43節 血塗れの家
あの後、逃げ帰ろうとする月ヶ瀬を追いかけ、必死に弁明した。
途中までは信じてもらえなかったが、神器で人間に変身した猫だと説明すると、途端に目の色を変え、「病室に戻ろう」と言い出した。
だが、その直後。
背後から迫ってきた看護師にこっぴどく怒られ、俺への面会は謝絶。
月ヶ瀬は強制退去となった。
物悲しげな顔で出口へ引きずられていくアイツの姿が、妙に印象に残っている。
それから一日後。
俺は無事に退院した。
「はぁー……やっぱシャバの空気は美味いな。
さて……帰るか、タマ。」
「ニャ〜。」
声を掛けて後ろを見ると、リュックの中から白猫がひょこりと顔を出した。
タマは、うちで飼うことにした。
身寄りがないのもあるが、治癒ができる神器を持っていると知れれば、絶対に狙われる。
なら、俺たちの目の届く場所に置いた方がいい。
問題は、それを母さんが許すかどうかだが……。
「おかけになった電話番号は――」
「ダメだ……また繋がらない。」
昨日からずっと連絡が取れないままだ。
幸い病院から家まではそれほど遠くない。迎えは諦め、自力で帰ることにした。
「怒ってるのか……?
……気が重いなぁ……。」
成人したとはいえまだ学生。
それが新学期早々、数日も家に帰らなければ怒って当然だ。
せめてもの機嫌取りに、母さんの好きなロールケーキを買う。
最寄り駅から家までの道を、重い足取りで歩いた。
見慣れた町並み。
見慣れた道路。
見慣れた一軒家。
上手い言い訳も思いつかないまま、気づけば家の前に立っていた。
ドアの前でしばらくウロウロする。
入る決心がなかなかつかない。
だが、ここでいつまでも手をこまねく訳にもいかない。
「……よし、行くぞ……!」
意を決し、鍵を開ける。
そっと玄関に足を踏み入れた。
この時間、母さんは仕事のはずだ。
家には誰もいない……はずなのに。
玄関に入った瞬間、違和感が走る。
――いつもと違う。
その理由に気づいた。
「どうして、靴があるんだ……。」
玄関に転がる白いスニーカー。
母さんが仕事に履いていく靴だ。
しかも、無造作に脱ぎ散らかされている。
几帳面な母さんが、こんな脱ぎ方をするのを見たことがない。
嫌な予感がした。
急いでリビングへ向かう。
半開きのドアに手を掛けたその瞬間——鼻を突く異臭に血の気が引く。
血の匂い。
リュックの中のタマが暴れ出す。
最悪の想像が頭をよぎる。
だが、首を振ってそれを振り払い、勢いよくドアを開けた。
目の前の光景に、俺は言葉を失った。
血まみれで横たわる——巨大マグロ。
その横で、包丁を握る母さん。
「あ、おかえり……長助。
神津島に旅行行ってきたんだって?」
「……え?」
「それとコレ何?
いきなりこんな大量に送ってきて……もう冷蔵庫パンパンよ。」
冷蔵庫には、ありとあらゆる海の幸。
磯の匂いと、血生臭さ。
さっきの異臭の正体はこいつらだったらしい。
「か、母さん!?
今日、仕事じゃあ……!?」
「あー……ちょっと体調崩しちゃって。
一昨日から休んでたの。」
「電話は!?」
「電話?」
母さんはポケットからスマホを取り出す。
「あら、電源切れてる。」
そして、あっけらかんと言った。
「ごめーん、気付かなかった!」
「な……!?」
全身の力が一気に抜けた。
俺はその場に崩れ落ちる。
どうやら、盛大な勘違いをしていたらしい。
その時、リュックからタマが顔を出し、巨大マグロにかぶりついた。
「ええっ!?猫!?」
母さんが目を丸くする。
「この子どうしたの!?」
「……拾った。」
俺は床に座ったまま答える。
「今日から、うちで飼う。」
「ええ……もう。」
母さんは呆れながら笑った。
「ちゃんと自分で世話するのよ?」
その日の昼飯は、魚尽くしだった。
―――
「加賀さん、家に魚が——」
昼食を食べ終えると、自分の部屋に戻り、すぐに加賀さんへ電話する。
夜千代に電話しても繋がらず、他に事情を知っていそうなのは加賀さんしかいなかった。
家に魚が大量に送られてきた件について尋ねる。
加賀さんは思い当たる節があるようで、元気な相槌の後、話し始めた。
なんでも、夜千代が、俺が家に帰らないのを怪しまれないように、神津島に旅行しているという体で、あの魚たちをお土産として送ったらしい。
それならそうと置き手紙にも書いておけ、と心の中で憤慨したが、加賀さんの手前、ぐっと堪える。
魚の謎も解けたので俺が電話を切ろうとすると、加賀さんから呼び止められる。
「……奴らに神器を奪われたんだろう?
災難だったね。」
「……いえ、生きてるだけ奇跡ですよ。
それに――俺の神器は必ず取り返しますから。」
電話口の奥から小さく吐息が漏れる音が聞こえる。
呆れているのか笑っているのか、表情が見えないのでよくわからない。
「君達は強いね…。
夜千代も同じ事を言っていたよ。」
「夜千代が…?」
俺の神器が奪われた時、確かに取り返すと言ってくれたが、本気でそのつもりなのか。
「とはいえ、神器を持たない君が奴らに挑むのは危険だ。もし戦う気なら新しい神器を探さないと。」
「あ!それなら――」
俺は神津島での戦いで善治の神器を使ったことを説明する。
いきなり右手に解放された神器が現れ、戦闘後にはいつの間にか無くなっていた。
「突然神器が現れた?
……うーん、聞いたこと無いなぁ。
あの男の神器はこっちで厳重に保管してるはずだし……。」
「でも、アイツの神器が俺に言ったんです。
『俺が喚んだくせに』って。」
「喚んだ……ふむ……。」
少し考え込む加賀さんをじっと待つ。
そして――。
「……長助くん。
今度の休み、ウチに来れるかい?」
「え?」
「君とあの神器をもう一度会わせてみたい。
…どうだろうか?」
「……!」
俺と神器を会わせる。
それはつまり、俺がアイツの神器を使えるか試してみたいということだろう。
加賀さんが考えていることが何となくわかる。
「行きます。」
俺は迷わず答える。
アイツの力をまた借りるのは癪だが、ツバキを取り戻すにはあの隊長らと渡り合う必要がある。
その点、善治の神器なら、強さは申し分ない。
「分かった。
なら、前に会った温泉宿『白麓』でまた集合しようか。」
その提案に俺が肯定すると、加賀さんは別れの挨拶を済ませて電話を切った。
今度の休みは3日後。
それまで、入院で鈍った身体を鍛え直さなくては。
俺は薄暗くなった空を窓から眺め、日課のロードワークへと出かけていった。




