36節 まどろみの霧(前編)
猫の姿に変身した白羽命、通称猫ミコちゃんを人間に戻すべく、俺達は彼女の拠点の捜索を始めた。
しかし、道中の森で何度も同じ場所を回っていたという事実が、Aの神器によって判明することとなった。
「アタシも、猫ミコちゃんのオーラを視ていたんだけど…途中から急に視えなくなっちゃって……。」
「もしかしたらこれは…嵌められたかも知れません。」
「猫ミコちゃんに?そんなまさか……。」
「しかし、我々をここに誘導したのはあの猫…そう考えるのが自然でしょう。
…ともかく、皆の位置が判るよう一人ひとり、私のポインターを設置させてもらいますぞ。」
皆が疑心暗鬼になっていると、突然、霧が立ち込める。
霧は、すぐに一帯を覆い、手を伸ばした先すらも見えないほど濃くなった。
「みんな落ち着いて!ゆっくりアタシの声の方に――」
「……リリカ?」
リリカの声が途切れた。
聞き返すも返事がない。
さらに、俺が身に纏っていた砂の防寒着がサラサラと崩れ落ちる。Bが何らかの理由で神器を維持できなくなったのだ。
ヒョーヒョーと甲高い風の音が俺の不安をさらに煽る。
原理は分からないが、この霧が今回の異変を引き起こしているのは間違いない。
直接吸い込むのも危険かもしれないので、口元に手ぬぐいを巻くために輝龍を背中から降ろすが、なにか様子がおかしい。
「おい…輝龍?」
「……。」
白目を剥いて反応を示さない。
「おい…おい!?死んでないよな!?」
「……。」
すぐに呼吸、脈を取って確認するがどちらも正常だった。
ひとまずは、生きてる事に安堵する。
だが、危険な状況には変わりない。
正気に戻したいが、二〜三発殴って問題ないだろうか?ポックリ死んでしまったら非常に困る。
「ええい!迷うくらいならやって後悔だ!オラッ!」
―――
「輝龍……すまない……俺のせいで……。」
「……。」
輝龍は健やかな顔で横たわっていた。
虚ろだった目は完全に閉じられ、安らかな顔で……。
「いや、死んでねぇよ。」
カッ、と見開かれた鋭い眼差しが、腫れた瞼の下からちょっぴり顔を出す。
下垂した瞼に埋もれて、目が閉じているように見えていたのだ。
実のところ、輝龍は二発目で目を覚ました。
三発目をいこうとしてた時、大声で制止してきたが、勢い余っていってしまった。
「起こす為とはいえ、容赦なさ過ぎんだよ。」
「だから謝っただろ。"顔腫らしちゃってすまない"って。」
輝龍は頑丈なので、生半可で殴っても荒療治にならない。
だから、本気で殴らせてもらった。
そのせいで顔面が腫れてしまったが…まあ、それはそれ。必要な犠牲だった。
「多分、他の連中もオレみたいにオチてるだろうぜ。
……つーか、長助。テメェは何ともないのか?」
「あー…霧のせいで方向感覚は狂ってるけど、それ以外は何ともないな。」
「ふーん…。」
他の皆を助けに行きたいが、既に方向を見失っている。せめてAが居れば、この霧の中でも位置が判ったかもしれない。
「輝龍、一応聞くけど、この霧、お前の仲間の能力か?」
「……いや、オレはこんな能力知らねぇな。」
目を泳がせ静かに答える。
嘘をつくタイプでは無いが、何か引っ掛かる言い方だ。
隠しているのは間違いない。
「…とりあえず、ここに留まってても仕方ない。危険だけど、適当に進んでみるしかないな。」
―――
暗い霧の中、木にぶつからないようにゆっくりと進んで行く。
月の光は遮られ、足元ですら暗くて見にくい。
少しの段差でも転びそうになる。
自分が正しい方角に進んでいるか以前に、真っ直ぐ進めているかも怪しい。
「参ったな……。」
いつ来るか分からない襲撃に警戒しながら、慎重に移動するのはかなり精神を消耗する。
どのくらい経っただろうか、ずっと同じ光景で時間の感覚が曖昧だ。
1時間は経った気がするし、5分のような気もする。
出口の見えない閉塞感に不安と恐怖が押し寄せ、呼吸が乱れる。
もし、一生抜け出せなかったら……。
イヤな想像を振り払うように頭を大きく振る。
弱気になってはいけない。
今、動けるのは俺しかいないのだから。
俺は立ち止まって輝龍を降ろし、木の幹を背にして座らせる。
あれから輝龍は何も喋らなくなった。
声をかければ返事は返ってくるので、意識を失ったわけではなく、ただ単に気分じゃないだけなのだろう。
「…休憩か?」
「…ああ、ちょっとな。」
こんな感じで一言、二言交わして終わる。
出発時の元気はどこへ行ったのやら。
無駄に雑学ひけらかしていたのが嘘のようだ。
(まぁ、何か心当たりありそうだったからな、黙るのは当然か……。)
小さく溜息を吐いて、輝龍とは別の木に背もたれ、腰掛ける。
気分転換で空を見上げるが、白モヤが漂って星は見えない。この島における夜の楽しみだったのに、それすらも出来ないなんて。
ゲーム機を没収された子供の気分だ。
その時、ヒョーヒョーと甲高い音の風が吹く。
鳥の鳴き声にも似たソレは、まるで俺を嘲笑い、煽っているように感じた。
(…あークソッ。風にムカつくとか…俺、相当疲れてるな。
……ん?待てよ?)
そういえば、皆と逸れる前、同じ様な音を立てる風が吹いていた。
そして、その直前に奇妙な発言をした奴がいた。――ソイツは確か…。
「風が変わった…。」
口から溢れた独り言に、目の前の男はガバッと顔を上げ、目を丸くしてこちらを見る。
何も言わずとも、その反応が全てを物語っていた。
「風を操ってまどろみの霧を生み出した奴がいる……そうだよな、輝龍。」
輝龍は数秒間目を閉じると、観念したのかゆっくり口を開いた。




