公爵家
魔のモノの気配がする。
ああ、もうそんな時間か。
私は春の歌を歌い始める。
「おや、お目覚めになられたようですわね。寝ながら歌うなんて、さすが聖女さま」
誰かの声がする。何か嫌味っぽい。
いつの間に眠っていた?
なんだか頭が重い。
どうして私は、椅子に座ったまま寝ていたのだろう。
にぶい頭でそんなことを考える。
ずいぶん手首が痛い。
どうやら後ろ手にされた状態で、縛られているようだ。体を動かそうとして、体も足も縛られているらしいことに気づく。完全に拘束されている。
ゆっくりと目を開くと、見たこともない部屋で、三人の人間が私を見下ろすように立っている。
一人は、エイミー。もう一人は、確かエイミーの夫のデソンド公爵。あと一人は、誰だかわからない若い男だ。
少しずつ頭がはっきりしてきた。
ああそうだ。楽屋で、エイミーにすすめられてハーブティを飲んで。その後の記憶が無い。
「ソフィアさまを篭絡せんとする輩がおります」
ネイマールの話を思い出す。信じがたいけど、私を篭絡して、軍を掌握しようとしている人間がいると言っていた。
油断、だった。軍の施設内ということで、完全に無警戒だった。
本番ではなく、試演を狙ったのは、物品の搬入等で、人の出入りが激しく、警備も甘くなると計算してのことだろう。
まして、公爵家の人間なら、咎められはしない。それに、本番と違って、私の不在に気づきにくい。完全に、計画的な行動だ。搬入で、荷馬車がかなり入っていたから、箱か何かに入れてしまえば連れ出すのも簡単だったに違いない。
「こんなところに連れてきて、どうするつもりなの?」
部屋の中には三人だけのようだ。窓のない部屋で、灯りは魔道灯が灯されている。
しんと静まり返った部屋。たぶん帝都の公爵家だろう。魔のモノの気配がしたのは、気のせいだろうか。
「あなたには、私の息子の妻になっていただく」
公爵がにこりと笑った。
「え?」
私は思わず聞き返す。誰が誰の妻?
「息子のルイドです。よろしくおねがいいたします。聖女さま」
丁寧に頭を下げたのは、若い男。
え? 二十歳くらいですよね?
「……正気ですか?」
私は思わず聞き返す。冗談だろうか。
「あなた、それでいいのですか? 私、エイミーと年は変わらないんですよ?」
「だからなんだというのです?」
ルイドはにこりと笑った。
「いくら、政略結婚をするにしたって、私では年を取りすぎでしょう? この国では、妻は一人だけ。妾を囲えばいいと思っているのかもしれませんけど、それでは、あなたの本当に愛する人が可愛そうではありませんか」
母は、父に愛されたかもしれないけれど、幸せだったかどうかわからない。皇帝の妾だから、生活に不自由はしなかったし、面と向かって後ろ指を指すものも少なかったと思う。
それでも、同じ妻でも公式な儀式に並ぶことは、なかった。皇妃にいつも遠慮していた。妾にならなければ、孤児であることに、あそこまで引け目を感じることもなかったと思う。
「私はあなたを美しいと思います。あなたは確かに年上ですが、それがなんだと言うのです」
本気なのか、演技なのか。ルイドは甘い笑みを浮かべる。それなりに整った顔の青年だから、社交の場で言われたら胸が騒いだ可能性はある。もっとも、この状況でときめくほど、私はおめでたくはない。本気で口説くつもりがあるなら、せめて私を自由にして欲しい。椅子に縛られた状態で、愛を囁かれても、嬉しくもなんともない。
「年増の私を妻にしても、あなたになんの旨みもありません。野心を抱くのは自由ですが、あなたの選ぼうとしているカードは、何ももたらさないわ」
私はため息をつき、公爵の方に目をやった。
「年増女相手に、くだらない茶番はやめなさい。何が狙いなの?」
公爵はフンと、鼻を鳴らした。
「陛下の退位を願う」
「兄上の? 冗談じゃないわ。だいたい私があなたの息子と結婚したところで、帝位からは今の皇太子よりずっと遠いわ。それに私を人質にしたところで、兄は退位などしない」
「はたしてそうかな?」
随分と自信ありげだ。
「あなたがこちらにつくことになれば、軍部の多くの人間がこちらにつく。それは間違いないことだ」
「……そんなわけ、あるわけないでしょ。バカじゃないの?」
私は呆れた。兄がそれを心配してはいたのは知っているが、実際、そんな力は私にない。
「こんな状態で、結婚しろと言われて、はいと頷くわけもない。私がどこにいても、軍は皇帝の命令で動くものだわ。軍が無条件で私を守ったのは、私が聖女だったからよ。自身の野心のために、息子の人生まで巻き込んで、何を考えているの!」
私は視線をエイミーに向ける。
「エイミーあなた、本気で私の義理の母親になりたいと思っているわけ?」
「それは……」
エイミーは一瞬、やや苦い顔をみせたが、首を振った。
「関係ないわ。息子が帝位につくほうが大事よ。名前だけの『公爵』なんてもうたくさん」
よくわからないけど、どうやらデソンド公爵家は、景気が悪いらしい。つまり、現状打破する方法として、クーデターを企んで、私の身柄をおさえたということか。
「それなら領地経営の見直しをすべきだわ。このやり方は最悪よ」
言いながら私は、ふと思う。
そういえば、軍の講堂で歌ったら、随分と外に音漏れしていた。魔力を込めた発声なら、かなり遠くまで聞こえるかもしれない。
「あなたの意見は聞いていない。あなたはルイドとの婚姻誓約書にサインすれば良いのです」
公爵は、自信たっぷりだ。
「絶対に嫌、誰か助けて!」
私は魔力を込め叫ぶ。無駄かもしれないけれど、誰かに伝えることが出来るかもしれない。
空気がビリビリ震えた。
「うるさいわ!」
エイミーが私の頬を叩く。
その時、ざわっと、空気が揺れた。魔のモノの気配が膨れ上がる。
急に頭上が騒がしくなった。部屋の扉が開き使用人が現れた。
「公爵さま、大変です! 屋敷にコウモリの大群が!」
「何?」
どうやら、突然、窓からコウモリが入ってきて、屋敷中を飛び回っているらしい。
「ええい。コウモリぐらいで、いちいち騒ぐな!」
公爵は癇癪をおこす。
コウモリだろうか? 魔のモノの気配。
「違う。これは魔のモノだわ」
私は確信する。気配は小さいけれど間違いない。帝都に魔のモノが来るなんてありえないとは思う。しかし、侵攻とは違う気がする。侵攻だったら、この屋敷は、とうに吹っ飛んでいる。
「何を馬鹿な」
公爵は信じない。
その時、軽い爆発音のあと、上がさらに、騒がしくなった。
「侵入者だ!」
叫び声がする。悲鳴と怒号、金属の交わる音が続く。
「何が起こっているんだ?」
「様子を見てきます」
ルイドが、部屋を出ようとした時、一匹のコウモリと一緒に抜刀したグラウが部屋に飛び込んできた。後ろには何人も兵がいて、公爵家の私兵と争っている。
「ソフィアさま!」
「将軍!」
グラウは、目の前のルイドの腹に肘をいれ、体を投げ飛ばす。ルイドはなすすべもなく、壁にぶつかって、床に倒れた。
息子をあっというまに投げ飛ばされ、公爵の顔が蒼白になる。
公爵家の私兵たちは、グラウと共に来た兵たちにおさえられて、公爵たちを救いに来ることはできない。
圧倒的に、形勢はグラウの方にあるーー誰もがそう思った、その時。私の首に白刃があてられた。
「動かないで。 聖女がどうなっても良いのかしら」
エイミーの声が部屋中に響いた。