011 爆発
エレインは金砕棒を振り回し、辺りの屍人達の頭を擦り潰していく。
武術の心得のない彼女だが、その膂力と桁外れな重さの武器が噛み合えば、驚異の破壊力を生み出すことができた。
召喚された屍人達は知能が低く、全速力で走り、組みつき、噛み付くことにしか思考を費やすことができなかった。
その分エレインと同じだけの人間のリミッターを超えた力を発揮することはできたが、人としての知能を携え、相性の良い武器を手にした彼女の相手ではなかった。
「エレイン、助かった!」
ヴォルクは奴隷である彼女に心からの礼を送った。
彼女が来たことによって、屍人だらけの洞窟内でも一気に行動が起こしやすくなったのだ。
だが、当然それを見過ごす吸血鬼ではなかった。彼はエレインに手を向け魔法の詠唱を始める。
「封牢の咎人、永劫の暗黒に咽び泣く。彼は真なる――ぐっ!」
しかしヴォルクも仲間を狙われては黙っていない。吸血鬼の顔に向け、正確に銃弾を浴びせていくことで、詠唱の中断を図る。
その間にもエレインは洞窟内のアンデッド達を一掃していく。形勢は傾きつつあった。
「私のコレクションをよくもここまで削ってくれる……」
吸血鬼は怒りを顔に滲ませると、洞窟内を高く飛翔し一つの魔術を放った。
「〈増強〉……!」
その言葉を皮切りにすると、吸血鬼の背中からは丸太のように太い筋肉質な腕が四本盛り上がり、まさに異形の姿を見せる。闇魔術によって自らの肉体を強化したのだ。
「私の手で直接殺してやろう……」
「光栄だな」
ヴォルクは笑ってみせた。
吸血鬼は洞窟の上部から、ヴォルクに向け疾風の如き急降下を行った。
ヴォルクはすんでのところでそれを躱すと、すれ違いざまに肥大した異形の腕をナイフで切りつけた。
だがその返しとばかりに、吸血鬼は複数ある腕の一本で彼を殴りつけた。
ヴォルクは受け身を取り着地したが、相当の痛手を受けていた。内臓に並々ならぬダメージが入ったのだろう。
だがそれと同時にとある事実にも気が付いた。
吸血鬼にとってはナイフによるダメージは大したことではなかったが、戦闘中に敵をよく観察していたヴォルクにとっては吉兆を見ることができたのだ。
明らかに傷の修復が遅くなってきている。
銃弾でのダメージがついに蓄積してきたのだろう。
無限に近いと言われる吸血鬼の再生力だが、その源は魔石から生成される魔力である。
回復を続ければ魔力は減り、魔法を連発することでそれは加速する。
吸血鬼は消耗してきているのだ。
魔石は魔物の心臓付近にある。
なんとか魔石を露出させ破壊力のある攻撃を加えることができれば、以前の戦いのようにこの不死身の魔物を撃退することも可能だろう。
そのためには、彼女の力を借りるしかない。ヴォルクは少量の吐血を気にせず、エレインに向かって叫んだ。
「俺が奴の魔石を露出させる! お前は全力でそれを叩け!」
ヴォルクが彼女からの返事を待つ暇もなく、吸血鬼は再び急降下攻撃を繰り出した。
ヴォルクは疲労とダメージが溜まり切った身体を何とか動かそうとしたが、動き出しが半歩遅れ、吸血鬼の爪の餌食となった。
その爪は錆びた包丁のように切れ味が悪く、ヴォルクの脚に醜い傷跡を刻み込む。
「もう満足に避けられまい! 後は近付かずになぶり殺すだけだ」
吸血鬼はヴォルクから距離を取ると、〈増強〉によって歪に増えた太い腕で、洞窟の岩や破壊された本棚などを掴み取ると、彼に向け次々と投擲し始めた。
実際に、ヴォルクはもうそれを避ける体力や力を失いつつあった。
「させません!」
エレインはヴォルクの前に立つと、投げつけられる岩や本棚の残骸を、金砕棒によって弾き続けた。
凄まじい力の応酬が繰り広げられる。
辺りには次第に、瓦礫の山が出来上がりつつあった。
「ちょうどいい……」
ヴォルクは胸ポケットから金属に包まれた小型の円筒を取り出した。
それは魔導手榴弾と呼ばれる、手投げ式の小型爆弾だった。
ヴォルクは手榴弾に魔力を注ぐと、その金属の塊は淡く点滅を始めた。
「エレイン、伏せろ!」
ヴォルクは吸血鬼に向かい、魔導手榴弾を全力で投擲した。小さな金属の塊は醜い蝙蝠の化け物の胸の辺りにこつりとぶつかると、洞窟全域に響くような爆音を発しながら、炸裂した――
魔導手榴弾は魔導銃と仕組みを似通わせていた。
二つはどちらとも土魔術による〈成型〉と火魔術による〈爆発〉を組み合わせた魔道具だった。
魔導手榴弾の仕組みは単純だ。
円筒の中に〈成型〉により鋭利な石の破片を形作る。あとは、〈爆発〉の魔術を封じ込めると、円筒内の回路により、数回の発光信号を出し猶予を作った後、炸裂する。
爆発の威力自体はさほど大きくはないが、爆風により鋭利な石の破片が高速で飛び出すことによって、周囲に甚大な被害を及ぼすことができる。
それが魔導手榴弾の驚くべき火力を形作っていた。
吸血鬼は自身の身に起こったことに理解が追いついていなかったことだろう。小さな塊を投げつけられたと思った次の瞬間には、とてつもない音と共に上半身がグズグズの肉塊と化していたのだから。
「いけ、エレイン!」
「はい!」
瓦礫に伏せていたエレインはすぐさま起き上がると、金砕棒を手に走り出した。目標は血飛沫を上げ茫然と立っている吸血鬼だ。
ヴォルクの目論見通り、吸血鬼の魔石は見事に体表から露出していた。
後はエレインの渾身の一撃で壊し切るだけだ。
エレインは金砕棒を限界まで振りかざすと、全身全霊の力を込めた横薙ぎを放った。
肉が潰れる生々しい音を立てながら、吸血鬼の胸部は魔石共々身体から弾け飛び、洞窟の壁に撒き散らされた。
魔石を肉体から分断したのだ。
「や、やった! やりましたよー!」
エレインは笑顔ではしゃぐと、壁際に落ちたと思われる魔石の元へと足を進ませた。
「待て! 危険だ!」
ヴォルクの声が届く間もなく、魔石から再生された吸血鬼の腕だけが、エレインの右胸から腕先までもを、
削り飛ばした。
「え……?」
エレインは唖然とした顔で自身の身体を見つめると、よろよろと身体を揺らしながら、その場に倒れた。
「エレイン!」
ヴォルクの絶叫が洞窟内を反響する
それと同時に魔石本体から、声が響き始めた。
「ワタシノ、サイセイリョク、ヲ、ナメテイタ、ヨウダナ……」
ヴォルクは魔石を睨みつける。
すでに吸血鬼はゆっくりとだが身体の再生を始めており、不完全ながらも立ちあがろうとしていた。
黒く光る吸血鬼の魔石はその中心にヒビを入れていたようだが、輝きはまだ失われてはいなかった。
「ココマデ、傷ついたのハ、長イ、人生で、始めてダ……」
ヴォルクはもう吸血鬼に立ち向かう気力を失いかけていた。
魔導手榴弾は、軍を脱走するときに盗み出した最後の一つだった。
発動にはかなりの魔力を消費するため、彼に残された魔力残量はほんの僅かしかなかった。
ヴォルクが持つ最後の〈技能〉を使えば、この場を切り抜けることだけはできるかもしれなかったが、たとえ洞窟を抜け出せたとしても、この脚では完全な身体に復活した吸血鬼から逃走に成功する確率は低いだろう。
――詰みだ。
ヴォルクは二人だけで戦ったにしてはよくやった方だと満足した。下級とはいえ吸血鬼討伐とは、本来吟遊詩人に唄として謳われてもおかしくない偉業なのだ。
魔石に付けた傷は治らないとされている。
この吸血鬼に俺達が一生物の傷をつけてやったのだ。それで満足しよう。
ヴォルクの心残りは、エレインを守ってやれなかったことだけだった。戦闘に不慣れな彼女を実戦に出すにはまだ早すぎたのだろう。それだけが悔やまれた。
「慈悲ヲ、くれてヤル。お前ハ、アンデッドにセズ、ここでトワの眠りを与えてやろウ」
「それはありがたいね。ちょうど昼寝がしたかったんだ」
剥き出しとなった魔石が魔法の詠唱を始める。
ヴォルクに名誉とやらを与えるのだろう。彼は覚悟を決めたように目を閉じた。
しかし、その時だった。
洞窟内を揺らすほどの爆音が響き、高速の飛翔体が吸血鬼の魔石にぶち当たる。
ヴォルクは独特なこの爆音に聞き覚えがあった。軍人時代に行った射撃訓練の際に何度か自身の耳で聞いたことがある。
「魔導対物狙撃銃……」
洞窟内を、何名かの者達が一斉に走る音が響き始めた。
足音は一定の位置で一様に止まり、その後には各々が銃を構える音が聞こえる。
「射撃用意、撃て!」
合図と共に魔導突撃銃による一斉掃射が始まる。凄まじい射撃音が洞窟内を反響した。
吸血鬼の魔石は大量の銃弾を受け徐々にヒビを大きくさせていった。
そしてついに、次の狙撃銃による攻撃で真っ二つに砕けた。
辺りに闇の魔力が溶け出していくのを肌が感じる。吸血鬼は魔導銃の射撃により、その生を完全に停止させたのだ。
コツコツと、洞窟内に足音が通る。剥き出しになった岩肌に軍靴がよく響いていた。
「ヴォルクさーん。もしかしてさっき、死のうとしてませんでしたあ? それってすっごく可愛いですねえ」
この特徴的な喋り方。軍には少ない女性兵士。
そして何よりも特徴的なのが、頭から伸びる二本の角と巨大な竜の尻尾。
大陸では非常に希少なドラゴニュートの女、イルゼ・フォン・ヴァーゲンクネヒト。
「イルゼ、お前に助けられるとはな」
「私はヴォルクさんのこと、絶え間なく助けてばかりいたと思いますけどねえ」
そういえば、軍務中は彼女の狙撃の腕に助けられたこともあった。
「それより、こんな近くに吸血鬼がいたなんてびっくりですよお。ヴォルクさんの射撃音、洞窟の外まで響いてたんですから」
彼女達帝国特殊歩兵群は、帝国の軍事面で様々な要求を満たすため、選抜された兵士達がそれぞれの特技を活かし軍事的活動を行っている。
ヴォルクもまた一年程前まではその隊員の一人だった。
ギルドの諜報員は帝国兵の痕跡は新たに見つかっていないと報告を上げたが、王国での隠密任務をこなす彼女達は、存在した形跡を完全に消しながらこの数週間の間潜伏を続けていたのだろう。
彼女等にはそれをこなすだけの技術があることを、ヴォルクは実体験から知っていた。
「うふふ、ヴォルクさんの居場所なんて、すぐ分かっちゃうんですからあ」
「早く要件を言え。俺を殺したいだけなら見殺しにすればよかったはずだ。助けた理由はなんだ」
ヴォルクは特殊歩兵群の隊員達に完全に包囲されていたが、それに対する焦りはなかった。ただ、倒れたエレインがどうなったのか。それを早く知りたかった。
「何をせかせかしてるんですかあ? あ、もしかしてそこに倒れてる修道服の女のこと気にしてます? むりむり、間違いなく死んで……」
ヴォルクの視線にめざとく気づいたイルゼは、エレインの存在を把握すると、上半身の大部分を失った彼女がまだ動き続けていることに驚愕した。
「えっ? この子まだ動いてる。キモ〜」
イルゼは部下の隊員の肩に手をやると、冷酷な声で躊躇なく命令を下した。
「おい、アンデッドだ。殺せ」
命令を受けた隊員が銃を構え、照準をエレインの頭に向ける。
「よせ! 彼女は仲間だ!」
ヴォルクは必死の表情で叫んだ。
動いているということならば、彼女の命はまだ失われていない。魔石を与えれば怪我は再生する。
隊員はヴォルクの懸命な言葉を聞き、引き金を引くか判断をあぐねた。
だが、イルゼはヴォルクの表情をじっと見ながらもう一度、ゆっくりと命令を下した。
「殺せ」
隊員は銃を構え直し、引き金へと指をかけた。
エレインの頭が西瓜のよう潰されるまで、残りの時間は極々僅かしかない。
しかしヴォルクは周囲を複数の隊員に囲まれ、脚を負傷している。強行突破するにしても、間違いなく彼女を助けるためには時間が足りない。
「やめろーー!!!!!」
時間は無常に流れ続けるものだ。
ヴォルクはついに奥の手を使う決心をした。
――技能〈時間操作〉
ヴォルクが心の中でそう呟くと、彼の周りにある森羅万象の全てが、時を、止めた。
【Tips】技能。魔法とは違い、魔力を消費せずに発動できる特殊な技術のこと。一般的には長期間の訓練によって習得できる。スキルと呼ばれることもある。