2節 不穏な幕開け
「熊坂の秘蔵は、長男 熊坂長助に全権継承させる。」
「は?継承って…?俺が相続するってこと…?」
「ああ、そうだ。つまり長助くん、君が次の熊坂家当主に選ばれたということだ。」
「…嫌です。俺はもう無関係だ。アイツとはもう親子じゃない。」
俺が断ると、加賀さんの眉毛が物悲しそうに垂れる。その表情には断られると予想していたかのような諦めの感情が視えていた。
「……そうか。君達の境遇を考えれば当然だ。でも、すぐに答えを出す必要はない。まだ時間はあるから明日にでも答えを聞かせてくれ。」
「……わかりました。変わらないと思いますけど。」
加賀さんは話を切り上げ、奥の床の間へゆっくりと歩いていく。だが俺は加賀さんを呼び止め、ある一つの疑問を投げかける。
「実救は?今どうしてるんです?」
「実救ちゃんか…今は何とも……。元気ではあるよ。病気も治って常人以上に動けるようになったんだ。」
「そうですか……。なら良かったです。」
実救。俺の姉だ。姉ではあったが年子で年齢に余り差がないことから呼び捨てで呼んでいた。実救は子供の頃から心臓に難病を抱えており、激しい運動が出来ず、いつも臥せっていた。
離婚時に母さんが俺達2人を引き取るつもりだったが、親父が実救を引き取ると言い出し、当然俺と母さんは猛反対。しかし、治療に多額の金額が要求されるという事、親父が実救にだけは何があっても手を上げなかったこともあり、親権は親父が持つことになった。
だからこそ、当然の疑問がある。
「実救が元気なら、どうしてアイツが次期当主じゃないんです?」
その質問に、加賀さんはピクリと身体を動かし、こちらに背を向けたまま小さな声で返答する。
「…色々あるんだよ。例え、力があってもね…。」
―――
翌日。朝食を済ませ、加賀さんが待つ富士の間に向かう。襖を開けると、だらしない顔をしながら肩を揉んでいる夜千代と目が合った。固まる両者。昨日あれだけ無表情だった奴があんな幸せそうな顔していて一瞬、同一人物とは思えなかった。
襖をそっと閉じ、咳払いをして朝の挨拶をする。加賀さんから返事をもらい、改めて襖を開ける。そこには、昨日と同じ無表情の奴がいた事に俺はなぜか安心感があった。
(悪い夢でも見たことにしよう…。)
あまり奴を見ないようにして座椅子に腰掛けると、加賀さんがすぐに話を切り出した。
「早速だが長助くん。答えは決まったかな?」
「…はい。昨日しっかり考えました。それでなんですが…やっぱり俺が相続するのはおかしい。個人的な恨みもありますが、血が繋がってるとはいえ、14年も会ってなかった子供が継ぐのは他の親族も良い顔をしないと思いますし、だから…。」
「俺は相続を放棄します。すいません。」
そこまで言ったところで加賀さんが優しく微笑んだ。その笑顔に未練が残っているようには感じなかった。
「うん、わかった。俺も継承しない方が君にとって良い事だと思うよ。聞かせてくれてありがとう…!」
握手を求められ、ワンテンポ遅れて差し出された手に応じる。70代とは思えない力のこもった握手で昔の加賀さんの力強さを思い出し、懐かしく思った。
―――
「君に話したいことはこれで終わりだけど…まだ時間はあるか?ここまで来てもらって何もせずサヨナラは可哀想だから、せめて宗司の家にある物で使えそうなものがあれば持っていってくれ。」
「家……?あっ……!?」
家と言われて昨日の出来事を思い出す。歩く着物と女の声、これらの心霊現象にあったことと、鍵を閉めずに来てしまったこと。
俺の声で事情を察したのか怪訝な顔で何かあったのか尋ねる加賀さん。俺は怒られること覚悟で昨日の出来事を話した。
「なんてことだ…!それは不味いかもしれん…。急いで確認しなければならない。夜千代、すぐに車の準備を。長助くんはここで待ってて…いや今すぐ帰ったほうが良い。」
怒られなかったのも予想外だったが、ここまで焦るのはもっと予想外だった。自分がとんでもない事をやらかしてしまったのではないかと不安になる。
「本当にすいません!泥棒でも入ってたら……本当にすいません!!」
「ただの泥棒なら可愛いもんだ。もし奴らが嗅ぎ付けていたら……非常に不味い。」
「奴ら?何のことですか?奴らって……っ!?」
「喚くな、お前に構ってる暇はない。急いでるって言ってるだろ。」
後ろから夜千代が俺の首根っこを掴み、乱暴に投げ捨てる。
「お爺、準備ができたので掴まって下さい。」
「ああ、ありがとう。長助くん、すまないが緊急事態なもので俺達はこれで失礼するよ。大きくなった君に会えてよかった。それじゃ達者でな。」
「あ…!ちょっと加賀さん!」
夜千代に抱えられた加賀さんは、物凄い速さで宿を後にした。取り残された俺は何が起こっているのかわからず、混乱するばかりだった。だが、このまま素直に帰って、もし加賀さん達に何かあったら全部俺のせいだ。
「そんなの…良い訳ないだろ!」
俺が招いた事態だ。なら責任を取るのも俺だろう。
急いで車に乗り込み、カーナビに住所を入れる。シートベルト未装着の電子音が鳴り響く中、俺は加賀さん達の後を追いかけて行った。




