第三十三話 絶望 ~俺の人生、しょせん、こんなもん!!~
黙々と出口に向かって、ダンジョンを歩き続ける。俺の目の前には、石像を右肩に、左肩に槍を担いだヴィルガさんが歩いている。よくも、あんなものを担いでいける物だなあ……。しかし、その様子に倦んだところは全く見られない。
ヴィルガさんは、待避口に隠れるとき、あの石像をどうしたんだろうか。あの大きさなら、抱きかかえて、入ることもできそうだが、寝返りを打つ空間すら、無くなってしまうだろう。待避口に避難するのも手間取るはずだ。彼女が、やたらと懇切丁寧にあの石像を包装していたことを思い出す。あの、気の使いようを考えると、多少の命の危険を冒しても、石像の安全に保とうとするかもしれない。
それにしても、不謹慎とは分かっているが、彼女が石像を抱いて、待避口に入っているところを想像すると、おかしくて、つい、笑みが零れてしま――。
「前方左から来るぞ」
ナンジョウさんの急を告げる声に弛緩していた緊張が急激に高まる。やはり、物事、そう、うまくはいかないか……。くそ!
ミュレーズさんの告げる行き先に従って、俺達は駆け出した。折角、財宝を手に入れたのに、死んでたまるか。必死に、次々と角を曲がりながら、走り続ける。
「止まれ! 前方からも来ている!」
突然、ナンジョウさんの声が響く。その声は、ナンジョウさんには珍しく、いや、初めてか、焦りを感じさせた。止まれ!? 逃げているのに? 前方から? その言葉の、あまりにも異常な内容に、少しの間、混乱し、何も考えられなくなったが、どうにか、気を取り直し、全身の力を注いで、止まった。靴と摩れて、悲鳴のような音を、床が立てた。あわてて、後ろに向き直ると、ヴィルガさんと四メートルほど離れてしまっていた。泡を食って、ヴィルガさん達の方へ駆け戻る。
「カエデさん、右、左、直進、右」
突然、ミュレーズさんが声を張り上げ、それを聞いたナンジョウさんは脱兎のごとく、駆け出した。俺は、ようやく、事態を飲み込み始めていた。まさか、まさか、ケイブベアが二体、襲撃してきたのか!? 嘘だろ――!?
「左へ、ロックウェルさん!」
その声は切迫感に満ち満ちている。俺は慌てて、駆け出した。背筋を凍らす恐怖、胸を締め付ける不安、理性を磨り潰す焦りが、ごちゃ混ぜになって、俺の中で荒れ狂っている。それらは、一時も鎮まることはなく、ただただ、高まっていく……。
通常は、ケイブベアの襲撃方向と正反対に逃げているが、今回は違う。三人とはいえ、果たして、逃げ切れるのだろうか。まさか、財宝を手に入れて、意気揚々と帰ろうとした矢先に、こんなことになるなんて……。くそ、死にたくない! 死にたくない! 待避口はまだなのか!
俺が絶望感に打ちひしがれながら、ただ、走る、曲がるを、ひたすら、繰り返していたとき、ついに、待ちに待った、ミュレーズさんの待避口の位置を示す声が響いた。
「左、三メートル」
俺の全身を安堵が包む。俺を追い越していくヴィルガさんを尻目に待避口の辺りで、体を後ろに倒しながら、右足を地に突き立て、急激に停止する。両足が床に擦れて、耳障りな音を立てる。
体の自由を取り戻すや否や、槍を待避口に押し込み、すぐにしゃがみ込んで、待避口に必死に這い入る。ほっと、一息吐いていると、ケイブベアの駆ける音が耳に入ってくる。ダンジョンに入って、初めて、ここに入ったときとは、比べ物にならない大きさだ。俺は心底、ぞっとした。
それは、ミュレーズさん達にケイブベアが非常に接近しているということ。まずいんじゃないか!? ナンジョウさんがいない以上、俺がどうにかして、奴を足止めするしかないのか。必死で考えを巡らす。
どうする!? 待避口の外に体を晒して、おとりにするのは、情けない話だが、俺には無理だ。となると、できることは一つ。俺は地響きに耳を澄まし、機会を窺った。音はすぐ近くまで、迫り、リズムに変化が生じる。角に来た、今だ! 俺は肺から声を絞り出した。
「ああああああああああああああああ!」
息の続く限り、絶叫する。この声に奴が引き寄せられてくれれば! ケイブベアの足音を窺う。それは徐々に小さくなり、待避口の近くで、止んだ。
奴を引きつけることに成功したのだ! やった! 俺は思わず、歓声を上げていた。
ケイブベアの足音がゆっくりとこちらに近づいてくる。待避口の入り口に鼻が覗いた。ほかの場合であったら、恐怖に怯えていただろう。しかし、今回ばかりは別だ。俺はそれを見て、自分の成し遂げたことを誇らしく感じた。
ケイブベアが荒々しい唸り声を上げ、待避口の入り口の辺りをガリガリと引っかき始める。聞く者の背筋を否が応にも寒からしめる、その音を聞き続けている内に、俺の中の高揚感は急速に萎んでいった……。
絶え間なく、聞こえるケイブベアの吐息と爪の音。気の休まる暇もない。精神がどんどん削られていく。しかし、どこにも逃げ場がない。
俺はたまらなくなって、人指し指で耳を塞いだ。何も聞こえなくなる。その瞬間、激しい恐怖が全身を貫いた。慌てて、人差し指を耳から離す。
まさか、この忌まわしい音が聞こえなくなることが、何が起こっているか、わからなくなることが、こんなにも怖いなんて! 音が怖い! 音が聞こえなくなることが怖い! なにもかもが怖い! 怖い! 怖い! 怖い!
オオーンと激しい低音の耳鳴りがし、ケイブベアの吐息も爪の音も聞こえなくなる。しかし、その耳鳴りの音は俺がこれまでに耳にした、どんな音よりも恐怖を掻き立てる物だった……。
身が縮み、全身が岩のように強張り、目が固く瞑られる。閉じられた瞼の内の真っ暗な視界の中、響く恐怖の低音。気が狂いそうだ……。
くそ、このままでは頭がおかしくなってしまう。どうにかして、こいつを追い払えないだろうか。何かを投げつけてみるか? しかし、何を……。
必死に投げつけられそうな物を考える。撒き菱が適当か。バッグから、撒き菱を取り出そうとしたとき、肘が棒のような物に触れた。これは……。そうだ、槍があったんだ。動揺のあまり、すっかり、失念していた。こいつを使って、脅かせば……。
俺は槍を両手で握り締めた。暗闇の中、聞こえてくる吐息に向かって、あらん限りの力を込めて、槍を突き出した。
闇の中、激しい唸り声が響く。槍先に、手応えがあった。まさか、当たったのか。ケイブベアは激しく興奮し、いままでと比べ物にならないぐらい、荒れ狂っている。逃げる様子は全く見られない。くそったれ、まさか、逆効果か……。
絶望が俺を包み、頭が真っ白になった。見当識が失われる。全身の力が萎え、岩のように固まっていた体がぐにゃりと崩れ始め、俺は床に突っ伏した……。
砂時計の砂の落ちる音が消えた。ここに入ってから、三時間が経過したのだ。しかし、ケイブベアはまだ、去っていなかった。当初のように、俺を求めて、呼吸を荒げたり、床を爪で引っかいたりすることは治まったものの、ずっと、待避口の傍に静かに佇んでいる。
おいおい、これは一体どういうことなんだ。まずいんじゃないか……。くそ、落ち着け! これは初めてじゃない。すでに一度、起こっていることだ。以前、起きたときは十二時間近くの浪費につながった。今回も似たようなことになるのかもしれない。
くそが! 俺は歯噛みした。なんにしても、ケイブベアに対して、俺ができることは何もない。今回もナンジョウさんに任せるしかない。俺にできるのは、ここで情けなく縮こまっていることだけなんだ……。




