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015 私闘

 ギルドを立ち去ろうとするヴォルクに声をかけたのは、街では普通見かけることのない種族、森人〈エルフ〉だった。


 見た目はエレインよりもさらに幼いように感じたが、エルフは麗しい容姿に反し数百年の時を生きている生物だ。実際の年齢は分からなかった。


「あなた、英雄なんて呼ばれてるのに、大森林で起きているこの緊急事態を解決する気はないってわけ?」


 ヴォルクは、エルフの少女からの威圧的な質問につい、笑みをこぼしてしまった。彼女の言葉があまりにも自己的に過ぎたからだ。


「ないな。なぜ俺がそんなことをしなくてはならないんだ」


「呆れたわ。この街の英雄と聞いていたけど、とんだ見込み違いね」


 エルフは失望した様子でヴォルクを見つめると、彼を軽率にも再度挑発した。

 

「獣人なんかを担ぐ街の人間もどうかしてるわ。あら? 隣のお連れさんは奴隷かしら。顔色を見るにまともな扱いをされてないわね。人間が作る制度とやらは本当に愚かだわ」


 エルフはそう捲し立てると、踵を返し、颯爽とその場を後にしようとした。

 

「深林の大賢と呼ばれる種族は数度会った覚えはあるが、お前ほど賢そうな奴は初めて見たな」


 ヴォルクの言葉にエルフの少女は足を止める。

 自身に対する皮肉であることをすぐに理解したようだ。


「不用意な発言ね、撤回なさい。貴方の小汚い体毛で毛皮を作る気はないの」


「よく聞こえなかったのか? お前を褒めたつもりだったんだがな。その耳は飾りで付いているのか?」


 挑発に対しては挑発で返す。ヴォルクは難儀な性格をしていた。

 エルフの少女は顔を真っ赤に染め上げ、怒りを滲ませた。

 森人を象徴する長耳への侮辱を看過できなかったからだ。


「リル・レー。貴方を殺す者の名よ」


「ヴォルクだ。表へ出ろ、迷子にならんよう森まで送り返してやろう」


 リルと名乗るエルフは扉を開きヴォルクと共にギルドを後にした。

 取り残されたエレインは驚愕するのみだった。


「ヴォルクさん、あんなに皮肉屋だったんですね……」




 ヴォルクは担いでいた背嚢と銃を地面に降ろすと、素手での戦闘態勢をとった。

 相手は小さな子供のような見た目をしているが、腐ってもエルフだ。舐めてかかるようなことはできない。

 ただ、単なる街での喧嘩ごとに魔導銃を使うような殺人衝動などもなかった。


「そのおかしな魔導具は使わなくていいのかしら? 死に際に言い訳をしても仕方ないわよ」


「こんなところでエルフを殺して恨みを買いたくないんでな。安心しろ、田舎者に街での過ごし方を教えてやるだけだ」


 エルフは背負っていた飾り気のない弓を地面に置くと、指先をヴォルクに向けた。


「ならあたしも武器は使わないであげる。安心して。あたしの魔法は駄犬を調教することにも使えるの」


 エルフの少女は魔法の詠唱を始める。

 本来ならば近距離での格闘戦において、魔法の詠唱など行えるような暇はない。

 しかし、エルフは元来精霊に近しい血を持つ。精霊から力を借りることで使用できる魔法の行使には高い適性を持った種族なのだ。

 詠唱を短縮させることなど、造作もなかった。特に風魔法に関しては。


「風よ吹け」


 不規則な流れしか持たない風の精霊達が、エルフからの頼みにより空気中に不可視の刃を形成する。

 たった一言の詠唱により何本もの鋭利な風の刃が空に展開するのだ。次に発せられる発動の核となる一言で、それは、一斉に牙を剥くことになるだろう。


「エルフってのはどいつもこいつもその魔法しか使えないのか?」


「〈ウインドスピア〉!」


 常人ならば確実に命を落とす、まさに必殺の魔法。

 実際に彼女はこの魔法により幾度もの戦闘に勝利してきた。この機能性に優る魔法の難点は唯一、使用後に穴だらけの惨い死体を作ってしまうということだけだった。


 といっても、彼女は目の前の冒険者を本当に殺すつもりはなかった。

 森でエルフとのみ暮らしているため人間社会の一般常識などあまりなかったが、このような大衆の面前で人を殺せばどうなるかくらいは分かっていた。

 ただ、少し、急所を外しながら全身に穴を開け、耐えきれないような痛い目を見せるやるだけのつもりだった。


「〈砂壁〉」

 

 ヴォルクは中級の土魔術を発動させた。周囲の空間に、砂で出来た薄い膜のような壁ができる。

 土の壁とは違い防御には心もとく、できることといえば、何かが砂壁を通り抜けた際に、その感覚が伝わってくるということだけだ。

 

 不可視の風の槍がヴォルクを襲う。しかし彼にはまだ余裕の笑みが浮かべられていた。


 「〈加速〉」


 ヴォルクは砂壁を維持しながら身体強化魔術を使用すると、自らに向かってくる無数の風の槍を、卓越した反射神経をもって避けた。


「なっ! ウインドスピアが貫く場所を、砂の揺らめきで察知しているの……?」


 通常の人間であれば、砂壁により風の槍の軌道が読めたとしても回避することは難しい。魔力により限界まで加速された風は、常人の反射神経で捉えられる速度を優に超えているからだ。

 

 しかしヴォルクの超人染みた能力がその芸当を可能にした。

 エルフの攻撃は掠ることもなく、ヴォルクの周囲を通り抜けていったのだ。


「〈成型〉」

 

 ヴォルクはさらに土魔術で手の中に生じたさせた石ころを指の間に収めると、魔術によって加速された動作でエルフの少女に向け、親指が出せる全力を持って弾き飛ばした。


 少女は焦っていた。

 必殺の魔法を全て躱されてしまったのだ。本来であれば第二第三の術式を用意しておくべきだったのだが、慢心が彼女にそれを行わせていなかった。


「しょ、〈障壁〉!」


 余裕をなくした彼女は、致命的なまでに判断を誤ってしまった。

 彼女の前に魔法の攻撃を防ぐ魔力の障壁ができる。

 十分過ぎるほどの魔力で練り上げられたそれは生半可な魔法ならほぼ全てを弾く程の強力な硬度を誇った。

 

 しかし石ころは半透明な壁をそのまま貫通すると、少女の額に直撃した。


「ぐげえ!」


 エルフは無様な声を上げその場にひっくり返った。どうやら気を失ったようだ。


「投石は魔法じゃないぞ。矢避を使うのが常識だ」





 


 エルフの少女、リルは額の痛みで目を覚ました。

 どうやら自分はギルドの外壁にもたれ掛かってるようだった。いくらかの通行人が心配そうにこちらを覗いている。

 

 ――負けた。獣人如きに魔法戦で、完膚なきまでに。エルフきっての恥晒しだ……


 リルは自身のプライドがズタボロになるのを実感した。百と数年を生きた彼女にとって、人生で最も屈辱を味わう敗北だった。


「うっ……うっ……」


 大粒の涙が溢れ出すのを止められない。


「うぅ……殺してやる……あの畜生を毛皮にして絨毯として使ってやる……」


 彼女は大森林に住むエルフの長から与えられた任務を、すっかりと忘れ去っていた。


 ――森で起きている事態を止められる英雄を、街から探し出すのだ。


 リルはエルフとしてはまだ幼かったが、大陸語が堪能で魔導の才も非凡なものだったので、その役目を大任された。

 しかし他種族への見下しや感情の制御には大きな問題があった。

 そのため、彼女は自らの師匠である男に連れられる形で人間の街まで降りてきた。


 彼女は街で英雄と噂される男の名前を聞くと、手分けして捜索するために師匠と別行動を取った。

 そしてその捜索の最中にこの事態に陥ったのだ。


 彼女は壁際から立ち上がると弓を背負い、いつのまにかできていた観衆を風魔法で吹き飛ばした。


「ヴォルクとかいう獣人の冒険者がどこに住んでいるか教えなさい」





 


「ヴォルクさん、あの女の子を放置してきてしまってよろしかったのですか?」


「ああ。エルフの見た目には騙されるな。奴等は傲慢で狡猾でそれでいて世間知らずだ。賢いかどうか知らんが、たまには灸を据えてやらんとな」


 ヴォルクとエレインの二人は、気絶したエルフをギルドの外壁の隅に安置させると、さっさとその場を後にしていた。

 

 ギルドの目の前で私闘を行ったのだ。一瞬で決着をつけたとはいえ、観衆の目が気になった。

 王国では私闘を禁じる法があるのだ。いつ衛兵にしょっ引かれるとも分からない。


「でも、私より幼い子に見えましたよ? エルフってそんなに長生きなんですか?」


「奴から老木のような匂いがした。百年育ち続けたような巨大な木だ。きっと奴自身も同じくらいの年齢なんじゃないのか?」


 ヴォルクの推理はぴったりと当たっていた。

 エルフにとっての百年とは人間に換算すればまだ青年期のようなものだったが、百年の間森に居続ければ相応の匂いにもなる。


「ヴォルクさんは随分鼻が効きますね。わたしはどんな匂いがします? 最近ヴォルクさんの煙草の煙をたくさん浴びてますよね」


「アンデッドは腐臭がするからすぐ分かるが、お前は匂いがあまりない。強いていえば無臭に近いことが特徴だな」


 エレインは嬉しいような嬉しくないような気持ちになった。

 嘘でもいい匂いがすると言ってくれることを期待していたのだが、この獣人の男はそんな気の利いた答えを持っていなかった。


二人が会話を続けていると、部屋の戸が軽くノックされた。


「ヴォルクさん宛に、手紙が届いてたよ。えらく達者な字だねえ」


 花都の風亭で働く鹿の獣人の声だった。

 ヴォルクは戸を開け、彼から手紙を受け取る。


 大陸に住む者達はその多くが金銭のやりくりを比較的に安定させており、若干だが余裕のある生活を送るものも多かった。

 そのため、文字を読めることは当たり前で、庶民であっても楽器の一つを演奏できることが多かった。


 しかし、スラム育ちのヴォルクは暴力と死が支配する青春時代を送ってきたため、文字を学習する機会を得なかった。

 軍でも文字より人を殺す方法を習っていたため、彼は生まれてから二十数年が経っていたが、いまだに文盲であった。


「エレイン、読んでくれ」


 ヴォルクは彼女と住み始めてから、もっぱら彼女を代読者として使っていた。

 彼女は大陸の中でも中流層の家庭で育ったため、教養には厚かった。


「もちろんです。えーっと、随分古い言葉使いで書かれていますね。『風はいつでもお前の側を吹いている。首元を撫でるように。』ですって。もしかしてさっきのエルフちゃんですかね?」


「貸してみろ」


 ヴォルクは手紙の匂いを嗅ぐと、確かにそこから薄らと古い木の匂いを感じた。

 エルフが送ってきたもので間違いないだろう。


「どんな意味ですかね? 自分を風に例えて、貴方の側にいたいですってことでしょうか……もしかして恋文!?」


 エレインは急に立ち上がると、顔を赤く染めた。

 彼女は勉強こそできたが、荒事に関わってきた経験が少なすぎたのだ。


「多分違うだろう。風魔法でいつでも首を掻っ切れると示しているんだ。エルフ流の殺害予告だな」


 そういえば、とヴォルクは帝国軍で出会った一人のエルフの同僚のことを思い出した。彼も芝居がかった演出を好んでいたと。


「〈砂壁〉」


 ヴォルクは唐突に部屋全体を砂の膜で覆った。


「えっ? ヴォルクさん、なにを……」


 一瞬早く気付いたヴォルクはエレインを抱きかかえるが、彼女が言い終わるのを待たずとして、二人は全身に切り傷を作った。


 窓を突き破り、風魔法の不可視の刃が飛び回る部屋を脱出する。


「暗殺だ。予告されなければ気付きもしなかった……」


 ヴォルクがさらに周囲を警戒すると、暗闇の中から一筋の矢が飛来してきていることに気付いた。

 

 すんででそれを回避しようとするが、矢には魔法が込められていたようで、ヴォルクがステップを踏んだ先を追いかけるように空中で軌道を変え、彼の左腕へ深々と突き刺さった。


 第二、第三の矢が射かけられるが、ヴォルクは覚悟を決めると、それを避けることをやめ、自身に突き刺さる瞬間に矢を自らの手で掴み取った。


「ヴォルクさん!」


 声がする方を見れば、いつの間にか隣にいるエレインにも何本かの矢が突き刺さっている。

 恐ろしい連射速度だ。


 エレインは刺さった矢を何事もないかのように引き抜く。屍鬼である彼女にはあまり有効な攻撃ではないようだ。

 しかし、彼女をその場に釘付けにすることはできる。


 早くここを離れなければ二の矢、三の矢が来るのは間違いないだろう。


「本気を出してきたってわけか……」


 ヴォルクは腕に刺さった矢を中間で折り取り除きやすい形にすると、力を込め一気に引き抜いた。


「エレイン、走るぞ」


 暗闇の中で、第二の戦いが始まろうとしていた。


【Tips】私闘。ヴォルクはその性格から個人的な恨みを買い、私闘を申し込まれることが往々にしてあったが、その全てを受け入れていた。本人は嫌々という風を取っているが、狼の獣人としての闘争本能は彼を戦いから逃がそうとしなかった。もちろん王国では私闘が禁じられている。

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