試演会
「引継ぎは終わったのに、法衣を新調するとは思わなかったわ」
ネイマールが部屋に届けてくれた新しい『聖女』の法衣は、兄からのプレゼントだそうだ。
慰労パーティは、普通のドレスを着る予定なのだけど、それまでは『聖女』の格好でいないといけないらしい。独演会は、法衣。言われてみれば、みんな聖女を見にくるのだから、仕方ない。
独演会まであとわずか。
今日は、会場となる講堂で、楽団の人たちと試演の予定だ。もっとも呪歌を歌うと消耗が激しいので、私はほぼ歌わない予定。
「独演会と慰労パーティのあとって、私はどうなる予定なの?」
いつまでも、この『客間』に居座るのもなあって思う。
グラウに話したように、魔のモノに会いに行けるなんて思ってはいないけれど、せめて、兄がどう考えているかを教えて欲しい。兄に予定がないのなら、私は私なりに身の振り方を考えたい。
「はっきりとは申し上げられません。慰労パーティまでは、まだ、内密にしておきたいと、陛下はお考えです」
まどろっこしい言い方だ。
「ということは、予定はあるのね?」
「ある、とだけ申し上げておきましょう」
ネイマールは頷く。
「内密にする理由は?」
それくらいは教えて欲しいと思う。
「ひとつは、独演会を成功させるため。ふたつめは、周囲の思惑をさぐるためにございます」
意味が分からない私に、ネイマールは大きくため息をついた。
「二十二年もの長き間、最前線にいたソフィアさまは、軍部の人間に顔が広く、強い影響力のある方。連日、ソフィアさまに面会したいという輩が宮廷に押し寄せてきていることは、ご存知ですか?」
「え?」
まったく知らない。客が来てるって取り次がれないし。
そもそも、軍部の人間に顔がきくとかは全くないと思う。影響力なんて、どこにあるのか、私が教えて欲しい。
「聞いてないけど?」
「あたりまえです。陛下から、全てソフィアさまにおつなぎせずにお断りするよう、ご指示が出ております」
「どういうこと?」
さっぱり話が分からない。
「陛下を通さずに、ソフィアさまを篭絡せんとする輩が多いのです。簡単に言えば、縁談、商談ですな」
「縁談?」
商談はまだわかる。軍の人間と親しいと思われているとすれば、取次を頼みたいと思う人間はいるだろう。
しかし、縁談?
「私、四十歳ですよ?」
「政略結婚に年齢は関係ありません。ソフィアさまには政治的な価値があります」
「でも、私では、いまさら子供も難しいでしょうし」
四十歳でも子供を授かることはあるが、それをあてにして、権力を手にいれようとするには、あまりにも心もとない賭けだと思う。しかも、私の母は、孤児。皇帝の妹ではあるが、母の実家というものがないので、経済的には私本人が持っているものしかない。
「あなたが妻であることこそが、大切なのです」
「よくわからないわ」
もちろん政略結婚に愛など必要ないことは理解していたが、子も必要ないとは思っていなかった。
ある意味結婚に対して、多少持っていた夢を否定された気分だ。
「そのような人間から、ソフィアさまを守り、さらには、そのような人間を見極めるために、内密にしているのです。ご理解いただけますか?」
「なんとなく」
私は頷く。
ネイマールはうやうやしく頭を下げて、部屋を出て行った。
「縁談か」
新しい法衣をながめつつ、私は窓の外に目をやる。
庭園の緑は、今日も眩しい。
まさかそんな話があるとは思ってもみなかった。五年前、縁談があるからといわれた、あの縁談はどんな相手だったのかも知らないけれど、もう、そういった話はないものと思っていた。
自分の知らないところで、自分の知らない『価値』が勝手に自分に加味されていくのは、不思議な感じがする。
それにしても。
兄を通さずに直接私を篭絡しようとするって。
世間知らずのオバサンだから、だまくらかすくらい、簡単なことだと思われているのだろう。
狙いは、軍部かな。軍部を押さえ、兄に対抗しようってことなのかも。
随分ときな臭い話だ。実際に私を妻にしても軍部が言うこと聞くとは思えないんだけど、兄としては、放置できないわけだ。
でも。『予定がある』ってことは、兄はもう、私の『相手』を決めているってことなのだろうか。
そうかもしれない。ただ早々に発表しては、不穏分子の『あぶり出し』はできないってことなんだろう。
つまり、兄は相手の出方を『待って』いるのだ。
皇族に生まれた以上、政略結婚は当たり前。当事者同士の想いなどは、二の次だ。
夫が誰であろうと、愛されなくても、愛せなくても、関係はない。わかっている。兄が望むのであれば、私は、その縁談を受けるだろう。そういうものだ。
脳裏にグラウの顔が浮かぶのは、きっと気のせい。ずっと、人生の節目に彼がそばにいてくれたからだろう。
「人々が、無邪気に恋や夢を語れるのは、ソフィアさまのおかげです。ソフィアさまは、もっと胸を張るべきです」
不意にグラウの言葉が浮かぶ。
そう。兄の治世の安定は、皆の生活を守ることにつながる。
聖女になった時、恋はしないと決めていた。
今さら、何を求めるのか。
手に入らないものを欲しいと思っても、辛いだけだ。
私は決して、不幸ではない。
私には、前を向く勇気をくれるひとがいる。その人の心が私になくても、その言葉は本物だから。
「そうね。私はもっと、自分のしてきたことに誇りを持たなくては」
新しい法衣にそでを通して、姿見に自分の姿を映す。
「とりあえず、独演会をがんばらないとね」
何人来てくれるかわからないけれど、少なくともグラウは来てくれる。
それだけで、十分だった。
独演会の試演は、かなりの見物客が押し寄せる中、粛々とすすんだ。
楽団のメンバーは、以前、塔に来たことがあるひとが半数くらい。
普段は、『人間の観客』相手に奏でることが多いので、私よりノウハウは持っている。彼らが使うのは、魔楽器で、奏でるときに音に魔力を付与する代物。
歌唱ほどではないにしろ、それなりの魔力を消耗するため、普段は、魔力を込めない普通の楽器を使用したりもするらしい。
「ごきげんよう。ソフィアさま。お懐かしゅうございます」
楽器の音合わせ中、楽屋として用意された部屋に行くと、古い知人に声を掛けられた。
彼女は、エイミー。今は、公爵夫人で、私と一緒に呪歌を習っていた女性だ。聞いたところによれば、『聖女』候補にも名が挙がっていたらしい。
もっとも、私のところに聖女の話が来たときには、私が行くしかなくなっていたので、きっと彼女は拒否したのだろう。聖女は、決して人気のある仕事ではない。
彼女は、皇族としては、『直系』ではないけれど、皇太后さまのご親族でもあったから、私より意見が言える立場だった。
当時は、文字通り境界の塔は、最前線で、魔のモノが侵攻をはじめていたから、拒否は当然ともいえる。
「こちらこそ」
私は笑みを返す。いろいろそのことで思うところはあるけれど、二十二年前のことだし、一緒に学んだ間柄でもある。帝都に知人の少ない私には、懐かしかった。
「ハーブティはいかがですか?」
エイミーは私にソファに座るように勧め、カップを前に差し出してくれた。
「ありがとう」
とても良い香りだ。
私はカップを手にして、口にする。
それにしても、エイミーの服装は落ち着いたモスグリーンのドレス。華美な飾りはないけれど、上等な布で仕立てたものだ。公爵夫人だから当然とはいえ、どう見ても『楽団』のメンバーの服装ではない。
いやな予感がした。
エイミーは、私のバックコーラスをするには、ビックネームすぎる。彼女は立派な皇族だ。ゲストならわからなくもないが、そんな演出、誰からも聞いていない。
「あなた、どうしてここにいるの?」
楽団の関係者でも、軍の関係者でもない。そんな人間が、なぜここに居るのだろう?
「楽団のメンバーに頼んで、ご挨拶に参りましたの。独演会は軍の関係者しか入れないと伺ったので」
彼女はにこりと笑う。
まずい。よくわからないけれど、逃げなくては、と思った。
私はソファから、立ち上がろうとしたが、足に力が入らず、ソファに崩れるように落ちる。
「誰か……」
魔力を込めて叫ぼうとしたが声が出ない。
「いくら宮廷に伺っても、お茶会にもお誘いできないんですもの。だから、お迎えに参りましたの」
それを最後に、世界が暗転し、私は意識を失った。