第二話 初訓練 ~これで俺も立派な冒険者!?~
翌日、俺達四人は町外れの野原に集合していた。そして、ヴィルガさんのすぐ隣には、人目を惹く、異様な物が鎮座ましましていた。
正面から見ると、長方形で、その大きさは縦一メートル以上、横幅は五十センチメートル近くあるだろうか。表面は深紅色に塗られていて、その大きさと相俟って、威圧感のような物を醸し出していた。水平方向にこちらに向かい、凸形を為して、湾曲していて、その上下の縁は鉄で補強されている。また、その中央には、正方形の小さな鉄の板が付けられていて、その板の中央部は半球上に膨らみ、無骨な印象を加味していた。その中央の板から、まるで生え出ているように、黄土色の翼の装飾が斜交いに四つ、大きく、角に迫らんばかりに描かれている。
一体、これは何なんだろうか。置物? 鉄による、上下の縁取りや中央の飾りといい、なにか物々しい感じがするんだよな……。
「これが気になる?」
ヴィルガさんは、横の謎の置物の上に手を置いて、言った。
「そりゃ、気になりますよ。一体、それは何なんですか?」
「盾よ」
「盾ぇ!?」
そう言われて、それを、もう一度、まじまじと見つめ直してみる。なるほど、そう言われれば、その大きさは人がその後ろに隠れるには十分である。戦陣において、その後ろに隠れれば、矢や投げ槍から身を守ることができるだろう。
「盾には、大別すると、二種類あるわ。片手で持って使う物と、地に据え付けて使う物よ」
「これは地に据え付けて使うタイプの物ですよね」
「いいえ。手に持って、使う物よ」
「はあ!?」
あんな、どでかい物を手に持って使うだって!? よほどの強力の者にしか、扱えないのではないだろうか。
「この盾の裏に回って、見てみなさい」
そう言って、ヴイルガさんは大盾から、いくらか離れた。その盾の裏側に回って、見てみると、その中央には、手の平の横幅より、いくらか大きい丸い穴が開いていて、その上の方、少し離れて、横棒が据え付けられていた。あそこを持つのか? また、横棒から、下に少し離れたところに革の固定具が据え付けられていた。腕を固定するためのものだろうか。
「その盾を持ってみなさい」
俺は横棒を手の平を下に向けて、握って、持ち上げようとしてみた。重い。必死に腕に力を込めると、盾はいくらか持ち上がったが、耐え切れず、すぐに地に着いてしまった。
「とても片手で扱えるものじゃあないですよ」
「そのように持つ物じゃないわ。盾をつかむ腕を上げずに、体から垂らすようにして、屈んで、上から、持ち手を掴んで、体を起こす力で持ち上げてみなさい」
ヴィルガさんに言われた通りにしてみると、かなり楽に盾を持ち上げることができた。そうは言っても、長時間、ずっと持ち続けているのはきついが。盾の上部は肩の辺り、下部は膝の辺りに達し、なるほど、この状態なら、身を守る盾の役割としては、申し分ないだろう。
「それが、その盾の本来の持ち方なのだけれど、あなたには、それとは違う持ち方をしてもらうわ。その状態では、顔が、がら空きになっているけれど、実際には頭部を守ることが重要になるからね」
頭部か。確かに、頭の部分は盾の外に完全に出ている。しかし、盾で頭を隠してしまったら、前が見えなくなってしまうのではないだろうか?
「百聞は一見に如かず。今から私がやることをよく見ていて」
ヴィルガさんは盾の裏側で、半身になって、しゃがみこんだ。横棒を右腕で下から、つかみ、前腕を横棒の下に、垂直に立てて、盾に付け、革の固定具で前腕を盾に固定した。そして、右手首の当たりを左手でつかんだ。そのまま、立ち上がっていき、それと共に盾も持ち上がっていく。中腰になったときに、盾の下部を腿の膝近くに置いた。
「実際に使うときは、このように用いることになるわ」
なるほど。盾の重量を腿で受けるのか。これなら、長時間、盾を保持することも可能か? 頭部も完全に盾に覆い隠されていて、中腰になっているために、下半身が露出してしまうことも避けられている。しかし……。
「前がまったく見えないと思うんですが……」
「見えなくても、問題ないわ。あなたに果たしてもらうのは囮の役目だから。あなたは、ただ盾を構えて、盾への攻撃を堪えていればいい」
「一体、何に対する囮なんですか?」
「ダンジョンの一階層に出現する唯一の魔獣、コーナーモンキーは曲がり角の向こうの死角に潜み、角を曲がろうとしている者を襲うことを習性としているの。その手先には、鋭い鉤爪が付いていて、人間の東部や首を狙って、振るってくる。一階層においては、基本的に曲がり角以外でコーナーモンキーに出くわすことはないわ」
「曲がり角の向こう側ですか……」
「ダンジョン内では、待ち伏せするために隠れ潜むにしても、適した場所が曲がり角ぐらいしかないから、曲がり角に潜む魔獣は珍しくないけれど、このコーナーモンキーは、それに特化した魔獣よ」
曲がり角を思い浮かべてみる。垂直に曲がっていると、角のところまで、行かないと、その向こうがどうなっているかわからない。そして、それが確認できるようになった瞬間、襲い掛かってくるわけか。想像するだに、ぞっとする……。
「あなたにはこの盾を持って、角に向かってもらう。コーナーモンキーがあなたを狙って襲って来ても、複数の人間がいる場合は、一撃で仕留められなければ、すぐさま、踵を返して、逃げ出してしまうのが、一般的よ。ただ、相手が一人だと、息の根を止めるまで、執拗に襲い続けると言われているわ」
「つまり、盾を構えていれば、脅威は、すぐ去り、安全なのでしょうか」
俺は派遣冒険者は一番危険な役回りを押し付けられるという事実を思い出していた。
「いままで、その役回りを私が担当していたけれど、こうして、五体満足でいるわ。強いて言うなら、始めたばかりの頃に、後頭部を壁にひどく、ぶつけたくらいね」
「後ろに倒れたということですか」
「コーナーモンキーの大きさは成人男性くらい、あって、その力は、人間の基準で言えば、怪力無双といっていい物よ。しっかり、体を鍛えた上で、腰を十分に低く落とし、ふんばらないと、後ろに倒れてしまうわ」
話を聞く限り、そこまで危険そうに思えない。俺はほっと胸を撫で下ろした。
「じゃあ、早速、訓練に入りましょうか。さっき、私が持ったように、その盾を持ってみて」
俺はヴィルガさんがやったように、盾も持ってみた。うーん。腕はそれほど疲れない。しかし、中腰なので、腿が、とんでもなく、きつい! はやくも、俺の腿は悲鳴を上げ、ぶるぶる震え出していた。
「腿がすごく、きついんですが……」
「始めは誰でもそうよ。それを克服するための訓練でしょう」
「は、はあ……」
「じゃあ、そのままの姿勢で横に移動してちょうだい」
「横ですか?」
「そうよ。垂直の曲がり角を想像してみてごらんなさい。あなたは角に達したとき、襲い掛かってくるコーナーモンキーに対して、盾を向けていなければならないのよ」
角への進行方向に対して、垂直方向に盾を向けていなければならないから、横歩きで、盾と体をコーナーモンキーの方に向けたまま、角に向かうのが最善ってことか。俺は、早速、横に移動してみた。腿が限界に近いというのに、腿の上に盾を乗せて、移動しなければならない上に、慣れぬ横歩き。よたよたと、ぎこちなく、進んでいく。つ、疲れる……。
「そこまで。休んでいいわ」
俺は盾を下ろして、地面に倒れ込み、ぜえぜと荒く息を吐いた。
「次はコーナーモンキーが襲い掛かってきたときの訓練をするわ。カエデ、よろしく」
ナンジョウさんが俺の方に近いづいてきた。その左手には木刀が握られ、その切っ先は下の方に下げられている。
「これから、カエデが木刀で、あなたの構える盾に向かって、撃ちかかるわ。準備をして。フェリシー、彼が倒れそうになった場合に備えて、後ろに回ってちょうだい」
俺は、まともに力すら入らない腿に鞭打って、どうにか体を起こした。全身の力を文字通り、振り絞って、盾をようやくのことで構える。腿の震えに伴い、全身が、がくがく震える。やばい。腿がやばすぎる。
「いくぞ」
ナンジョウさんの声が聞こえた刹那、すさまじい衝撃が盾を握る手と頭に走った。平衡感覚が失われ、体が倒れていくのを他人事のように感じる。しかし、なにかによって、俺の体は倒れるのを押し留められた。ひりひりと頭が痛むのを堪え、あわてて、体勢を立て直し、振り返ると、そこには、ミュレーズさんが立っていた。
「大丈夫ですか」
「はい。ありがとうございます」
「加減はしたつもりだったが……。すまない。」
ナンジョウさんの方をみる。左手に木刀を下げ、凛とした佇まいで立っている。その顔からは表情が読み取れず、彼女が本当に申し訳なく思っているかはわからなかった。それにしても、あれで加減したのか。一体、その細身の体のどこから、あんな力を出せるのだろう。
「手痛い洗礼になってしまったけれど、今ので、自分のやることの実感はつかめたかしら。これから、最長二週間の間、歩く、受ける、この二つの訓練を徹底的に行ってもらうことになるわ。ある程度、様になったら、いよいよ、ダンジョンでの本番よ。心して、訓練してちょうだい」
二週間後には、もう、ダンジョンかよ。本当に二週間で間に合うのだろうか。確実なのは、何年もろくに運動もしていない、階段を上っただけで息切れがする、膝が痛くなる、そんな虚弱な人間にとって、これから、二週間は地獄のような日々になるということだけだ。俺は、先のことを思い、暗澹たる気持ちになった……。