第五話 届くもの
それからしばらく、彼女は同じ場所に立たなくなった。
丘の端でも、石垣の上でもない。
もっと低い場所。
風が遮られる位置。
遠くは、見えにくい。
だが、近くの音がはっきりと聞こえる。
村は、変わっていた。
人は集まらず、
声を出すことも減った。
名前を呼ぶ声が、減った。
彼女は、手に残った感覚を思い出していた。
あの日、風の中で浮かんだ言葉。
――遠くに、触れたい。
見るだけでは足りない。
気づくだけでは、遅い。
けれど、走る気にはなれなかった。
走れば、輪の内に入る。
輪の内では、見えなくなる。
彼女は、地面に落ちているものを見る。
枝。
欠けた石。
割れた壺の破片。
手に取って、重さを確かめる。
風に当てる。
投げはしない。
届くかどうか、を考える。
ある日、村の外れで、子どもたちが石を投げていた。
的は、倒れた木の根。
当たる者はいない。
彼女は少し離れた場所から、それを見る。
距離。
高さ。
風向き。
一人の子どもが、力任せに投げる。
石は、途中で失速し、地面に落ちる。
彼女は、同じ石を拾う。
構えない。
狙わない。
ただ、風に合わせて、放る。
石は、木の根の手前に落ちた。
当たらない。
それでも、
子どもたちが、こちらを見る。
「今の、なんで真っすぐやったん?」
答えなかった。
答えられなかった。
彼女自身も、分かっていなかったからだ。
分かっているのは、
力じゃない、ということだけ。
その夜、彼女は一人で歩いた。
村の外れ。
人の気配が消える場所。
拾った石を、何度も手の中で転がす。
重さ。
形。
遠くに、触れるには、
どうすればいい。
風が、横から吹く。
彼女は、石を投げる。
遠くへは、飛ばない。
それでも、
落ちた場所は、狙ったところだった。
彼女は、息を吐く。
届いた、とは思わなかった。
でも、
「近づかなくても、位置を選べば、影響は残せる」
その感覚が、確かにあった。
それで十分だった。
この日から、
彼女は、歩くたびに何かを拾うようになる。
石。
枝。
欠けた骨。
投げるためではない。
届く距離を、知るために。
武器は、まだ遠い。
戦う覚悟も、まだない。
けれど、
「触れたい」という思いだけは、
はっきりと、手の中に残っていた。
風が吹く。
彼女は立ち止まり、
その流れに、身を預ける。
遠くは、まだ遠い。
だが、
届かせる方法は、
確かに、そこにあった。




