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004 契約

 ヴォルクは奴隷商に強く迫ったことを謝罪し、彼女を買い取ることを申し出た。


「ヴォルク様。お知り合いが奴隷とされていればご立腹なさるのも当然かと思われます。謝罪は受け取りました。さあ、商談に入りましょう」


 奴隷商は争いごとには慣れていないが、ヴォルクとは違い、商いに人生を捧げてきた男だった。

 商売となれば、ここにいる誰よりも話の早い人物だ。


「理性のあるアンデッドなど特に珍しいものです。私共も取り扱った経験はございませんので、値付けにはいささか戸惑いがございました」


「そうだろう。脅すつもりはないが、憲兵に見つかれば只事では済まないはずだ」


 ヴォルクは暗に憲兵に通報するぞと含ませる喋りをした。

 もちろん脅して値引きさせるつもりだ。


「問題はそこなのです。彼女に鑑定魔法をかければ屍人〈ゾンビ〉と表示されてしまいます。今のところ人を襲う気配はありませんが、これでは亜人として販売する道理が通りません。しかし」


「しかし、なんだ?」


「しかし、販売できないものを店に置いておく道理もまたございません。実は私共、既に王国法務局に許可をとり、魔物の販売許可証を新たに頂いております」


 ヴォルクはそこで話の筋道を理解した。


「実態は魔物だが、お前達が亜人であると言い張って販売することに法的な問題はないということか」


「その通りです。あとは希少な魔物として好事家に売るか、希少な亜人として超高額で売るか、方々を探ってみたのですが……」


「アンデッドを買いたがる奇人は見つからなかった、と」


「その通りでございます……」


 ヴォルクはB級の冒険者であり、幾度もの過酷な戦を乗り越えてきた元軍人でもある。

 アンデッドの、それも下級である屍人などは素手でも対処することが可能であったが、高級奴隷を買おうとするような金持ちが躾けをするには少し荷が重かったのかもしれない。

 

 いや、そもそも一般的な東旭教徒であればアンデッドを飼おうなどとは微塵も思わないか。


 ヴォルクは奴隷を買うために持ってきた予算の半分程度の額を商人に示した。

 半分程度といっても、本来人間の小娘を買うだけならば、破格の値段ではあった。


 奴隷商はまだ言いたいことがあったのだろうが、最終的にはヴォルクの示した値段で納得した。

 

 商談成立だ。

 

 奴隷商は檻からエレインを連れ出すと、ヴォルクと共に小部屋へと場所を移した。契約に移るのだろう。


 屍人の少女は檻から出る際、ヴォルクに顔を向けた。

 

「ヴォルクさん、なぜわたしを買われるのですか? 今やわたしはただの魔物ですよ?」


 ヴォルクはその答えに詰まったが、ただ、


「なんとなくだ。その方が俺の人生が面白くなると思ってな」


 と答えた。

 

 小部屋には既に魔導士が一人待機しており、机には数枚の羊皮紙が置かれていた。

 ヴォルクは金を奴隷商へと渡し、奴隷商はそれを確認すると、机に置かれたその書類をヴォルクへと渡した。


「これが死の契約魔法か……」


 ヴォルクがそう呟くと、魔導士の男がそれに頷いてみせた。


「この魔法は、縛りを破った者の心臓を握り潰すという契約を施行するものです。縛りは奴隷が主人に危害を加えようとした瞬間に破られます」


「本来ならそれで奴隷に殺されずに済むだろうな」


 そう本来なら。

 大概の生物は心臓を潰されることで絶命する。完全に息の根が止まるまで何秒かの猶予があったとしても、脳への血流が止まることは完全な死を意味する。


「ヴォルク様は冒険者のようですのでご存じかと思いますが、屍人は心臓を潰されても消滅することはありません。そもそも心臓が動いていないからです。有効なのは頭部の破壊と日光の下に晒すことのみとなります」


「そうだな」

 

「ですので今回の場合、この契約魔法に有効性はありませんが、奴隷の売買には法律上欠かせないものでして」


 魔導士の男はそう言うと、ヴォルクに自らの血をエレインの心臓の位置に擦り付けるよう求めた。

 

 奴隷商の男は小さな針をヴォルクに渡そうとしたが、ヴォルクはそれを断り、自らが愛用するタクティカルナイフを腰から抜くと親指に小さく傷を付け、血を垂らした。


 エレインは着ていた襤褸の胸元を少しはだけさせると、そのままヴォルクの血を受け入れた。


 魔導士の男が、死の契約魔法を行使する。


「血が定める汝の主、枢要を以て約す。主を害うこと、枢要を砕き贖うこと約す。月神が冥護を承弁す。〈スレイブコントラクト〉」


 透明な紐がヴォルクとエレインの二人に巻き付くような感覚を覚える。ヴォルクには見えないが、魔力による結びつきができたのだ。

 

 魔導士が月神の名を唱えていたことから、闇の魔法を行使したことが想像についた。闇魔法の扱いは並の魔導士には手に負えないため、彼はかなりの力量があるはずだ。


「これで契約魔法は終わりです。ヴォルク様はどうぞご自由になさってください。奴隷の方は少し休ませてやった方がいいかもしれません」


 ヴォルクには何の害もない魔法の行使であったが、そう言われてからエレインを見ると、青ざめた顔がさらに苦悶の表情を浮かべており、確かに休息の必要がありそうであった。


「商人、少しの間このまま部屋を借りることはできるか?」


「もちろんでございます。死の契約魔法は奴隷側にとっては非常に負担が大きいものでして、こうなるのもよくあることです」


 エレインは肩を使い荒い呼吸をしていた。

 心臓が止まっているのならば呼吸も止まっていると考えられるが、生きていた頃の名残なのだろう。


 しばらく時間が経つと、屍人の少女は落ち着きを取り戻した。


「申し訳ありせん。胸の苦しみに耐えられませんでした……」


 彼女はまだ青白い肌のままだったが、表情は幾分かマシになっているようだ。

 エレインはヴォルクの側に立つと深く頭を下げた。


「ご主人様、これからよろしくお願い致します」


 それは彼女が自らの運命に覚悟を決めた証だったのだろう。


「ヴォルクでいい。あまり畏まるな」


 彼は静かにそう呟いた。

 

 部屋に残っていた奴隷商の男は二人のやり取りをじっと見ているだけで特に横入りをすることもなかった。

 奴隷には最低限、奴隷としての教育を行うが、購入者が奴隷をどう扱うかには関心がなかったからだ。

 

「ヴォルク様。我々は珍品をこぞって取り扱うことを目指して商いをしております。機会があればまたお寄りください」


「俺の知り合いを奴隷にしない限りはな」


 こうしてヴォルクはエレインを連れ、屋敷から立ち去っていった。



 



 

「さて、詳しい話を聞く前に、まずは日光を遮る方法を考えないとな」


 屍人は頭部の破壊と、日光に弱い。また下級アンデッド全体の弱点として、浄化魔法や回復魔法にも弱い。

 

 店を出る頃には辺りは暗くなっていたが、これから先ずっと日光を恐れ宿に閉じこもっていても仕方がない。

 基本的に日が落ちてから仕事をしてもらうことにはなるだろうが、そもそもヴォルクは戦闘用の奴隷を買いに行ったのだ。

 払った金額の分、働いて貰わなければならない。


「全身を覆う服だ、何か提案はあるか?」


 ヴォルクはそう尋ねた。

 エレインは少し迷った風の顔をしたが、やがて重そうな口を開いた。


「月神マウヌプス様の信徒は、皆深いフードの付いた修道服を着ていらっしゃいます」


「ならとりあえずはそれでいいな。だが、なぜそんな言い出し辛そうにする」


 ヴォルクは疑問を口にした。


「それは、わたしが既に魔物の身であり、神に身を捧げるための衣装に袖を通すことは、非常に、その、冒涜的であるように感じるのです」


 彼女のいうことも一理あった。

 この世界は神と人間の距離が近い。神を著しく冒涜するようなことをすれば、物理的に天罰が下ることもあるし、その前に過激な信徒に殺されることもありうる。

 

 大陸で有名な訓話として、とある恐れ知らずな山賊の男達の話がある。彼等は山賊として強奪を繰り返す生活をしながら、ある日一件の修道院に辿り着いたそうだ。

 

 修道院にある銀製品をあらかた盗み出したあと、彼等はあろうことかそこにいた修道女達を辱めたあと皆殺しにした。

 あとは、彼等に起こった当然の末路だ。

 

 次の日修道院に訪れた人間が見たのは、身体中の骨が砕けたいくつもの白骨死体と、綺麗に並べられた修道女達の遺体だったそうだ。


 魔物が修道服を着ることを、神がどこまで気にするかは神の御心次第といったところだろう。

 繁華街へと歩き出したヴォルクは、エレインにこう諭した。


「お前の身体は確かに魔物のものだが、心までがそうなったわけじゃない。信仰心さえ清らかなものなら、そんな小さなこと神は気にはしないさ」


 エレインはその言葉を聞くと、伏し目がちにヴォルクの後をついていった。




 しばらくの間二人は無言で歩き続けた。

 繁華街に着く頃には日は落ち切っており、商店は店を閉め、露店も店をたたみ始めていた。


「ヴォルク様、また明日出直した方がよろしいのではないでしょうか?」


「いや、梟の獣人がやっている服屋を知っている。少し通りから外れるがな」


 ヴォルクが先導し、目抜き通りの路地を抜けていく。

 二人がたどり着いたのは、路地裏に居を構える小洒落た服飾店だった。

 

 戸を開けると、ほんのりとしたカビ臭さと古紙のような匂いが鼻を通り抜けた。

 といっても、狼の獣人であるヴォルクだから嗅げたのであって、人間並の嗅覚しか持っていないはずのエレインには何の匂いも感じなかっただろう。


「いらっしゃい……アンタ随分な襤褸を着てるんだねえ」


 梟の獣人の女は、飾り付けがなされた色とりどりの羽根をひらひらと靡かせながら、二人に近づいてきた。


「それに顔色も酷く悪い。ヴォルク、なんだいこの子は」


「奴隷を買ったんだ。それより深いフードの付いた修道服はあるか? 月神宗のものだ。金はある。上等なものでも構わない」


 店主はエレインに対して、ウーヴェと名乗った。

 ヴォルクがこの街にやってきて直ぐに入った店がこの服屋だったとのことで、多少の顔馴染みであった。


 「月神宗の修道服? おあいにくだけどそんなものはないよ。太陽宗のものならそりゃあ幾つかあるけど」


 大陸で信仰されている東旭教の中でも、宗派はいくつかに分かれており、主神を崇める太陽宗が主な派閥だった。

 太陽宗は名の通り太陽を信仰するものであるため、修道服も陽の光を存分に受けられるようフードなどは付いていなかった。


「そうか。なら深いフードのついた服は他にないか?」


「ないこともないけど……」


 ウーヴェは少し言い淀むと、店の奥へと入っていった。

 そのままガサゴソと戸棚を動かす音がしたかと思うと、扉越しに大声で話しかけてきた。


「金はあるって言ったね? フードの付いた修道服なら、あたしがデザインしたものが一着あるんだ。それでもいいかい? 随分と高くなるけど」


 ヴォルクが承諾すると、ウーヴェは豪奢な純白の修道服を両手に抱え二人の前に戻ってきた。

 それは修道服の形態を取っていながらも、夜会服のような装飾がなされ、品を保ちながらも見る者の目を離さない素晴らしい出来の服だった。


「あたしが若い頃にデザインして、魔導士に大金を積んで少しずつ魔法をかけてもらってる最中なんだ。いつか、看板商品として店先に飾ろうと思ってね」


「未完成なのか?」


「まあ、完成にはあと数年かかるだろうね。なんせ着用者に合わせて自動で伸縮する魔法も込めるつもりだったんだから。でもあんたの連れなら、少し大きいだろうけどそんな魔法なくったって着れると思うよ」


「他に何の魔法がかかっている?」


「自動清拭の魔法と自動修復の魔法だよ」


 ヴォルクは悩んだ。

 ただでさえ貴族が着るドレスのような装飾の多い手の込んだ衣服に、自動清拭と自動修復魔法の重ねがけだ。間違いなくそこいらの奴隷を買うこと以上の価格がつくだろう。


 ヴォルクはエレインの顔を見た。

 彼女はまるで貴族が着るような修道服のデザインを見て、目を輝かせているようだった。しかしヴォルクからの視線に気付くと、直ぐに下を向いた。


「自身より価値の高い服を着るなんておこがましいですね。ヴォルク様、他を探しましょう……」


「ウーヴェ、買わせてくれ」


 ヴォルクは予想よりも安く奴隷が買えたことで、まだ財布には余裕があった。

 せっかく奴隷を買ったのだ。可愛く着飾ってやるのも悪くないと思えた。

 それに自動修復の魔法はありがたい。戦闘で服が破けたとしても修復魔法がかかっていれば、日光に晒されるリスクが減るだろう。


「あんたホントに!? 高級奴隷がもう一人買えたっておかしくないよ?」


「決めたことだ。これで足りるか?」


 ウーヴェはヴォルクから金を受け取ると、大きな笑顔を浮かべた。


「まあ、まけといてあげる」


 ウーヴェはエレインからさっさと襤褸を剥ぎ取りながら、試着室へと案内した。


「ヴォルク様、よろしいのですか……?」


 彼は深く頷くだけだった。


 二人が試着室に入ってからしばらくの時間が経った。

 夜も更けてきた頃、エレインとウーヴェは試着室から出てきた。

 ウーヴェは多少の化粧も施したのだろう、そこには街でも中々見かけることのないような修道女姿の麗人が立っていた。


「見違えたな……」


「そうでしょう。この子、華奢なのも相まってこの服がよく似合うわ」


 ヴォルクは金を惜しまなくて良かったと思った。

 獣人は種族柄、洋服をあまり派手に着飾る習慣がない。獣としての感覚が阻害されてしまうことを嫌がるからだ。

 もちろん例外は多くいて、目の前のウーヴェなどは、その格好で空を飛べるのか疑問になるほどごてごてと装飾をつけてはいるが。

 

 それはともあれ、ヴォルクは自分が服に金をかけない分、自分の所有物がキラキラとした服を着ていることに非常に満足感を得た。


「わたし、奴隷になる前にだってこんな上等な服を着たことありません」


「そりゃあそうでしょ。あたしの自信作なんだから! この街にだってこんな服そうそうありはしないよ」


 女達が笑顔で話し合っている。

 ヴォルクはこのような風景を眺めるのも随分と久しぶりだと思った。ここ数年、いや、もう十年近くになるだろうか。彼は戦いに明け暮れる日々を送っていた。

 

 ヴォルクは口角をニッと開けると、二人の会話に混ざり始めた。

 ラックにかかるハンガーがカラカラと音を立てていた。


【Tips】魔導士。魔術、魔法を専門に扱う者の総称。魔女、魔法使いと呼ばれることもあるが、本人達の自称は魔導士であることがほとんどだ。

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