013 変化
「陽は万物を照らし恵みを与えん。太陽神の名の下、かの者の創痍を癒さん〈ヒール〉!」
エレインは血まみれの狼に、癒しの魔法を与える。
「起きてください! ヴォルク様!」
奴隷の少女はその小さな手で、主人を必死に揺さぶった。
しかし彼女は、焦りのために一つの事実に気づいていなかった。ヴォルクは血には塗れているが、傷のほとんどは既に治りかけていたのだ。
イルゼが撤退前に部下へ出した指示により、意識を取り戻す限界まで回復魔法が使用されていたためである。
「陽は万物を照らし恵みを与えん。太陽神の名の下、かの者の創痍を癒さん〈ヒール〉!!」
エレインはまだ事態を飲み込めてはいなかった。
記憶を失う最後にあるのは、自身の半身が吸血鬼によって削り取られる瞬間。
目覚めれば死体の山の中に折り込まれていて、やっとのことで這い出せば、吸血鬼は既におらず、ヴォルクは血だらけで知らない男達に取り囲まれていた。
そして見たこともない種族の女にナイフで襲われ、やっとの思いで撃退するも全身を炎に焼かれた。
「一体どうなってるんですか……起きてください……!」
エレインは涙を堪えられなかった。
「これが、最後の一回です……陽は……万物を照らし、恵みを与えん……太陽神の、名の下……」
涙ながらの詠唱の最中、狼はついに、その目を開けた。
「エレイン……?」
「ヴォルク様!」
エレインは喜びのあまり、ヴォルクのフサフサとした毛の中に抱きついた。しかし、獣の匂いと煙草の草の香りが立ち込める体毛の中で、自身が奴隷の立場であることを思い出し、すぐに身を引いた。
「あの、死んでしまったかと思いました……生きていて、よかったです」
「お前の詠唱が暗闇の中でも聞こえてきた。助けてくれたんだな、ありがとう」
時間操作の反動で重傷を負ったヴォルクを実際に助けたのはイルゼの部下なのだが、二人は知る由もない。
「ヴォルクさんこそ、吸血鬼を倒したんですね。わたしの仇を討ってくれました」
「いや、吸血鬼を倒したのは俺じゃない。お前のおかげであと一歩まで追い詰めたが、結局は連中に手柄を奪われた」
ヴォルクはふと周りを見渡すと、意識を失う瞬間まで己を取り囲んでいた帝国兵達が壁際で倒れ伏していることに気付いた。また、彼等の隊長であるイルゼの姿がないことも。
「まさか、お前がやったのか?」
「そうです。自分でも何がなんだか分からないのですが、わたし、すごく強くなったみたいなんです。竜みたいな女の人も、多分逃げていきました」
ヴォルクは驚愕した。
エレインが撃たれそうになった瞬間、時を止め彼女の命を救った。あの時はそうする他に方法がなく、後は奇跡でも起きない限り、自分は帝国に捕まりエレインも生き残ることは難しいだろうと考えていた。
しかし、現実は違った。エレインは帝国特殊歩兵軍に所属する屈強な男達を倒しただけではなく、あのドラゴニュートのイルゼまで撃退したのだ。
「イルゼを倒したのか、信じられないな、あの女は俺でも勝つのに難儀したんだが」
「最後に逃げられてしまいましたけどね。そういえばあの女の人、わたしのこと屍鬼だって言ってました。どうしてでしょう」
ヴォルクは疑問を浮かべた。イルゼとは共に何度か屍人狩りを行ったことがあった。
彼女が屍人と屍鬼の能力を間違えるはずはないと考えたのだ。
「何か、身体に変化はないか……?例えば力が強くなったとか、傷が勝手に再生するとか、それに、炎にも弱くなるはずだが」
「あの……全部心当たりがあります……」
エレインは、ばつが悪そうに呟いた。自身の種族が変わったような自覚はないが、明らかに身体は変化を起こしていたからだ。
「そうか、ならイルゼが言ったことは間違っていないんだろう。お前は屍人から屍鬼へと転じたんだ」
「あの、そういうことってあるのですか?」
ヴォルクは魔物の専門家ではない。
軍人として、またはB級冒険者として、魔物に対する相応の知識はあったが、魔物が別の魔物に変化するという話は聞いたことがなかった。
そもそも人の意識を保つ屍人の話なども聞いたことはなかったのだが。
だが知識にないことでも、事態に対する推測はできる。
屍人は、死体に対して中級の闇魔法を使うことで生じるアンデッドだ。
魔物の強さの中では下位に値する。屍人より弱い魔物はいくらでもいるが、ランク付けとしてはその位置にあたるとされていた。
一方、屍鬼は中位にあたる魔物だ。屍人の上位互換であるとされ、上級闇魔法で生まれ出されるアンデッドだ。
この二種類は共に互換のある関係で、闇魔法で生まれるアンデッドという共通点があった。
屍人が屍鬼に変態するということがあったとしても、不思議ではない。闇魔法とは、闇の神々の力の顕現であるためだ。神の力にあり得ないということはない。
またヴォルクはエレインを回復させるため、上位の魔物であり、またアンデッドの仲間でもある吸血鬼の魔石を彼女に与えていた。それがきっかけになったということも考えられる。
「お前には回復のために、倒された吸血鬼の魔石を与えたんだ。それがきっかけになったのかもしれないが、俺にもよく分からん」
「そう、ですか。でも強くなったんだからいいことですよね!」
ヴォルクは、エレインが妙に前向きなことに笑いが込み上げてきた。
「ああ。お前が受け入れてるならそれでいい」
「あっ、ヴォルクさん! なんで笑ってるんですか!」
ヴォルクはひとしきり笑うと、真面目な顔を作って話を始めた。
「吸血鬼から得られた情報は少ない。結局お前に人としての意識がある理由は分からんままだ」
「そうですね。わたしには〈クリエイトアンデッド〉が効かなかった、と言っていただけでした。今は死体としてこんなに元気ですのに」
ヴォルクは、彼女が屍人から屍鬼へと変わったのも、吸血鬼の発言も、原因はエレインの中にある一つの秘められた何かなのではないかと考えたが、それは胸の内に潜めておいた。
自分でも分からないことなのだ。言ったとしても彼女を悩ませるだけだと思った。
「いつかは答えも出るだろう。さあ、さっさとここを出るぞ」
ヴォルクは立ち上がり愛銃を拾うと、座っているエレインへと手を差し伸べた。
「はい!」
二人は洞窟を出ると、一直線にアランゲンへと帰った。
ヴォルクは事の顛末をどこまでギルドに報告するか悩んだが、エレインのことは完全に伏せたまま、森の中の洞窟内で吸血鬼と戦った事、そこで再度帝国軍に襲われた事、洞窟内に行方不明となった街人らしき者達の死体と、気絶させた帝国兵がいることなどを話した。
吸血鬼を倒した証明である魔石はエレインに食べさせてしまったため、ヴォルクは魔石に大きな傷を与えたが敵本体には逃げられてしまったという作り話をすることにした。
ギルド長は即座に部下を動かし、ヴォルクの話した洞窟を調査させた。
それから数日後、内部にあった死体は全てアランゲンで行方不明になった者達であることが判明した。しかし、帝国兵の姿は既になく、撤退済みだったようだ。
また夥しい吸血鬼の血液も残っていたことから、撃退に成功したという話も信用された。
「ヴォルク君。君は面倒ごとばかり運んでくる男だと思っていたが、吸血鬼の件は見事としか言いようがないな」
「あんたが褒め言葉ってものを知ってるなんて、驚いたよ」
ギルド長であるギーゼラ・レーマンは滅多になくB級ソロ冒険者であるヴォルクを褒め称えた。
ギーゼラは元S級冒険者であり、吸血鬼が例え下級であったとしても恐ろしい街の脅威であることは知っていたのだ。
また、吸血鬼がたった一人で撃退できるような魔物ではないことも。
「相変わらず口の減らない……それで、吸血鬼は一人で倒したのかね?」
「いや、俺を襲撃してきた帝国兵が生き残る為、共に戦ったんだ」
ギーゼラはヴォルクを怪しんでいるようだったが、街を騒がしていた連続行方不明事件を解決した英雄にそれ以上ケチをつけることはしなかった。
「この件には私から特別に報酬を出す。依頼には出ていなかったが、難易度を付けるとすればA級なのは間違いないだろう。それに見合った額を用意するつもりだ」
「何度か死ぬ思いをした。特別、色を付けてくれることを願うよ」
「またギルドに顔を出せ。英雄には新しい認識票が必要だろう」
ヴォルクはそれが金に輝く認識票、つまりはA級冒険者への昇格を意味していることを理解した。
ヴォルクはギルドを後にすると、エレインが待つ花都の風亭へと帰った。
宿へ着く頃には日もすっかり落ちていた。
「ヴォルク様、どうでした?」
「うまく話してきた。少し怪しまれはしたが、吸血鬼を共に倒した仲間がまさかアンデッドだとは思われていないだろう」
ヴォルクはベッドに腰を下ろすと、いつもの寝間着に着替えすぐ寝具に包まった。数日の疲れが出たのだろう。
既にネグリジェへと着替えていたエレインも、同じベッドに入ると、いつもより少しヴォルクに近づき、彼の毛を撫でた。
「暖かいですね……」
「ヒューマンが冷たいだけだろう」
ヴォルクの表情は、エレインから見えなかった。
「洞窟の中でも思ったのですが」
「なんだ」
エレインは悩ましく、もったいぶったように、言葉を続けた。
「ヴォルク様、少し臭います」
ヴォルクは起き上がると、エレインの頭をぐしゃぐしゃと掻き回した。
「お前が嫌だというなら、少し煙草を控えよう」
ヴォルクは煙草のヘビーユーザーだ。普通の獣人とは違った体臭を漂わせていた。
「いえ、それは結構です。その代わり、朝の湯浴みはわたしが手伝います」
エレインはそう宣言すると、ヴォルク共にベッドへ倒れ込んだ。
彼女は不運にも吸血鬼に殺され、アンデッドと化してしまったが、この生活も悪くないと思えた。
いや、そう思えるのは彼の優しさもあるのだろう。
奴隷としてではなく、一人の人間として扱ってくれることが彼女にとってはとても心地がよかった。
「火を消しますよ」
「ああ」
エレインの指は、ヴォルクの大きな手に絡まっていた。
【Tips】異種族間の恋愛。王国ではヒューマンの権利が強い為あまり一般的ではないが、帝国、共和国ではごく自然に行われている。生まれる子供は、親のどちらか片方の種族を受け継ぐことになる。