日常との境
露草地区から桑染地区へ避難するバスの中は、ガヤガヤと賑やかだった。その中に乗っている……というより詰め込まれているのは、平山学園中等部三年D組の生徒達と数名の教員で、入内島ユウトは後ろから4列目、左の窓際の席に座って端末を広げていた。その画面に映っているのは怪獣の情報を伝える緊急報道番組だ。
『──えー、では、またしても露草地区に怪獣ということですが、先ほど正式に《グラウダ》と命名されましたこの怪獣、どのようなものなのでしょうか?』
アナウンサーのがそう問うと、カメラは茶色のスーツを来た白髪交じりの初老の男性を映した。その下には『縹川大学巨大生物学准教授 小早川』などと表示されている。
『あーそうですな、今回この怪獣は山中からいきなり出てきたんでしたかな。ということは恐らく地底怪獣の一種ということになります。こうした怪獣は事前の察知が遅れやすく、どうしても市街地での対応になっちゃうわけです。今回もそうだと思いますねぇ』
「見たらすぐわかるようなことしか言わないなあ、この教授……」
ユウトは誰にともなく、苦笑ぎみにそう呟く。
「お、じゃあ怪獣博士としてはどう見るんだ?今回のヤツは」
愉快そうに言うのは隣のシートに座っていた金髪の男子生徒、横山カツヤ。からかうような口調だが、ユウトは彼が見た目ほど軽薄な人物ではないと知っていたので、特に気にすることもない。
「そうだね……情報らしい情報は、まだ出現した場所と写真一枚しかないけど……」
ちょうど端末の画面には今回の怪獣……グラウダの衛星写真が表示されていた。その画像も決して鮮明とは言い難いものの、ずんぐりとした黒っぽい褐色の身体と、長い尻尾が後ろに伸びていることは確認できる。その通った後は山の木々が薙ぎ倒されているようだ。それを覗き込んでいたカツヤは、あぁと声を漏らす。
「こんだけか。そりゃ何もわからんわなぁ」
「いや、何もってことはないよ。例えば二足歩行ってところ。地底怪獣としてはちょっと珍しいんだ」
ユウトはすかさずそう言った。
「地底怪獣の多くは四足歩行で、力強い前足を地面を掘り進むっていうのが定番なんだ。でも今回のコイツはそうじゃない。何か違った方法で地中を進んでたんじゃないかな……」
「違った方法って?」
何故か嬉しそうなカツヤに問われて、ユウトは小さく首を横に振った。
「そこまでは流石に。今言ったことだって、もしかしたら全然見当外れかもしれないし」
「はは、その『もしかしたら』って、実はめちゃめちゃ自信があるやつだろ」
笑いながらそう指摘されて、ユウトはどう返していいか分からず笑って誤魔化した。
そうしている間にも、窓の外では景色が流れていく……とは言っても、見えるのは防音壁となんということはない郊外の風景。間もなくそれも途切れて、山道やトンネルに入るだろう。
「でもさ、二足歩行ってことは立ち上がって歩いてるってことだろ?いいよなぁ、カサブランカとがっぷり組み合うところが見れるかもしれねぇし!」
「カサブランカ……?」
ユウトが首をかしげると、カツヤはやや大袈裟に溜め息をついてどっかり背もたれに体重を預けた。
「おいおい、知らねぇってことはねぇだろ……《カサブランカ・アドバンスド》、露草のメックじゃねえか」
「あー……あぁ、あのピンクのロボットか。前ニュースにもなってたよね、確か」
なんとか思い出しながら話を合わせるが、カツヤはますます呆れた様子で息を吐く。
「マジで怪獣にしか興味ねぇんだなぁお前って。怪獣とメックはセットみたいなもんだろうに」
「そんなこと言われてもな……」
怪獣が出現すれば、対怪獣用の人型巨大ロボット──メックが出撃してそれを駆除するか、もしくは追い払うのが常だ。例えて言うなら怪獣が火事でメックは消防車。犯罪や事故に対する警察、病気や怪我に対する医師のような関係と言っても良いか。
そう言う意味では『怪獣とメックはセット』というカツヤの言葉もあながち間違いではないと思う。しかしそうは言っても、自分が興味があるのは怪獣の形態や生態等々であって、メックと殴り合いのバトルをするところではない。端的に『知らないものは知らないのだから仕方ない』としかユウトには言えなかった。
「それにさ、なによりパイロットだよ。カサブランカのミユちゃんとシロちゃん、ものすげぇ可愛いの」
「なんだ、そういう話か」
そういうカツヤの方がそんなにメックに興味があるとは知らなかったのだが、その理由は妙に納得のいくもので思わず笑ってしまった。
「なんだよ、まさかお前、女の子にも興味ないなんて言うんじゃないだろうな?」
「どうだろう?人並みにはあると思うけど……」
ユウトは苦笑を浮かべつつ、端末を操作してニュースサイトの記事を開く。『カサブランカ パイロット』で検索して一番上に出てきたものだ。見出しには【美少女コンビ、初出撃で大活躍! 女子高生パイロットの華麗な戦い】とある。俗だなぁと内心思いながら見てみると、記事の写真にはユウトと同じくらいの年頃の、二人の少女が写っていた。
「この二人?」
「お、そうそうそう。左のがミユちゃんで、右のがシロちゃん」
写真の注釈には【三代目パイロットとなった高校生の秋枝ミユキさん(16)と春日谷マシロさん(16)】とある。ミユちゃんとシロちゃんというのはファンからの愛称か、それともカツヤが勝手にそう呼んでいるだけか。
写真の左側にいるショートボブの少女──秋枝ミユキは、満面の笑みでピースサインをしており、いかにも元気で活発そうに見える。
右側にいる春日谷マシロはやや後ろめの位置で控えめに笑っているだけだったのだけど、その髪はボリュームのあるウェーブロングで、しかもベージュ寄りの明るい色をしていて目を引いた。たぶんこれは生まれつきの色なんだろう……と考えるともなく考えたのは、彼女がいかにも大人しそうで、派手に髪を染めたり脱色したりするようなタイプには見えなかったからで、
「な、どう思う?かわいいだろ?」
「うん、確かに」
特に考える間もなくそんな答えが口から出たのは、それが全く素直な感想だったからだ。この二人はタイプこそ違えど美少女と呼ぶのに相応しいルックスなのは間違いない。アイドルやモデルには詳しくないが、これだけ容姿が整っていればそういう芸能関係でも十分やっていけるんじゃないだろうかと思うほどだった。それに、
「な?な?それにスタイルも最高にいいんだよなぁ!ほら、シロちゃんの胸とか特にさ!」
「……僕はあえて言わなかったんだけどなぁ、そこ」
カツヤが興奮気味に写真の一部分を指差すので、こっちが恥ずかしくなって目をそらしてしまう。二人とも、まさか自分達が怪獣と戦おうとしている──あるいはまさに戦っている最中にこんな目で見られているとは夢にも思わないだろう。とはいえ、二人が美少女で、スタイルもいいことは否定しようもない事実で、気になってしまうのは男性心理としては致し方ないところだろう。ユウト自身、自分の目線がそちらに吸い込まれがちなのは自覚していた。
「スタイル抜群美少女がメックに乗って大活躍って、そりゃあ話題にもなるってもんだろ?俺達もこんな娘達とお近づきになってみたいもんだよなぁ」
「いやぁ、それはどうかな」
ユウトは自分の挟んだ言葉が妙に落ち着いているというか、冷たい調子になっていることに気がついた。
「あ?なんでよ?」
「えっと……」
怪訝そうなカツヤの視線から逃れようとするように、次に言うべき言葉を探す。
「なんていうのかな……こういうのは、遠くから見てるからいいってこともあるし」
「なんだそれ、『怪獣と同じで』ってか?」
「あはは、上手いねそれ」
予想外の返しに思わず笑ってしまったが、全くその通りだ。
ユウトは自他共に認める怪獣マニアではあるが、怪獣を間近で見ようとは思わない。見てみたい気持ちが全く無いと言えば嘘になるが、怪獣のことを詳しく調べるうち、全長50メートル以上、体重は何千何万トンという巨大な生物が暴れることの危険さや恐ろしさについて知る機会はいくらでもあった。それと同じで、
「怪獣も女の子も、こうして話題のタネにしてるうちが花ってことだよ、たぶん」
「冷めたやっちゃなぁ……まぁま、言いたいことはわかるけどな」
そう言って小さく笑ったカツヤは自分の端末を開いていじり始めた。
雑談もこれで一区切りかと思って窓の外を眺めれば、流れていく景色はすっかり山や森ばかりになっていて、そこには怪獣もメックも出てきそうな気配は全くない。
どこまでも木々が繁るばかりで平穏そのものの森を見ているとユウトは、戦う怪獣を直接目にすることすら一生ないんだろうな、と思った 。
◆
普通の人生なら、怪獣を直接目にすることすら一生ないんだろうな、とミユキは思った。
特に、ギザギザの歯がびっしり並んだ大口が目の前に迫るところなんかは。
「うわっ、気持ちわるいっ!」
咄嗟に出てくる言葉が『キモい』とか『キモッ』ではなく『気持ちわるい』なあたりマシロは育ちがいいなぁなどと、どこかのんきに考えながら、のしかかって来ていた地底怪獣をなんとか両腕で押し返そうとする。もちろんそれはミユキ自身の両腕であるわけはなく、ミユキとマシロが乗り込む対怪獣特殊メック《カサブランカ》のものだ。
「落ち着いて、これくらい私達ならどうってことないんだから!」
「う、うん、わかった。落ち着け、落ち着け~……」
体内ナノマシンを介した神経接続によって操縦者はまさしくメックと一体になる。文字通り手足のごとく機体を動かし、各種センサーなどの情報もダイレクトに脳へ受け取ることが出来るのだが、それで怪獣と戦うとなると今のマシロのように『自分が噛まれる』ような感覚に動揺してしまうことが往々にしてある。
幾度かの実戦を経てミユキは多少なりとも慣れてきたが、マシロはまだまだのようだ。思うに、彼女はそもそもこうして戦うのに向いた性格ではないのかもしれない。
「私が代わる、サポートお願い!」
「え、あっ、うん!」
マシロが返事をしたのを合図に主動作権がミユキに移り、カサブランカの全身を重なり合いながら覆う無数の装甲板が、マシロのパーソナルカラーのピンクからミユキのスカイブルーに染め上げられていく。
「どぉりゃ……っせい!!」
今にもカサブランカを押し潰さんとする地底怪獣を、ミユキは渾身の力で蹴り飛ばした。実際の動きとしては彼我の身体の隙間に脚部を強引に割り込ませ、そのまま勢いよく伸ばして放り投げるという動きだったが結果は同じ。吹き飛ばすとまではいかずとも、身体をひっくり返されたグラウダは背中から駅前のスーパー──と言っても、既に踏み潰され廃墟同然だったが──に大轟音と共に叩きつけられ苦悶の唸り声をあげた。
「どんなもんよ!こういうのはこう……グァッとやりゃいいんだって、グァッと」
ようやく自由になったカサブランカは、2000トンの巨体を勢いよく立ち上がらせる。
それだけで大地が揺れるほどの衝撃で、間近の建物の辛うじて無事だった窓ガラス類も砕け散るが、その身のこなしは意外なほど軽快だ。
立ち上がったカサブランカの姿は、遠目には鎧を纏った騎士、あるいは巨大な神像のように見えるかもしれない。その鎧にあたる部分、すなわち外装は海外の著名なデザイナーに設計を依頼したというもので、直線と曲線を組み合わせたシルエットは頭部から後ろへ伸びた角のようなツインアンテナも合わせてヒロイックな印象を与える。
反面、末端肥大気味な四肢と複雑な関節構造は、これが芸術品でも何でもない、殴り合いのために作られた巨大な戦闘機械であることを否応なく示していた。
「やっつけたかな……?」
「いやぁ、流石に……ほら」
カサブランカに続くように、ひっくり返されたグラウダも起き上がった。凶悪な目付きでこちらを睨み付けるその姿は怪獣としては比較的ポピュラーな爬虫類、あるいは恐竜型で、全身が岩盤のような分厚い甲殻に覆われている。
ブカブカの鎧から首と手足を出したようなその姿はカメのようというにはかなり語弊があるし、通常のどんな生き物にも似ていないが、強いて言うならさながら重装甲の肉食恐竜といったところか。
「重たそうなカッコだから投げ飛ばせば効くと思ったんだけど。想像より厄介そうだなぁ」
ミユキは呆れたように呟く。この頑丈さに加えて、先程嫌というほど間近で見た鋭い牙。そして、
「来る!」
「うわっ、あっぶな!」
大気を貫くような咆哮を上げて突進してくるグラウダを、ミユキは横っ飛びでかわして後ろへ受け流す。タイミングも何もない愚直な体当たりだがその勢いはすさまじく、見た目の鈍重さとのギャップもあってか実際以上のスピードを感じさせた。
それを咄嗟にかわせたのはカサブランカの運動性能の高さがあってのものだが、それだけではない。神経接続は機体とパイロットを繋ぐだけでなく、パイロット同士……つまりミユキとマシロの意識をもリンクさせ、カサブランカに搭乗している限り二人はほとんどテレパシーも同然の意志疎通が可能になるのだ。現に、マシロの警告が主動作権を持っているミユキに届くまでにはコンマ1秒もかかっていなかった。
自分の考えていることのように相手の考えがわかり、自分の考えもまた同じように相手に伝わる、文字通りの一心同体。それゆえ、
「行くよ!」
「うん!」
実際に口にする言葉はそれだけでも、お互いの意思は完璧に通じていた。
突進をいなすばかりでは勝てないし、重量で負けているこちらは一度ミスをすれば先程のように押し倒されてしまう恐れがある。なら、相手の出方をうかがうよりもこちらから攻める。
「せーのっ……!」
カサブランカが一歩、二歩と大股で走り出す。接地面積を大きく取った足裏がそれでもアスファルトを踏み砕いて無数の破片を散らし、放置された自動車の群れを蹴散らして進み、
「────!!!」
飛びかかろうとしたグラウダの下腹にボディーブローのように右の拳を叩きつけた。戦闘用メックの拳は単なるマニピュレーターではなく対怪獣用の打撃武器として設計されていることがほとんどで、カサブランカの右拳も例に漏れない。人間の五指を模したマニピュレーターをすっぽり覆うようにして展開する装甲はいわば超巨大なナックルダスターで、太い柱で支えられた高層ビルも解体できる破壊力を誇る。
それをカウンター気味に受けたグラウダは一瞬よろめいたように見え、しかし即座に突き飛ばすようにその短くも太い前足で反撃してきた。
「やっぱ頑丈だなコイツ!ごついヨロイは伊達じゃないってことね!」
「うん、でも……!」
グラウダの掌底を身体を捻ることで受け流し続け、ミユキはマシロの言葉を待たずに攻撃を続ける。右の拳を何度も何度も、グラウダの鎧の上から叩きつけ、その体勢が崩れて僅かに前屈みになった瞬間、
「ミユキちゃん、今!」
「ッしゃあ!オラァっ!!!」
女子高生らしからぬ裂帛の気合いと共に、グラウダの横っ面に左のストレートを叩き込んだ。腕部の力のみならず腰の捻りも加えた渾身の左拳には、右と同様の装甲カバーが展開されていたの言うまでもなく、
「ッ────!」
甲殻の鎧に保護されていない頭部に強烈な一撃を受けたグラウダは、そのままふらつき、しかし体勢を立て直すことが出来ないまま倒れ込む。
地底怪獣の巨体はその前面で駅前のロータリーを押し潰し、その衝撃で周囲の建物はほとんど吹き飛ぶように崩壊した。