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3話

「・・・・ブライアン。あの、今日はソフィア様とお約束があると、言ったはずなのだけれど。」


 なぜか分からないけれど、エレノアは言い知れない恐怖に襲われていた。

 手が汗ばんでいる。



 マーロウの屋敷の玄関ホールで。

 何人かの使用人が心配気に事の成り行きを見守っている。

 皆幼いころからブライアンの事を知っていて、仲良くしている者ばかりだ。



「え、聞いてないよ?・・・エレノア。約束を破るのかい?いくら侯爵令嬢と友達になったのが嬉しいからって、それは酷いよ。」


 ブライアンは、とても傷ついたような表情をしていた。

 声が大きい気がする。


 使用人たちが聞き耳を立てているのが分かる。


「そうではなくて、今日はソフィア様とお約束があると、お断りしていたはずです。」


「・・・・・・・・・酷いよエレノア。」



 そう言ったきり、ブライアンは黙り込んでしまった。



「・・・・・・・・・・・・・・・・・・。」



















 沈黙に負けたのは、エレノアだった。

「ソフィア様に、お断りのお手紙を届けてちょうだい。」


 近くにいた使用人に頼む。


「え、そんな。僕の事は気にしないで侯爵家へ行っておいでよ。」



 なぜ。

 なぜ、エレノアがソフィアに断ると決めてからそんな事を言ってくるのか。

 先に言ってくれれば、エレノアはきっとソフィアの方へ行けただろう。


「いいえ、もう決めた事ですから。」


 ブライアンは、心が広くて気にせず行っておいでと言ってくれた。

 なのにエレノアが勝手に断っただけ。


 そう、それだけ。




 ポキリ



 エレノアの中の何かが、折れた音が聞こえた気がした。





 *****









 その日から、侯爵家へ行くことは無くなってしまった。


 ソフィア様に何度か練習をしようと誘ってもらえたけれど、不思議と予定が嚙み合わない。

 あれほど何もかも上手く回っていた反動か、今度は全てが上手くいかなくなってしまった。



 ブライアンは、嬉しそうに屈託のない笑顔で週に何度も誘ってくる。

 エレノアはその誘いを断る事が、怖くて出来なかった。





 そうして気が付けば、もう音楽サロンの日の前日になってしまった。


 あれから二週間、全然合わせて練習していない。


 家で一人で練習はしていたけれど。

 きっとソフィアもクリスも、・・・・侯爵夫人も、エレノアに呆れていることだろう。


 ろくに打ち合わせも出来ていない。

 こんな調子で、王妃様の前で演奏なんてできっこない。

 きっと、エレノアの出席は今頃中止になっているだろう。


 ソフィア様の演奏だけでも素晴らしいし。

 もしかしたらソフィア様も出席を取りやめになられたのかしら。



 王妃様の前で歌うなんて、最初から私にそんな事出来るわけなかった。夢だったのよ。


 そう思い込もうとしていた。





「それでさー、聞いてる?エレノア。」


 今日はブライアンのお友達の伯爵家のお茶会に呼ばれていた。

 男友達の集まりのようで、令嬢はエレノアだけだった。


 ―――ブライアン一人で出席すれば良かったのに。


「きっと皆ご令嬢をエスコートしてきているよ。僕だけに恥をかかすのかい?」


 そう強引に誘われて、結局エレノアはまたソフィア様の誘いを断った。


 お茶会に来てみて男友達しかいないことに疑問を持ったエレノアに、ブライアンは「今日は皆、男同士で話すつもりだったんだってさ。勘違いしちゃって、ゴメンね。」と軽く謝ってきた。



「・・・・・・はい。」


 聞いてるも何も、男同士で盛り上がっているだけで、エレノアは会話に入れていない。

 ずっと傍に控えてて、ブライアンの話を聞き続けなければいけないのか。

 他の人たちは、一人で黙り込んでいるエレノアに気を遣ったり、気まずそうにしている。



 目の前に、エレノアの見慣れた世界が広がっていた。

 灰色の、沼に浸かっているような重たい世界。





 その時、お茶会をしている広間の入り口のドアの外が、少し騒がしくなった。

 使用人の一人がこの家の伯爵家子息に近づき、何かを耳打ちした。


「え、クリストファーが来たのか!?」


 クリストファー。誰だろう。そんなのどうでも良いけれど。


 誰が来たってどうせエレノアは、このお茶会が終わるまで、ただ下を向いて耐えているだけだ。




「クリストファー。いきなりどうしたんだ?」

「やあダニエル。悪いな、邪魔するよ。」


 その聞き覚えのある声に、エレノアは弾かれたように顔を上げた。


 クリス!なぜここに。



「最近エレノア嬢と会えなくて寂しいと、妹にせがまれてね。全く我儘で仕方ない。」

「ソフィア嬢が?そういえば最近、エレノア嬢と仲が良かったんだっけ。可愛い我儘じゃないか。」


 妹?ソフィア様が妹。

 そんなバカな。確かにソフィア様にはお兄様がいたはずだけど。

 名前は―――確か。


「クリストファー・リッベン。招待もされていないのに押しかけるなんて、ちょっとマナー違反じゃないかな。」


 ブライアンがあくまで穏やかな笑顔と口調で窘める。

「ああ、ごめんなブライアン。クリストファーは俺の気心の知れた友人で、よく連絡もせずに行き来しているものだから。」

 クリスじゃなくてダニエルが謝る。


「あ、ああ、そうなんだ。いや、こちらこそ君の大切な友人に失礼した。」



 ダニエルは、リッベン侯爵家のお茶会で会ったことをきっかけに、ブライアンをよく集まりに誘ってくれるようになったらしい。

 上位貴族の集まりに呼んでくれるダニエルの機嫌を損ねるような真似、ブライアンはしないだろう。


「お楽しみ中に悪かったね。用事が済んだらすぐに退散するよ。」


 精緻な刺繍を施したベストに真っ白なシャツ。貴族の服を着たクリスがそこにいた。


 その仕草、頭の先から爪の先まで整えられた容姿。

 どこからどう見ても貴族だ。

 例え使用人の服を着ていたからって、なぜこの人を庶民だと勘違いできたのだろうか。



「エレノア嬢。明日の音楽サロンの招待状だ。絶対に直接君に渡すように頼まれた。」

 誰もが羨む王妃様の音楽サロンの招待状。


 まだ、エレノアを招待してくれるというのか。


「でも―――私練習。」

「家でもしてるんだろう?あれだけ練習してきたんだ。きっと大丈夫だから。」



「エレノア。何の話?音楽サロン?しかも練習って。」

 ニコニコと穏やかに笑うブライアンが、会話に割り込んでくる。


 あ、知ってたんだ。


 エレノアは突然気が付いた。


 私が音楽サロンに出ようと思って練習していた事知っていたんだ。



 誰がばらしたのだろう。

 ブライアンに同情的だった使用人たちの表情が頭に浮かんだ。


 誰かじゃない。

 口止めはしていたけど。幼いころから知っているブライアンに、エレノアが心配だといって頼まれたら、きっと誰だって話してしまうだろう。



「エレノア。どうして僕にそんな重大な事内緒にしていたんだい?何かやましいことでもあるの?例えば―――ソフィア嬢と会うとウソをついて、そこのクリストファーと会っていたとか。」

「そんな!疚しい事なんて。」



 それはない。

 だって本当に、いつも練習していただけだ。

 確かにクリスはいつもいて、演奏を聞いていたけれど、使用人だと思っていたし。

 他にも使用人の男性も女性もたくさんいた。

 証人だっている。


「ブライアン君。エレノア嬢は君を驚かせようと思って、内緒で練習していただけだよ。僕の妹のソフィアとね。そんなに心配なら明日の音楽サロンに君も来れば良い。歌声を聞けば、エレノア嬢がどれだけ一生懸命練習してきたかが分かるだろう。」



「へえ、音楽サロンか。良いな、ソフィア嬢も出るのか?俺も聞きに行こうかな。」

「良いね、ダニエル。是非一緒に行こう。お母様に頼めば二~三人ぐらい潜り込めるだろう。」


 リッベン侯爵夫人は、王妃様と仲が良くて有名だ。



「エレノア!明日は僕と、劇を見に行く約束だったね?」

「ち、違います!」


 確かに誘われたけど、それは断った。

 音楽サロンに出る事を、ほとんど諦めていたけれどそれだけは。

 当日の誘いだけは、エレノアは絶対に断っていた!



「ごめんねエレノア、信用できない。もし君がクリストファーと会っていたんじゃないというなら、明日は僕との約束を優先させてくれ。」


「そんな・・・・。本当に練習していただけで。」

「本当にただ練習していただけなら、何で僕に内緒にする必要があるんだい?」

「それは・・・・・。」



「明日は僕と出かけるんだ。良いね?エレノア。」

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。」










 沈黙が、痛い。





 怖い。でも。




 これだけは。これだけは―――。



 音楽サロンに出たいです。

 そう言おうと決意して、口を開こうとしたその時。


「悪いけど、これを断るなら、君と信頼関係を築いていける気がしない。結婚の話はなかった事にする。」



 目の前が真っ暗になる。


 ブライアンが結婚してくれなかったら、マーロウ家はどうなるのだろう。

 しがない子爵家に婿入りしてくれるような人、今更―――。



「明日、迎えに行くから。分かったね?」









 エレノアは思わずろくに退出の挨拶もせずに、伯爵家を出てきてしまった。

 広間を出て行くエレノアを、追いかける者は誰もいなかった。


 ブライアンは余裕で深々と座ったままだったし、クリスは少しだけ気にする素振りを見せたが、あの場面で追いかけてエレノアと二人になることはできなかっただろう。


 伯爵家の使用人が、慌てて馬車を用意してくれると言うのを断り、辻馬車に乗り込んで帰った。


 マーロウの屋敷の近くで降りる。


 こんな時でも、意外と冷静に家まで帰れてしまったことを、エレノアは他人事の様におかしく感じていた。




 屋敷に入る。


「お嬢様。リッベン侯爵家から、贈り物が届いております。」


 優しい家令のセバスチャンが出迎えてくれる。

 大好きなおじいちゃんのような家令。この人がブライアンにバラしたのかな。

 誰がバラしたのかな。


 誰もが信じられないような気がした。




「ありがとう。部屋に置いておいて。」

「・・・お嬢様。先ほど侯爵家の使用人と一緒に、ご子息のクリストファー様が直接いらしてこちらを届けていかれました。今までも、何度も手紙を届けて下さいましたし、僭越ながら、とても大切な物だと推察いたします。すぐにご確認されたらいかがでしょうか。」

「手紙?クリスが?私そんなの知らない。」


「・・・何と!?それは・・・・・。大変失礼いたしました。私の監督不行き届きです。直ちに調査いたします。」



 何度も手紙をくれていた?クリスが?そんな。知らなかった。

 ―――何度も無視してしまっていたのか。



 ・・・・・それなのに、今日来てくれたんだ。


 家令が自らの手でエレノアの部屋まで贈り物を運んでくれる。

 今は他の使用人全てが信用できないからと言って。



 綺麗に包まれた箱を丁寧に開けるとそこには―――


 ソフィア様と合わせて仕立てたドレス。

 薄いピンクで、胸元にキラキラとしたビーズを縫い込んだ精緻な刺繍があり。スカートの部分には薄くて透ける生地がフワフワと何重にも重なる。


「とても綺麗なドレスですね。お嬢様にお似合いになりそうだ。」

「本当に似合うと思う?」


「はい。お嬢様はとてもお美しいので、このように華やかなドレスがとてもお似合いになるでしょう。」






 そのドレスをそっと抱きしめて、エレノア・マーロウは決意した。








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