第十一話 何も起きなかった日
朝から、風が落ち着かなかった。
吹くでもなく、
止むでもなく、
ただ、流れが揺れる。
彼女は村の外れで立ち止まり、
遠くを見る。
道の向こう。
丘の陰。
人がいる。
数が、少し多い。
動きが、揃っていない。
狩りではない。
旅でもない。
彼女は、位置を変える。
一段、高い場所。
だが、見通しは抑える。
風が抜け、
物は落ちる。
そこで、待つ。
人の一団が近づく。
声が荒い。
言葉が、噛み合っていない。
揉めているだけかもしれない。
だが、輪ができ始めている。
内側に、逃げ場がない。
彼女は、走らない。
棒をつがえる。
軽い。
短い。
落ちる距離のやつだ。
引く。
深くない。
離す。
音が、先に行く。
物は、途中で落ちる。
乾いた音が、
道の脇の石に当たる。
一瞬、空気が変わる。
誰かが顔を上げる。
誰かが立ち止まる。
言葉が、切れる。
「……今の、何だ?」
その間に、
輪が緩む。
内側にいた若い男が、
半歩、外へ出る。
それだけで、十分だった。
誰かが笑い、
誰かが肩をすくめ、
揉め事は、解ける。
剣は抜かれない。
声も、荒れない。
何も起きない。
彼女は、もうそこにいない。
棒も残っていない。
痕跡もない。
ただ、
「今の、何だった?」
という声だけが残る。
夕方、
村に戻ると、
犬が一匹、こちらを見る。
吠えない。
ただ、見ている。
彼女は目を逸らし、
歩く。
その日は、
誰も怪我をしなかった。
誰も死ななかった。
誰も、助けられたとは思っていない。
それでいい。
彼女は知っている。
当てなかったから、
走らなかったから、
何も起きなかった。
それが、一番いい結果だと。
風が吹く。
彼女は、歩く。
遠くを見る癖は、
もう、癖ではなかった。




