現実とロマン
バスは露草地区から桑染地区に入って間もなく、長いトンネルを抜けた。
休憩時間として止まった広瀬のサービスエリアは、ユウト達の乗ってきたものの他にも平山学園からのバスが数台停まっていて、生徒達があちらこちらで固まったり買い物をしたりしている様子はまるで修学旅行のようだった。
露草がいわゆる地方都市なら、桑染は郊外だ。高いビルは見当たらず、広がる田畑の向こうには肩を寄せ合うように密集した住宅街が見える。
その風景はきっとどこにでもあるようなもので、特に綺麗だとか珍しいというようなこともない。けれどそこに流れる空気はなんだかおだやかで、山ひとつ挟んだ隣の地区で怪獣とメックが大立ち回りを演じていたとは思えないほどだった。変わった様子があるとすれば、時折露草の方面に向かってヘリコプターが飛んでいくのが見えることだろうか。
「はぁー、ダメだ。全然続報来ねぇし。コーヒーでも買ってくるか……」
「あ、じゃあ僕も」
カツヤが端末をしまって自販機の方へ歩き出すと、ユウトもそれについて歩く。
建物内の売店やフードコートの他に、外側には軽食を売る屋台のようなものも見えるたこ焼きやアメリカンドッグ、ソフトクリームのような定番のメニューが並んでいるようだが、既にD組の面々が短い列を作っているようだった。
ここ数十分、露草地区で行われている──あるいは行われて"いた"かもしれない──戦いの様子や、その後に関する情報はぷっつり途絶えていた。
テレビの特別番組も、専門家へのインタビューやらこれまでに現れた怪獣の話題やらで間を持たせているようだった。
例の怪獣、《グラウダ》が急に大爆発を起こし、中継用のドローンもそれに巻き込まれて映像が届かなくなったらしい。すぐ隣の地区のことだというのにそんな音も振動も感じなかったのは、その時バスに乗っていたからだろうと思う。
「ユキちゃん達、大丈夫かなぁ……ケガしてなきゃいいけど」
「ホントだね……」
バスの中ではあんなにはしゃいでいたカツヤのテンションもすっかり下がってしまっている。
怪獣を倒したのは間違いないにしても、肝心の《カサブランカ》やパイロットが無事なのかもわからないのでは喜びようもないのは当然だろう。
「グサーッといって、倒した!と思ったらドカン!だろ?はぁ……最後は自爆ってのはこう、潔くねえっていうか、納得いかねぇよなぁ」
カツヤはカップ式の自販機に硬貨を投入しながら、ボヤくように言う。
怪獣──というより自然に生まれた生き物に、人間から見た潔さや納得を求めるのもおかしな話だと思うが、
「でも、あの怪獣も別に『自爆した』ってわけじゃないと思うんだよね」
「ほーん、それは専門家としての見解?」
またからかうような口調で言われて、ユウトは苦笑しながらも特に言い返そうとは思わなかった。
「うん、あの時……」
「ねぇ、あの怪獣の話?私も聞かせてもらっていいかな、それ」
ユウトが答えようとしたところで、突然横合いから声をかけられた。
カツヤと全く同時にそちらへ視線を向けると、そこに立っていたのはさっきバスの中でみんなに注意をしていた中嶋シノだった。
「委員長じゃん。聞いてく?入内島ユウト博士の怪獣研究発表会」
「もう、委員長はやめてってば」
カツヤにからかわれて苦笑する"委員長"に、ユウトは妙なシンパシーというか、ちょっとした仲間意識みたいなものを感じてしまった。いや、今からかわれたのは主に自分の方だったのかもしれないが。
委員長……シノは、しっかりもので男子相手にも物怖じしない、いかにもクラスのまとめ役というタイプの女の子だ。綺麗な黒のロングヘアと、眼鏡を掛けた真面目そうなルックスもあってみんなから"委員長"と呼ばれてはいるものの、つまるところそれは単なるあだ名で、そもそも平山学園にクラス委員長というものは存在しない。
「えっと、いいんちょ……じゃない、中嶋さんも興味あるの?怪獣」
「まぁね。うちの地区であんだけ暴れられたら、一体どんなやつなんだって誰でも気になるでしょ」
確かにな、と言って笑うカツヤにつられてユウトも笑う。
今このサービスエリアで買い食いしたりお土産物を眺めたりしているみんなが、それぞれどんな話をしているのかは知らないけれど、例の怪獣について、また戦いの結果について全く気になっていないという人はたぶん一人もいないだろう。
「入内島くん、さっきバスの中でもいろいろ話してたじゃん、怪獣のこと。詳しいんだなって思って」
「聞いてたんだ……」
シノの席はユウトとカツヤの真ん前だし、特別声を抑えて話していたわけでもないから当然と言えば当然なのだけど、改めて言われるとなんだか少し気まずく感じてしまう。
「怪獣は自爆したわけじゃない、って話だったよね?それ、どういうこと?」
「ええっと……」
微笑みを浮かべたまま尋ねてくるシノの様子を見て、ユウトは試されているような感覚を覚えた。
クラスの女の子に怪獣について解説する、なんていうシチュエーションは当然初めてのことなので、ちょっと気が動転しているのかもしれない。
「そうそう、どういうことなんです?入内島博士?」
そう言ってマイクを差し出すジェスチャーをしてくるカツヤは、逆に意外なほどいつも通りだ。それは彼が女の子と話すのに比較的慣れているからなのか、それとも他人事と思って状況を楽しんでいるだけなのか。
「えっと……さっき言ってた、あの怪獣──グラウダがどうやって地中を進んでたかっていう話とも関係するんだけど」
「あー、そういやそんなこと言ってたな」
カツヤがコーヒーのカップを傾けながら相槌を打つ。それを見て自分も飲み物を買いに来たことを思い出したのだけど、ひとまずとのところは後回しになりそうだ。
「うん、パッと見の印象だけど、グラウダは地中生活に向いた体型じゃない。何か特殊な方法で地中に適応してる可能性が高いと思うんだ」
「特殊な方法って?」
今度はシノが柔らかく笑みを浮かべながら言う。それがユウトには意外に思えて、少し言葉に詰まった。
「えっと……それはたぶん、あの全身を覆ってる甲羅とも関係してるんだと思う。ほら、爆発の直前に赤く光ってた」
カサブランカの決めた最後の一撃……その様子はドローン越しの生中継ではよく見えなかったが、その直後、つまり爆発の直前に甲殻の隙間から赤い光が漏れていたのがわかった。不思議な光景だったから、それはユウトのみならずみんな覚えているだろうと思う。
「僕が思うになんだけど、グラウダの出してたあの熱線……本当は攻撃のためのものじゃないんじゃないかな」
「……お、わかったぞ!あのビームで岩盤やら何やらをドロドロに溶かして、怪獣はその中を泳いでた!どうよ?」
カツヤの言葉にユウトは小さく頷いて応える。
「泳いでたかまではちょっとわからないけど、何らかの助けにしてたのは間違いないと思う。あの甲殻の隙間……熱線の本来の出口はあそこで、周囲の地盤を切り崩すようにして掘り進んでたんじゃないかな」
突飛な仮説かもしれないが、単なる思い付きではない。過去に出現した怪獣にも似たような例があった。
十年ほど前に刈安地区を襲った直立二足歩行型地底怪獣は、背面にある無数のトゲ状の突起物から発する強力な高周波によって地面を掘削していたというものだ。
グラウダがジドラと近縁に当たる種なのかはまだわからないが、近いスタイルの怪獣ならその生態も似ていて不思議はない。
「なるほど……あの怪獣は明らかに熱線の発射体勢だったのを直前で妨害されていた。そこに致命的なダメージを受けて、臨界状態だったエネルギーが制御を失い暴走、本来の放出口から文字通り爆発的な勢いで噴出した……と」
シノが口許に手を当てて呟くように、しかし一息で言ったのを、ユウトはカツヤと共にぽかんと口を開けながら聞いていた。
「……すごいな、僕の考えてたこと全部わかっちゃったの?」
少しの間をおいて口から出たのは素直な称賛だったのが、それを聞いて顔を上げたシノは、
「あぁ、まぁ……ふふ、そこまで聞いたら大体は見当つくよ」
と、両手の指を所在なげに遊ばせながら曖昧に笑ってみせた。
彼女の言ったことは『大体』どころかほとんどユウトの言おうとしていた仮説そのものだったのだが、まさか本当に心を読んだわけでもないだろうと思う。
「スゲーな委員長。意外と怪獣詳しいの?」
「だから委員長じゃないってば」
カツヤの方もからかうというより素直に驚いてそう言ったようだが、シノはちょっと大袈裟に肩を叩く……ようなジェスチャーをしながら誤魔化していた。
怪獣に詳しい、なんていうのは──それが本当にしろ誤解にしろ──女子にとっては恥ずかしいことなんだろうけれど、その仕草は真面目な印象が強いシノにしてはずいぶん砕けた様子に見えた。もしかしたら、自分が知らないだけで二人は結構親しいのかなと思う。
「それより入内島くん、もうひとつ聞いていい?あれが怪獣の意図的な自爆じゃなくて、偶然に起こったことだっていう根拠……というか、最初にそう考えた理由はなんだったの?」
「そりゃ……」
はにかんだような笑顔のままシノが投げ掛けてきた疑問の答えは、ユウトにとっては簡単なことなのだが、改めて説明しようとすると意外に難しいことでもあって、少し考える。
「怪獣は生き物だから。どんなに追い詰められても、もう助からないとしても、生き物は生きようとするものだよ」
レミングは増えすぎると群れごと入水自殺する……なんていう話が昔は信じられていたらしいが、それは完全なデマだった。ミツバチは刺すと針が脱落して死んでしまうことが知られているが、それは敵の外皮が頑丈な場合に結果として起こることで、ミツバチが自分の意思で自殺しようとしているわけではない。
そもそも、生きようとしない生き物は進化の過程ですぐに淘汰されて遺伝子を繋げることが出来ないのだから、今生き残っているものは皆"生きたがり"のはずなのだ。
もちろん、ユウトは世界中のありとあらゆる生き物を知っているというわけではないし、探せば自殺のような行動をするものもいないとも限らない。
しかしそれでも、こと怪獣に関しては、死を前にして『道連れにしてでもこの敵を倒す』なんて考えるとはどうしても思えなかったのだ。それはあまりにも人間的というか、ありきたりな物の見方に押し込められたもののような気がしてしまう。
「……えっと、僕はそう思うわけなんだけど」
誤魔化すようにそう付け加えたのは、我ながら少し気取ったようなことを言ってしまったと感じていたからで、
「ま、こんな感じの怪獣バカなんだよ、こいつは」
と、カツヤに言われても特に言い返すことは出来なかった。いつの間にか『怪獣博士』から『怪獣バカ』になっているのはランクダウンかアップかどっちなんだろう、とは思うけど。
「あははっ、ホントに怪獣が大好きなんだね、入内島くんは。それにちょっとロマンチストみたい」
「ろ、ロマンチストかぁ……」
それはユウトからすると予想外の評だったけれど、あながち間違ってもいないかもしれないとも思う。
怪獣とはロマン。そんな風に言った人もいたけれど、今まさに怪獣が暴れていたというのにそれを口にする気には流石になれなかった。
「いろいろありがと、またお話聞かせてね」
「あ?もう行くのか?」
カツヤの言葉にシノは困ったように笑う。
「うん、ちょっと先生に呼ばれてるの思い出して。またね、入内島くん、横山くん」
シノは改めてニコッと微笑んでそう言うと、二人に軽く手を振ってどこかへ歩いていった。その後ろ姿を見送ると、
「よかったな、怪獣仲間が出来て。しかも女子だぜ?もうそれだけで激レア、URもSSRも超えてUSSRだろ」
「USSRだとソビエト連邦になっちゃわない?」
やっぱり妙に嬉しそうなカツヤの軽口に、自分でもちょっと意外なほど冷静なツッコミを入れると、まだ飲み物を買っていないことに今更気づいて制服のポケットから財布を取り出す。
「なんだ、えらく冷静じゃねぇか。もしかしてお前ホントに女子に興味ないのか?」
その頃にはもうカツヤはコーヒーを飲み終えてしまっていて、自販機横のゴミ箱に紙カップを叩き込みながらそう言った。
「そんなことないって……」
苦笑しながら財布から取り出した硬貨を投入する。
実際、女の子から話しかけられるというのはそれだけでドキッとするし、それを過ぎれば嬉しく感じるものだと思う。それにシノはどちらかと言えば美人……いや、落ち着いて見えるから一見地味に見えなくもないけれど、ルックスもスタイルも例のパイロット二人と比べて見劣りしないくらいじゃないだろうか。
そう思いながら飲み物のラインナップを確認してみると、ブレンドコーヒー、カフェラテ、カフェモカ、ミルクティー…定番のメンツは一通り揃っているようだった。その中からちょっと迷って、『桑染限定!桑の葉茶ラテ』を選んでボタンを押す。
「ただなんていうのかな……本当に怪獣が好きなのかなって思ってさ、委員長」
ユウトは、シノが笑いながら言った"ロマンチスト"という言葉が気になっていた。
怪獣の生きる意思を信じたい自分がロマンチストなら、シノはどうなんだろうか。彼女はグラウダの最期を見てどう思ったんだろうか。
いやそもそも、本当に怪獣好きのマニアなんだとしたら、他人の話を聞くだけで満足するだろうか?持論も展開して意見を求めるものなんじゃ?過去の怪獣の生態や出現データ、今回の命名はどこから来ているのか等々、話したいことはいくらでもあるんじゃないか?用事があるとは言っていたけれど、少なくとも自分なら……。
「おいおい、特段怪獣好きじゃないのにあんな風に話しかけてきたってなると……委員長、お前に気があるってことにならねぇか?」
考え込んでしまっていたところに投げ掛けられたカツヤの言葉の意味が一瞬わからなくて、しかしすぐに顔が熱くなるのを感じた。
「あ、い、いや……そういうわけじゃない、でしょ。たぶん……えと、いや絶対違うって!」
なんでこんなに必死になってるんだ、と自分でも思うような大声が出てしまう。
「ははは、悪い悪い。やっぱりお前でも人並みに女の子に興味はあったかぁ……そうかぁ……」
「勘弁してよ、もう……」
何故か感慨深げに言うカツヤがこちらをからかっていただけだとようやく気づいて、ユウトは大袈裟にため息をついた。
◆
中嶋シノは、サービスエリアの端、低い木の柵で囲われたドッグランの近くまで来ていた。
中の芝生は青々とした……とはいえない、むしろ枯れ草と色褪せた緑がまだらに混じりあった様子で、そこを走り回る犬が一匹もいないというのもあって物寂しい雰囲気だ。
少し離れたここからでも生徒達の騒ぐ声が聞こえてくるが周囲には誰もいない。それを確認したシノは、スカートのポケットから端末を取り出し、淀みのない手付きで通話ソフトを起動する。
「もしもし、お父……うん、私。……うん、わかったわかった、"博士"ね。もう、別に博士号持ってるわけでもないんでしょうに……うん、あぁハイハイ」
その声色はあくまでも穏やかに、笑い声も交えながら通話の相手とごく自然に会話を続ける。
例えこの会話を誰かが聞いていたとして、何か怪しむようなことはまずないだろう。
「うん、それで博士──入内島ユウト。いや、"監視対象426番"か。うん……」
シノは一瞬間を置いて、いかにも愉快そうに笑ってから、
「いいと思うよ。使えるんじゃないかな、彼」
通話の相手にそう伝えた。