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009 暴走

 大挙として押し寄せるゴブリンの波を、ヴォルクは冷静に対処していた。この程度の戦いは彼には何度も経験があったため、特別死の恐怖もなかった。

 

 問題は背後を任せたエレインの心配だった。


 戦闘を一人でこなせるほど、彼女には戦いの経験がない。すぐにでも前方の敵を殲滅させなければ彼女の命はないだろうとヴォルクは確信していた。


 相手は粗末な石の装備を身につけるたかがゴブリンではあるが、矢が顔に当たれば失明の危険があり、槍で足を突かれればその場から動けなくもなるだろう。

 そうなれば肉体が損壊し切るまで袋叩きに合うはずだ。ゴブリンは残酷な魔物である。


 だがヴォルクの悲惨な想像に反して、屍人の少女は戦闘の高揚に身を委ね、金砕棒と共に破壊の限りを尽くしていた。

 

 彼女が持ち前の膂力でもって超重量の鉄塊を横に薙ぐと、小鬼達は枯葉を散らすかのように身体を弾け飛ばした。彼女とゴブリンの間にある力の差は圧倒的なものだったのだ。


「ヴォルク様! こちらは大丈夫そうです、わたしは戦えています!」


 エレインは声を張りヴォルクに無事を伝えると、金砕棒を振り回し、ゴブリンを一撃の元粉砕していく。

 口元には、笑みが添えられていた。

 

 彼女の修道服には返り血が降り注ぎ、純白の衣を赤く染めていったが、ウーヴェの設計した清拭魔法により、すぐに元の白さを取り戻す。

 彼女はさながら戦場に舞う美しき純白の悪魔の様相を示していた。


「エレイン! 頭の守りだけは気をつけるんだぞ!」


 エレインは屍人であるため、頭部の破壊が行われない限りしぶとく生き続けることができる。

 逆に言えば、頭部への攻撃は致命の一撃となるのだ。

 

 だがヴォルクの声はエレインには届かない。

 笑いながらゴブリンを圧殺していく様子は、明らかに敬虔な神の使徒である普段の彼女とはかけ離れていた。


 前方から押し寄せてきたゴブリンの群れがまばらになり、ヴォルクはやっとのことでエレインの様子を目視する。

 しかしそれは、彼の予想を確実に裏切るものだった。


 彼女の身体には数本の小さな矢が突き刺さっており、所々から出血もしている様子だった。

 足元にはゴブリンの死体がいくつも転がっていたが、あまりの損傷に数を数えることはできそうにもない。

 後方から来たゴブリンは全て彼女一人で片付け終わったようだ。


「エレイン……大丈夫か……?」


 ヴォルクの声に反応し、彼女はクルリと頭を回転させこちらを向いた。


 彼女の虚な眼は真っ黒に染まっており、さながら、それは屍人〈ゾンビ〉そのものだった。


「ヴォ……ヴォルクさま……ヴォルクさ、ま……ア゙、あ゙あ゙……」


 明らかに彼女の様子がおかしい。ヴォルクは間近に迫ってきたゴブリンに銃剣を突き刺すと、そのまま身体を突き上げ壁に向かって放り投げた。


「エレイン! 今向かう!」


 ヴォルクはそう叫び、彼女に向かって走り出そうと体勢を整えたが、その姿勢はすぐに解除されることになった。


「ア゙……ア゙、あ゙……」

 

 エレインが両手を前に突き出し、口をあんぐりと開けると、フラフラと蛇行しながらも高速でヴォルクの元へと迫ってきたからだ。


 ヴォルクは着剣装置からナイフを抜き取ると、それを逆手に持ち戦闘体勢を取った。

 今の彼女は、これまでのエレイン・フリッチュではない。ただの屍人だ。


「治す方法を考える前に、まずは無力化だな」


 ヴォルクの判断は早かった。自慢の脚力をもって彼女に接近すると、渾身の右フックを繰り出し、彼女の下顎を粉砕した。


「これで噛まれる心配はない」


 次いで、ナイフを構えると彼女の両脇を切り裂く。


「これで組み付かれることもない」

 

 両腕をだらんと垂らしたエレインに、ヴォルクはトドメと言わんばかりに恐ろしい速さの前蹴りを放った。

 

 先ほどまで行動を共にしていた仲間に対する仕打ちとは思えなかったが、ヴォルクはこれが最善策だと信じた。

 仰向けに倒れ伏すエレインに、ヴォルクは馬乗りになると、そこから、さてどうしたものかと、彼女の処遇を考え始めた。


 彼女がこうなった理由はいくつか考えられる。

 一つ目に、大量の魔物を殺害するという感情の昂りが、彼女の中に眠る屍人として本能を呼び覚ましてしまったということ。

 二つ目に、この洞窟の主が闇魔法で行った干渉の結果。

 三つ目は、単に彼女が人としての理性を捨てさってしまったということ。


 三つ目は考えたくないな。


 だか、どれが当たっていたとしてもヴォルクには彼女を元に戻す方法など見当もつかなかった。

 こうして考えている間も股の下のエレインは身体を揺らし暴れ続けていた。

 しかし、彼女の顔を見ると黒曜石のように黒く染まってしまった目からは、涙が溢れ続けている。


「人間のお前が、まだ中にいると信じてるぞ……」


 ヴォルクはある一つの手段を試そうと思った。失敗すれば彼女は屍人としての第二の生も終えてしまうかもしれない。だが、彼にはこれしか思いつかなかったのだ。


「陽は万物を照らし恵みを与えん。太陽神の名の下、かの者の創痍を癒さん。〈ヒール〉」


 ヴォルクはエレインを対象にして医療魔法の詠唱を唱えた。初級医療魔法〈ヒール〉だ。

 

 詠唱の発動と共に光のオーラがエレインの身体を包んだ。普段ならば神聖な光景である光の魔力の清らかな煌めきだったが、アンデッドであるエレインには正反対の効果を示す。


「ア゙、ギャァ゙!ア゙ア゙ぁ!あ゙、あ゙!」


 闇の魔法により第二の命を与えられた彼女には、光の魔力による回復魔法は全身を焼く神の怒りに等しかった。

 全身からの出血を伴い、彼女の滑らかな肌が、爛れ焼けていく。

 

 ヴォルクは何かの勝算があって彼女に回復魔法をかけたのではない。ただ、顔を殴って正気に戻す方法を取るよりは、幾らか希望があるのではないかと賭けたのだ。

 

 無惨な光景ではあったが、魔法の効果が薄まっていくと共に、大暴れしていた彼女の動きも徐々に収まっていった。


 エレインに馬乗りになっていたヴォルクは、それと同時にあることに気付いた。彼女の胸の中心が、修道服越しに暗く光り輝いていたのだ。


「魔石が光っているのか?」


 魔物の心臓付近にある光る物といえば、魔石以外に考えられなかった。屍人の身体を解剖した経験などヴォルクにはないが、まず間違いないだろう。


 魔石の光は徐々に明るさを増していき、点滅を繰り返すと、それまでで1番大きな光を放ったきり、発光をやめた。

 ヴォルクにはそれが、光魔法の効果、つまり神の奇跡の力によるものに思えた。


「ヴォルク様……?」


 ヴォルクに押し倒されたエレインが、口を開いた。

 眼はいつもの透き通った輝きを取り戻しており、彼女の理智を感じさせた。


「これは、どうなっているのですか? わたしさっきまでの記憶が……」


「理性を失って、ただの屍人として暴れていた。大人しくさせるために身体の自由を奪っている」


 ヴォルクはエレインから退くと、すぐにゴブリンの解体を始めた。小鬼の身体から魔石を取り除くのだ。

 何体かの作業を終えても、エレインは寝たままの状態で動こうとしなかった。否、動けないのだろう。

 ヴォルクはそれだけのダメージを彼女に与えた実感があった。


「エレイン、魔石を摂取するんだ。顎を砕いたから噛めないとは思うが、そのまま飲み込め」


 ゴブリンの解体をある程度終わらせると、ヴォルクは彼女の上半身を支え、取り出した魔石を一つずつ彼女に与えた。

 少し咽せる様子もあったが、ゴブリンから取れる魔石程度の小ささなら噛まずとも飲み込めるようだった。


 エレインはいくつかの魔石を取り込むと、凄まじい早さで身体を修復させていった。

 爛れた肌も砕かれた顎も、腱を切られた肩周りも。また、ゴブリンから受けた矢傷なども同時に修復させていた。


「ありがとうございます、ヴォルク様。わたし、ゴブリンと戦っているうちになんだか自分が分からなくなってしまって……」


「アンデッドとしての破壊衝動が目覚めてしまったのかもしれないな。次からは押さえ込むよう努力しろ」


 ヴォルクはいつもの調子で彼女に声をかけた。優しくはなく、かといって冷たく突き放すわけでもなく、ただぶっきらぼうに。


「次、ですか。わたし、次も同じようになったらと考えると……」


「安心しろ。治し方は分かった。また、ただの屍人に戻っても俺がいる」


 エレインは立ち上がると、身体についた埃を振り払う仕草をした。といっても彼女の服には自動清拭の魔法がかかっているため埃などは付かないのだが、気持ちとしてそうしたかったのだろう。


「ヴォルク様、ありがとうございました。魔石を食べて傷は全部治ったようです」


 エレインは傷の修復のためにかなりの数の魔石を食べた。本来人間なら胃には収まらない程の量だ。全身の傷を治すためにはそれだけ必要だったのだろう。


「お前が大食らいなのはよく分かったよ。さあ、進むぞ」


 エレインは頬を赤らめると、落ちていた金砕棒を持ち直し、ヴォルクの後を追った。


 洞窟はさらに奥へと続いていた。

 ゴブリン達が整列していた箇所を抜けると、通路状だった構造が広い空間へと変化した。

 長方形のその空間には、大量の本棚や読書机などが置かれており、さながら読書家の私室のようだった。

 しかし明らかに異質なのは、洞窟内の至る所に血が散乱しており、隅には人骨がまとめ上げられていることだ。


「火を灯していた形跡がない。ここに住んでいる奴が光魔法の使い手でもない限りは、随分と夜目が効く相手だろう」


 ヴォルクも夜行性の獣同様、夜目は十分に効いたが、完全な暗闇の中で読書ができるほどではなかった。

 

 今までの出来事から推測できることがある。

 この洞窟の住人は、数多くの魔物を使役することができ、夜行性の動物以上に夜目が効く。

 

 街で噂になっていた行方不明事件の犯人であると仮定すれば、街中に侵入することが可能な見た目をしており、死体を街から運び出しこの森でアンデッド化の魔法をかけることができる、上位の闇魔法の使い手。


「下級の吸血鬼かもしれんな」


 ヴォルクはそう呟いた。

 上記の特徴に当てはまる生物は、この大陸にそう多くはいないだろう。


 吸血鬼とは、人間に変身することが可能な蝙蝠の化け物である。

 不死身に近い肉体と人類に類する知能を持ち、闇魔法を扱うことができる狡猾で強力な魔物だ。闇から生まれ出た魔物であるため、夜目もよく効く。

 

 ヴォルクが『下級の』と付けたのは、上級の吸血鬼は数百年から数千年の時を生きるとされ、血を吸うことで自らの配下を作り、普段は人間と変わらぬように生活をしているとされている。

 

 一方、下級の吸血鬼は、自身より上位の吸血鬼に作られた後天的な吸血鬼だ。人の血を吸うことで生きているが自らの素の能力では配下を作ることができないため、もっぱら闇魔法の使用で仲間を増やす。

 

 人に変身することもできるが、長時間は続かないので、普段は人里離れた場所に棲家を作るのだ。

 今回の条件に当てはまるのは下級の吸血鬼だろう。


 吸血鬼は不死身に近い生き物とされている。

 巷では日光や銀のロザリオ、ニンニクが弱点であるとされているが、実際の吸血鬼に明確な弱点などない。

 驚異的な再生力を誇り、空を飛び、魔法を使い、罠をはる。

 ヴォルクは吸血鬼などと戦うのはもう二度とごめんだと思っていた。


「二度と、ですか?」


 エレインはヴォルクから吸血鬼についての説明を聞き終わると、最後の一言を繰り返した。


「俺は一度、下級の吸血鬼と戦ったことがある。その戦闘では生き残れたが、吸血鬼を殺すことはできず多くの仲間を失った」


 ヴォルクは多くを語ることはなかったが、如何にしても吸血鬼は危険な存在であると話した。


「お前が殺された理由は判明した。下級の吸血鬼が仲間を増やすために街へ出向き、お前を殺して洞窟へ連れ去った。なんらかの理由で不要と判断されたお前は、森に置き去りにされたんだ」


 エレインが人間を襲わない理由は分からないままだが、ここにいればいつ洞窟の主人といつ遭遇するか分からない。

 吸血鬼と戦うには、この人数では圧倒的に不利だ。

 一刻も早く街へ帰り、冒険者ギルドに報告するべきだろう。


 ヴォルクはエレインの背を押し吸血鬼の私室を後にしようとした。

 

 すると、ヴォルク達が元きた道から一つの足音が響き始める。倒し残したゴブリンではないだろう。反響してくる音からは、硬い革靴のようなものを履いていることが聞き取れたからだ。


 最悪な状況だった。

 音の主は、たまたま洞窟に迷い込んでしまった紳士というわけではなかろう。


【Tips】吸血鬼。魔物の中でも個体数が特に少なく、目撃情報は僅かでしかない。しかし伝承には多く登場し、勇者に打ち取られる者や、逆に人間と恋に落ちる者も登場する。

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