回収される触媒達
第一章|回収
工業魔導は進歩した。
そのはずだった。
だが、古い炉ほど安定して動く理由を、誰も説明できなくなっていた。
設計書は残っている。符号もある。
数値は正しく、工程も合理化されている。
それでも、新型高炉は設計どおりの魔導力を吐き出さない。
「同じ条件なのに、差が出る」
魔導会議で、何度も繰り返された言葉だった。
稼働率、交換周期、魔導流の偏差。
すべてを数値化し、平均との差を潰していく。
それでも、説明のつかない工廠は残った。
「……人の手が違うだけだ」
誰かがそう言った。
冗談とも、言い逃れとも取れる言葉だったが、誰も否定しなかった。
計算外の要素。
触媒。
魔導会議は、触媒を回収した。
理由は明示されなかった。
マルティナも、その一人だった。
会議室は静かだった。
資料が配られ、報告が読み上げられる。
「触媒の意見は?」
議長がそう言った瞬間、視線が集まった。
期待というには重く、拒絶というには曖昧だった。
マルティナは資料から目を離さずに答える。
「判断材料が足りません」
空気が、わずかに沈む。
「……それだけか?」
「はい」
短いやり取りだった。
深掘りも、指示もなかった。
扱いに困るものを前にした、保留の沈黙。
議長は資料を閉じる。
「……今日はここまでだ」
それで、この話題は終わった。
会議が終わり、人が立ち去る。
誰も声を荒らげない。
だが、歩調はどこか速かった。
マルティナは、その後ろを静かに歩いた。
弁解もしない。説明もしない。
期待があったことは分かる。
そして、それが満たされなかったことも。
この日、魔導会議に残ったのは、
「触媒を回収したが、何も起きなかった」
という、曖昧な感触だけだった。
第二章|配置
数日後、マルティナはオルデンの部署に配置された。
新符号高炉の稼働試験。
符号自体は完成している。
問題は、それをどの工廠に、どの順で導入するかだった。
オルデンは管理を好む男だった。
報告は逐一求められ、判断は必ず自分を通す。
「まず報告しろ」
それが口癖だった。
他の担当官がマルティナに質問をしても、
「俺を通せ」と遮る。
どこへ行くにも同行を求めた。
「高炉を沈められるのか?」
ある日、そう聞かれた。
「できません」
即答だった。
「じゃあ、何ができる?」
マルティナは少し考えた。
「数値と判断の流れを見ます」
返事が一拍遅れる「……それで?」
「無理が起きる場所です」
それ以上は言わなかった。
オルデンは苛立ちを隠さなかった。
触媒と聞いて期待していたものと、違ったのだろう。
新符号高炉の導入案が、会議に上がる。
一斉切り替え。
数字上は問題ない。
「全部、同時にやる」
オルデンはそう言った。
マルティナは資料に目を落としたまま言う。
「三つ、後回しにしてください」
「理由は?」
「判断を一人で抱え込む構造です」
「止められなくなります」
沈黙が落ちた。
「……触媒の勘か?」
「構造です」
淡々とした声だった。
オルデンはすぐには反論しなかった。
しばらくして、端末を操作する。
「……導入順、組み直す」
それだけだった。
その後も、管理は続いた。
指示は多く、確認は厳しい。
だが、破綻は起きなかった。
第三章|変化
いつからか、指示は減っていた。
それが、うまくいっている証拠だった。
マルティナは、特別なことをしたつもりはなかった。
数値を見る。
人を見る。
判断が集中している場所を、静かに示す。
止めるべきところで、止める。
無理を前提にしない配置に、戻す。
魔導会議全体は、相変わらず分かっていなかった。
触媒を回収し、配置し、期待し、
そして、勝手に失望する。
それでも、少しずつ変わっていた。
誰かが無理をしなくても、止まらないやり方。
説明できないが、壊れない流れ。
それが、いくつかの部署で生まれていた。
オルデンは、すべてを理解したわけではない。
今も管理したがる。
今も口うるさい。
だが、任せる領域を知った。
マルティナは、そこに留まった。
去る理由がなかったからだ。
触媒が世界を救うことはない。
これは対処療法にすぎない。
それでも、
壊れないまま続く構造は、確かにあった。
魔導会議という構造は、
気づかないうちに人を巻き込み、
気づかないうちに、少しずつ変わっていく。
その中心に、
回収された触媒達がいた。
何も起きなかった。
誰かが休暇を取る
会議が予定より早く終わる
世界の側が、少し息をする
それだけで、問題はなかった。
余章|休暇届
部署は、ここ最近ずっと騒がしかった。
新符号高炉の稼働試験、評価会議、修正指示。
人が増えたわけでもないのに、仕事だけが増えていく。
その中で、マルティナは淡々と休暇届を提出した。
「……ずいぶん薄情だな」
背後から声がかかる。
オルデンだった。
マルティナは振り返らず、書類を整えながら答える。
「私は他人も大切にします」
「でも、同じくらい自分も大切にします」
オルデンは一瞬、言葉を探すように黙った。
「それに」
マルティナは付け加える。
「私がいないと回らないような仕事は、していませんから」
苦虫を噛み潰したような顔で、オルデンは息を吐いた。
「……まあ、確かに」
しばらくして、視線を逸らしたまま言う。
「どこに行く?」
「里帰りですよ」
それだけ答えて、マルティナは鞄を持ち上げた。
廊下に出ると、少しだけ足取りが軽くなる。
ふと、懐かしい顔が浮かんだ。
——あの子は、元気にしているだろうか。
名前は口にしない。
それでも、その存在は確かにそこにあった。
マルティナは歩き出す。
仕事が止まらないことを、振り返って確認する必要はなかった。




