ヴィアンカ
「こちらこそ、お世話になっていますわ」
私はにっこりとヴィアンカに笑みを返す。
「娘さん?」
長い艶やかな栗毛の髪。とても可愛らしい。それに、どことなくグラウの面影がある。
「えっと。養女です。私には、子がありませんので、妹の子を引き取ったのです」
「妹さんの? それで、よく似ていらっしゃるのですね」
私は納得する。
貴族が家を存続するために、養子縁組をするのはよくある話だ。親族の子を引き取って、跡継ぎにするのは、定番中の定番。
愛し合っていても、子供を授かるとは限らない。
グラウは塔での軍役が多かった。そのせいもあるだろう。
そんな帝都での幸せを犠牲にして、塔に来てくれていたのだ。私のためではなく、国のためだけれど、なんだか申し訳ないと思う。
そんなグラウの忠誠を試すようなことをして、舞い上がっていた自分が恥ずかしい。
「義父から、聞いておりましたけれど、本当にお綺麗でいらっしゃいますね」
ヴィアンカがキラキラ光る瞳を私に向ける。
「いつも言っておりますのよ。聖女さまは、天から舞い降りたかのような美しい方だって」
「ヴィアンカ!」
グラウがたしなめるように、声をあげる。
「ありがとう。お世辞でも嬉しいわ」
ヴィアンカはともかく、義母となったグラウの妻は、私のことを恨んではいないのだろうか?
夫を軍役に駆り出していた、聖女を恨んでも不思議はない。
でも、私に対して屈託のないヴィアンカの笑みを見ると、そんな雰囲気は感じられなかった。
夫の軍務に理解のある、非常に賢い女性なのだろう。きっと、素敵なひとだ。
「お世辞じゃないです! その銀の御髪の美しいこと! 女神さまのようですもの」
「まあ。あなたのように、若くて可愛いらしいお嬢さまに言われると、くすぐったいわね」
おそらく、この聖女の法衣をまとっているから、なんとなく神秘的に見えているのだろう。
衣服の持つイメージが、私を神々しく見せているに過ぎない。
ネイマールの言った法衣が『私を守る』というのは、そんなことも含んでいたのだ。
「ところで、ヴィアンカ、お前はどうしてここに?」
「えっと。美味しいマフィンをたくさん焼いたので、軍の方に食べていただこうと思って持ってきたのです。そうしたら、聖女さまがお見えになっているって聞いて」
「ひとりで、ここに来てはいけないと言っているではないか!」
「爺やと一緒に来たわよ?」
ヴィアンカは、ぷくっと顔を膨らます。
「まったく」
グラウは顔に手を当てて、呆れたような声を出した。
でも、彼女を見る目がとても優しい。
幸せなのだろう。きっと。
素敵な家族だ。
「私、そろそろ帰らなくては」
とても幸せそうな二人をなんだか見ていられなくて、思わず雰囲気に水を差す。
「えーっ?! 聖女さまにも、マフィン食べていただきたいです!」
ヴィアンカの罪のない瞳。
なんだか、そこから逃げたい自分が、とても醜い生き物のように思える。
「では、お土産でいただくわ。長居するとネイマールがうるさいの」
もやもやとする感情に蓋をして、私は微笑む。
私はまだ聖女だ。こんなことで、心を揺らしてはいけない。
心を揺らす感情の先にあるものがなんであるのか、気がついてはならないのだ。
「本当に! 嬉しいです! 用意します」
ヴィアンカは弾んだ様子で、走っていく。
「ヴィアンカさまっ! おひとりで走り回らないでくださいっ!」
ザナは私にぺこりと頭を下げてから、彼女を追いかけていく。どうやら、日常の光景のようだ。
「すみません。しつけができていなくて」
グラウが苦笑する。
「いえ。可愛らしいお嬢さまですね。よくこちらにおいでになるのですか?」
「はい。まあ、たぶん目的は私ではないように思いますけどね」
グラウは、ヴィアンカの後姿を見つめながら、肩をすくめた。
ああ、なるほど。ここに意中の人がいるのかもしれない。それで、マフィンを焼いたりして理由をつけて、ここにきているのだ。なんて、ほほえましいのだろう。
「それは、心配ですけど、素敵ですね」
私にはなかった季節。たぶんこれからもないだろう。ヴィアンカの周りには、甘くて酸っぱい美しい季節がある。
「ソフィアさまが平和を守ってくださったからこその、世界です」
グラウが微笑む。
「人々が、無邪気に恋や夢を語れるのは、ソフィアさまのおかげです。ソフィアさまは、もっと胸を張るべきです」
私の表情に何かを見たのだろうか。胸の奥の寂寥感に気づかれてしまったのかもしれない。
「ええ。わかっているわ」
私は小さく頷いた。
私が往きに乗ってきた馬車に、ネイマールが乗って帰ってしまっているとは、どういうことなのだろう。
いや、まあ。軍には、馬車もたくさんあるってことなんだろうけど。
そして、軍には当然、馬車はあるだろうに。なぜか、私はグラウの馬に乗せられている。
聖女の法衣だから、またがるわけにはいかないので、横座り。横座りだとかなり揺れて怖いので、グラウの胸にしがみついている状態だ。
これ、聖女としてまずい気がする。
いくら、護衛(輸送?)されているだけとはいえ、スキャンダルものだと思うんですけど。
もちろん、馬車より、使う馬が少なくて済むし、護衛と乗り手を兼ねればひとも少なくていい。つまり、軍としては手間が少ない。宮廷までは、近距離だ。つまり合理的な判断なのだとは思う。実際、聖女じゃないんだから、スキャンダル云々で、異を唱えるのも変だ。
それにしても。
グラウの大きな胸につかまりながら、私はともかく、彼は何を考えているのだろうと思う。
騎馬一騎で送るにせよ、何も将軍自ら送る必要はない。
もちろん、グラウは、この国でも指折りの剣士で、彼が『護衛』として超一流なのは間違いない。
それでも、こんなふうに私が彼に抱かれるように守られているのは、グラウの妻はどう思っているのだろう。仕事だと割り切って、夫を信じているのだろうか。
それとも、四十歳になった私は、既に女としてカウントしていないのだろうか。
「そういうことかな」
「どうかなさいました?」
思わず口に出して呟いてしまった。
グラウが心配そうに問いかける。低い声が耳元で響いた。
距離の近さに胸が騒ぐ。
「なんでもありません。まさか将軍自ら送ってくださると思っていなくて。しかも騎馬なんて」
グラウの胸に顔をうずめたまま、言い訳する。
「すみません。私がこうしたかったので、職権を乱用しました」
「え?」
そっと見上げると、グラウの顔が朱に染まっている。
「不快でしたでしょうか?」
「……別にそういうわけでは」
私は戸惑う。嫌ではない。嫌ではないから、余計に困るのだ。
「ただ、その。奥さまに怒られませんか?」
太い腕に支えられながら、言うことではないけれど。
「奥さま? 私は妻帯しておりませんよ?」
グラウは苦笑いをうかべたようだ。
「そうなのですか?」
グラウほどの男性なら、女性は放っておかないと思うのに。そうでなくても、縁談はいくらでもありそうだ。
「私には、ずっと、妻にしたいひとがおります」
グラウの声は囁くように小さい。
「遠くて手の届かないひとです。あきらめることができず、そのひとをずっと追い続けてきたら、この年になってました」
「……届かないひと」
それはいったい誰なのだろう。
「さすがに、家のこともありますから、養女をとり、一応はひとの親にはなりましたが」
城の門が見えてきた。
「手が届きそうだと思ったら、遠くに行ってしまう。それでもあきらめきれないのです。しつこいのですよ、私は」
グラウは淡く微笑む。その瞳は切ない光を帯びていた。
「ここでいいわ」
城の馬場にはいり、馬から降りるのを手伝ってもらいながら、グラウの想い人に思いをはせる。
「かなわないわね」
思わず、心の中で呟く。
グラウの大きな胸は、私のものじゃない。向けられる優しさは、聖女への忠誠心だ。
それは恋とは違うものなのだ。
「独演会、絶対に来てくださいね」
せめて、それくらいは望んでもいいだろう。
「もちろんです」
頷くグラウに笑みを返しながら、泣きたい気分になった。