005 破壊
夜が深まった頃、ヴォルクとエレインは、ウーヴェの店を後にした。
梟の服屋は未だ営業時間だったが、朝から行動していたヴォルクはそろそろ休息を必要としていた。それはエレインも同じことだったろう。
二人はヴォルクが借りている宿に向かうことになった。
宿屋は名を花都の風亭といい、冒険者が泊まるような宿の中では上位に値する、質の良い客舎だった。
ヴォルクは軍に所属していた間、長期に渡り集団生活を行っていた。
それが終わった今は、少しでも上等な住処での暮らしを実現させたかった。それが花都の風亭を選んだ理由だった。
宿に帰ると鹿の獣人の受付がヴォルク達を出迎えた。
彼はヴォルクの姿を見た後、すぐ後ろに控えていた修道女姿のヒューマンの存在に気付いたが、特に気にした様子もなく、いつも通りヴォルクに挨拶をした。
ヴォルクは1ヶ月分の宿賃を既に支払っているため、彼に挨拶を返すとエレインの紹介だけして、そのままカウンターを素通りし借り受けた部屋がある二階への階段を目指した。
宿のラウンジには幾人かの獣人が屯していた。よふけではあったが、夜行性の獣人達の活動時間でもあるので、それもいつものことだった。
獣人の群れの中にはヒューマンの男なども煙草を燻らせながら会話に混じっていたが、冒険者同士で情報交換でもしているのだろう。
ヴォルクは特に彼等と面識もなかったので、さっさとラウンジを抜け階段を上がり、通路を進んだ。
部屋の前までくると背嚢から鍵を取り出し、戸を解錠した。
「ここが俺の部屋だ。覚えておいてくれ」
ヴォルクらエレインが小さく頷いたのを確認すると、彼女を自室へと招いた。
思えばこの部屋を借りて一年になるが、人を招き入れたのは初めてのことだった。改めて、仕事ばかりの一年であったことをヴォルクは実感した。
ヴォルクは部屋に入るとすぐ装備を下ろし、寝巻きへと着替えた。明日からもやることは多い。早く寝るのに越したことはなかった。
エレインにはウーヴェの店で買ったネグリジェを渡すと、彼女は部屋の隅でいそいそとそれに着替えた。
これからの生活は同衾することになると予め伝えていたが、彼女は特に反論はしなかった。まさしく奴隷のように床で寝かされるよりはずっとマシなのだろう。
彼女との生活の一日目はこうして幕を閉じた。
翌朝、ヴォルクはいつもより早く起きていた。
カーテンを開けようかと思ったが、そんなことをすれば隣でまだ寝ている屍人の少女が焼死することを思い出し、やめた。
宿の庭で軽く湯浴みをし部屋に戻ると、エレインはまだ眠ったままだった。
よく観察すると寝息を立てていないようで、胸郭の動きも止まっていた。
顔色も青白いままで、まさに綺麗な死体そのものだったので、ヴォルクは不安になり彼女の肩を揺らし声をかけた。
「ヴォルク様、おはようございます……」
「よかった。それが正常なんだな」
彼女が動かぬ死体に戻ってしまったのではないかと考えたが、杞憂だったようだ。
ヴォルクは部屋を出て庭まで行くと、湯浴み用の水桶を抱えて戻ってきた。
「外では無理だろ」
「お気遣い感謝します……」
ヴォルクは彼女に配慮して、湯浴みが終わるまで部屋の外で待っていた。扉越しに、彼女から入ってよいと声がかかると、開口一番にこう言った。
「今日はお前がどの程度戦えるか確認したい。屍人になったのなら、そこらの人間よりは力があるはずだ。本来ならな」
ヴォルクが本来なら、と付け足したのは、彼女が屍人にしてはコミュニケーションが取れることと、人間に敵対的ではないというイレギュラーな存在であったためだ。
そのためにはまず外に出なくてはならない。
エレインは買ったばかりの修道服のフードを深く被り、外出する支度をした。
「まずはその服の遮光性から確かめないとな」
「お願いします」
行くぞ、と呟き、ヴォルクは部屋のカーテンを開け放った。
「どうだ?」
ヴォルクは心配そうに彼女を見つめた。見た目に変化はないようだが、彼女に関しては分からないことだらけだ。
「少し眩しく感じますが、問題はないようです」
「そうか、それならその格好で外に出ても大丈夫だろう。不安なら夕方からでもいいが」
フードが外れると即消滅するという訳ではない。
ヴォルクは一度日が明けるまで屍人の大群と戦い続けた経験があったが、日が出てから完全に消滅するまで、数分は動き続けていた記憶がある。
エレインはヴォルクからの申し出を断った。
ヴォルクは冒険者道具が詰まった背嚢と魔導銃を背負い、部屋の外へと出た。
奴隷の少女は特に持つ物がなかったため、主人の代わりに背嚢を代わりに持つよう声をかけたが、ヴォルクはそれを断った。
女性に重いものを持たせたくないという訳ではなく、大切な物は自分で持っていたかったからだ。これから荷物が増えれば彼女にも働く機会が与えられるだろう。
「そういえば、森の中を彷徨っていた時は日光をどうしてたんだ?」
宿の通路を歩いている時、ヴォルクは思い出したかのようにそう質問した。
「目覚めた場所の近くにあった洞窟の中に閉じこもっていました。今後どうするべきか数日ほどそこで悩んで、街道に出ようと彷徨い始めたときヴォルク様に助けて頂いたのです」
その洞窟がなければ彼女は一日目の朝に焼け死んでいたのだろう。幸運なことだ。
ヴォルクは口数の多い方ではなく、それ以降は二、三質問をしてから、エレインに話しかけることはなかった。
二人は宿を出ると通りを抜け、街門から街の外へと抜けた。
大柄なヴォルクの広い歩幅に対し、小柄なエレインは喰らいつくように歩みを進める。
主人の歩く速度に不満を言える関係でもなく、黙々と着いていくと、途中でヴォルクも歩幅が合っていないことに気付いたようで、無言のまま歩くペースを少し緩めた。
街を出て街道を一時歩くと、まばらに木々の生えた荒れ地に到着する。
街道から逸れるように土の小道ができており、ヴォルクは道から外れるとその小道へと進み始めた。
「この荒れ地から魔物が出る。といっても小型の魔獣の類がほとんどだ。武器を持った素人でもなんとかなる」
魔獣とは体内に魔石が発生したことで凶暴化した獣のことで、通常の状態よりも手強くなっている。
本来、都会の街の中だけで人生を終えるようなヒューマンが武器を持ったところで、戦えば怪我では済まない結末を辿ることが多い。
だが、常に死のリスクがあったスラムで育ち、その後は軍に身を置き続けていた獣人のヴォルクにとっては、この程度の魔物は取るに足らない存在だった。
「まずは力試しをしてみろ。あそこに生えている木の枝を殴ってみるんだ」
ヴォルクが指差した枝は、男性の腕周りほどの太さがあり、とてもではないが華奢なエレインが叩き折れるような太さではなかった。
いや、この太さならばヴォルクでも身体強化魔術をかけていない素の力で折ることは簡単ではないだろう。
エレインはおっかなびっくりといった態度で木に近づいていき腕を振りかざすと、渾身の一撃を枝へと繰り出した。
エレインの殴打は、枝にミシミシとまるで雄叫びのような音を立てさせると、そのまま派手に砕け散った。
枝と、エレインの手の両方が。
ヴォルクはただ、唖然としていた。
経験則から、屍人はあの程度の枝を折れる力を秘めた魔物という予測を立てていた。
そのため一般的に屍人には組み付かれないよう近づかず処理するのが鉄則なのだ。
だが結果はどうだろう。枝は折れるどころか砕け散り、その代償か、エレインの手も、見るも無惨な状態へと様変わりしていた。
エレインは無言でヴォルクを見つめていた。
自分に起こった自体が飲み込めていないのだろう。大騒ぎしていないことから、痛覚はないようだ。それはまだよかった。
「エレイン……大丈夫か……?」
「痛みはありません……ただ自分の手を見るのが怖いのです。どうなっているのか教えて頂けませんか?」
ヴォルクはエレインの手がどうグロテスクな塊になっているのか、説明するのに迷った。
「まあ、それよりも今後どうするかを早く考えよう」
屍人は人間を喰うことで身体を再生させるが、彼女はどうなのだろう。試しにそこらの人間を食わす訳にはいかないし、どうしたものか。
とりあえずは付近にいる魔獣を狩って食べさせてみよう。
「あの、なんでこんなことになってしまったのでしょうか……」
ヴォルクの予想では、彼女はまだ力のコントロールができておらず、リミッターを超えるパワーを出してしまった結果が、この有様なのだと思った。
「多分屍人としての力のコントロールができてないんだ。練習すれば常人を超えた力を扱えるようになるはずだ」
「練習……? これを練習するのですか……?」
エレインはまだ自身の手を直視できていないようだが、ヴォルクの反応から相当酷いことになっていることは予測がついているようだ。
ただでさえ青い肌が、余計に目立って見えるようだった。
「まあ、まずは回復からだな。魔獣を食べてどうなるかみてみよう」
ヴォルクはエレインを木陰で待たせると、銃を担ぎ、荒れ地を突き進んだ。
いくらもしないうちに鹿の魔獣を見つけたため、魔導銃に魔力を込め、一撃で頭部を破壊しその命を奪った。
その場で肉を解体し、心臓付近にある小さな魔石を取り出すと背嚢から吊り下げられている小袋に仕舞い込んだ。
ヴォルクがエレインの元に戻るまで数刻の時が経った。
魔獣の肉を担ぎながら帰ってきたヴォルクは、エレインの側で焚き火を起こし、つい先ほど狩ってきたばかりの肉を焼き始めた。
「随分待たせたな。手は大丈夫か?」
「はい。自分で見た時は失神しそうになりましたが、今はもう平気です。それより、この手は魔獣の肉を食べただけで治るのでしょうか?」
ヴォルクも確証はなかったが、一般的な屍人が人の肉を食べて組織を回復させるのは、多分肉から魔力を得たことで起きる現象なのではないかと考えていた。
その理論が正しければ魔獣の肉を食べても回復はするだろう。
そう考えると、何の調理もせずに生きたままの肉にかぶりついた方が魔力の摂取状況は良い気がしたが、数週間前までただの街娘だったこの少女にそれは酷だろう。
ヴォルクは十分に火の通った肉をエレインへと差し出した。
「頂戴します……」
エレインは片手で肉を受け取ると、意を決したように噛みついた。
新鮮な肉ではあるが、何の味付けもなされてはいない肉だ。美味しくはないのだろう。彼女の顔は、肉を食べ進めるたびに徐々に曇っていった。
そして、自身の手を何度か眺めると、いささかの変化も起きないことに絶望しているようだった。
「治りませんね……」
ヴォルクもまた、その光景に頭を悩ませていた。これで治らないならば本当に人を食べさせるか、最後の手段として回復魔法をかけるか、というところになるだろう。
アンデッドに対する回復魔法は本来、効果が反転し攻撃魔法へと変わる。
動く死者を回復させる行為は、マイナスにプラスを足してゼロにするように、アンデッドを真の死に近づける行いだからだ。
ヴォルクはふと、魔力を食べて回復するのであれば、何も食べるのは肉でなくても良いのではないかと考えた。
ヴォルクは背嚢に吊り下げられた小袋から魔石を取り出すと、エレインに手渡した。
魔石とは、魔物の力の源となっている魔力の核である。
質にもよるが、魔石の中には大量の魔力が蓄積されており、それは奴隷商の店にもあったように灯などのエネルギーに活用される。
「無茶に聞こえるかもしれないが、それを食べてみたらどうだろう」
もし仮にヴォルクがエレインの立場だとしたら、
「奴隷は主人の命令なら石でも食わなければならないのか」
と嫌味の一つでも言っていただろう。
だが、エレインは二つ返事でそれを了承した。
自身の手を治すためなら何でも試してみようという気概だったのかもしれない。
エレインは鹿の魔獣の魔石を頬張ると、不安な顔を押し殺しながら、それを一気に噛み砕いた。
「あっ……」
不安げだった顔が笑顔に変わる。若干ではあるが、エレインの手が修復され始めたのだ。
「どうもこれだけの魔石じゃ足りないみたいだな……」
ヴォルクはそう呟くと、焚き火の片付けをし背嚢と魔導銃を背負った。
狼の、狩りの時間だ。
【Tips】魔石。魔物の核となっている石。大抵は心臓付近に位置している。魔石を破壊された魔物は、魔力の操作ができなくなり力のほとんどを失うが、必ずしも絶命するというわけではない。アンデッドがその例だ。