20節 現人神
「儂が子供の頃、当時は終戦後というのもあって外国人は恐怖の対象じゃった。そんな時、彼女は突然やって来た。」
「透き通るほど真っ白な肌と髪、血のように真っ赤な瞳をした女子。神々しさすら感じさせるその容姿は、島民を怯えさせるのに充分じゃった。」
「当然歓迎はされず、酷い罵声を浴びせる者もいれば、石を投げる者もいたが、そんな彼らを見ても彼女は微笑みを絶やさなかった。」
「そんなある日、儂が友達と長浜海岸に遊びに行くと、そこにはあの人がいた。浜辺に座って夏の海を静かに眺める姿に、儂は目を奪われた。思えば、これが初恋じゃったのかもしれないのう。」
「儂ら子供は外人を見たらすぐに逃げろと言われていた。奴らは人の皮を被った物怪だと。捕まれば生皮を剥がされ、取って代わられる…と。じゃが、儂ら日本人と同じように景色を眺め、目を輝かせて感動する彼女を見て、とても妖怪の類とは思えなかった。」
「儂らの警戒心は絆されていき、気付けば一緒に遊んでおった。不思議なことに彼女は流暢な日本語を喋れたので言葉の壁は無かった。そこから少しずつ、子供達と戯れる彼女の姿を目撃した島民が交流を始め、多くの者が心を許すようになっていった。」
「数日後、儂らはあの人と遊ぶためいつものように海岸に訪れたが、その日は見当たらなかった。じゃが、どうしても一緒に遊びたかった儂らは、島内で捜索する事にした。」
「儂は北の森を進んでいき、彼女を探した。道なき道を歩くのは慣れていたので、すぐに果ての方まで辿り着いたが、それでも見つからず、諦めて戻ろうとした時、茂みの方から猫の声が聞こえたのじゃ。」
「その声は悲鳴みたいに痛々しい叫び声で、ただならぬ様子に茂みを覗き込むと、なんとそこには血まみれの黒猫の前で静かに手を組み、何かを呟き祈っているあの人の姿があった。外人は人の皮を被った物怪。そう教えられていたからこそ、目の前の光景がついに本性を現した物怪の姿と思い込んでしまった。」
「情けない事に儂はその時、腰を抜かしてしまってなぁ、逃げる事も出来ず、ただ茂みの隙間から見る事しか出来なかった。じゃが、儂が想像した事とは全く異なる出来事が起こったのじゃ。」
「白い光が彼女を包み込み、純白の装いに変わったのじゃ。そして、血まみれだった猫に触れると、みるみるうちに傷が塞がっていった。まさに神の御業じゃった。いまだにあの光景が目に焼き付いておるよ。」
「その時、放心していた儂の顔に、トカゲが木の上から降ってきたのじゃ。思わず声を上げてしまい、気付かれてしまった。狼狽える儂に、彼女は困ったように口元へ指を当て、”二人だけの秘密”と微笑んだのじゃ。」
ーーー
ここまで語ったトヨさんは、何故だか悲しそうだった。今の話に悲しいと思う要素は無く、むしろロマンスに感じた。となると別の理由が
…。
「その人はどうなったんすか?」
俺の質問に、少しの間、沈黙が流れた。伏せていた顔を持ち上げ、重い口を開く。
「…旅立った……と、聞いている。ある日突然、姿を見なくなってからそれきりじゃ…。」
「何かきっかけとかは…?」
「……恐らく、儂のせいじゃ。」
トヨさんは再び、ゆっくりと語り出した。
ーーー
「あの人の秘密を知ってから、数日後のことじゃ。この島に一隻の船がやって来た。乗っていたのは、戦争から帰ってきた兵士たち。硝煙の匂いをまとい、ボロボロの軍服で降りてくる男たちは皆、死人のような顔をしておった。」
「体の一部を失い、まともに動けぬ者も多かった。この小さな島で生きるには、あまりにも過酷じゃった。儂の父もその一人でな。右腕を肘から無くし、帰ってきても、魂の抜けたような顔をしておった。」
「その夜、眠れぬ儂は、そっと寝室を覗いた。母の胸に顔をうずめ、声を殺して泣く父の姿を見た。偉大だった父の、弱い一面を初めて見た瞬間じゃった。」
「儂はたまらなくなり、してはならぬことをした。誰にも言ってはいけない“二人だけの秘密”を、両親にならいいだろうと、安易に話してしまったのじゃ。」
「翌日、家族で海岸へ行くと、彼女はいつものようにそこにいた。儂に気付き、笑顔を見せたが、腕を無くした父を見た瞬間、その表情は微かに陰った。察したんじゃろうな、儂が秘密を破ったことを。」
「彼女は何も言わず、父だけを岩陰の中に連れていった。その後すぐに、父の感謝する声が何度も聞こえ、純白の装いをしたあの人と共に岩陰から出てきた。」
「父の右腕は完璧に再生されていた。まるで最初から怪我など無かったように。完全に理外を超えた力に両親は彼女のことを現人神と呼び、崇拝するかのように膝をついて祈っていた。」
「その光景に、儂は何とも言えぬ恐ろしさを感じた。一緒に遊んでいたあの人は、儂が気軽に関わってはいけなかったのではないか?本当は敬意を払わなくてはいけないのではないか?…そんな風に思ってしまった。昨日まで身近な存在に感じていたあの人が急に遠い存在の様に思えた。」
「あの人が儂を見る。いつものように慈愛に満ちた微笑み。その笑顔が怖くて儂は逃げた、逃げてしまったんじゃ………。」
「その後、あの人と遊ぶのをやめてしまい、二度と会うことはなかった…。」
―――
トヨさんが語り終えた後、周りにいた誰もがだんまりだった。後味の悪さになんと言えばいいか言葉が浮かばない。
少しの間、沈黙が続くが、それを破ったのはこの状況を作ったトヨさん自身だった。
「たった一夏の思い出じゃが、今でも後悔しているよ。あの日、秘密を破って話したことを…そして、あの時、拒絶し、逃げ帰ってしまったことをな……。」
「こんなつまらない話じゃが、参考になったかのう?」
参考になったかどうかで言えば、かなり有用な情報だった。光を放って姿を変えるという特徴は、神器によるものでほぼ間違いない。ただ、それが80年前、しかも行方不明となれば、この島に残っている可能性は限りなく低い。というか、生きてる可能性すら…。
「爺さん、ありがとう。すごく参考になった。多分俺達が探してるのはその人だ。」
「そうか…それなら、もうこの島には居ないじゃろう…。別の場所を探すといい。」
トヨさんは顔を伏せたまま反対を向き、窓を眺める。窓にはガラガラの駐車場が映し出されているだけだ。何も面白いものはない。
「俺達、もうちょっとこの島で探してみるよ。もし見つけたらここに連れてくるから。……それじゃ。」
返事はなかった。俺は小刻みに震えるトヨさんの背中を見納めて老人ホームを後にした。




