003 屍人
装飾のなされたランプが、地下室を青い炎でゆらりと灯している。大陸ではありふれた魔道具である、魔石灯だ。
魔物などから採取できる魔石に火の呪文を刻み込んだだけのシンプルな道具であるため、本来は安価で大量生産可能な物だ。
しかしこの建物に設置されたものはシンプルだがどこか美しく飾られており、人身売買の場でありながら品を感じさせるようだった。
「ここからは亜人奴隷のみを集めた場所になります。種族によっては格子越しに遠隔で攻撃できることもあります。しかし、攻撃手段は全て魔道具で塞いでおりますのでご安心ください」
通路には鉄格子の付いた小部屋が連なっており、様々な種類の亜人がそれぞれの部屋に留まっていた。
まずヴォルクの目に入ったのは、大型の蜘蛛人〈アラクネ〉の女だった。
帝国軍時代の同僚にもヴォルクをゆうに越える背丈の蜘蛛人の男がいたが、この奴隷はその男をさらに上回るほどの体格で、鮮やかな青の体色をしていた。
「その蜘蛛人は、蜘蛛人の中でもアースタイガー種と呼ばれております。凶暴性、俊敏性共に高く、猛毒まで兼ね備えている大変危険な亜人です」
その説明を聞くと、ヴォルクは何の躊躇もせず彼女の檻まで近寄った。
蜘蛛人の女はヴォルクが近づくのを見ると口内に隠し持っている牙をカチカチと連続で鳴らしながら、ヴォルクへと歩みを寄せた。
これは蜘蛛人の威嚇行動なのだろうとヴォルクは思った。
「イツデモ……オマエ……コロセルゾ……」
蜘蛛人の女は、奴隷としてはあり得ない言葉を吐き捨てると、また部屋の隅へと戻っていった。
「それがお前の口説き文句かい?」
ヴォルクは軽口を叩き檻から離れると、奴隷商の元へと戻った。
「あれを買うやつがいるのか?」
「モノ好きな方もいらっしゃいますから」
奴隷商から聞いた話では、奴隷を購入すると、主人と奴隷との間で死の契約魔法が結ばれるという。
それは奴隷が主人に危害を加えようとすると、直ちに心臓が握り潰されるという一方的で理不尽な縛りだ。
これを解除するには、主人と奴隷の両者が契約解除に同意をするか、高級神官に大金を支払い、解呪を頼むしかないとのことだった。
「並の主人なら、あの蜘蛛人は心臓が潰れていても殺せるだろうな」
「ええ、そうでしょうね。私共も彼女には手を焼いているのです。しかしヴォルク様は冒険者としても一流なお方。ぜひ彼女をいかがでしょう?」
ヴォルクは奴隷商が半分冗談で言っていること理解し、少し笑みを浮かべその申し出を断った。
どこにお前を殺すと宣言している奴隷を買う阿呆がいるのだろう。
ヴォルクは次の奴隷へと目を移した。
赤く鋼鉄のように硬い肌、筋肉質に隆起したボディ、頭髪の分け目から覗かせる一本のツノ、そして何より目を引くのはそのシンプルな身体の大きさ。商人に紹介されるまでもない。
そこにいたのは鬼人〈オーガ〉だった。
「鬼人が奴隷に落ちているなど珍しいな、戦争奴隷か?」
「いいえ、とある小国から流れてきた商品なのです。ずいぶん高値で買い取らせて頂きましたよ」
「そうだろな。普通、鬼人なら奴隷に落ちる前に戦って死ぬ」
一般的に鬼人は武に誇りを持ち、戦いの中での死こそが名誉だと考えている種族だ。
といっても鬼人が戦い中で死ぬことは中々ない。鬼人より強い種族がこの世界にはあまりいないからだ。
「この鬼人がなぜ奴隷に落ちたのか聞いたか?」
「もちろんでございます。どうやらその小国の貴族の下で小姓をやっていたそうなのですが、何らかの理由で貴族が没落した際に、売りに出されたとのことです」
ヴォルクは檻へと近づくと、中にいた鬼人の男を観察した。
彼が纏う武の空気は周囲に死の匂いをチラつかせ、ヴォルクの闘争心を掻き立てるものだった。
明らかな強者。素手での格闘戦ではまず勝ち目はないだろうという予感があった。
鬼人の男は、ヴォルクの視線に大した注目もせず、ただ、
「某を雇い入れるには、格が足らんだろう」
と静かに呟いた。
奴隷に身分不相応だと罵られるのは本来屈辱であるべきはずだったが、これほどに練り上げられた武人を手中に収めるだけの度量が足りてないことを自覚していたため、素直に引き下がることにした。
「だそうだ」
ヴォルクは奴隷商におどけて見せると、次の檻へと向かっていった。
「私共の商品が失礼をしました。申し訳ございません」
「いいさ、実際彼を使いこなせるのは位の高い貴族が妥当だろう。俺には手に余る」
戦力としては申し分ないが、元より鬼人の奴隷を買えるほどの先立つものをヴォルクは持っていなかった。
幾人かの亜人を見回り、ほどなくして店の奴隷を全て見終えるかという頃、ヴォルクがふと目を遣った檻に彼女はいた。
「なぜ亜人達の中にヒューマンがいるんだ?」
その部屋には、襤褸を纏った華奢なヒューマンの女が、閉じこもるように身を細め座っていた。
虚な目に、青ざめた血色の悪さが目立つ肌。まるで死人のような……
「その女は亜人です。元人間ではありますが、今は所謂アンデッド、屍人〈ゾンビ〉と呼ばれるものです」
アンデッド。一度死んだ人間が、禁忌的な魔法による効果により蘇った、動く死体。
所謂、魔物だ。
「冗談を言うな、屍人は魔物だ。亜人ではない。亜人の定義を知らないのか?」
日頃から冷静さを欠かないヴォルクが、珍しくうろたえた様子でそう捲し立てた。
「存じております。亜人とは人類に敵対しておらず、言語を操る知性がある種族のことです。その女をよくご覧になってください」
ヴォルクは檻へと近づくと、鉄格子を通して女へと声をかけた。
「おい、女。大丈夫か?」
「はい……大丈夫です。それと、わたしがアンデッドなのは間違いないです。一度死んでいるようなので……」
ヴォルクは獣人でも有数の嗅覚をもって鼻を利かすと、確かに、彼女からは生者特有の体臭のようなものを感じることはできなかった。
無論、死臭を感じればすぐにその女がアンデッドであることに気付けたのだろう。
だがヴォルクは、彼女からが発する匂いが極々僅かであり、生きているのか死んでいるのかさえ分からなかった。
ヒューマンからは想像もつかぬ狼並の優れた嗅覚を持つ彼には珍しいことだ。
ただそのごく僅かな匂いを、以前どこかで嗅いだ記憶があることを思い出した。
そう、どこかで。
「この匂い……、まさか。エレイン・フリッチュか!?」
ヴォルクの顔が驚愕に染まる。
女も鉄格子の近くまで身を乗り出し、ヴォルクの顔をまじまじと見つめる。
「もしかして、あの時の冒険者のお方ですか……?」
目線が合い、お互いが知った仲であることが二人の中で確定する。
彼女の名はエレイン・フリッチュ。数週間前に受けた依頼でヴォルクが森の中から救出した少女本人であった。
「なぜ彼女が奴隷に落ちている?いや、なぜこんな姿になっているんだ」
ヴォルクは怒気を込め、奴隷商へと詰め寄った。
狼の歯を剥き出しにした彼の表情は、戦いを生業にしない者にとっては恐怖の対象でしかない。
「彼女とはお知り合いだったのですね……心情をお察しします。しかし、どうか落ち着いてください……!」
ヴォルクは落ち着けるはずなどなかった。
つい先日依頼で自らが助けたはずの少女が、奴隷として檻の中へ入れられ、あまつさえアンデッドと呼称されているのだ。
「説明をしろ」
「はい、もちろんでございます……私共はただ、彼女を、彼女のご両親から買い取らせて頂いただけでございます。そこに非合法な行いは一切ございません。彼女は最初からあの状態で、私共は何ら禁忌的な魔導に携わっておりませんで……」
「ペラペラとよく口が回るな。数週間前に彼女に会った時はおかしな様子などなかったぞ」
奴隷商はヴォルクの猛烈な感情に当てられ、萎縮しきっているようだ。
だがそれも無理のないことだ。ヴォルクが戦場に浸かることで纏った暴力的なまでの負のオーラとも呼ぶべき雰囲気は、大の大人をも震えさせる。
しかしそこに助け舟を出したのは他でもない、奴隷の少女だった。
「奴隷商の方がおっしゃっていることは本当です……どうか、どうか、気をお静めください」
ヴォルクは頭に上った血を治めると、落ち着きを取り戻し、普段の冷静さを持って彼女に向かい質問をした。
「何があったのか、説明してくれるか?」
そしてエレイン・フリッチュは、自身にあった悲劇をぽつぽつと語り始めた。
まず彼女は、生まれであるここ城郭都市アランゲンで出回っていた噂から話を始めた。
ヴォルクはその手の話に疎かったため初めて聞くものであったが、どうやら市中では持ちきりだったらしい。
噂というのは、近頃街中で突然行方不明となる者が続出していることと、行方不明になったとされる人間が、アランゲン近くの森で屍人になった姿で目撃され始めたというものだった。
「それでお前の両親が噂を信じて出した森での捜索依頼を、たまたま俺が受けたってわけか」
噂の話を終えると次にエレインは自身の生まれの話を始めた。
彼女は経済的に恵まれた家で、敬虔なタリア教徒の両親の元で育てられたそうだ。
事件が起きる日までは何不自由なく過ごし、神への祈りを忘れず生きてきたと話した。
そして、行方不明になった当日のことだ。
彼女はある晩自宅の寝台に入ろうとした際に何者かに襲われ、胸を刺された。
そして気付けば森の中に一人倒れており、胸にはナイフが刺さったままだった、ということだ。
彼女は自分の死を自覚し、数日の間森の中で嘆き続けたそうだ。
思い出せば、エレインは初めて会った時から随分と顔色が悪かった記憶がある。ヴォルクはその時生き延びるのに必死で深く考えてはいなかったが、彼女はあの時点で既に生ける屍となっていたのだ。
その後ヴォルクの活躍により両親の元に戻ったエレインだったが、信心深い両親にアンデッドになったことを告げると、当然ながら異形の者として扱われた。
教会で浄化魔法を掛け、魔物として消滅させるという案もあったそうだが、最終的には奴隷として売り払うことに決まったそうだ。
エレインは自ら命を断つことも考えたそうだが、自死はタリア教では悪徳の一つだ。彼女には親の意向に従う他なかった。
「見上げた信仰心を持つ親だな」
「いえ、両親を責めないでください。わたしはもう二度とタリア様の前に姿をお見せすることができぬ身なのです。あとはこの身が朽ちるの待つのみとなりした。」
大陸では太陽の化身であるタリアを崇める、東旭教が主に信仰されている。
屍人は陽の光を弱点とする魔物だ。東旭教の中では、それは神からの罰であるとされていた。
彼女と話をし、ヴォルクは二つの疑問を持った。
彼女を殺害した上、アンデッドにまでした者は誰か。
そして、彼女がなぜアンデッドであるのに会話が成り立ち、人間に対して友好的であるかという点だ。
「なあ、エレイン。自分を殺してアンデッドに変貌させた奴を突き止めたいと思わないか?」
ヴォルクは彼女にそう提案した。
興味本位の申し出だったが、ヴォルクはこういった興味のそそられる事柄に首を突っ込むことが好きだった。
エレインは深く悩んだ末、一つの結論を出した。
「これ以上の被害者を出さないためならば……」
彼女はヴォルクに事件の謎を突き止めるよう願った。
東旭教徒の会話できるアンデッドと、街を脅かす謎の怪人。面白そうな話になってきたと、ヴォルクはニヤリと笑うのであった。
【Tips】東旭教。太陽を象徴とする女神タリアを主神とし、その夫で月の象徴である男神マウヌプス、二人の子である海の神アサトゥーなど、多彩な神を内包する多神教である。大陸全土で信仰されており、地域や種族によって主に祈る神は違うが、それら全てを含んで東旭教であるとされる。