第五幕:装置の知性
やあ、君。
第四幕の冒涜が静まるベーカー街で、ワトソンの一人称が語り出す。
ファウストの渇望がホームズの頭脳に問いかける――知性は知識で左右されるか?
装置のような天才と、探求者の苛立ちが交錯する。ディナーのフォークが、哲学の棘に変わる夜を、覗き見よう。
シャーロック・ホームズの知性は、知識によって左右されるものなのか。彼とそんな話をした。
私、ジョン・F・ワトソンが記す。
ファウストの魂を受け継ぐ者として、私は彼の頭脳を仲間たちと分け合いたかったのだ。
あの不滅の渇望を、
探偵の鋭い眼差しに重ねて。
知性は知識によって左右されるか。
彼にとっては、
そんなものではない。
ホームズの頭脳は、
ツール以外の雑多な知識を一切寄せ付けず、まるで一つの完成された装置のようだった。
彼は出力結果に想定外を生まぬよう、あらかじめ物語の筋書きを決めておく。道具の扱い方を、綿密に。
活用する知識は決して完成形にはならず、問題が生じればその都度、既存の枠内で組み直す。
それだけだ。
私は彼に尋ねてみた。
「もし、今君に足りない知識があるとしたら、積極的に取り入れるかい?」
彼は私の言葉を聞き終えると、いつものようにバカにした調子で返した。
「ワトソン。君は自分の持つ道具を、足りないからとすぐ捨てたり、入れ替えたりするのかい。なるほど、時代遅れのものもあるさ。だが、それが役立つ限り、私は置いておく。捨てたりもしないし、そうそう取り替えたりもしないよ。」
ここまでは、いつもの彼だった。だが、彼はこれを、私をからかう絶好の機会だとばかりに、ことあるごとにちらつかせる。不愉快極まりない。
ある晩のディナーでさえ、彼はフォークを弄びながら、にやりと笑った。
「おや、このフォークは古いから、入れ替えた方がいいのでは……ワトソン? 君の知識のようにね。」
私はフォークを握りしめ、ただ苦笑するしかなかった。あの装置のような男は、今日も私の好奇心を、軽やかに解体していく。
第五幕、ワトソンの視点で知性の哲学を深掘り!
ホームズの「道具」スタンスがファウストの渇望をからかうやり取り、静かなのに棘だらけでした。
記録の抵抗から続く魂の成長を、優しく描いてみました。
第六幕で完全犯罪へシフト。どう思った? コメント嬉しいです!