広場に立っていた。
ここは、依頼を求める冒険者たちで常に溢れている場所だ。
「次の仕事、ありませんか!」
「護衛依頼、腕利き歓迎!」
「魔物討伐、高報酬だ!」
飛び交う声を眺めながら、俺は小さく苦笑する。
――全部、現場の仕事だ。
剣も魔法も使えない俺に、応募できるものは一つもない。
ギルド職員として積み上げてきた経験は、ここでは何の武器にもならなかった。
それでも、立ち止まるわけにはいかず、いくつかの商店を回ってみる。
「すみません、事務の仕事を探していて……」
「悪いが、今は人を雇っていないんだ」
返ってくる答えは、どこも同じだった。
不況。
物価は上がり、客足は減り、人件費を削るしかない。
最後に断られた店を出たとき、俺はようやく自分の手が震えていることに気づいた。
意識していなかったが、緊張が途切れたせいだろう。
ポケットの中身を確認する。
硬貨は、宿に三泊できるかどうか。
「……長居はできないな」
空を見上げると、雲一つない青空が広がっていた。
皮肉なほど、世界は穏やかだ。
こんな日に、人生が詰むとは思わなかった。
行く当てもなく歩いているうちに、街の賑わいは次第に遠ざかっていく。
足が向いた先は、人気の少ない路地裏だった。
人通りはほとんどなく、風が壁に当たる音だけがやけに大きい。
ここなら、誰にも見られずに――
少しくらい、落ち込んでもいい。
そう思った、その時だった。
「……探しましたよ」
背後から、静かな声がした。
振り返るよりも先に、肌がひりつくような感覚が走る。
明らかに、人間のものではない気配。
「あなたが、レイン・クラウスですね?」
路地の影から現れたのは、黒い外套をまとった異形の存在だった。
――魔族。
心臓が、嫌な音を立てて跳ねる。
だが相手は、剣を抜くことも、魔法を構えることもなく、淡々と言葉を続けた。
「安心してください。今日は殺しに来たわけではありません」
「……じゃあ、何の用だ」
喉が渇いていたが、声はなんとか出た。
魔族は、ほんのわずかに口元を緩める。
「あなたに、仕事の話をしに来ました」
その一言が、俺の人生を、決定的に狂わせることになるとも知らずに。




