014 金級
巷を騒がせた行方不明事件の解決から二週間が立った。
ヴォルクとエレインの二人は日夜、冒険者ギルドに貼られた依頼をこなし続けていた。
木々が生い茂る深い森の中、動く影が四つ。
「エレイン、回避は最小限だ!」
屍鬼の少女はオークの振るう槍を大振りなステップで回避し、金砕棒によるカウンターを入れる。
しかし、その攻撃は二体目のオークが持つ大盾によって防がれた。
「振りが大きければ予測もされやすい! 二体目がいることも忘れるな!」
ヴォルクは愛銃である三五式カスタムの引き金を引き、盾持ちのオークの頭部を狙い撃った。
銃弾はオークに吸い寄せられるように撃ち込まれが、厚い頭蓋骨は弾丸を弾き飛ばし、致命傷を与えるには至らなかった。
しかし、ヴォルクはそれを気にした様子もなく銃弾を撃ち込み続ける。
放たれた何発かの内一発でも、ほぼ全ての生き物にとって共通した弱点である眼球に当たりさえすればいいのだから。
数秒の連射の後、盾持ちのオークが醜い叫声を上げる。ヴォルクの攻撃により、両の目から光を失ったのだ。
「槍から距離を取るな! 一方的に攻撃されるぞ!」
エレインは槍持ちのオークと一対一の対決となったが、金砕棒による重い一撃を槍でいなされ、有効打を与えられずにいた。
一方のオークは、エレインの大振りの攻撃に合わせて彼女の手先足先を素早く切りつけ、着実ながら動きを制限していった。
エレインは吸血鬼との戦いの後から屍鬼となっているため、浅い傷であれば二呼吸の間にも塞がっていくのだが、これがただの人間の娘であれば、今はもう満足に身動きも取れていないだろう。
ヴォルクはエレインの背側から援護射撃を続ける。
彼女が致命打を喰らいそうになる前には必ずその動きを止めるかのように的確な射撃を行い、オークがその怪力と自慢の武術を発揮できないよう牽制し続けた。
エレインと槍持ちオークの戦いの中に、視力を失った盾持ちのオークが猛突進して割り入る。大方、二人が発する音を頼りに直感で攻撃を仕掛けたのだろう。
しかしオークの勘は大当たりし、盾を前面に置いたタックルはエレインの身体に直撃する。
彼女の若く少女らしい軽い身体では、その一撃を踏み止まることはできなかった。
エレインは瞬きの間に宙を舞い、枯葉が敷き詰められた大地に叩きつけられると、地面を数度回転しながら不恰好に倒れ伏した。
腕はあらぬ方向に曲がっており、いくら屍鬼の回復力をもってしても、数瞬は動くことができないだろう。
ヴォルクは少し離れた場所から彼女の惨状を見つめていた。
あまりに痛々しい光景に、すぐ彼女の元へ駆け寄りたくなったが、命をかけたやりとりをしている最中で彼は感情的にならない術を心得ていた。
「エレイン! 問題ないな?」
「はい……! すぐ復帰します!」
ヴォルクはその声に少しの安堵を覚えると、またすぐにオークの豚面へと銃撃を続けた。
結局、槍持ちのオークもヴォルクの攻撃により視力を奪われ、すぐに戦闘状態を維持できなくなった。
二匹の盲目のオークの出来上がりだ。
普段のヴォルクなら、あとは脚を撃ち抜き身動きが取れなくなった所で、至近距離からの乱射やナイフによる致命の一撃で戦闘を終わらせていた。
しかし、今日はエレインの訓練のための一日だったゆえ、トドメは彼女自身に任せることにした。
人であれば一生の後遺症を残すような重傷を負ったエレインだが、屍鬼としての特性を活かし、しばしの時間をかけたがその場に立ち上がってみせた。
「オークの頭蓋骨は硬いぞ。やれそうか?」
「はい!」
エレインは痛みでふらつく豚人達に、安息を与えるための一撃を振り下ろした。
アランゲンへの帰り道、二人は横に並びピッタリとくっつくと、先ほどまでの戦いの反省会を開いていた。
ヴォルクの背嚢から吊り下げられた小袋には、オークから取れた魔石が二つ入っている。
数週間前は同じ道を、冒険者と依頼の対象として歩いていた。数十日前には冒険者とその奴隷として、今は冒険者とその相棒として。
エレインは正式には冒険者ギルドに加入していなかったが、ヴォルクの横で戦い、依頼をこなし続ける日々を送る様は相棒といって差し支えはないだろう。
「なぜやられたか、分かるか?」
「はい。槍に怖気付いて距離を取り、大振りな攻撃ばかりしてしまったことと、その槍持ち一体ばかりに集中しすぎたことです」
ヴォルクは正解だ、と言い、エレインの頭を強く撫でた。
「オーク二体を相手取るにはまだ早かったな。厳しい訓練にさせてしまった。俺がお前の歳の頃だったら、何の抵抗もできずに殺されていただろう」
「いえ、いいんです。ヴォルクさんがわたしの歳の頃は、屍鬼なんかではなかったでしょう?」
ヴォルクはフッと笑い、またエレインの頭を撫でた。
「心配になるんだ。お前は屍鬼の回復力を過信し過ぎた戦いをしている。屍鬼のその特性も、魔力が尽きれば損なわれるんだぞ」
「次からは気をつけます。でも痛みはないんですよ? 見てる方が痛く感じるかもしれませんね」
ヴォルク自身も彼女の回復力に任せた無謀な訓練をさせていることに自覚はあったが、それも彼女のためだと考えていた。
エレインは屍鬼に転じてから、さらに日光に弱くなっていた。
細身の身体で純粋な力比べでは巨漢のオークにさえ勝てるほどの膂力と、尋常ではない素早さを得た。
これは屍人のように人間のリミッターを外すというよりは、人間を頭一つ超えた新しい領域に入っていた。
まだその力を使いこなせず戸惑っているようだが、馴染みさえすればオークの二匹や三匹程度ならば楽に屠殺出来るようになるはずだ。
しかし、日中に出かけるには今日の依頼のように、鬱蒼とした森の中での依頼など陽が届かない場所での戦闘に限られるようになった。
万が一にもフードが外れたり服が破れるようなことがあると、全身が一気に発火してしまうのだ。
だがヴォルクは彼女を夜の闇の中だけに閉じ込めておくようなことはしたくなかった。
だから彼女には誰にも負けない圧倒的な強さを得て、誰かに正体がバレた時にも武力で解決できる選択肢を持っていて欲しかった。
帰り道、二人は戦い方、依頼についての話、魔物の知識など、様々なことを話し続けた。
最近の二人はいつもそうやって、同じ時間を共有していたのだ。
ヴォルクとエレインは冒険者ギルドへと到着した。短くはない徒歩の移動だったが、二人はそれがあっという間に感じた。
「おい、A級のヴォルクだ。例の女も連れてるぞ」
「吸血鬼殺しか……獣人がよくやるよ」
ギルド内部は酒場の様相を取っており、日頃荒くれの男達が麦酒を飲みながらくだを巻いていた。
最近のギルドはもっぱら、一年でA級冒険者まで成長した『吸血鬼殺し』のヴォルクの話題で持ちきりだった。
大陸全体を見ても、A級の冒険者などそうはいない。それも、ソロでA級まで到達したものなど数えるほどだろう。
アランゲンは巨大な都市だったが、その分治安を守る衛兵の数は多く、周囲に危険な土地などもなかったため、冒険者の質は全体的に高くはなかった。
A級以上の冒険者は国境付近の治安の悪化した都市や、大陸にいくつかある魔物が支配する領域に近い都市に滞在していることが多かった。
アランゲンは大陸全土の中でも比較的安全な都市なのである。
そこで僅か一年で名を上げたヴォルクは異例といえた。彼の実力の高さを物語っている。
無論そこまでの昇進ができたのは彼の運も関わっている。
当時E級だったヴォルクは、王国を荒らしていた大規模な賊の集団の頭領を一人で討ち取ったのだ。
グループは首をすげ替え今も存続しているが、冒険者ならず王国兵まで手を焼いていた相手を、帝国から流れてきた元軍人が討ったことは国中で話題となった。
だかヴォルクにとっては、襲ってきた異常に手強い相手が偶然高名な賊の長だったというだけではあった。
そうして飛び級で銀の認識票を手にした彼は『ライヒの殺し屋』というありがたい渾名を頂戴するに至ったのだった。
現在アランゲンの冒険者で彼の名を知らぬ者はいなかった。
殺し屋として有名になった彼が、今度は街人を拐かす吸血鬼を討ったのだ。ヴォルクは多くの冒険者や街人からの尊敬と、要らぬ嫉妬を買っていた。
ヴォルクとエレインは受付へ進むと、オークの魔石を二つカウンターへと置いた。
「はぐれオークは二体いたが、どちらとも片した。もう残ってないはずだ」
ヴォルク達が受けた依頼は、どこからか流れてきたオークにより死人が出ているから討伐してくれ。というものだった。
依頼書には、確認されたオークは一体のみであると書かれていたが、実際には二体いた。
並の冒険者パーティであればギリギリの戦いになっていたかもしれない。
「魔石を確認しました。二つともオークのもので間違いございません。この度はギルドからの情報不足によりご迷惑おかけしました」
「いや、いいんだ」
「依頼を受けたのがヴォルク様で幸いでした。これからもよろしくお願い致します」
ヴォルクは受付嬢からの感謝を受け取ると、彼女に対し疑問を口にした。
「それより、アランゲン近郊にはいつからオークが住み着くようになった? 奴等の縄張りは大森林のはずだったが」
ヴォルクはアランゲンに居着いてからオークを目にしたのは、これが初めてだった。
王国のオークはそのほとんどがアランゲン近くの大森林と呼ばれる巨大な森を住処としており、都市に近づくような真似はしないはずだった。
オークは賢さのかけらもない醜い見た目に反し、不用意には人間を襲おうとはしないだけの知性がある。
それゆえ縄張りを荒らされた際の反抗は、策略を練り確実性を伴った計画的なものであるため、人間もまた不用意にオークを襲おうとはしなかった。
精度の低い攻撃なら全て受け止めてしまう厚い脂肪と骨格に加え、人間並の知能を持ち人間並に武器を扱うことができる大巨漢なのだ。
複数体を相手取るのは平凡な冒険者パーティでは難しいだろう。
「最近、大森林で大きな変動が起きているとの報告がありました。詳細は分かりませんが、森に住み着く魔物達が棲家を捨て、人の集落まで降りてくる事案が多いようです」
大森林に起きる異変。何かがあることは間違いないようだが、しかしヴォルクにはあまり関心のないことだった。
彼が王国の、しかもアランゲンへと居着いたのは、帝国から逃げ延び、軍よりもマシな生活をしたかったからだ。
冒険者として依頼を受け戦うことは生活のためと割り切っていたが、決して自ら賊の征伐を考えたり、街の英雄になろうとは考えていなかった。
特に今はひょっこりと横に立っている屍鬼の少女との暮らしを存外に楽しんでおり、大きな仕事をする気分ではなかった。
大森林の異変も、人間にまで被害が出るようになれば王国軍が勝手に出向いて解決するだろう。
わざわざ異変の正体を暴く必要もないと考えたのだ。
「そうか、気を付けておく。ではな」
ヴォルクは受付嬢に最低限の礼をすると、報酬を受け取りその場を去ろうとする。
その時だった。
「『気を付けておく』ですって……? 吸血鬼殺しが随分と臆病なことね」
ヴォルクの前に、挑発的な言葉を投げかける者が現れた。
その女はヒューマンにしては随分と小柄で貧相な身体付きをしていたが、均整のとれた長い手足をしていた。
特徴的なのは長く尖ったその耳で、端正な顔と相まって、その少女の種族が何なのか、見た者にはすぐに分かっただろう。
「エルフか、何の用だ」
ヴォルクに声をかけたのは、大森林の深くに住み人前には滅多に姿を現さないことで知られる聖なる森人、エルフだった。
【Tips】エルフ。長い耳と長命で知られる種族。悠久を生きることで、『深林の大賢』とも渾名されるほどの知識を蓄えていることで知られる。