074 砦のゴブリン戦★
{ロラン・ローグ、もうすぐ1体目のゴブリンが攻撃範囲に入ります}
エリクシルの冷静な声が静寂を切り裂く。
声を聞いた全員が呼吸を潜め、ロランの行動を見守った。
砦外周の岩の上に、見張り役のゴブリンがぼんやり立っている。
目を閉じたり開いたり、立ったまま寝落ちそうなその姿は警戒心が薄い。
ロランは小さく息を吐き、腰のナイフを抜くと、上腕のパッチに指を走らせた。
<強化服・起動> 残量89%
強化服が静かに動作を始めると、全身の感覚が鋭く研ぎ澄まされる。
岩陰から音もなく接近すると、ためらいなくハンティングナイフを振り下ろした。
サクッ――!
ゴブリンの目が一瞬見開かれる。だが、声を発する間もなく喉元を裂かれた血に溺れ、体がゆっくり崩れ落ちる。
《……まるで豆腐でも切ったみたいだ》
ロランはナイフの刃についた血を見つめた。
手応えがなさすぎて奇妙な感覚が残る。
エリクシルが喜びを含んだ声で無声通信を送った。
{お見事です! これで次の目標に進めますね。ゴブリンの位置を4か所に表示しました。皆さんへの指示をお願いします}
「了解」
拡張現実に映し出された次のゴブリンの位置はそれほど遠くない。
ロランは仲間たちを振り返り、無言でジェスチャーを送る。
1つ目の地点は自分、2つ目はコスタンチーム、3つ目と4つ目はそれぞれ他のチームに割り振る。
攻撃後の集合地点も指し示すと、全員が慎重に散開した。
ロランは砦裏手のゴブリンを狙う。拡張現実が生体反応を示すその地点にたどり着くと、敵は横たわって眠り込んでいる。
躊躇なく喉元にナイフを振り下ろし、息絶えるのを確認した後、集合地点に戻った。
次々と生命反応が消えるのを拡張現実が示していた。
仲間たちも成功しているようだ。
「皆さん、大丈夫でしたか? けが人はいませんか?」
集合地点でロランが確認すると、村人たちは小声でそれぞれの戦果を報告する。
「いやぁ、この槍、よく刺さりやすくてな! ラクに仕留められたぜ」
「俺んとこのは大きなイビキをかいてたよ。ひっくり返って寝てるなんて呑気なもんだ!」
冗談めかした言葉に安堵の笑いが起きた。
{皆さんのおかげで、屋外のゴブリンは砦の入り口前にいる2体だけとなりました。しかし、彼らはすでに起きているようです}
エリクシルの言葉に、全員の表情が引き締まる。
「砦の近くに窪地があったので、そこを通れば気づかれずに接近できそうです。こちらです」
ロランが先導し、一行は窪地を慎重に進む。
目の前に広がる砦の姿はどこか異質だった。
崩れた石積みの壁は厚く、単なる魔物の巣というには立派すぎる。
窪地から砦の入口を覗き込むと、そこには座り込む小鬼と、周囲をうろつくもう1体がいる。
このまま飛び出せば気づかれるだろう。
ロランは考えた末、音を使って敵の注意を逸らす策を選んだ。
「コスタンさん、これから音で小鬼を誘導します。その後、近い方を仕留めてください」
ロランが小声で説明し、コスタンが静かに頷く。
エリクシルが右側にピンを立てると、ロランは手頃な石を拾い、放物線を描くように投げる。
ゴトン――!
音に反応したゴブリンたちは音のした方へ向かい、完全に隙を作った。
ロランが目配せすると、コスタンチームが動き出す。
手前のゴブリンは槍に貫かれ、もう一体はロランのナイフが一閃して絶命した。
砦の入り口前で一度集合すると、エリクシルがボリュームを落とした声で砦内部の状況を伝える。
{内部の構造ははっきりとはわかりませんが、いくつかの小部屋と思われる個所にゴブリンが3体ずつ、そして最奥の大きな部屋に岩トロールがいるようです。……それにしてもずいぶんと立派な砦なのですね。魔物が造ったものには思えません}
「昔からある砦ですな。取り壊すのにも金が要りますから、こうやって放棄された後は魔物の棲処となってしまうのです」
《船の近くの遺跡跡もこういった砦の成れの果てなのかもな》
{{コスタンさんが昔と評するほどです。相当に古い建造物なのかもしれません。各地に点在していたとすると、その理由も気になりますね}}
ロランはエリクシルが好奇心を炸裂させていると思うと苦笑いし、コスタンの方に向き直る。
一行は砦の入り口から内部に足を踏み入れる。
石畳の床、無骨な壁、そして散乱する小動物の骨やがらくた――捨てられた砦の内部は不気味な空気に満ちていた。
「……悪趣味な飾りつけだな」
村人のひとりが小声でつぶやいた。
ロランはフラッシュライトを点け、暗い内部を照らす。
明かりに驚き目を細める仲間たちに、コスタンは注意を促す。
拡張現実にはゴブリンの反応が複数示されていた。
ロランは小部屋を指差しながらジェスチャーで状況を伝える。
しかし、暗がりでひとりの村人が何かに足を取られてつまずいた。
ゴトッ――!
その音に敏感に反応したゴブリンたちが、一斉に目を覚ました。
「ギャギッ!?」「ゲゲッ!」
ゴンッ――ゴゴンッ――ゴンゴンゴンッ!!
砦の中庭に重く響き渡る金属の音が、静寂を無残に打ち砕いた。
「なっ……!?」
ロランが声を上げる間もなく、1体の小鬼が大きな皿状のどらを力任せに叩き続ける。
その音は砦全体を揺らし、奥深く眠っていた空気さえも震わせた。
「ギャアアアアアア!」
小鬼たちの叫びが音の波に乗り、砦中に反響する。
それと同時に、拡張現実には目覚めた小鬼たちが蠢き出す様子が映し出された。
「急いで止めるぞ!」
コスタンが鋭い声で命じ、剣を一閃させながらどらを叩く小鬼に向かって突撃する。
その背中に追随するように、ロランは手にしたナイフを握り締め、素早く動いた。
コスタンの剣が小鬼の胸を深々と貫き、同時にロランのナイフがもう一体の喉元を鮮やかに切り裂いた。
その傍らでは、ラクモが冷静な動きで最後の1体を槍で仕留める。
ゴワンッ――!
どらが最後の抵抗のように床へ落ち、その甲高い音が砦中庭を突き抜けた。
転がるどらの響きは、なおも遠くの壁に反響を残し、やがて消える。
ロランは荒い息を整えつつ、コスタンとラクモの姿を見やった。
ふたりの動きは完璧だった。
《コスタンさんはさすが元冒険者だな……それに》
{{……ラクモさんも槍の扱いが鮮やかでしたね。見事な連携です}}
だが安堵する間もなく、砦の奥深くから異音がこだました。
低く、重々しく、まるで大地そのものが呻くような音――。
「ゴアァッ!! ゴォォガアアァァ!!」
咆哮が壁を伝い、砦全体を震わせる。
目覚めた小鬼たちの声が重なり合い、不気味な合唱のように耳に迫る。
「これで、完全に全員が警戒態勢に入ったようですな……」
{岩トロールが何かを叩きながら叫んでいます……まるで仲間を奮い立たせるかのようです}
エリクシルの言葉が響くと、ロランの眉間に深い皺が刻まれた。
「……急ぎましょう。岩トロールが完全に動き出す前に対処しないと」
ロランの冷静な提案に全員が無言で頷く。
息を潜め、足音を殺して奥の部屋へ向かう一行。
回廊の先、小部屋から漏れる低く濁った声が、耳障りなさざ波となって届く。
「ゲゲ、ゲゲ、ギョ」「ギョゲ!!!」
ロランは指示を素早く出した。
チャリスに目配せを送り、手のひらを立ててから小部屋の方へと2回振る。
チャリスもそれを理解し、ラクモや村人たちに目配せを送る。
全員が息を合わせ、小部屋へと突入した。
「ギャギー!」
「ギャアッギャッギャ!」
突入と同時に小鬼たちの汚らしい叫びが響く。
だが、ロランのナイフが鋭く閃き、最前列の小鬼を一瞬で沈黙させた。
その間にチャリスとラクモが槍を構え、残る2体を迅速に始末する。
{これで砦内の小鬼は全て殲滅しました}
「……早いところ岩トロールのいる部屋に向かいましょう」
巨大な扉の木枠は無惨に砕け散り、部屋は開け放たれていた。
扉の残骸が散らばる床には、乾ききった血痕が無数に残されている。
「……岩トロールが扉を打ち壊したのか」
ロランがつぶやきつつ部屋の中を覗き見る。
そこには身の丈3メートルの巨体がそびえ立っている。
岩の鎧をまとったような体表、大きさに似合わない短い脚、額には黒い髪と角が生えている。
その姿は異形でありながら、圧倒的な威圧感を放っていた。
「ゴガアアッ! ゴォォガアアァァ!!」
岩トロールが台座に立ち、苛立ちを露わにしながら叫び声を上げた。
その声が、部屋の中だけでなく、回廊にいる全員の骨を震わせるような響きを持っていた。




