パイロット適性試験
神経接続によるメックの制御には特別な素養が必要とされている。
本来は義肢や作業用外骨格などのために開発された、要は手を使わずに機械を操作するための技術だった神経接続だが、人間の手足一本と全高50m以上の人型兵器とでは、処理する情報量が文字通り桁違いになるからだ。
もちろんそのほとんどはOSによって処理されるし、AIによる補助もあるから、実際にパイロットの脳が受け取る情報は全体の10パーセント未満だが、やはりまともに受け止めるには莫大すぎる量だ。
そうした脳に流れ込む情報を反射的に取捨選択し、必要のない情報を無視、あるいは"受け流す"能力は天性のセンスというべきものが大きく、努力や訓練で補うには限界がある。
『接続適性』あるいは単に『適性』と呼ばれるその能力は非常に希少であり、その持ち主が民間から協力者としてパイロットに選別されることは珍しいことではない。
しかし問題は、例え接続適性があるからといって、
「パイロットとしての素養があるかはまた別問題、ということですね」
蘇芳が呟いた先には、白衣を着た小柄な人影が無数に並んだモニターやコンソールの前の椅子に座って憮然とした表情を浮かべていた。
「にしたって限度があろうよ……」
その声はくたびれたような語調のわりに……というよりもはや『甲高い』と言っていいような高さで、まるっきり子供のようだった。
実際、その白衣の人物は顔立ちも体格も少女(あるいは幼女)のそれで、しかもドギツいピンクの髪を床に垂れるほど伸ばしていた。
髪色が派手というだけなら蘇芳の深紅やマシロの薄いベージュもそうだが、そのピンク色は一段と作り物めいて浮いており、蘇芳はそれを『出来の悪いコスプレのような』と表現するのが的確だと思っていた。
「適性値を見た時はこりゃ逸材だと思ったんだがねぇ……」
そう呟く少女の視線の先には一際大きな中央モニターがあり、そこに映し出されているのは海棲怪獣と、格闘する《カサブランカ》の姿だった。
ラーカンスはその巨体からは想像もつかないような高い遊泳能力と津波を発生させる力を持ち、当時造成途中だったテックアイランドに甚大な被害をもたらした恐るべき怪獣である。が、海棲怪獣はあくまでも海棲怪獣。陸上での運動能力は著しく低く、這いずるように歩くのが精一杯の鈍亀になってしまう。
その巨体による頭突きと体当たり以外にまともな攻撃手段もなく、耐久力にも見るべき点は無い。
《カサブランカ》の性能をもってすれば容易な相手のはずだ。それ故にユウトの操縦シミュレーターの最初の相手、いわば小手調べとして選ばれたのだが、
「客観的に見まして、劣勢ですね」
「それは客観的っていうには相当甘い見方だよなぁ」
『うわぁぁぁぁぁっ!?』
聞こえてきたのは、シミュレーターの中のユウトの悲鳴だ。頭でっかちな巨大魚の頭突きをまともに喰らい、カサブランカは背中から思い切り転倒、だだっ広い平原にその身体を打ち付けられる。
ただまっすぐ突撃してくるだけの攻撃を、もたつくばかりで避けも防ぎもしなかった。その様子はふざけてわざと負けているようにすら見えるが、入内島ユウトはそういう悪ガキのようなタイプには見えなかったし、第一悲鳴が迫真すぎる。
「動かし方がようわからん、ってことは……?」
「基本操作の説明や各種テストは済ませています。それに、ユウト様の適性率は86.4です。神経接続したメックは手足も同然かと」
「だよねぇ……」
適性率は、ざっくり言ってしまえば神経接続の際に『如何に負荷を受けず』『如何に無駄なく情報伝達できるか』という能力を数値化したものだ。
それがおおよそ60もあればメックの操縦が可能な適性者と見なされ、70あればその中でも優秀、80超ともなれば史上稀に見るような天才的才能と言って過言では無い。
そのはずなのだが、
「負けそうだねぇ」
「そうですね」
モニターの中のカサブランカはすっかりラーカンスにマウントポジションを取られて……というより覆いかぶさられてしまっていて、その圧倒的な体重に押し潰されつつあった。
『電磁障壁消失。胸部装甲耐久率52%。左脚部アクチュエータ破損。右腕部武器システム応答無し。腰部フレームに損傷を検知。右肩部ジョイント破損。コクピット付近の内部構造に歪みを検知。パイロットの生命保護を最優先……』
『わぁぁっ、どうすればいいんですかこれ!というかどうなってるんですか!?警報とかアラートとかいっぱい出てて……』
警報とアラートは同じ意味では、という指摘は無意味なのでしない。
ラーカンスは地上では発達したヒレで四足歩行を行うのだから、倒れたカサブランカに覆い被さるまでにもいくらかの時間的猶予はあったはずだ。
それまでに立ち上がって逃げるか、それが無理なら上体を起こして反撃を体勢を整えるか、それも無理なら右腕部高周波ブレードで柔らかい脇腹を切り裂くか……と、対処方法はいくらでもある。こうまで一方的に負けるというのは"不自然"ですらある、と蘇芳は評価した。
初めてのシミュレーターで緊張してしまい、冷静な判断ができていないのだ……と言うのは簡単だ。
しかし、結局のところは最初に出た結論に戻ってくる。
「適性があるからといって、戦うことに向いてるとは限らない、ねぇ」
ピンク髪の少女は思い切り椅子にもたれ掛かり、天井を見上げるような姿勢で脱力する。それと同時に、モニターの中のカサブランカが完全に停止。古代の怪魚はもはや動かない鉄塊の上で雄叫びを上げていた。
『メック大破と判定。シミュレーション終了』
『す、すみませーん……なんか、終わったみたいです……』
ひどく気まずそうな入内島ユウトの声を聞きながら、
「どうしますか?技術顧問 」
蘇芳がそう尋ねると少女は、
「"博士"と呼び給えよ、博士と」
と気だるげに訂正してから、
「もちろん、採用だ。彼は全く私の期待通りだよ」
してやったり、と言わんばかりに不敵な笑みを浮かべて見せた。
蘇芳はその様子を『芝居がかっている』と評価して、すぐに『アニメの見すぎ』と訂正した。
◆
入内島ユウトは更衣室で溜め息をついていた。
何も自分がメックのパイロットとして大活躍出来ると期待していた訳ではないし、望んでいたわけでもなかった。
《カサブランカ》のパイロット二人は優秀だというから自分はせいぜい補欠だろう、それでいくらかの内申点や補助金が出れば万々歳……それくらいにハードルを下げていたというか、実際そのあたりが現実的なラインだと思っていた。
それがどうだろう、実際に目の当たりにした現実はその遥か下をくぐり抜けてしまっている。
シミュレーターでカサブランカを歩かせたり、反応速度を調べたりするテストはそれなりに好成績を残せていたのだが、実戦形式で怪獣相手に戦うとなった瞬間にボロボロ、文字通り何も出来なかった。
男して情けないことだし、せっかくメックを動かせるという能力が見つかったのにそれが無駄になってしまうというのは残念な事だと思うけれど、この結果で不合格となるならそれが自分の実力なのだろうから仕方ない。
ユウトはそれ以上に、『怪獣マニアだから怪獣がかわいそうで戦えなかった』と思われるのではないか、ということを心配していた。
動物保護団体の延長のような集団が、怪獣の保護を求めたり、メックによる怪獣の駆除に反対したりというのはネットニュースなどでたまに話題に登り、その過激な活動が問題になることがある。
もちろん怪獣は人間が憎くて攻撃を仕掛けているわけではないだろうし、人間の都合で倒されてしまうのはかわいそうだという気持ちは理解出来る。
しかし、彼らの巨体を囲っておける柵も、養うための餌も人間に用意することはできない。
メックによる迎撃すら『他に有効な方法がないから仕方なく行っている』というところだろうと思う。それには莫大な予算をかかっているだろうし、先日の《グラウダ》戦のような危険や苦戦だってある。
怪獣が都市を襲う以上、人類に戦う以外の選択肢はない。そこに良い悪いの問題は無い。
それがわかっている(少なくとも、わかっているつもりだ)から、ユウトはテストを受けることも協力者としてパイロットになることも了承した。
不合格になるとしても、出来ればそこは理解していて欲しいなぁ、と思った時にはもう学校の制服に着替え終わっていて、もう一度ため息をつこうとして、やっぱ飲み込んでからカバンを担いだ。
「あ……お疲れ様。入内島くん、で合ってたよね?」
更衣室を出たところで見知らぬ制服の女の子が話しかけてきて、ユウトはほとんど反射で、
「そうだけど……」
と答えてから、彼女が何者なのか気づいた。『見知らぬ』と思ったのが実はそうではないということにも。
その目立つベージュのロングヘアが特徴的な少女は、ついさっきも顔だけは合わせたカサブランカの正規パイロットの片割れの、
「あっ……春日谷マシロ、さんですよね?何かご用ですか……?」
急に敬語になったのは有名人に会ったという緊張というより、向こうがこちらより歳上ということを思い出したからだった。
しかしそれを聞いた制服の少女……マシロは困ったように笑う。
「そんなかしこまらなくてもいいよ……ほら、これからは仲間になるわけだし」
という言葉に、ユウトはこの人が今日のテストの惨状を知らないんだと思って、曖昧に笑うことしか出来なかった。
「喉、かわいてない?これ、貰い物だけど……」
「あっ……ど、どうも」
差し出された『P.P.ピーチ』のペットボトルを受け取ると、昔祖母の家に遊びに行った時もよく飲んでいたことを思い出した。ラベルのデザインがその時から大きく変わってはいないのもあって、無性に懐かしく感じる。
「テスト、大変だったかなって思って……どうだった?」
「いやそれが、あんまりっていうか、全然っていうか……」
「あはは、そうなんだ……まぁ、私も初めての時はほんと、全然だったから。そんなに気にしなくていいと思うよ」
わざわざ更衣室の前で待っていたくらいだから、てっきり何か連絡事項とか、何かしら用事があったのだとばかり思っていたのだけど、彼女の話す内容も語調もまるで同級生に向けて話すようだった。
こうして間近で顔を見ていると、彼女は髪の色だけでなく、瞳の色も特徴的だと気づく。
透けるような青い……スカイブルーと言えばいいのだろうか、それは時々照明の光に当たって紫っぽくも見えた。
「それじゃ、私、ミユキちゃんとの約束があるから……またね、入内島くん」
「あっ、は、はい……それじゃあ、また」
にこっと微笑んで小さく手を振る彼女に小さく頭を下げるが、不合格になるだろう自分が『また』と言うのはおかしかったかな、とも思う。
それにしてもマシロの顔は愛らしいというか本当に綺麗で、なるほどこれが美少女というものか、と何か納得してしまった。
歩いていく彼女の明るく長い髪がかすかに揺れるのを見送りながら、なんだか妙に冷静に考えていたのは、その笑顔が美少女として『決まりすぎ』だったからじゃないだろうか、と思う。
ごく自然な振る舞いに見えて、人形のようというか、グラビア写真のようというか……まるで、前もって練習してきたような。
有名人の美少女と話をした(というほどの会話もしてないが)事実より、そのことがやけに気になって、手に持ったままだったP.P.ピーチのラベルに何故か目を落とした。
そこにはやっぱり、懐かしいデザインのロゴが描かれているだけだった。
◆
ミユキは廊下の角を曲がったすぐそこで待っていた。
「もう済んだ?じゃ、いこっか」
マシロがそれに小さく頷いて応えると、二人は今度こそ出口に向かって歩き出す。
ミユキが先を歩いて、マシロはその隣から、一歩から半歩後ろを歩くいつもの陣形だ。
「挨拶くらいしてもバチは当たらないと思うんだけどなぁ」
苦笑気味に言ったのは、マシロが入内島ユウトに会いに行く前、ミユキがわざわざここで待つと言って、実際そうしていたことについてだった。
いつものミユキなら多少興味が無いことでも付き合ってくれるところなのに、とマシロは思ったのだが、
「いいって私は……アイツとは仲良くなれそうな気がしないし、必要もないでしょ」
ミユキが言い終えると同時に、はぁ、という溜め息が聞こえた。『アイツ』なんて言い方をしているけれど、ミユキとユウトはそもそも面識すらないはずなのだった。
何がそんなに気に食わないのか、と不思議には思うが、何か誤魔化したり隠したりする素振りもなくハッキリ言っているあたり、彼のことを本気で嫌悪しているわけではないだろう……とも思う。
マシロもミユキとはそれなりの付き合いだから、彼女がちょっとした機嫌の良し悪しも(少なくともマシロに対しては)遠慮なく表に出してくることは承知の上だ。
「仲良くなるに越したことないよ」
だから、マシロがそう言ったのも深い意味はなくて、そのセリフは単に言葉のキャッチボールのうちの一投だった。でも、
「気をつけた方がいいよ?男なんて女にちょーーっと優しくされたらすぐ勘違いしちゃうんだし」
こちらに振り返らないまま言ったミユキの言葉は、本気というには少し大袈裟な言い方だった。
冗談めかして『経験でもあるの?』と返そうと思ったけれど、
「あはっ、まぁ……気をつけるね」
実際に口から出たのは、何か誤魔化すような、我ながら曖昧な返事だった。