春泥とタキオン
男はその中途半端に生え残った髪を耳くらいにまで伸ばしていた。ある砂漠で撮影されたその男の写真、その夕方は強風が吹いて強烈な砂嵐。カメラマンも男自身も、誰もが何で今日この時間に、と内心思って言い出せなかったその日に撮られた男の写真は、砂を防ごうと鋭く絞られた目つきに、ほど伸びた薄ら寂しい髪の毛が気流に舞って、男の頭部に炎が激しく燃えて乗っかっているように映った。
この男、咲春泥と発しやす。
来年度に小学5年生を控えた少年、タキオンは風呂につかりながら今日一日の思い付きを振り返っていた。林檎や檸檬、葡萄といった、画数が多い2字熟語の果物を割って、真ん中に画数の少ない動物の字を入れたら、それ自体記号の羅列でしかないところ、ぐっと絵的にならないだろうか。林犬檎、檸牛檬、葡虫萄。林犬檎は若干、林の字の密度が低いかもしれない……。思考という語の意味を、頭や脳内で行われる活動とするのではなく、場所を問わず記号の操作であるとすれば、3桁の筆算や化学反応式などの紙上で行う思考も思考として、ぐっと受け入れやすくなるのじゃないか。きっとそうだ。きっとそうさ。
タキオンは浸かっているお湯が少しぬるいことに気づいて『高温足し湯』のボタンを押す。ガイド音声の後、まずノズルから水の噴出音、次いでまだ温まっていない冷水の感触、そして段々と温水に変わっていきその勢いに冷水が押され、彼は肌で流体力学を学んでいる。タキオン自身にその自覚はないにしても、タキオンはこの年にして行き過ぎた自覚<自意識過剰>の悲しさ──周囲への期待、その中毒性と決して期待が叶えられることはない無情感──を理解しているため、必死に必死に、彼は心のそっち側を見ないよう、その時点で見ているのと同義だという論調をおじいちゃんの墓石の下に置き去りにし、曇ったガラスや残り半分を切ったシャンプーボトルなどを眺めては、明日へのアイデアに備えるのだった。
だが備えようが無意味であることを、タキオンは月と太陽の関係に発見していた。
春泥とタキオンに接点はなく、せいぜいタキオンが国語の教科書の詩のページで春泥のあの顔写真を見つける程度だろう。だいたい歳が違うどころか、生きている年代が違う。共通点といえば強風と高温足し湯、つまり流体力学だ。だがこれは普通、共通点とは呼ばれず、自然科学と呼ばれる。
5年に上がったタキオンは黒板に貼られた席順を確認する。愛野タキオン。今年も文句なしで1番前の席だ。まだ誰も来ていない教室に振り返ると、いつの間にか一人だけ席についている。タキオンの対角線上最奥の席、つまり出席番号のラスト。席順の紙のその席に書かれていた名前は、鰐鰐鰐。なんだこの名前は? 鮫鮫鮫みたいなことか? タキオンの疑問も束の間、鰐がその右手につけた鉤爪を窓の外の光に反射させ、赤紫の息を吐いている。席に座ったままではあるが、その鰐の目はじっとタキオンを見据えていた。タキオンは咄嗟に命の危険を感じ、そしてまたしても疑問を浮かべる。命の危険とはどこで感じているものなのだろう。命の危険とは、果たして記号操作の賜物なのか、あるいは記号以前の、最も原始的なパルス波形を、自分はこの土壇場で発見してしまったというのか。危機的状況とアカデミックエクスタシー、あまりの事態にタキオンは精通を迎える。そんなことお構いなしに鰐が席を立って、そっと近寄ってくる。鉤爪は長すぎてその刃先が床を擦っている。タキオンは初めての射精で足がすくんでしまう。彼の体はまだこの快楽に耐えられるだけに成長していなかった。彼はまだ今年度に5年生へ上がったばかり、始業式だって行っていないのだ。
「鰐鰐鰐」鰐鰐鰐が言う。「鰐鰐鰐」そう言って鉤爪をタキオンの顔の上に持ち上げる。
DOOOOOOOOM!!!!
次の瞬間、校舎が揺れるほどの轟音と共に、頭に炎を乗せた咲春泥が二人の間に現れた。そこは屋内であるはずなのに彼の髪の毛は舞い上がり、燃え上がっている。咲春泥は出血も恐れずに鰐の鉤爪を優しく握り込むと、そのまま手を引いて教室の後ろのドアから廊下へ出ていってしまった。タキオンは二人の後を追いかけたかったが、虚脱感で足が思うように動かず、出席確認で自分の名前が呼ばれるまでそのままへたり込んでいた。幸い、あの射精感はタキオンがあまりの気持ちよさに錯覚した肌の流体力学であったため空イキに留まり、ズボンを台無しにすることはなかった。しかし愛野タキオンはこれから始まる5年生生活、中学生活、高校生活、大学生活、卒業して就職してさらにその先5年間、何もうまくいかなかった。