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ドアマン

作者: meowning

決して目を合わせまい、という強い意志をもった視線を、耳のあたりに感じた。自然を装ったその視線は、私の頭上をふらふらと旋回した後、持ち主の瞳の中に吸い込まれていった。あのような視線には、これまで幾度となく出会っていたから、私は特に気にも留めず、ただただ前を向き続けた。視線の持ち主は、いつの間にか立ち去っていたようだった。

翌日、また同じ視線を感じた。私の前を通り過ぎるときにはっきりと歩く速度が落ちたので、すぐに分かった。赤いマフラーに顎を埋めながらこちらの方をちらりと見やる。ばれない努力は不要だ。昨日も見ていましたよね、と声の一つでも掛けようかと思ってしまう。しかし、私の声は彼女には届かないだろうし、私がそのように振舞うことも許されない。結局この日も、彼女の視線は瞳の中に収まり、元の速さに歩みを戻したのだった。

三日目にもなると、こちらにも随分と観察の余裕が与えられる。例えば、彼女がこの近辺で働いているということや、毎日13時ごろに昼休憩をとっているということが分かった。この三日間、彼女は私の右側からやってきて、そのまま左へとフレームアウトをする。そして毎回、下手くそな視線を投げかける。

もはや私は、彼女が通り過ぎることを心待ちにさえしていた。一日に訪れる、たった数秒ほどの時間を楽しいと感じはじめていたのだ。決して交わり合おうとしない視線を感じるたび、私は思わず小さく笑いそうになってしまう。(笑うと言っても、私の顔から表情は剥奪されているので、心の中でそっと口角を上げるだけだ)

どうして彼女のことが気になるのだろう。先にも述べたように、似たような視線にならば、これまでも出会ったことはあった。ただ、最後には必ず私と目が合い、その相手は気まずそうに目の前から立ち去るのが常だった。もののついでに飛ばす視線は弱々しく、そして意思がない。だからだろうか。あの頑なな彼女の視線を、私は好ましく思っているようだった。

彼女が休みと思われる日以外は、必ずと言っていい程、私の前に現れた。一体彼女は、私の背後にどのような欲望を見ているのだろう。視線の先を辿るわけにはいかないから、私は前を向き続けた。いっそのこと後ろを振り向いて、答え合わせをしたかった。けれどそれは許されざる行為なのだった。

ある日、彼女はいつものようにぐるりと視線を飛ばした後、瞳の中にそれを収める前に、私の黒い部分をチラリと見た。そして何かを決意したように、自らの前髪に手を触れて、いつものように左へとフレームアウトをした。

少しだけ、不安な気持ちになった。その行為の意味するところを知りたかった。確かに、何かを決意した表情ではあった。私は知っている。私の目の前に立つもう一種類の人間が、その表情をよく顔に浮かべているからだ。近々私が、彼女を迎え入れることになるだろうということも分かっていた。そのときに伝えるべき言葉も決まっていた。

あくる日の土曜日。いつもならば見えない筈の彼女の姿があった。その隣には、彼女よりも少しだけ背丈のある男がいた。彼女はいつもの赤いマフラーをしておらず、よそ行きの格好をしているように見えた。私はそのモスグリーンのコートを知らない。いや、そもそも、私は彼女の名前さえも知らない。何も知らないと言っていい。

私の目の前で、二人は何かを打ち合わせた後、彼女はまたも私の黒い部分を見て、自らの前髪を触った。そして次の瞬間、男の手によって私と彼女の前にある分厚い扉が開かれた。扉を開くとき、かすかに行くよ、という彼女の声が聞こえた。と同時に、私は初めて彼女と目を合わせた。あの頑なさはどこへも見当たらず、どこへもさ迷わず、ただ真っ直ぐと私の瞳に吸い込まれていった。さぁ伝えるのだ。私が彼女に向けて放つ言葉はただひとつ。

「いらっしゃいませ」

大丈夫。少し語尾が上ずっていただなんて、彼女には知る由もないだろう。

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