庭駆け回る狸かな
領主様の屋敷には狸が居ます。
眠気を誘う呑気さと、笑いを誘う仕草が基本の子狸です。
大抵はぽてぽてと黒く短い四本足でのんびり歩いておりますが、一応は野生の動物。
時には庭に出てきて走っていたりすることも(俊敏さも持久力も皆無ですが)あったりするのです。
ボールが跳ねる様に楽しそうに。
そうして疲れ果て、蕩けて地面と同化する子狸を、屋敷の主人が回収していくというところまでがお決まりです。
「まあ、走りまわるときにはちゃんと庭に出てくるあたりよく出来た狸だよね」
頭の上に花を飛ばしながらるんるん走りまわる子狸はなんとも愛嬌あって可愛らしく、大変微笑ましい存在です。
けれども、こうして見守ってしまうのは、微笑ましいばかりではなく、子狸が走りまわるのがマナーの勉強後であると知っているからなのでしょう。
純粋な狸が人間のマナーを覚えることは並々ならぬストレスであろうことは考えるまでもないこと。ですから、それをぎゅっと内に込めるでなく、こうやって発散するように走りまわるのを見ると屋敷の人間は皆ほっとするのです。
いいぞ、もっとやれ、と。
子狸にとことん甘い屋敷の人間たちです。
その甘い人筆頭、蕩けた子狸を腕に抱え上げた領主様が、「無理しなくていいんだぞ」と、言い含めているのが、従者の耳に届きました。
無表情な顔に、抑揚の乏しい口調。
淡々とした声にはけれども、心配する彼の気持ちがありありと滲んでいて。
従者の顔には、苦笑のような嬉しいような何とも複雑な笑みが浮かびました。
領主様の背後にいる彼には、領主様に抱かれている子狸の姿も表情も見えません。
けれども。
子狸のネリはきりっとした顔で領主様を見上げていることでしょう。
とても臆病で不器用な子狸は、半面、とても努力家で、諦めが悪いから。
初志貫徹とばかりに、決めポーズまでして領主様の腕にたしりとその肉球を乗っけているに違いないのです。
そして、疲れが取れれば彼の前で人になり、習ったばかりの綺麗なお辞儀を披露するのでしょう。得意満面な顔で、きらきらした眼差しを向けて、婚約者の反応を窺うのです。
そんな狸娘を膝の上に乗っけて、頭を撫でて。
子狸とは別の意味で不器用な主人は、言葉ではなくその行動で、小さな婚約者を褒めるのでしょう。
どれほどに彼が言葉足らずでも、その目が、その行動が語るものすべてを、子狸は決して見落としはしないから。